この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 65★

2006-08-25 11:01:02 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO32 ◇




例えば
あなたが 結婚しているか
恋人同士でいる場合

そこでの 関係は 愛は
どんな ものなのかを 伝えてみたい。

あなたが 結婚して
あるいは 恋をして
あなたは 相手である 
彼を 彼女を 愛する。

あなたが その相手を
愛すれば 愛するほど
同時に その相手を 失ないたく無いと
言った気持が生まれ

愛する度合と
同じ度合にまで

その 失ないたくないといった
気持も 大きく育てて行ってしまっている。

するとあなたは
無意識に その相手に出来るだけ
嫌らわれない様に 歩き出してしまう・・・。


この歩き方は
作られた歩き方だ。

本当のものじゃないから
ひどく疲れてしまう。

そして 
その内それが
馬鹿馬鹿しくなってきてしまう。

そりゃそうだ。

だって
そうなったら あなたは
誰の生でもないところの生を
生きているのだから。

あなたの生でもないし
彼の 或いは 彼女の生でもない
それは まがいものの生だ・・・。

その結果 
あなたは その相手を
内側の一番深い所で
どんどん僧み出す。
それが あなたの本音となる。

あなたは 相手である彼を 彼女を
うわべでは 
建前のところでは

まがいものの
作られた生のところでは 愛し。

本音の部分では
憎み出す。
そして 
もしも結婚をして
法的に縛り 縛られ合っていたら

本音を 
妥協しながら押さえ込み
建前である型上の愛を
永続させようとしてしまう・・・。

ところが 内側では
その相手を 憎んで愛していない。

これでは
まるで 牢屋に入っているみたいな
生だから

この牢屋から
抜け出したいが為に

内側の本音は
やがて 
他の何か夢中に成れるものを
探し出し始める
あるいは あなたは他の異性を求め出してしまう。

こうなってしまうと
あなたは 本音の部分で
やりだした何かこそ
私の本当にやりたい事に
やっと出逢えたなどと錯覚する。

あるいは
あなたが牢屋から抜け出す為に愛した人こそ
本当に愛している人なのだと錯覚してしまうことになる。

だが 
それは違う
本音というのは

あなたが 建前の生で
生き始めたと 同時に
産まれてきてしまうもので
それは
両方とも あなたが作り出したものだ。

建前と 本音
これは 二つで一組のものだ。
それは ペアだ
対だ。

だから 
建前が無くなってしまえば
本音だけでは
持ちこたえられなくなり
それは 消えさる。

本音に 
命を注ぎ込んでいたのは
建前だった・・・。

もしも
あなたが建前の生の方に合わせて
無理をして生きようとしなければ

本音などというものは
生まれて来はしない。



例えば
あなたの奥さんに対する
愛情が最初の頃と変わり
情熱的では無くなって来ているのに拘わらず
あなたが それを認めずに
愛しているフリで誤魔化そうとしていると
あなたは奥さんを
建前で 愛し始める様に
なってしまい

他の女性を好きになって
恋に落ちる。

あるいは
あなたが 旦那さんを
建前で愛する様になってしまうと
あなたは 自然に他の男性に
目を向け始めてしまい

これこそ
私の求めていた愛だったと
その男性と恋に落ちる。

そして
建前である 愛の方の奥さんと
あるいは 建前である 愛の方の旦那さんと
ちゃんと離婚をして 別れて
本音で 愛し始めた女性と
あるいは 男性と
一諸に暮し始めてごらん。

あなたは
あんなに 身を焦がした筈の愛が
どんどん どんどん
消えて行く事を
目にするだろう。

するとあなたは
「 本当は 別れた奥さんのことを
旦那さんのことを 愛していたんだ
この愛は 一時の気の迷いだったんだ 」
などと 思い始める。

だが
違う
そのどちらも
あなたは 愛してなんかいない。

本音と 建前
それは どちらも本当のものじゃない。
あなたは
誰も愛してなんか
いなかったことに気づき始め
なければいけない。

あなたの愛は
いつもそうだった。

あなたの愛は
いつも建前か 本音の
どちらかだった。

だが
どちらも本当じゃない・・・。

第一 愛するという
あなたの 姿勢自体が
間違っている。

愛は するものじゃない
愛は 守りを一切
捨てたところに
起こる現象だ・・・。

する事など 出来ない。

愛は 関係は
守りを一切捨てたところに
たちまち 生まれ出る空気の様なものだ。

それは 見えないが
感じる事ならできる。

自分を守るという事を
一切しない状態。

あらゆる支えという支えを
自分というものから
取り去った状態。

その時
あなたは居ない
そこに愛は 降り立つ。

例えば
一切 守らないとは

もしも
あなたが ある人を愛していたら
全面的な信頼が起こる。

この信頼は
自分の都合の良い時は
受け入れ信頼し。

自分に都合が悪くなると
信頼しない
などといった
たぐいの信頼なんかじゃない。


愛とは 一切の守りを
ただ ただ捨て去り
そこに在るだけの状態だ。

それを 人が感じる事はあっても
あなたから愛を
する事はできない。

愛は するもんじゃない。
むしろ なにもしないことだ。

なんの低抗も
なんの計画も
愛はできるものじゃない。

もしも
あなたが それをやっている感じでいるなら
それはまったく
別なものだ・・・。

あなたは 
まったく別なものを
愛と呼んで
何か勘違いをしている。

愛そう
などとせずに

何故なら
それをしてしまうと
今までの道だ。

いつも内側に 
何かしら持って

それで あなた自身を
支えようなどとせずに。

あなたを 支えるものを
何もかも外し

いつも 空き家の様な心で
内面で
居られること。

いつも 
空き家
あなたの心が
空っぽの 空き家であったら

そこに来た
お客さんは 誰一人として
あなたに 迷惑がられない。



もしも
あなたの 心が 内面が
空き家では無く

それ以前の お客さんが 
或いは それ以前のお客さんの残像が
まだ居座っていたりしたら

そこに 
尋ねて来たお客さんを

あなたは
迷惑そうに迎え入れて
しまう事になる。

もしも
あなたが 常に 
空き家であり続けられたら
そこに尋ねて来たお客さんは
皆 大歓迎だ。


そんな時
愛は起っている。





そして
本当は誰にも
いや 人だけじゃない
物でも 考えでも
何ひとつ その あなたの心であり
内面である 空き家を
空き家で無くする事は
不可能だ。

それは 
ずっと空き家のままだ
常に 空き家のままであり続けているのに

あなたと来たら
いつも その空き家を
何かで埋め様としたり

誰かお客さんを
あるいはお客さんの残像を閉じ込めっ放しにしたりして 
( 恋愛している時 いつもその相手の事を考えている状態 )
充実感を抱いたり
それを 愛と呼んでみたりする。


そんな
あなたの 愛なんて
嘘っぱちだ。

あなたが 1人勝手に
それが愛だと思い込んで
その思いに 元ずいた行動を取って
相手をこちらに向かせ様とする

あなたの
愛を 活かし続けるには
常に 相手をこちらに
向かせ続ける為の
行動や 演技や 努力を
し続けなければいけない事になる。

そうでなければ
その愛は 壊れてしまう。

あなたの
言う愛が
本当だとしたら

それは 
酷く疲れそうだ
愛って そんなに疲れるものなのかい?

もし そうだとしたなら
そんな愛は うんざりだね・・・。








明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに