この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 217★

2007-03-31 21:14:27 | Weblog


◇あなたの愛の質◇





そして
もしも あなたが
あなたの中に 怒りや 憎しみの
エネルギーを 産み出し

それを 
発散させる為のものが 性欲であり
その性欲から 愛なるものを 感じていたら

それは
どういう愛だろう
ただの エネルギーの発散の為の 愛・・・。

自己中心的な愛
怒りや 憎しみが
一番の 奥底にある愛は

本来の
愛を
交わす事は不可能だろう。

そして
発散の副産物として
産まれた子供と あなたは出逢えない。

だって
あなたが
此処に辿り着いて いない以上

出逢いは 
起こらない。

出逢いが
起こらなければ

子供は 
旅を し始めなければいけない。

あなたが
此処に辿り着いていない
ばかりに・・・

子供は 
最初から
それだったところへの 旅をする。
しなくてもいい 旅をする・・・。

そして
多くの者が 帰りつけない
あなたは 子供を 愛していると
言えるだろうか・・・?

ただ
俺の 私の 
子供だというだけの
愛では ないだろうか?

あなたが
親であり
ここまでの話しを聞いたなら

あなたは 
自分の怖さなど 放り出して
此処へ辿り着く事に
全力を注ぐはずだ。

そうでなければ
あなたの
愛など 偽物だ。




何故なら
今までは 
知らなかったで済んだ。

だが
今は知ってしまった。

もう 目を背ける事も
言い訳も出来ない。




そして
それが 
あなた自身をも 救う道だ。

あなたの手で
もしも あなたが
子供を 本当の愛で 満たす事が出来るなら

それは
そっくりそのまま
どこの子供にでも
向かう愛 そのものを
あなたが 持っているという事だ。

そして
それは子供だけではない
全てに対してだ!

だって
この人は愛せるけど
この人は 愛せないが 有る筈が無い。

それは
相手とは関係なく
あなたから出る愛
そのものの問題だ。

まだ
それがあるのなら
そんな差別や格差があるのなら
それが あなたの愛の質だ・・・。














★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 216★

2007-03-30 11:31:50 | Weblog


◇質の変容◇






もうひとつは
例えば このエネルギーを使い
仕事をして結果が 良く出れば

それだけ
あなたの中の
憎しみ 怒りは 小さくなるし
以前ほど
大きくない分
喜びが 現れる。

喜びが 現れれば
エネルギーの質が 転換されてしまい
以前の様な怒りに基づく意欲は 湧き出てこない。

あなたは
そこでぴったりと
立ち止まったままだ

そして 
後は落ちるだけだ
落ちては 再び
そんなに落ちてしまった事への 
恨みと 
怒りのエネルギーが 湧き出し
それを向けて 元の位置まで引き上げる

この
繰り返しで
一生を あなたは 過ごす。

ぐるぐる 
ぐるぐると 回るだけだ
そこから 抜け出す事は難しい・・・。

だが
ある事を 
看破できれば 
それは たやすい

その
ある事とは

“ それは あなたの力の限界ではなく
その エネルギーの力の限界だという事だ ”

ところが
今迄がエネルギーの
力だとは 思っていず

あなたの
力だと勘違いしてしまっている

だから
あなたは それを
あなたの 力の限界だと感じ 落ち込む。

そのままで
有ったなら あなたの未来はない。


今の延長
それが あなたの未来だ。

そして
そのあなたが
人の上に 君臨していたならば

その人達も
あなたが導いたのだから そこまでだ。

どこも
不思議はない
それは 自然な結果だ・・・。

これが
仕事によっての
発散に このエネルギーを向けた場合だ。

そして
多くの人は
そのエネルギーを 性に向ける。

これが
性欲 性衝動の基だ。

それは
自然に湧き出してくる様に
思えるが そうではない。

その
エネルギーは
あなたが あなた自身で
産み出してしまっている。

その
エネルギーを産み出せば
その衝動は 止める事は 不可能だ。

それに
止めるべきじゃない。

ところが
あなたが 産み出しているのならば
そのエネルギーを 産み出さなくなる事は可能だ。


それが
質の変容だ。

それには 
そのエネルギーを
産み出してしまっている プロセスを
看破してしまえばいい。

物事は
どんな 物事であれ
あなたが それを見破るだけで
蒸発して行く様に出来ている
但し その物事との 真正面からの出逢いが必要だ。
より深くまで見破ることが必要になってくる。


その
エネルギーの
産み出されるプロセスは

あなたの 「 俺が 俺が 」
「 私が 」と いう色メガネを通して
物事を見た時に 本当に リアルな あるがままが見えずに

あなた
独自の世界観を
産み出してしまう

あるがままと言うのは
ただそこに あるものが見えているだけで
そこには 一切の意味付けを
していない状態を言う。

もしも 
そこに
意味や 解釈をつけて
感じているなら
それは あるがままを見ていない

その
一切の意味や 解釈は
すべて あなた側からのものだ。

どんなに
良い意味も 
解釈も 駄目だ。

どんなに
悪い意味も 解釈も
それらは全部 あなたが投影しているものだ。

あなたは
純粋に ただ見る目を
持っていない。

心と言う
くだらない所から見ている
過去を 引きずったままの 目で見ている。

だから 
意味づけが出る 解釈が出る。

それは 
つい今しがたまでの
過去が 見ているんだ。

もう
終わって 
全てが無くなっている所からなど
どうして 見る事が出来る?

それを
あなたは知らずに
自分のしている事さえも
知らずにいるから 気づかずにいるから
そこに 怒りや憎しみのエネルギーは
産まれ出す。

いいや
あなたが 産み出してしまっている
そして 物の見方が 既に間違っている事に気づかないから

こう
あるべきだ
こうしなければいけないで

その
エネルギーを抑圧し
さらに 強いものにしてしまうのを
知ってるかな?

だって
こうあるべきだとか 
こうしなければいけないは

産み出した
エネルギーを
内側深くに押しやることだ。

あなたは
それに目を 
見張ってなければ いけない。

目を 
見張れば 見張るほど
それは より現実のものと成って行く。

最初は 
ただの心に浮んだ
過去からの 意味付け 解釈が

今は
現実のものに成ってしまった。

だって
それを止めておこうとする
緊張状態は 現実のものだ!

そうして 
エネルギーは
産み出され 育つ。

当然 
吐き出さなくては いけない。

そこで 
生きる あなたは セックス
それが 当然 必要と成ってくる。

それを
悪いものと見なしては 駄目だ
ただ そこからの卒業が 必要なだけだ。

成長が
必要なだけだ。

何故なら
その次元に居る 
あなたの身体を 支配するものは

この
怒りや 
憎しみ 欲望の エネルギーだ。

あなたは
怒りで有り 
憎しみで有り 欲望だ。

それを
偽装工作をして
そうではなく 見せようとする。

今や
世の中は
怒りと 憎しみと 欲望だらけだ。

あなたが
演じている
あなたなんか 居やしない。

その
根本の質は
怒りだ 憎しみだ 欲望だ。

だから
そうでなく見せ様とする
それは 疲れる。

それだけじゃない
それで 騙し通せるのは
あなた 自身だけだ。

あなたは 怒りで 有り
憎しみで 有る事
これを 看破すること。

あなたは
それ以外の 何者でもない。
私の言っている 此処(空)に来ていない以上

それが
他の質を 
持っているなんて事は 有り得ない。

そして
それが見抜けたら
どんな 状況の責任にすることも

誰か 
人の責任にしてしまう事も
何も 意味をなさない。

その
事実を
あなた自身で 
引き受けない限り
なんの変化も 起こらない。











★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 215★

2007-03-29 11:16:35 | Weblog


◇三つ目の うねりセックス◇




あなたは
あなた自身のセックスを
深く見つめた事が有るだろうか?

あの
セックスヘの衝動が
なぜ起こってくるのか?

それは 一体
どこから 湧き出てくるのか
そして セックスの中に
自分は 一体何を
求め様としているのか。

これこそ
見つめなければいけない 大切な事だ
愛まで見つめたところで
それは まだまだ浅い・・・。

何故なら
あなたは この衝動には勝てない。
それを 内側深く押しやっても
ことは 混乱するばかりで
それは 大した用は 成さない。

しかし
人は その道を長い事
歩いてきた。

誰の中にも
セックスに対しての願望が
見てとれる・・・。

僧侶の
中さえもだ。

しかし
いくら内側深く押しやっても
押しやっている本人には
それは よりリアルなものとなってしまう。

あなたは 
常にその内側に
押しやったものを
見張っていない事には
それが いつ外側に飛び出してきて

その辺の異性に
飛びかかろうとするか
気が気じゃない
ちょっと 気を抜いただけで
それは 起こりそうな感じがする。

これは
セックスだけに
関した事じゃない。

あらゆることを
内側に押しやった時の 原理だ 作用だ
あなたは常に緊張していなければ いけない。

ところが
セックスの時だけは
この あなたを縛っていて

石の様に
硬くしている緊張状態から
解放される。

そして
あなたは柔らかくなれる。
(セックスの時さえ緊張が
あるとすれば それは不感症になる。
緊張状態を解けない 何かがある
例えば 以前に好きだった人の名前を 呼んでしまうとか(笑)
過去の性に対して受けた 恐怖感が
呼戻されてしまうとかの
何かがある)


柔らかくなれ 緊張状態から
解放されるのは そのセックスの中だけだ

再び 
あなたは
この緊張状態を続ける・・・。

そして
緊張状態を続け 
疲れて 限界が来ると

再び
この緊張状態から
解放されたい為に セックスを求める。

繰り返しだ。



だから
あなたが日常の中で
緊張せず 深い安らぎが 有れば 有るほど

セックスは 
どんどん どんどん
要らなくなる。

それは 
セックスの方から
遠のいて行く。

それは
自然に無くなっていく

すると 
あなたの生 全体が
質的に変化を起こす・・・。

心理学者のフロイトは言う
「 人間の全ての行動は 性衝動に基づいている 」
彼は 半分正解だけれど
半分は間違い。

何故なら
多くの人達は そうだろう
性衝動との明け暮れの毎日

その人の 
生全体は
それに基づいている・・・。

しかし
ブッタは違う イエスは違う
此処に(空に)至った人達の生は
完全に違う。

生全体が
質的に変化してしまっている。

そして
誰もが 此処に至れる。

だから 
フロイトの言っている事は
半分正解だ・・・。

まだ 
此処に(空に)至っていない人の生に
関してならば 正解だ。

だが
その人達が 此処に(空に)至ったなら
フロイトの言っている事は
間違いになってしまう。





あなたの
幼い頃 両親との 
関わりが少なければ 少ないほど

あなたの
内側に 淋しさを宿し
その淋しさから

淋しさを癒す為の
愛されたいと言う 願望を
より 深めていく

この願望が
セックスヘの 深い願望となる

セックスの中では
相手に触れる 
撫でられる 抱かれる。

親子の
愛においても
同じ行為が 行われている。
そこには 性器同士の結合が無いだけだ。

幼児期に
この親からの 愛の行為である
触れる 撫でられる 抱かれる
共に寝るといった行為が 
少なければ 少ないほど

セックスに
対しての あなたの
より強い願望となり
その願望が 執着心へと変化する。

別にあなたは
いやらしい訳じゃない
スケベな訳じゃない
先天性色魔なんかじゃない。

それは
愛への乾きを
満たしたいだけなんだ。

そして
誰かと 特別な関係を 持ちたかったり
誰かに 特別扱いを されたいとかは

皆 この愛の
乾きから出ている
それが 強ければ 強いほど
なんなく セックスをしてしまう。



だって
セックスは
誰とでもするわけじゃないから
特別扱いをされる為の

私を
愛してもらう為の
最適の道具だ・・・。

ただ
愛されているという実感が 欲しい・・・。

だが 
あなたは一時的にしか
満たされない。

そして
愛の中で傷つき落胆し 別れてゆく
相手を 変えては 又もや
同じ愛の上を歩く・・・。

こうなったら
セックスは 愛は
いつも あなたの傷を 癒す為の道具に
質が低下して行き
あなたは その中において
何もかも 
忘れられるという
感覚だけを
追い求める様に成ってしまう。

セックスで
酔っぱらう
愛で 酔っぱらう。

ここまで
セックスを 愛を
質の低いものと してしまったのは
あなただ・・・。

そして
誰もが そうしてしまっている・・・。



第一歩目の
スタートが 問題だった。
淋しさという傷を 癒す為の

愛されたい
という願望が
もう この道の 行き着く果てを
決定づけている。

その時点で
未来は 決まっていた。
(過去の 繰り返しと言う未来を)

最初に 
感じていたあの淋しさは
心の中に 有ったものだ。

それは 
過去に受けた
淋しさであって

今現在は
誰もそんな淋しさを
与えているものは 居ないという事を
見破っていないから

それを 
いつまでも引きずる
その過去に受けた淋しさは

どんなに 
愛されていても
完全には癒えない・・・。

それが 
癒えなければ
淋しさを感じる・・・すると あなたは
「 この愛は 違った 」
「 本当の愛じゃなかった 」
と 理屈をつける。

実際に 
無いものを 
どうやって 無くす事ができる。

あなたの
その淋しさを癒せる人は
世の中の どこを探しても居ない。

その淋しさは
あなたの記憶の中に有るものであって
実際に 有るものじゃない。

あなたは
思い出に浸っているから
淋しい・・・。

過去を生かしたままだから 淋しい。

それは
あなたが 
今に生きてはいない事を 表している。

それから 
抜け出す事は容易い。
あなたが それは記憶でしか
無いと言う 事実を見た途端に
その淋しさは たちどころに消え去ってしまう。

そして
それが出来るのは
あなた 以外には居ない。

何故なら
それは あなたの記憶だからだ。
人のじゃない。

そして
あなたは
自分で勝手に
過ぎ去った思い出に
浸る事によって
自分を 淋しがらせてしまっている。

誰一人として あなたを
そうさせている人なんて 居やしない
全ては 終わってしまっていて

今 あなたの事を
苦しめる様なものは 何も無い
その淋しさは

あなたが 
過去の中に生きている事を
心と 一体になっていると言う事を

心の中に
生きているという事を 表している。





*うねりの奥 性欲の
     生み出される原理*


もっと深く
覗き込むと
理解出来てくる事は

性衝動の 
基なる性欲を 生み出す
メカニズムが 看破出来る。

性欲は
今の あなたの歩き方が
あなたの中に 怒りや 憎しみ 
欲望(もっと)の エネルギーを貯えてしまい

その貯えられたものを
吐き出さなければ,
それはストレスとなる。

その貯えられたエネルギーは
外に 吐き出さない訳には行かない。
溜まった物を 出す。

オシッコが 溜まれば出すだろう?
もし 出さなければ死んでしまう。
ひとつの循環作用だ。

それは
摂理だ 運動だ
それを止めれば 反動がくる。

だから
そのエネルギーを
吐き出さなければ 自己の内面を
そのエネルギーで破壊してしまう事に成る。

オシッコを
出さなければ身体が壊れる
エネルギーを吐き出さなければ
自己の内面が壊される。

吐き出す事で 
自己が保たれる。

そのエネルギーを 
吐き出す事で あなたは バランスを保てる。

そのエネルギーが 
性衝動の基になる
それを 吐き出す事によって
人は とても軽くなる。

セックスをする
以前の内面は 怒り 憎しみ 欲望の
エネルギーが 渦巻き
とても 汚れていて 重たい。

セックス直後の内面は
そのエネルギーを吐き出せ
綺麗になっていて 軽い。

だが
これは本当の綺麗さじゃない
本当の 軽さじゃない。

あくまでも
セックスの前後を
比較したらと 言う事だ。

だから 
100%完全に
このエネルギーを 吐き出しきって

あなたの
内面が
本当に綺麗になったら

本当に軽くなったら
あなたは 此処に達してしまう。

純粋な空間が 生まれる
セックスは もう要らない
必要なくなる。

ところが
それはセックスをする事によっては
起こらない。

セックスの役目は
それをする前より
軽くしてくれるだけだ。

純粋に 
軽くはしてくれない。

だが 
あなたの奥深いところでの
願望は 純粋に軽くなることに有る。

だから
世にある中では 
もっとも内面を 綺麗に
軽くできる可能性の有る セックスに
それほど 惹かれてしまう。

だが
セックスによっては
それは起こらない・・・。

そして
人はこの可能性を
あらゆるものに 求めようとする。

人は
このエネルギーを
様々な方法によって
吐き出そうとする 発散しようとする。

例えば
スポーツヘ 仕事へ
このエネルギーを向け
それによって 吐き出そうとする。

ある段階までは
このエネルギーを使うと
それは凄まじい威力を発揮する・・・。

何故なら
それは 怒りの 憎しみの
エネルギーだからだ。

エネルギー中のエネルギー!
エネルギーの中でも
もっとも 力のあるエネルギーだ!

だが
このエネルギーは
最後には必ず 破壊をもたらす。

このエネルギーの
向かう対象物 
対象者を破壊する。

そして
そのエネルギーを放った 
あなたも 破壊される。

エネルギーは
「 両刃の剣 」だ。

戦争を見れば
その末期を見れば
良く解かるはずだ・・・。

それは
両者を 破壊する
片方だけ 何の損害も受けない
戦争など見たことも無い。













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 214★

2007-03-28 10:44:55 | Weblog


◇本来の出逢い◇





あなたの
願っていた出逢いは
エネルギーとの出逢いだ。

あなたが
生まれる以前
それと共にあった エネルギー。

あの
愛のエネルギー
真理から吹き出る風。

それと
出逢いたい。
だから あなたが生まれ出た直後から
それを 外側に探し出そうとする。

もっとも 
身近かな
父や 母の内に 空間を
内面の 空を
そこに 降り立つ愛のエネルギーを・・・。

ところが
それが 成されない。

何故なら
その人達は 
もう とっくの昔に
それを 失なってしまった。

内側 深くに 
押しやってしまっている。

世間の人達 
全員が そうだ
もはや 世間の中に
その空間を 見い出せない。

その人達の内面は
怒り 憎しみの
エネルギーで一杯だ。

そして
それを人間は 本能と呼び
それらは 変えられないものとして
決めてしまった・・・。

そして それを 
まるで 土中深く埋め込む様に
胸の奥深くへと押し込み 閉じ込め

それを 
覆い隠して
その上で 生きようとする。

そこで
理性 道徳なるものを
作り上げてしまった。

これが
不幸の始まりだ。





新しい生命が 誕生する。
彼は 彼女は
空っぽのままで
生まれ出てくる。

愛の
エネルギーを 携えたまま

ところが 
その新しい
生命誕生の後 

わずか 
1ヵ月足らずで 
母親が 無意識のまま

自分の
エネルギーである 
怒りと 憎しみのエネルギーを

空っぽで 
純粋な 愛のエネルギーの上に
芽生えさせてしまう。 
注ぎ込んでしまう。

そして
それを見て 
理性 道徳 躾 を植え込み 始める。

世問の人達は
そこに参加した 彼 彼女を
空(くう)のままは 受け入れ様とはしない。

自分達と
同じく過去の中に居て
過去と一体となる ロボットでいる事を

無力な
赤子に強要してしまう。

母が 父が 1番に
それを やり始める
それも 良い事だと思ってだ・・・。




あなたは
生まれたばかりの赤ん坊に
本当に 出逢った事が
有るだろうか・・・?

私は
つい先日 
妹の赤ん坊に出逢った。

女の子だった

彼女は 
溢れんばかりの
愛のエネルギーと
一体と成っていた。

彼女から
風が吹き出ていた。
その彼女も もう3ヵ月になる。

彼女は 
もう居ない・・・。

母の手によって
父の手によって
彼女は 消えてしまった・・・。

世問への旅だ
長い長い旅路が始まった。

彼女が
帰りつくのは 此処だ
最初から そうだったところの

この空っぽさ 
愛のエネルギーとの
真理との 真正面からの出逢い

ところが
この旅から 
帰れない人が 殆どだ。

何故なら
帰る事は 
非常に 難しい。

目標がない旅だからだ
目標は とうの昔に忘れてしまう。

おまけに
我が家は
旅を し始めてしまった人の目には
絶対に見えない。

旅に 
夢中になれば 成るほど
その人には どんどん どんどん
見えなくなって行く。




それは
1度その旅の 
停止をして見て

内側を 
内面を 覗き込むことだけで
その旅の 終着点である
我が家を 目にすることが出来る。

それだけで
本来の あなたと 
あなたじゃないものを
あなたと思っていた あなたとの 
出逢いが起こる。

無くなるのが
どちらかは 決まっている。

だが 
それは 難しい
あなたが 怖がってしまうから
難しい・・・。

あなたは 
それとの融合
その 本来のあなたと
あなたじゃない あなたを
あなたと 思い込んでしまっている
あなたとの 真の出逢いが 必要だ。

深い出逢い
(一瞬の出逢い・溶けあい・ひとつになる事)
真正面からの出逢い
恐れずに 逃げずに。

長い時間
出来るだけ 長い時間
その 二つの あなたが
溶け合う事が 必要なんだ。

一時だけの
その出逢いは
成長過程の中で
無理に味あわされた。

それを
今度は あなたが 
進んでして欲しい。

そして 
進むべき必要性を
ひとつ説明したい。

第四の知恵で 
体験した

あの
一瞬の本来の
あなたとの出逢い 融合と

今までに
体験した最高のもの・・・
例えば 異性との セックスと
どちらが 良かった・・・?

どちらも 
短かい時間だ
ところが あの第四の知恵の
感覚が 続きっぱなしになったら
どうだろう?

いつも 
満ちたりていられたら
これが 必要性だ!



そして 
もしも本来のあなたと
あなたじゃないものを
あなたと思っている あなたとの
この出逢いを 恐れている間は

それを
あなたの手によって
実行しない限りは

あなたの
満されるものと 言えば・・・

お酒を飲んでいるときか
賭け事に夢中になっているときか
お金儲けをしている時か

あるいは
何かを やり上げた時か
浮べの愛か
セックスを している時ぐらいのものだろう。



それ
以上の
ものは不可能だ

全部が 全部 今の自分は
本来の自分じゃないという事を
忘れていられるような
ところによってしか 満たされない・・・。

これは 
何んと言う
満たされかただろう。

本当に
満たされているのだろうか
今の あなたじゃ愛さえ交せない。

それは 
必ず
その 延長線上に 

悲劇が待っている
その 悲劇を 
結婚という型で 回避しても

今度は 
妥協という道が 待っている。

そこには 
真実がない。 
真実のないところに
決っして愛は 生まれない・・・・・。













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 213★

2007-03-27 10:45:36 | Weblog


◇ 二つ目の うねり 愛 ◇




あなたが 
子供だった頃
あなたは 親に関心を 
払われたかった事は 無かっただろうか?

「 目を 向けて欲しい 見て欲しい 」

そして 
見てもらえる事で
何か 安心感が有る。

「 自分を見て欲しい
目を向けて欲しい 」

なのに
関心を 払ってくれない
当然, 有るべきものが無い。

お母さんが 居ない
お父さんが 居ない様に感じられる。

すると 
そこには エネルギーも
出ていない。

子供は 
此処で関心を払って
貰いたくなる。

物理的には 
お父さんも お母さんも
居るけど 居ない・・・。

例えば
お母さんが 
何かを考えている
そしたらもう そこには居ない。

エネルギーが 
出ていない。

過去 或いは 
過去から 生まれ出てくる 未来 
( 実際は 過去だ ) へ
意識が 気持が 行ってしまっている。


いつも 
それと一体に成ってしまっている人
頭や 心で 生きている人の目を

こちらに 
惹きつけるには
何か 特別に良い事か
特別に 悪い事じゃないと 駄目だ。

当り前の事じゃ駄目だ
だから 子供の頃から 
特別な事を 好んでする様になる。

だって 
皆 過去と一体になって
目を覚ましていない 居眠りをしている。

それを 
一瞬でもいい
起こして こっちを見てもらうには
特別な事じゃないと 駄目だ。

だから
もしも あなたの子供が
特別に良い子だったり
特別に悪い子だったら

彼は 彼女は 
淋しがっていると言う事だ。

それだけ 親が関心を
払わなさ過ぎているという事を
現している・・・。

特別な事は 
一度やったら
もう特別な事じゃない。

だから 
違う 特別な事を 探がす
すると 関心を払って貰える。

子供が 
何か特別な事をするのは
これだけの理由だ。

私が言う
特別な事とは
社会的次元の 一切を指す

本能の 
次元には無い
社会的次元の 一切だ。

例えば
礼儀・勉強 
それを特にやったり
やらなかったりする様に
成っていたら 問題だ

何も 
本人がそうしたかった訳じゃない。
ただ お母さんに逢う為にこんな事をする。

ただ お母さんに 傍に居て欲しくて
こうなってしまう。

お母さんは 
何もやらずに
何か 大変な事をしてしまっている。

何も 
怒鳴った訳じゃない
怒った訳じゃない・・・。

ただ
いつも過去と一体と成ったり
世間の事を気に病んで
頭の中が それで一杯に成って居るだけなのに・・・。

本人の自覚も 
無いままに
子供に大変な影響を 与えてしまった。

行動している訳じゃないが
確かに 目に見えない何かを
与えている・・・。

事実 
もう それは 
子供に入ってしまった。

そして 
子供の方も 無意識だから 
本当には 何を したかったのか 知りゃしない。

これは 
本性からの 叫びだ 訴えだ
お母さんに逢いたい!

そして
子供も気づかぬ内に
僕は 誉めて欲しいという気になってしまう。

だって 
誉める時だけは
お母さんは 最高だからだ

お母さんと 出逢える
ただ 出逢いたいだけで
どんどん その特別を追いかける。

ところが
そこには
おのずと限界が来る。

だって
それは あくまでも 本当に出逢って
いるのとは 違う・・・。

そして
いつか本当の出逢いが
起こるものだと言う
期待に反して それは 起こらない。

だって
起こり様がない
何か 特別を追うたびに
背伸びをしてしまう。

その子は
やがてそうする事によって
殻を 着て行ってしまうし
もう純粋な 裸ん坊じゃなくなっている。

そして 
あくまでも殻を着ている母親が
こっちを 振り向いてくれるだけだ。

あなたの
出逢いたかったのは
そんなんじゃない。

すると今度は
特別に悪くなったり
特別に 心配をかけてみたりする。

それは 
最初からじゃない
最初は 特別に良くなる方を追いかけた。

だって
その方が
お母さんは 喜んでくれる。
愛してくれる。

より良い 
関心を向けてくれる。

ところが
それも いつまでも続かない
おのずと限界がくる。

その隈界を境に
特別に悪くなったり
特別に心配をかけたりする方向へと
歩みだす。

これも 
関心を払ってもらえる事を
見い出した 彼は言う・・・。

「 とにかく 当たり前とか
何もしないで 居る子に 成る事が
一番 いけない事なんだ
だって そうしてしまうと
お母さんは 何も関心を払ってくれない

だから 
それはいけない事なんだ
それに 誰にも関心を払われていないと

僕って 誰だか 解からないし
僕が 居るのか 居ないのか
僕にさえ 感じられなくなる

だから
僕はそこまで悪い子には 成らないぞ
お母さんが 怒りもしないし
誉めもしない まるっきり見てくれなくなるって言う事は
それほど悪い事だと言う事ぐらい
小さな僕にだって 解かる。

お母さん
僕は いくら悪い事しても
そこまで悪くは 成らないからね 」と 
ちょうど こんな感じだ。

空っぽさに
一番近い位置を
悪いと見なしてしまう・・・。

彼は 
空っぽの扉の所に居るのに
そこに 二度と開かぬように
封印をしてしまう・・・。


ただ
特別で 有ったら 
何だっていい だから当然
当たり前の事には 彼自身 興味がない。

そんな事には
目も向けないし
やる気にも ならない子に成ってしまう。

そして 
その 当たり前の事が
出来ない子

そんな事に 
興味を持てない子に
知らない内に
あなたが 
させてしまったところを 見ず

その
当たり前の 
出来る子にしようとする。

ところが
なかなか 言う事を聞いてくれない
そこで あなたは 怒る。

あなたは
一人相撲をしてしまっている
子供は 可愛想なものだ・・・。

ところが
これは 目に見えない部分である為に
あなたは そうしてしまっている事に 気づかず

それが
当たり前の様になってしまっている。
非常に 恐い 当たり前だ・・・。

事実 
あなたも 
そんな育てられ方をした。

そう
育っているから
無意識で それをしてしまう。

どこに
責任がある訳じゃない。
責任が 有るとしたら

どこか
1ヶ所にではなく
流れ全体にある・・・。

あなた 
だけにじゃない
あなたの お母さんにも

その又 
お母さんにも
と 全体にある。

これは
必ず どこかで 
質の変容をさせなければ
永遠に続く 流れだ。

今や 
人類全体が
その流れに沿って 流れている。

社会を
見渡せば
それは すぐに見てとれる。

社会に 
表われ出ている姿こそ
そこに参加している
人々の姿であり 顔である。

社会には
環境には 
何の問題も無い。

そこに
色や型をつけて
しまっているのは 人間だ。

あなたなんだ
誰の 問題も
指摘し合わなくていい

ただ 
ひとり1人が
この事実に気づき
自己の内面深く 進んで行った時にこそ

この流れが
変容されうる
それが 起こった時こそ

社会も
環境も変化しうる

そして
社会や 環境には

まったくもって 
問題は無かったという 事実を
あなたは まのあたりにする。

そして 
人類全体の
どこへと言う あての無い

行きつく先のない
流れ全体は 空中に解き放たれ
人類全体が そのエネルギーから解放される。

その時 
そこに始めて
空間が 現れ

その空間に 
かって 無かった
エネルギーが 降り立つことが出来る。

それは 
今まで
地上に 現れ出る事のなかった
エネルギーだ。

その
エネルギーを指して
私は 真理と呼ぶ!
愛の エネルギーと呼ぶ!




ところが
そのエネルギーの
降り立つ場所がない・・・。
空間がない・・・。

今や 
その空間は
人々の 内面にある空間は

怒りや 
憎しみや 欲望の
エネルギーで一杯だ・・・。

人々の
内面は 遠々と

遥か
遠い過去から
受け継がれて来た
カルマの流れに沿って生きている為

怒り 
憎しみ 欲望の
エネルギーを受け継ぎ
これから先の 未来にまで
それを流し込んでいる・・・。

これが
カルマだ
カルマの 最大の基!
カルマの 原子核だ!

その他の 
もろもろは
あくまでも 枝 葉にすぎない。

良きにつけ 
悪しきにつけ
あなたは 味わった事を
子供に 受け継がせる・・・。

それ
以外は無理だ。
あなたの 体験を覗き込んで ご覧。

本当に 
覗き込めたら
それが どんな幹を持ち

どんな 
枝をのばし
どんな葉を
つけてきてしまっているのかが 解かる。

いつも
何かを
背伸びのしっぱなしで
追い求めてきた あなたは

背伸びをし
何かを追い求める事を
今だ 1度もやめた事がない。

そして
やめた事のない あなたが
それをやめたら

まるで
生きていけないかの様な
錯覚を 起こしてしまっている。

そして
次ぎから次ぎに
もっと もっとを 自動的に生みだし
止まる事を
知らない あなたは・・・。

まだ 
幼い頃に
母と 出逢おうとして

何か
特別をやろうとしていた
あなたと まったく変わらず

今も 
その輸の中から
出られず 自分で 自分を追いかけ
追いたて・・・。

そして
疲れて 何か違うと
感じながらも

子供に 
それを 流し込んでしまっている。

子供だけじゃない
あなたの 関わる人 全てにだ。

あなたは 
誰も助けなくて良い。

誰よりも先に 
あなた自身の手で

あなたを 
救い出すことから
始めなければならない・・・。












★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 212★

2007-03-26 11:03:24 | Weblog


◇ひとつめの うねり カルマ(業)◇




何故
それほどまでに
あなた自身の成長に
あなた自身が 真剣に成って欲しいか?

それは
私に見える 
大きなうねりがある。

その
うねりを超えるには
並の人間には ひどく困難に見える。

その
うねりを
超えてしまう道こそ

あなたの 
此処に至る
内面成長をおいて 他にない・・・。

その
うねりとは
生において 最も大きく

多大な
障害となって
あなたの中に 影を落とす
カルマ(業)・愛・セックスだ。

あるいは
性欲・愛・カルマ
と 言ってもいい。

すべての 問題は
この 根本原理に根ざしている。

この
根本原理に
メスを入れる話しをするが 

今から
話す話しは あくまで 
私が看破(見破る事)したことだ。

あなたは 
この話しを
聞いていて
揺さ振られたり
頷ける所があったら

それを 
誤まかさず
自らも 内側の目を使って
あなた自身のことを 看破する事。


それを
する事に 
成長がかかっている。

私の話しは 
あくまで
あなたの成長を促す
ヒントにしか 成らない。

それを 
ヒントで終らせてしまうとしたら
あなたには まったく
成長の見込みはない。

だって
そうだろう
私は 私の看破したことを話す。

あなたは
ただ聞くだけで
それを知識として
取り入れたとしても

もう 
まったく別のものだ
そこには 大きな隔たりがある。

あなたも 
あなた自身の
それを 覗き込んだ時に
初めて 私の言っていた意味が 理解できる。

私は 
それを あなたにして欲しい
私の話しを 聞いてほしい訳じゃない。

私の話しだけ
聞いていたって
あなたには きっと 
いつまでたっても
本当の私の声は 聴こえない・・・。







あるテレビの ドキュメンタリー番組で
「ゴリラの生態」を 放送していた
ゴリラの 出産シーンを
カメラに収めようと制作された番組であった。

この中に 
二頭のゴリラの
出産から哺乳
育て方が 映し出されていた。
それを見て 私は ショックを受けた。

一頭のゴリラは
出産すると 赤ちゃんを
綺麗に舐め回し

すぐさま 
彼女自身の乳房に
そっと あてがい
大切そうに 母乳を飲ませ
係員を 安心させた。

そして 
その様子は
人問の それと まったく変らない。

目ヤニを 取って上げたり
鼻を取って上げたり

そして 
抱いて背中を軽くたたいて
あやす(ヨシヨシ)を して上げる仕種まで

人間の
親子の姿 そのままであり
その姿は 見ている私達を
ほのぼのと させる感じすらした。

ショックを
受けたのは この後である

二頭目の
ゴリラの出産が 始まった。
出産は
無事に済んだ。

ところが
母ゴリラである彼女の様子が
どうもおかしい。

彼女は
赤ちゃんに構わず
出産の時の血液を 舐め回したり
胆盤を食べたりと
自分自身の後始末ばかりしている

前のゴリラは 
そんな事よりも
赤ちゃんに 係り切りで

自分の 
後始末をしたのは
赤ちゃんの
哺乳が済んだ後だった。

それなのに 
彼女ときたら
自分の後始末が終りかけて

始めて
気がついた様に
傍に置いてあった赤ちゃんを
舐め回し すっかり綺麗にした。

だが 
その後も 
ただ 抱いているだけで
そして その抱き方も
非常に 危なっかしい。

まるで 
オモチャを 悪戯する感じだ。
いつ 押し潰されるかと
ヒヤヒヤしたほどだ・・・。

そして
肝心の哺乳をしていない。

お母さんの彼女が
乳房にそえない限り
まだ 目の見えない赤ちゃんゴリラには
哺乳を受ける事ができない。

母親の介在があって
始めてそれは 可能だ
時間は 刻々とすぎる。

だが 
彼女は 一向に 
哺乳しようとしない。

それどころか
赤ちゃんゴリラを
ただ 遊ぶ対象物の様に扱い
あやす仕草を続けるばかりだ。

係員は 
出産後 四時間という
ギリギリまで
彼女が 哺乳をする事を待ったが

赤ちゃんゴリラが
このままでは 危険だと言うことで
人間の手により 哺乳をするという
措置に 踏み切った。


何故 
四時間も待ったのかは
ちゃんと理由があった。

人問が そこに介在し
哺乳をしてしまうと 

その 赤ちゃんゴリラも
又 同じ様に哺乳も出来ず
子供を育てる事が
出来ないゴリラに 成ってしまうからだった。


そして
この母ゴリラは
人間の手によって 
哺乳を受けたゴリラだった。

人間の手によって
育てられたゴリラの場合 
何故それが 不可能かと言ったら

そこには 
母が子を慈しむ
エネルギーが 流れ出て いないからだ。

ただ単に 
機械的だ
そこには 愛のエネルギーが無い。

もしも 
そこに 可愛いと思える
係員の 愛情が有ったとしても 
それは 母の 愛情とは 明らかに 違う。
愛が流れ出ていない。

そして
それとは 別の話しになるが

もう ひとつは
それ以前 何んの気なしに見ていた
テレビ番組

多分 
あなたも知っているかもしれない。
空を飛んで 木から木へ飛びうつる 
ニワトリの話しだ。

どこかで
ペットに飼われていたのが
捨てられたのが始まりで

今では
70羽近くなる ニワトリが
野性化している公園がある。

その 
ニワトリ達に 餌を与えている人の
話しによると。

ニワトリの中でも 
だらしのないニワトリと 
そうでないニワトリ がいて

その 
だらしのないニワトリは
自分勝手で やはり子育てを知らず

卵を産んだら
産みっ放しで
孵化する事を知らず

その卵は 野ざらしになる
そして ニワトリ仲間からも 敬遠され
始終 諍いばかり起こしていると言う。

その
ニワトリを良く 観察していると
おもしろい事が 発見出来たと言う。

例外なく
それらのニワトリは
縁日派だという。

この
縁日派とは 
お祭りなどの時に
道端で売られていた ヒヨコ達の事である。

あの ヒヨコ達は
全部人工孵化であり 親を知らない。
親に 育てられていない……。

この
二つの話しは
何を物語って いるのだろう?

自分の
体験にない事は
出来ないと言う 単純な事実を 物語っている。

何も 
このゴリラの ニワトリの
悪口を言っている訳じゃない。

彼等には 
どこも問題はない。
ただ 与えられた仕組みを

そっくり
そのまま 次世代に送っている。
彼女達の責任じゃない。

それ以外の
体験を していないのだから
子育てを 出来る事の方がおかしい!



つい先日
母親達に
親子のテーマで
話しをしに行って 
そこで話し終った後
こんな質問があった。

「 昔 私は ある本で幼児期に
母と密接な 関わりを体験していない人が
母親になると やはり同じく密接な関わりが持てない

要するに 型の上で接する事は 出来ても
真の母子関係が持てないと読んだけれど 
それは本当ですか? もし そうだとしたら
私には 出来ない事になるから
私は その本を読んでから
半分 諦めていたんですけど・・・ 」

その通り・・・。
それは 悲しいけれど 本当の事だ。

あなたに 体験のない事は
出来る筈が無い。

あくまでも 
あなたに可能なのは
体験している事だけだ。

事実
子供は あなたと同じく
欠陥を背負ったままで歩く。
それ以外には 成れない・・・。

そして
その流れは
その種族が滅亡するまで
永遠に続く。

終るのは 
滅亡する時以外に無い。

その流れを 
止める道は 滅亡 
それをおいて 他にない。

それが
カルマだ
悲劇のくり返し・・・。

あなたが
どんなに取リつくろって
どんな型を持ってこようが
この流れは 止められるものじゃない。

こういう
流れを 止められる力が
あなたに 有るなら 成長しなくても良い・・・。

だが
止められないと
感ずるなら 成長が 必要だ。

さっきの
質問にあった
密接な母子関係は
100万人に 1人の可能性だ。

あの質問を
して来た彼女は
心理学者の本を読んだ。

心理学は 
まだ 半分ぐらいの
領域が 見えたか見えないかだ。

何故なら
彼等は 正常と 異常を区分する。

ゴリラの
話しで言ったら
最初のゴリラ
子育てのできるゴリラを
正常扱いし

子育ての
出来ないゴリラを
異常と見る

どちらも 
本人がやっているのではなく
過去の体験が させていると言う
ところまで見ない。

過去の体験が 
させている以上

良いも 悪いも 
正常も 異常も
そこには 無い。
どちらも 同質だ。

一見 
そうした
判断を下しがちだが

良く見ると どちらも 
過去の体験から行動している。

過去の体験から
そうしているとしたら
それは 心の領域にいる。

心の
領域にいれば
カルマは どちらも受けつぐ。

心は 本能の次元だ。
自然的 生の次元だ。


最初のゴリラは
一見 良く見えはする。
愛の エネルギーは 
出ている様に見える。

だが 違う
過去の体験から 
出てくる愛
本人からではない 過去から自動的に出てくる。

形の上での
育児が 出来ようが 出来まいが
そこは 問題じゃない。

心とは
過去の体験の 集積回路だ。

そこに
チューナーを合わせて生きれば
あなたに 新たな 未来はない。

あなたは 
一見 未来に見える
過去の繰り返しの中を生きる・・・。

そして
動物達は 
そこで生きている。

あなたも
そこで生きる以上
動物達の 次元で生きている。


だから
真の母子関係は
100万分の1の可能性だ・・・。


ところが
人はそれに 
真に目を向け様とはしない。

それどころか
性欲・愛・セックス・カルマを
社会的 生の次元で 誤まかそうとする。

その 
エネルギーの向かう方向を
変える様な事ばかりしている。

それは 
不可能だ。
空中分解を 引き起こすだけだ。

そのエネルギーは
轟々と 音を立てて
動き 流れ続けている。

それは
質的変化をさせなければ
そこからは 逃れられない・・・。













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 211★

2007-03-25 10:59:14 | Weblog


◇あなたの超えられない流れを
        超えた時 そこに道は在る◇





先日 
すべての成長過程を 終了した
ある女性に 電話をした。

その女性は
結婚していて 
御主人以外の男性との交際に
悩んでいた・・・。

悩んでいると言う事は
悪い事をしていると
本人が 薄々 気づいている

問題は
異性との交際にある訳ではない。

彼女は
悪い事をしている
自分自身に 悩んでいた。
それも ず~っと長い事。

成長過程の終了時に 
どうしたらよいか

そして
このまま続けば
どうなるかを伝えたが

彼女は 
それを実行できずに
以前と 同じ事を続けてしまっていた。

イヤ そうじゃない
正確に言うと 1度は実行した。

ところが 
それが失敗した。
彼と 別れなければいけない
これは 悪い事なのだと
自分に言い聞かせ 抑圧してしまった。

これを すれば お仕舞いだ
それは 抑圧すればするほど
以前と 同じ方向に歩きたくなる。

そして
それではいけないと
さらに抑圧する。

どう言う結果に なったと思う・・・?

簡単に
元通りに戻ってしまった。
いや 戻ったのではない。
自ら 戻してしまったんだ・・・。

私は
半年の間 
静観していた。

何故なら
私が それに 何かを言えば
余計に 火をつけてしまう事を
知っていたからだ。

そして 
彼女が呼んでいる様な
気がしたので電話をした。

30分位 彼女と話しただろうか
彼女は こんな事を私に言って来た

「 先生は 私に話しているけど
それは 本当に心から言っているんですか
私には そう感じません 」

これには まいった!

彼女は 
私に「心から言っていない」
と 怒っている・・・。

その通り
私は 心で 
ものなんか言っていない。
ズバリだ!

しかし
本人は自分が 
何を言っているのか
解かって話していない。

彼女が 私を
「心から言っている」
と受け入れてくれる答は
ただ ひとつしかなく 
それを奥底で決めた上で
話をしてしまっている。

そんな事ぐらい
私には 簡単にできる
彼女の望んでいる答が
私には見える。

それを言えば 彼女は

「 やっぱり 先生は私の事を
解かっているのね 」
と 喜ぶ

馬鹿馬鹿しい・・・。

彼女は 
自分と同じ考えを言えば その人は
「心から言っている」と思ってしまっている。

そうじゃない人は
「心で話してない」とくる
確かに あなたにとっては その通りかも知れない

だが
あなたは何様なの・・・?
あなたが さも正しさの基準の様に
なってしまっている。

此処で
生きれば
人は やがて離れて行く。

それは
必ず起こる
あなたが それを起こさせる。

そして
私は彼女に こう 尋ねた。

「 あなたは 心から言っているのか? 」
彼女は 自信を持って答えて来た。

「 私は 心から話しています
いつでも そうです。
先生みたいに人を試す様な
言い方をしません。
だから 嘘なんて言っていないし
それを言ったら 心が空っぽになるし
全部 吐き出しています 」

私は 
これを聞いて ガックリした
彼女に言った。

「 まだそんな所で生きているのかい?
心なんて無いんだ。
それは 過去の体験の 集積場所だよ。
過去の記憶だよ 過去の体験の記憶だよ。
実際には もう今は 無い!
そこで あなたが 話をしているとしたら
私は 誰と話しているんだい?
私は 昔と話をしている・・・。

話し相手が 居ない
私の話し相手が その場に居なくて
目の前には 昔がある。
もう 有る筈の無い昔と
どうやって話すことが出来る・・・。

そして
そこにいたら
未来は過去の繰り返えしでしかない。

もうひとつは
そこは 本能の次元だ
心とは 動物の次元だ
あなたは 動物の次元で
生きているんだ 」

そこに 居たら あなたは以前と
同じ繰り返ししかできない。

自然的生の次元が心だ。

「 私は 心から 」などと言っている
あなたは
「 私は 本能で生きています
過去と 共に生きています 」
と 言っている。

その女性は
「 じゃあ どこで生きたらいいのか
教えろ 」と言う。

口で言って伝わるならば
もう とっくに伝わっていて
良い筈だ。

私は 何度も 何度も
繰り返し言っている。

私が
口を開けば
そこに関する話しか出て来ない。




それは
社会的生の次元 (頭・理性・道徳・建前) とも
自然的生の次元 (心・本能・感情・本音) とも同化せず。

それに
真に さよならを したと同時に
あなたは そこに在る。

彼女の
話しの中にあった通り
心から言っている時

「 嘘なんて言っちゃいない
それを言ったら 心が空っぽになる 」

私は 
あなたが 嘘を言っているなんて
思ってなんかいないよ。

ただ
何にかの考えと ひとつになっていて
それが 心の中に有るとしたら

もう
あなたは
その考えになってしまっている事を
問題視 しろと言っている。

「 それを言ったら 空っぽになる 」

そう その言った後に残る
その 空っぽさこそ
あなただと 言っている。

その空っぽさから 逃げたら駄目だよ・・・。

ところが
あまりの一瞬の 短かい時間しか
その空っぽさが そこにない為

あなたは
それを認識できないでいる。

それを
認識しようとしてごらん。

それは
あなた以外に
やってくれる人はいない。

私は
あくまでもヒントしか言えない。
実行するのは あなただ・・・。

ヒントでしかない

私の話しを聞いて
それに 浸っていたり 酔っていたり
そこで 満ちたりた気分を
味わっていたりしたら

いつまでも いつまでも
あなたは 私を必要とする
私は あなたのお母さんじゃない。

第一 
そんな事を
し続けている以上

あなたは
前のまんまだ
少しも変らない。

それどころか
知識が増えた分 言い訳が巧みに成る

私は 
あなたを以前より
ずっと 生意気で 厄介な人物に
する為に 手を貸してしまった事になる。

あなたは
いつまで私を
先生 扱いする
下らない関係を続けるつもりで
いるのだろう?

あなた次第で 
いつでも出逢いは
可能なのに・・・。

私は
あなたと友達になりたい
それも 最高の友達になれる。

それは
私が良いからとか
あなたが 良いからといった
問題ではなく

私の言う 出逢いが
そう言う性質を 持っている
言葉で とねさんと呼べる様になったとか
成らないとか

そんな
くだらない 型上の事じゃない。

それは 私の空っぽさ と 
あなたの空っぽさ の出逢いだ。

空間と空間は
簡単に
一体となって
ひとつの空間に成る。
それは まったく新しい出会い方となる。

それを 
私は待ち続けている。

私の内なる声が
あなたに 届かないだろうか?





成長過程を 
思い出してごらん

私が その中で 
ヒントを言う 何か話す

それを聞いて 
ただ話しに酔っていたり 浸っているだけで
あなたは 何にかに気づくだろうか?

そうじゃない
あなたが それをヒントにして
あなた自身を 見つめる事を 
実行した時に 何かが理解出来た。

今は
もう 成長過程が終ったから

ただ話を聞いて
静かになったり
満たされるから それでいいのだろうか?

あなたは 
それ程
立派になって しまったのだろうか?

私が
知りえた事を 聞くだけで
本当に あなたの成長はあるのだろうか?

ひょっとしたら
私が あなたに話しているのは
ヒントではないだろうか?

ヒントとしての話しだけを
ただ 掻き集める事をしていたら
それは あなたの知識にしかならない。

私は 
知識を伝えたいんじゃない。

なぜ
そんな馬鹿げた事をする?

あなたは 私のヒントを
あなたの成長には 役立ててはくれず
ガラクタを拾い集めている。

成長は 
知識を掻き集める事とは違う
知識を掻き集めれば集めるほど
あなたの成長は
埋もれて行ってしまうのに・・・。

そんな
あなたを見ていると
私は 寂しくなってしまう。

ところが
私には 
あなたがその気に 成れるように

成長を 
試みてくれる様に
向ける ヒントしか出せない。

成長が
必要なのは あなたなんだ。
私じゃない。

それ以上は 
私には どうすることも出来ない・・・。














★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 210★

2007-03-24 07:07:49 | Weblog


◇”あなた”という真実・・・◇





あなたの
今迄に体験した愛と来たら

必ず 
終ったり 色褪せたり
苦しみが 横たわっている。

そんなのは
愛とは呼ばない。

それは
支配ごっこと呼ぶんだ。


さらに
深くこの事を説明しよう。

例えば
型で全部 
捨てろと言っている通りに
私は 捨てた事はあるけど
何も 起こらなかったと
言う事だって有得る。

だって 
もう そろそろ
捨てたくなっていた時期
それに 嫌気がさしていた時期であったら
難無く それは捨てられる。

けれども
それは捨てたんじゃなくて
厭きたんだ・・・。

だから
直ぐに 次のを
掴もうとするじゃないか!。

本当に
何かしら変化するのは。

満足していて
まだそれを 捨てたい時期では 無いのに
捨てた時だ・・・。

そして
変わりのものも
何にも掴もうと しない事


皆の 
愛している時や
愛し始めの前後を 見てごらん。

必ずや
何かしら
悩んだりしている時で 在ったり

何かに対して
嫌や気がさしている時で 在ったり
何かしら 心が 空虚になっている時だ。

特に 
愛など 理解など
起こり得る筈の
ない時に 愛が起っている・・・。

だから
それは愛なんかじゃないんだ
なにか別のもの・・・。

それによって
苦しさが 誤まかされ
なにか 満たされた感覚が起ってくる。

それは
満たされたんじゃない!
誤まかされたんだ!

自分に
自分が誤まかされた・・・。

右を向いていたのが
左を向いたら
右に見えていたものが
無くなった感じがした。

そう
右に見えていたものは
今 あなたの目の前には 無いよ・・・。

だって
あなたは 左を向いているんだもの。

左を向いたことを
忘れてしまっているだけだ。

だから
そおーっと 右を向いてごらん

まだ それは 
そこに ちゃ~んと在る。

それも 
以前より ひと回りも
大きくなった 感じがする。

そして
又 慌てて 左を向く
こっちの方がいい。

また 
右を向く
前よりも 今度は ふた回りも
大きくなっている。

左を向いて
前より その愛とやらに
もっと のめり込んで 酔ってしまわなければ
とてもじゃないけど
あの恐さは 忘れられない………と

調度 こんな感じ
これは 愛とは呼ばず
逃げと呼ぶんだよ・・・。

だから
この逃げ込む度合が
強ければ 強いほど
逃げ込んだ 対象物に対する
執着は 凄まじい。

だって 
それが 無くなったら
と 考えただけで 震えてくる。

だから
相手を殺してしまう事さえ
しかねないし

現に 
これは起っている・・・。

そして
この対象物は
何も 人間だけとは限らない。

お酒の場合だって
賭け事の場合だってある。

じゃあ
このとっても恐ろしいまでに
でっかく 成ってしまっている
右を向いてみよう・・・。

愛とやらに
逃げ込ませた張本人!

それを させてしまった
強迫観念の 基を見てみよう。

そう 
何かしら
悩んだり 嫌気がさしたり
心の中が 空虚に成っていたりした あの時

一体 
何が起っているのかを
見てみると・・・。

それは
ずっと以前から
あなたが まだ幼かった頃からの
根強い経験だ・・・。

これは 一体なんだろう?

あなたに 
こんな体験が 無いだろうか?
何かに 夢中に成っている時には
何も感じないが

その 
夢中になっている状態は
いつまでも続かない。

同じ事に対して
いつまでも夢中になっていられる訳もないから
当然 その夢中な状態は 去って行く。

と そこに何か
大きなポッカリとした
穴の様なものが開いている感覚がある。

そこから
空虚さや
むなしさが 吹き上げてくる。

そして 
何かしら
もの淋しい感覚さえある。

一体これは 何だろう?
絶対なる孤独感・・・。

ここで
「 やはり人間は 1人なんだ
生まれてくる時にも1人だし
死ぬ時も 1人なんだから 」
などと

そこら辺の宗教みたいな解釈を
してしまって 固まらない事

そこは 
通過点であって
まだ途中だ
終点じゃない・・・。

それは
今急に もたらされた感覚じゃない。
ずっと遠い昔から
そこに在った。

そして
いつも何かに夢中に成っていたり
動きを起こしている 時には

それは
そこに無いが
その夢中や
動きが止まった時には

いつも
そこに姿を 現してきた。

そして
それを 無くそうと
そのポッカリと開いた 
大きな穴を埋め様として

あらゆる 
あれや これやを
やって来た。

ところが
埋っていると言う感覚がある時は
いつも 何かしらやっている時だけで

それは
本当には
埋っちゃいなかった・・・。



これこそ 
大いなる穴
その穴こそ 空(くう)に繋がっている。

その穴こそ 真理
その穴こそ 全存在の源に 繋がっている。
そして その穴こそ あなただ。

真のあなたを 
埋めよう なんて馬鹿げている。

その穴は
あなたが 入って来るのを

いつか 
あなたが気づいて
入って来てくれる事だけを
息を 潜めて じっと待っている。

なにも
怖がる事はない
私は 事実その中に入っていった。

そこに入ると 私に会える
始めて 出逢える
おいでよ!

そして 
宇宙にも これと似た様な
現象があると言う あのブラックホール
その穴は 直径なんと3千万kmも有るという。

あなたは 
小さな宇宙だ
精巧にできたミニチュアだから

あなたは 
あなたを
本当に全部 理解したら

あなたは 
宇宙を理解してしまった事になる。

そして
ロケット無しで
まだ 人々の未知なる世界までをも
理解してしまう事が出来る。

最後の最後の
此処に来てからでなくては
本当の愛は 起こらない。

全存在を愛す
全存在を 理解できる事は
不可能だ・・・。





くれぐれも
言っておきたい。
その 埋まっちゃいない穴
それを 埋めようとする事自体
無理なんだ!

だって
それは あなたと 宇宙が 
あなたと 真理が 繋がっている
架け橋なんだよ。

それは 
埋められるものじゃない
だって それこそ あなたなんだ!

それこそ 
あなた本来の姿なのに

それから
逃げようとしたり
埋めようとしたりしていた あなたの方こそ
あなたじゃないよ・・・。

そんな事に
労力を 費いやす人生は 馬鹿げているよ。
一生を無駄にしてしまう・・・。

その
あなたの方こそ 偽者だよ。
解かったかな・・・?











★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 209★

2007-03-23 10:57:56 | Weblog


◇シンプルな事実◇





私が本当に伝えたいのは
1昨日に伝えた そんな愛ではなく。


全面的な 理解
すると 必然的に やってくる信頼
またもや 必然的に やってくる時の この愛。

例えば
私が 1人の人を 愛する。

その時 
全存在を
かけた愛ならば

部分的な
愛ではなく
全面的な 愛ならば
私は まったくの別人と化す。

その
愛した人が 私
そして 私が その人に成ったなら
一挙に 此処(真理)に
到達してしまう。

けれど 
人は そうはしない。

その 
変わりに自分で
自分を騙す様な 小細工をしてしまう・・・。

外側では 
全面的な愛の様に演じて・・・
表面的な部分では そうしておいて
 
自分自身の 
その外側の
振りの 演技の部分を見て

自分は 
愛している
自分は 全面的に 
愛しているんだと思い込む。 


それは
まだふりでしかない

では
その事に
何故 気づきにくいかと言うと

この
外側と言うのは
普段の思考領域ほど
外側ではない。

調度 中間点
この奥に 一番の奥に
本人には まるでご存知ない

無の領域
空の領域がある・・・。

普段の 
日常の生活で
人と接している時の
がっちりと自我を守っている
一番の外側の部分に 比べたら
この中間点は 内側に属する。

ところが
本当の内側ではない

一番外側に比べたら
ずっと奥に入っている。

だから
それはまさに 本当の事
内なる 叫びの様にも聞こえる。

その声に 
忠実に従がうと
皆の言う所の 愛は起ってくる。

この中間点の
心と言う部分に 従がって行けば
それが起こる。

そして
これを愛と 思い込む
それは 部分的な 愛でしかない。
我欲愛 
利己的愛でしかない。

何故なら
これでも 巧妙にコントロールできる
範囲が 残っていて
人は それをちゃんとする……。

何もかも 
全部 その場で捨てられる事。

持っているものの一切
手の中に 握っている一切だけを
捨てるんじゃない

その手が
ついている
自分自体をも捨てるという感覚だ。

一挙に
そうした時に
それは 起こってくる。

その時
全面的な愛
コントロールも 何も効かない
生まれて始めて
体験する本当の ひとまとまり。

ひとつの考えが
こっちにあって
もうひとつの考えが あっちにあると
言う様に,バラバラじゃない。

その バラバラの考えの
出どこまでも 捨てた
まったくの無 何にもない。

今までは
あっちにあった考えが
こっちの考えを
こっちの考えが あっちの考えを
と言う様に

考え自体が
考え同士を
互いに縛り合って
押したり 引いたり
コントロールし合っていた。

そんなものの
出どこを拾ててしまうと
もう 全面的に違った人になってしまう。

これが愛!
あなたは 
どの考えでもなかった事に気づける。

そして
あの内なる叫びは
満たされた事のない
考え自体から出ていた。

そんなものに
中間点に合わせていたなら
狂って来てしまう

だから
人はそれが恐くなって
中間点である この心から
また 一番の外側である頭の領域に
戻ってしまう・・・。

本当の愛は
この中間点を達し 一番の奥の
「空」の領域に出た時起こる。

それはもう
誰を 愛すというものじゃない
その人の前に来た人なら
誰でも愛す。

選ばない
特別な人は 居ない
ひとたび 空の領域に出たら。

そこに 
溶け去ってしまったら
それは 愛の塊りになってしまう。

理解の塊
信頼の塊
受容の 塊りに成ってしまう。

「空(くう)」 空(から)だったら
その中に 吸い込まれえる。

それは
ひとつの引力だ。


何かしら在ったら
それ自体が 邪魔をして
入いる事は 不可能だ。

本当の 
愛が起こっていたら
「空」になる。

1人の女性を愛したら
私は その女性であり
その女性は 私となる。

もう 
ふたつではない 
ひとつだ 一体だ
これは 何も 人問だけにじゃない。

仕事を
している時は 仕事だ
これで 一体になれている。

「仕事をしている人」だとしたら
「仕事」と「仕事をしている人」
そのものと 自覚の ふたつになっている。

駄目だ
自覚が邪魔をしている。

御飯を 
食べている時は 御飯
御飯を 食べている人じゃない。

酒を
飲んでいる時には 酒
常に ひとつだ そこに自覚など 無い時

それを している時は
それと同体で 
ひとまとまりになれてしまう。

だって
「無」は「空」は 何にでも成れる
どこか一ヶ所に固まって
それを持ち運んだりしたら
バラバラになってしまう。

対象物は 
人だけじゃない
それと いつでも同じに成れて
そして違う。

すると
ただの「空」なんかじゃない
100% 常にそこに生きられる。

今 
起っている事の中に
何ひとつ 持ち歩かない。

いつも 
空(から)っぽで 流れていて
そして 満ち満ちている。

自由だ。


自由と言うのは
こちらは その対象となるものに対して
執着しない
執着したくても 出来ない
どっちでも いいと言う事。

無選択だ 
選ばない
あちらが 選んでも
こちらは 選ばない。

だって
「空」に 到達する以前に
真理となる以前に

そんなものは
全部 放棄してしまっているのだから。

ここで
選ぶ事をしたり 執着したら
あなたは まだ空に至っていないという証拠だ。

すると あなたは
そんな事をしていたら
愛は壊れてしまうと思うだろ?

違うよ!
愛は 理解なしでは 起こらないし
理解は 自由を与える。

もしも 
縛られていたら
発散が 必要になる。

自由じゃないから
自由が欲しいし
自由に したくなる。

もし 自由でいたら
自由に したくなどならない。

だって
自由なのに
自由にしたり したかったり
する必要も 訳もない。


それを
山にたとえると……
ひとつの山を 征服するのは 難しい。

とても
出来るものじゃない
人とは 調度 この山の様なものだ。

あなたが
ひとつの山を 征服したかったら

あなたは 
まず 
あなたと言う山を
征服しなければならない。

その山さえ
征服していなければ
他の どの山も征服する事など 不可能だ。

あなたは
あなたと言う山の一部分
ほんの 表面を征服しただけ
理解しただけだと言うことを
理解しなければいけない・・・。

そうだとしたら
他の山の理解も
多分 表面だけの事だろう。

山の表面を 
見ていてごらん
コロコロ変わる
まるで カメレオンの様だ。

季節が来ると
緑が青く
また 
季節がくると 茶色に

そして 
無くなる
あなたは 山なんか 理解しちゃいない
それは 葉っぱだよ 山じゃない。

人で言ったら
それは その人の考えだ
それも その人の あるひとつの考え。

その人なんかじゃない。

それは 木だ。
それは 土だ
それは 岩だ
それは マグマだ。
山なんかじゃない 山が消えてしまった
と 突然 山など どこにも
無かった事に気づく。

まったく
無かった
色々な物の集合体を 山と呼んでいた。

あなたも同じく
色々な考えの 集合体。

それが
それ自体で
あなたと言う感覚を あなたに与えていた。

あなたなんて どこにも居なかった
辞書で 空というところを
引いてごらん……(空こそ あらゆるものの
本来の姿であると言う 仏教の基本的な考え方)とある

これは
考え方なんかじゃない。

真実だ
ブッタは 遥か2500年も前に
現代科学がやっと
辿り着こうとしているこの領域に

内観と言う
自己の内側を見る方法を使い
やすやすと見破ってしまっていた。

あらゆる
万物の本未の姿は
「空」だ
これ以上の真実は どこにもない。

私は
この真実を通過して
あらゆる万物の 源に帰りつき

それと 
一体だという所まで
まずは あなたを連れて行きたい。

この地点で
始めてあなたは あなたを
そして それ以外のものを 理解出来る。

愛が起こる
無と無
実体と 実体の結びつき
虚飾なるものは 一切含まれていない。

だから 
壊れうるものは無い
何もない空と空が 触れ合い
そこで 無くなる物が
何か有るだろうか・・・?

何も 無くなりはしない
無くなるものなど何ひとつ無いのだから。

そして 
終りなき愛が起こる。
空間は 広がるばかりで 終らない。


終りなんて無いんだ。


永遠の愛
永遠の理解
深まる一方だ 止まらない。









絶望の中に発見する光の道

2007-03-22 11:10:14 | Weblog





あなたが

あきらめた場所で

あきらめたまま生きる

そのままで 前を向けるし 歩ける様にもなれる


それこそが

光に包まれながら生きる

光の道だ


それは

あなたにも

簡単に見つけられる道だ



もう人生を

やめてしまいたくなったり

生きるのが

イヤになったり


全てを

投げ出して

しまいたくなった時


その

直ぐ足下に

本当に 易々と簡単に


生きられる

次元が有る事に

多くの人は気づいていない。


死ぬ前に

投げ出す前に

あなたの 足下を 探してごらん


その

投げ出す位置こそ

楽に生きられる位置だと 言っているんだよ。


誰もが

そんな処は

生きられない場所だと思っている


何故なら

そこは 物事を

やる場所では無いからだ


ヤル気に成って

挑んでいたことから

あなたは 挫折して落ちて来た・・・。


そこは

落胆する位置であったり

死のうとする位置だと多くの人が思っている


違うよ・・・・・・。

それは 間違っている。


だから

多くの人は

本当に物事をやれる位置を知らない。


あなたの

知っている

物事をヤル場所は・・・

最後には誰もが挫折して

まっ逆さまに 落ちてしまう位置でしかない。


一体

誰が そんな位置で

生きろと教えた?


誰が人生とは

頑張らなければいけない

ものだなどと教えた・・・?


誰が人生とは

苦しいものだなどと教えた?


そんな

場所で 物事を

やる事自体が間違っているんだよ。


新しい

場所を 位置を探してごらん。

誰もが見付け出しにくい場所に それは在る。


でなければ

既に多くの人達が

見つけ出して そこで生きている筈だ。


だが

誰も まだ

発見出来ていない・・・。


誰もが

そんな場所には

有る筈がないと 思い込んでいて

探そうとも しない場所

そんな場所に それは有る


息を潜める様に

ひっそりと

誰にも知られずに

誰にも触れられずに咲く

一輪の無垢な花の様にして それは在る・・・


あなたが

見つけ出してくれるのを

静かに待っているのだ。

もう何十年もの長い間

何ひとつ文句も言わずに・・・。



皆が

そんな場所では 物事は

出来ないと思い込んでいる場所


力む事など

出来ない場所


そんな所で

生きたら 駄目にしか

ならない様に見える場所


本当にそこは

あなたの 直ぐ傍に在り

多くの人達が そこで生きた時には


今迄の

種類の人間には出来なかった

数々の奇跡が起こり始めるようになる


そんな世の中が

直ぐそこまで来ている・・・・というか

そこで生きる以外に

私達が

混乱せずに生きられる場所は

無いように感じられる


これは

誰にでも可能で

本当に簡単な道だ


もしも

あなたが 本当に

死にたくなった時には

最後に この場所が・・・位置が・・・

自分の中にも存在しているのか どうか?


どこの事を

言っているのか

確かめる連絡をしてくれたら

私は あなたに 真剣に その場所を

そこでの 生き方を 伝える事が出来る


死ぬより

もっと簡単に生きられ


ずっと物事を

出来る場所は

あなたの 中にも必ず在ると

断言出来る


だから

あなたは死ななくていい

死ぬ必要なんか無い


あきらめた場所で

あきらめたまま生きる

そのままで 前を向けるし 歩くことも出来る


それこそが

光に包まれながら生きる

光の道だ


それは

あなたにも

簡単に見つけられる道だ