この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に★2

2006-05-31 10:40:35 | Weblog


道は 二つある


まず ひとつめの道
人を 無条件に 愛する事を 始める。

彼の 彼女の 此処は愛せるけど
此処は愛せない
などと 部分的にじゃない。

そんなものは
愛でも何でもない
もっと 全面的に愛す。

決して 
相手の此処を直そうとか
相手を 変えようなどとしない事。

もしも 
あなたの中に
そんな思いがあるとしたら

そんな思いが 
邪魔をして
あなたは その相手を
受け入れられないし愛せない。

そんな風に思う 
自分と言うのが あなたの内側に
しっかリ根を下ろしてしまっている。

その思いを
自分を どかさない事には
あなたは 人を受け入れられないし
愛する事など不可能だ。

その内側に
根を下ろしてしまっている
自分にとって 都合の良い様にしてからではないと
受け入れられなくなっている愛など
愛とは 言わない。

そうやらなければ
人を 親を 妻を 夫を 子供を
彼を 彼女を 受け入れられないとしたら

それは
一体どう言う愛だろう?

愛と言うのは
そんなに 自分勝手なものじゃない。

第一 自分が居たら
愛は 起ってきやしない・・。

あなたの中に
私は勉強したの しないだの
偉いだの 偉く無いだの
高いだの 低いだのと言う様な

一切の物が無かったら
何の'苦しみもなく
受け入れられる。

そこには
邪魔をする何物もない
比較をする 何物もなければ

何が 入って来ても
何も起らず
真の受け入れが可能になる。

そっくり 
そのまま愛す
今の今 まるごと受け入れる。

こちらを
向かせようとも
思い通りにさせ様もなく。

今の今 
目の前にいる人を
今の今 
そっくりそのまま

1人1人 
全てに
それをして行こうとすると

やがて
問題 が葛藤が 生じてくる
その時が チャンスだ
内側を 覗き込んで
何が有るかを見てごらん。

そして
その中に入る
出来るだけ 深く
それが 何で 有るかを 見抜く。

表面的な所で 
終わらさない事
そうすると 今度は以前よりも
もっと深く もっと広く もっと高く
あなたは 愛せる様になる。

自然に 
愛情深くなり
愛が起ってくる。

そして 
又 葛藤が生じる
再び 内側を覗き込んで

今度は以前より
もっと深く
何にが 内側で起っているかを
見抜いてごらん・・・。

すると
人だけでは無く
動物や 緑や あらゆる生命までをも
受け入れ始めてくる。

もう 
人問を対象として
始まった道をも 越えた所に
あなたは来る・・・。

終りなき旅は
あらゆるものを 
受け入れる地点にまで 到達する。

これが 
受容の道で有り 愛の道だ。

あなたに
これがあっていると
感じたならば この道なき道を
歩み始めたらいい。



そして
もうひとつの道は 全面受容の道。

始めの第一歩から
対象を限定せず
起こる事 全てを受け入れて行く。

すべての物事 
事柄 状況 人
という様に 無制限に

生の中で 出くわす 全てを
ひとつ ひとつ受け入れて行く。

そして 
問題や葛藤が
生じた時

その中に踏み入り
同じ様にできるだけ深く
それを見抜く。

この
出来るだけ深く見抜く事が
大事なのは

無意識の内に
身に付けてしまった
自我の層まで達する事が
深ければ 深いほど
可能だからだ・・・。

そして 
このどちらの道も
外側で 起こる物事とか
行動と ゴッチャにしない事。

外側の 型から
直そうなどとしない事
それ自体には 手をふれない事。

あなたが 
内側に取り込んでしまっていて
その内面で起っている物事や
葛藤の中に踏み入る事を
言っているのだから・・・。


一旦 
綺麗に 
掃除をしても
そこに 又 
埃は 溜まり出す。

それを 
そのままに しておくと
外側に 現象として
姿を 露わにする。

自分で 
そうして しまっている事に
気づきもせずに・・・
気づきもしないから
なんの努力もしない。

そして
そうなってから
ワーワー騒いで

その
外側の現象に 
手をつけ出せば
尚更 それを 悪化させてしまう。

そんな 
外側になど
構わなくていい

それは 
根源なんかじゃない。

内側で
起っている
問題や 葛藤は

それから
逃げようとしたり
目を背けたり

くだらない理由をつけたり
すれば するほど
それ自体が 
強大に見えて来てしまう。

それを
強大にしてしまっているのは

あなたの
逃げ様とする意識なんだ。

本当に 
何とかしたければ
それから逃げるのではなく

その中に 入って行き
その 原因を この目で見て
効力を失しなわせる事である。

それは
ただ 見る事だけで
自然に蒸発してしまう。



そして
自分が 知らず知らずの内に
身に付けてしまっている

思い込みによる
恐怖やら
色々なものの 根源を見抜き。

ひとつ ひとつの効力を
失なわせて 行く事によって
その内側での効力が
消えた 途端

それが 外側に現象となって
現れたのと同じ時間を用して
外側の現象も 消えて行く。

「 内面の中で 問題が生じた時
その問題に 打ち負かされるべし
それが 心越えたるところの
無限の空(くう)に出逢う道。

空(くう)の中に 消え失せる あなた
その時 命 贈くられる事の
喜びに 身を震わす
そして あなたは 空 」

あなたの 内側で
自分にも 他人にも 周囲にも
状況にも 一切の変化や
望みを求めなくなって

そこに 
身を置き切った時に。

始めて
そこに 今ここがあり
真の 内面変化が起ってくる。

そして
除々に 外面の変化が始まってくる。

ところが
あなたは 常に
自分にも 他人にも
周囲にも 状況にも
変化や 望みばかり求めているから

今 ここをも
受け入れられず
常に 満たされない。

そんなあなたに
内面の 変化が起ってくるはずもない。

そして
それなしで 外面変化を求めるから
いつまでたっても
真の変化も
そこからの脱却も出来ないで
それが 悪足掻きに
終ってしまう。

それどころか
その事自体で
何もかも ぶち壊しているのに
気づかない。

今に 満ちたりてごらん。
足りないものなど 何一つ無いのに
あなたが 勝手に
足りなくさせている。

そして
あなたが この気分を
なんとかしてくれと 言っている。

私に
どうする事ができる?
あなたが それに気づくだけでいい……。

いかに
起こる物事の
邪魔をしない様になるか

ただ
自分の本性に
目覚めるだけで

その一切が
なされているのに
邪魔をし続け
のた打ち回って来た
自己の発見となる・・・。

その時
すべては そのままであるのに
一切がなされ
流れ続けている事に
目をみはる






★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に★

2006-05-30 21:36:05 | Weblog

◇二つの自我(エゴ)◇



この話をしている 相手は
あなたではなく

あなたの内側 あなたの本性に向って
私は 常に 話しかけている。

本当のところ
あなたの内側にある本性は
この事 全てを理解している。


だから
私が これに関連する話をすると
あなたの本性は
目を覚まし始め
あなたは 揺さ振れる。

すると 
あなたはそれを防害して
一生懸命 それを理解させまいと
してしまう。

それも 色々な理由を
引っぱり出して来て。


その時 あなたは一体
何をしているのか理解してほしい。

あなたと 言うのは
外側で 色々な事をして来た
過去の体験の 積み重ねで
作り出している部分。

これは
一度掃除をして 
捨てたと思っても

また 
知らずに知らずの内に
溜まって来てしまう
埃の様なもの。


私は
そんな あなたなどに 
話しちゃいない。

私の話し相手は
あなたの 本性なのに
何故 あなたが しゃしゃり出て来る?

邪魔をしなさんな

私が 
話しかけている 
相手でもない あなたが
色々な理由を 引っぱり出して来たとしたら
これは 馬鹿げている。

あなたは
あなたと言う我を
より 強固にしているだけ
そして 一人相撲を してしまっている。


何故
自我が 出始めてしまうのか・・・?


他人や 物事によって
自分の 今迄していた事が
今迄 通りには
進まなくなってしまったり

自分の思い通りに
事が進まなくなった時
様するに 我が通らなくなった時に
自我が より強固になって来てしまう。

本当は 
この時に
あなたの 今迄してきた事に
「間違いが ありますよ」と
本性が 教えてくれている。

自分の思い通りが
通らなくなった時も 

あなたの その考えには 思いには・・・
「間違いが 有りますよ」と
折角 あなたの 本性が伝えているのに

あなたは 
それを無視する
と・・・そこに葛藤が 生じてくる。

自分の 思い通りに成らなくなればなるほど  
より強固な
“白分の思い通りにしたい”
と言う気持(自我)を 生じさせるのであって

それが 
思い通りになっていた時

あなたは 
それ自体 そんなに思い通りにしたいと
言う程 強い感情や 思いは
無かった事を見抜いてごらん。

と すると
あなたの 
白分の思い通りにしたいと 言うのは
自我を傷つけられた事への
復讐や 反発であって
あなたの 本当にしたい事じゃない。

あなたは 
何をしているのだろう。
折角の 自我を消せるチャンスを
棒にふってしまった・・・。

それどころか
それによって 
以前にもまして

自我を 
より大きく強大にして
より それを消すのが
困難に してしまっている。

それならば
それでも 決しておかしい事はない
あなたの 外側である 

いわゆる あなたが 
あなたの 内側である 本性を
色んな理由で 言いくるめて

あなたが 自我が
打ち勝って
今まで通りの 思い通りに成ったとしても

それは 
そんなに長続きはしない
それ自体に 今度は あなた自身の方で
興味がなくなってくる。

だって
あなたは それ自体に
興味があったのではなく
自我を 傷つけられた事に 対しての
復讐や 反発に 興味が 有ったのだから。

復讐やら 反発は
思い通りにした 途端に果せてしまう。

すると どうだろう・・・。

あんなに 思い通りにしたいと
思っていた事が さほどでもない・・・。
「こんな事に 躍起になっていた」とは
などと言う感覚が 浮び上ってくる。


その通り
その思い通りが 続けられるには
思い通りにさせまいとする他からの
圧力が有れば 有るほど
長く続けられ。

させまいとする圧力が
まるっきり無くなった 途端に
あなたは それに興味を 失ない始め

やがて 
それから離れて行く。

あなたは 
今まで通りに
したかった訳でもなく

自分の思い通りが
通らなくなった事に対しての
白我が傷つけられた事への
反発やら 復讐をしたかった訳でもない。

この
どちらでも 無いのに
その中に埋もれてしまって

そんな
くだらない事に
動かされていた自分を見抜ければ

それだけで
あなたは 自分自身から
解放され 自由になる。

あなたの
本性が求めているのは
この 自我からの解放だけ。

常に 
この自分自身から 解放された
状態で居たいだけ。

では 
常に この状態で居られるのには
どうしたら良いのだろう?。

自我には 
大きく区分すると
二種類ある。

意識していながら 身に付けた自我と
無意識で 身に付けてしまった自我の
二種類である。

簡単に言うと
この成長課程を受ける以前
あなたは 既に 幼ない頃から

母や 父とのふれあいの中で
あるいは 友達との触れ合いの中で
この意識をしていながら 身に付ける自我を学び始めて

そして
それを 社会に出て
さらに確固たるものに
して行ってしまう。

周囲から 
見たり聞いたりして
それまでの 過去の経験と照し合せて

そこからの 判断によって
こうしよう ああしようと
作り出して来る 自分。

そして
この成長課程を受けて
一瞬 本当の所に立つ。

その時の
ほんの一瞬だけは
真実を見る・・・。

ところが
直ぐに滑り落ちる。

そして
努力をして
また あの状態をと願う。

が・・それは中々来ない
自分で 勝手に 自分を騙し
自分を庇い。

同じ輪の中をグルグル回るだけ
そして それだけではない。

あなたの 
今立っている所には
あなた自身でさえも 気づかない

あなたの
無意識のうちに
身に付けてしまった自我がある。

そこは
あなたが
こうしよう ああしようを
身に付ける以前の

何も
したくないから しないと言う
子供の様な

ただ 
嫌なら 嫌
周囲も 何も考えずに
自我だけを強調するところに

自分が
落ちてしまっているのに
気づかないから

あの人が
言っている事だけでは
今の社会は
生きて行けないとなる。

勿論
その通り
私は そんな事なんて伝えていない。

今 
あなたがいる所なんかを
中心にしなさんな・・・。

中心なんて無いよ
どんな処に居ようと
それが 固まったりしたとしたら
間違っている・・・。

私が 
言っている所に居ると
あなた自身 思えていても

それが
固まってしまう様なものなら
あなたは そこには居ない。

あなたの
頭で
そこに 居るつもりに成っているだけだ。

本当に
そこにいるとしたら
こり固まったりしやしない。

もっと
柔軟で
もっと
柔らかくて
もっと軽い。

頭だけが そこに居たって
何も成りはしない。

1度だけ
そこを 見た事 
味わった事は 有るが
「今の私は そこには 居ません」と
言い直しなさい。

そんな 
処に居ると
又 以前の 

ああしよう こうしようで
自分を作り上げて行くところに
戻してしまう事になる。



自分が 
意識していながら
身に付けてしまった 自我以前に

自分でも
無意識のうちに,
身につけてしまった自我(条件付け)が有る。

それさえも 越えたところに
私の言う生 
真の生がある・・・。
無条件の 真白い1枚の 紙のごとく…。

この
滑り落ちてしまっている所の
無意識の内に 身に付けた
条件付けを 越えるには

人の事など 見ない事
内側の自分の 正体をつかむ事 以外に
実際 可能な事は ひとつもない。

あなたが
人を心配したり
面倒を見たりしている時

一体 何をしているのか
ハッキリ 認識する事。

あなたは 自分を巧妙に
誤魔化し続けて 
内側への探究を
ストップしてしまっている。

これで
終りなどという 地点など 無いのに
終ってしまったつもりになっている。

そんな 
あなたに
私の言うところの生など
起りはしない。

成長課程に 於いては
大きく粗く マクロに

例えば
人を 自分を高める為
満足させる為の道具としか
使っていなかったなどと言う様に
大まかに 総体的に理解した。

今度は
あなた自身で
もっとミクロに 具体的に

日常あらわれて来ている事で
自分の 内面に取り込んでしまっている
あらゆる物事の中に
踏み入って 行かなくてはならない。

自からの
日常の
生との出逢いを通して。



辞書代わり

2006-05-26 17:36:41 | Weblog

自分の生き方は
自分で開拓し 発見して行く物だと
多くの人が思っています。

その通りです。

でも
手紙や文章を書くときに
解らない漢字は辞書を調べますよね・・・?

同じ様に
人生の中で壁にぶつかった時や
生き方に迷った時に

あなたより
少しだけ豊富な経験と
智慧とが有る場所の力を借りても
何の問題もないでしょう?


頼るのでは無く
あなたが使えば良いのです。

あなたの
人生の主役は
あくまでも あなたなのですから。


私など
単に辞書と同じ事です。

漢字を調べ終れば
無用の物に過ぎないのです。

あなたの内面(中身)を育てるには

2006-05-25 21:22:53 | Weblog


あなたが
何をやるにしても 
土台と成るのは 「あなた自身」です。

例え あなたが
どんなに素晴らしいテクニックを持っていたとしても 

例え あなたが
誰かの真似が上手に出来たとしても

やがては
「あなた自身」が 現れ 暴露されてしまいます。

なぜなら
中身である
あなた本来の実力や
人間性が透き通って見えてしまうからです。

そんな 
全ての物事をやる時の 土台であり 
生きる上での 基礎である「あなた自身」を
「本物」に育てる事が 私の本当にしたいことであり
人間物語の講座の中身です。


自分を見つめること

2006-05-24 20:16:40 | Weblog



自分を見つめる事は
本当は誰もが必要なこと。


特に「俺には・私には 必要が無い」と思った
あなたにこそ必要なのかも知れません・・・。


何故なら
あなたが余りにも
当たり前にして 気がつかずにいる その”自信”こそが 
あなたの人間関係の大きな障害となっている
可能性が高いからです。

その根拠の無い
”自信”を 取り外せた時に
初めて あなたの中に
人や自分を活かす能力が生まれてきます。


力技や自信や強さこそ障害です。
力技や自信や強さは
あなたの周囲の人達の本来の力を
半減させてしまうだけなのです。

それは やがて
あなたの力を
半減させてしまう事に繋がっていきます。



この事実に
あなたが気づくことで
沢山の人達が あなたの周りに集まりだし
 
あなたに本気で力を貸してくれる様に成り
あなたと あなたの周囲の人達は共に活かされ 
自然に大きな成果が上がる様に成ってしまいます。

一人の力と
沢山の人達の力・・・さて どちらが大きいでしょう?

それでも
あなたは独りで頑張り続け
孤立して行く道を選びますか?

それとも
あなたによって多くの人達が活かされ
更に そこで活かされた人達が
他の多くの人達を活かして行くといった
尽きることの無い力と
互いに喜びを分ち合える流れが
生み出されて行く道。

しかも その力は
一人一人に無理をさせていない為に
長持ちし 持続力の有る力なのです。

あなたは どちらの道を選ぶのでしょう?


これは
仕事上だけでは無く
あなたの 家庭の中においても 
多分同じ事が起きているはずです・・・。




恐がらなくても大丈夫

2006-05-23 20:27:35 | Weblog

あなたが
予期もしない 大きな流れに 
呑み込まれそうになった時には

悪あがきなどせずに
思い切って その流れに 
流され 呑み込まれてしまったら良い


あなたが 
帰る地を見失わない限り
いつか あなたは必ず帰って来れるから。


沢山の景色を眺めながら
ぐるりと世間を一周し
信じるこの地に 辿り着く・・・。







捨てれば出逢える 簡単でしょう・・・?

2006-05-17 21:31:00 | Weblog


挫折をして
あなたが再び 
力強く羽ばたける様に成る為には

まずは
あなたの中に有る
今までに生きていた場所を捨てられる事です。

そこは
もうひび割れてしまい
使いものに成りません。

そのことに
出来るだけ早く気づき
そして新しい場所を 
あなたの中に探し出す。

たった 
それだけの事で
あなたは 再び力強く羽ばたける様に
なれてしまいます。



ところが 多くの人は
挫折する以前の 
自分に戻ろうとすることで苦しみ、
そこから抜け出す事を
より一層困難にしてしまいます。

どうか・・・
挫折する以前の自分への
未練を捨てて

新しい自分の中の
オリジナルの場所を
見つけ出してしまいましょう。


きっと
簡単に
いとも たやすく
一回りも二回りも
大きく豊かになった 
あなたに 出会う事が出来てしまうはずです。







あきらめの境地を学ぶ

2006-05-16 23:06:35 | Weblog



自分の生き方や

物事のやり方が 通用しなくなり

自分の道が閉ざされてしまった時

人は なぜ こうまで あきらめが悪いのだろう


なぜ あなたは 

そこで戦う道を 選択してしまうのだろう・・・?

戦う道では 終わりの時間を 先延ばしにするだけで

本当の解決の道など有り得ないと

なぜ気づけないのだろう?


その道の延長上では 物事は悪化するばかりだと云うのに・・・。


そこには答えなど無いという事を

うすうすと 解りながらも

あなたは なぜ あきらめないのだろう・・・。

なぜ負けないのだろう。


みずから 進んで負ける生き方を

誰からも教わって来ていない あなたにこそ

この生き方が必要になっているというのに。



あなたは 

なぜ あきらめられないのだろう・・・?

あきらめた後にこそ 

その先にこそ 

道は広がっているのに。



本当に あなたが あきらめられた時

そこには 終わりでは無く 始まりが横たわっている。


この道を歩くには 

あなたの勇気が試される

それも 何度となく 

あなたの 真の勇気が試される


あなたが背伸びをした時の

いわゆる ツッパリから放たれる

一時的な勇気など 

この道には通用しない

それは ひ弱さでしか無いからだ。



この道は あなたに 

さらに多くの勇気を求める

さらに本物の勇気が試される

でなければ 道は開かない様に出来ている。

真実とは そういうものだ。




本物の自分との向き合い方 その4

2006-05-14 10:58:00 | Weblog





あなたが

あきらめた場所で

あきらめたまま生きる

そのままで あなたは前を向けるし 

歩ける様にもなれる


それこそが今迄

多くの人達が求めていたのに

見つけ出すことの出来なかった道


本当は

誰にでも

開かれている道だ



それは

あなたにも

簡単に見つけられる道だ



もう人生を

やめてしまいたくなったり

生きるのが

イヤになったり


全てを

投げ出して

しまいたくなった時


その

直ぐ足下に

本当は 簡単に

生きられる

道が 有る事に

多くの人は気づいていない。



死ぬ前に

全てを投げ出す前に

あなたの 足下を 探してごらん


その全てを

投げ出してしまう位置こそ

楽に 生きられる 場所だと 

言っているんだよ。


誰もが

そんな処は

生きられない場所だと思っている


何故なら

そこは 物事を

あきらめる場所であって

やる場所では無いからだ



そこは

落胆する位置であったり

死のうとする位置だと多くの人が

思い込んでいる



違うよ・・・・・・。

それは 間違っている。


だから

多くの人は

自分の中に位置する

本当に物事をやれる場所を知らない



今迄の あなたの

知っている

物事をヤル場所は・・・

最後には 誰もが挫折して 

まっ逆さまに 落ちてしまう

場所でしかない。



一体

誰が そんな位置で

生きろと教えた?


誰が人生とは

頑張らなければいけない

ものだなどと教えた・・・?


誰が人生とは

苦しいものだなどと教えた?


そんな

場所で 物事を

やる事自体が間違っているんだよ。



新しい

場所を 位置を探してごらん

誰もが見付け出しにくい場所に

それは在る。



だが

誰も まだ

発見出来ていない・・・。



でなければ

既に多くの人達が

見つけ出して 

そこで生きている筈だ。



誰もが

そんな場所には

有る筈がないと 思い込んでいて

探そうとも しない場所

そんな場所にこそ 道は広がっている


息を潜める様に

ひっそりと

誰にも知られずに

誰にも触れられずにして

それは在る・・・


もう何十年もの長い間

何ひとつ文句も言わずに・・・。


あなたが

いつの日か

見つけ出してくれるのを

ただ ただ 静かに待っている。



皆が

そんな場所では 物事は

出来ないと思い込んでいる場所


力む事すら

出来ない場所


そんな所で

生きたら 駄目にしか

ならない様に見える場所

本当にそこは

あなたの 直ぐ傍に在る。


これは

誰にでも可能で

本当に簡単な道だ



もしも

あなたが

死にたくなった時

最後に この位置を

真剣に 探してごらん

きっと簡単に見つかる はずだから。


その場所と

そこでの生き方を

あなたも 必ず見つけ出せるから



死ぬより

もっと簡単に生きられ

ずっと物事が

簡単に出来る場所は

あなたの 中にも必ず在ると

私は断言出来る


だから

あなたは死ななくていい

死ぬ必要なんか無いんだよ。






あきらめた場所で

あきらめたまま生きる

そのままで 前を向けるし

歩くことも出来る



すると

あなたから まったく新しい

物事のやり方が 産まれて来てしまう



そここそが

まったく 新しい歩き方の

産まれる可能性が 有る場所だよ。



あなたが 誰の真似でもない

あなただけの オリジナルな生き方が


歩き方が 出来る場所だ

誰とも 競争など

する必要のない場所だ。



そして いつも

あなたが自然で居られて

一番に成れている場所だ。



これは 何日か前に書き込んだ文章ですけれど
この文が「本物の自分との向き合い方 その4」になります。

「本物の自分との向き合い方」は 
ひとまず この4までで終わりになります。






本物の自分との向き合い方 その3

2006-05-12 22:26:09 | Weblog


あなたの中に
何ひとつ映し込んでいない
空間を感じられる様になると 

その
空間自体が 物事に取り組んだ時に
どんな物事であれ 今迄の自分以上の成果を結果とし
て得られる様になってしまいます。

何も世の中の
果ての果てまで旅をしたり
沢山の人達から 
借り物の知恵を掻き集めたりしなくたって

あなたは 
どんな物事でも 誰に尋ねなくても
やってのけられる人に成ってしまいます。

それほどの
お宝が あなたの中に眠っています。

それも 
あなた1人だけの
権利のある財宝です。

あなたが
要らないのなら 
私が貰える物なら
貰いたい物です・・・ホント!

あ~あ 勿体無いな~。

これで少なくとも
お宝の方向だけは 解って頂けたでしょうか。



今 
私が こうして
書き込みをしているでしょう
この事実も一瞬で 書き込む たびに次から次えと
無くなって消えていってしまっています。

あなたが
読んでくれるのは 
私が感じられた一瞬の事実の残骸です。

皆が
これを読む頃には 
全然違う 「今」 と言う時間を
生きている 私が居るんです。 

その様に
事実が 無くなっていっているのですから
自分の内面からも その度その度 
自分の した事を 捨てて行ける事なんです。

本当は捨てるんではなく 「あ~さっきの
物だ」 と 気づける事なんです。

そして 
何ひとつ映す事の無い空間で
常に安らいでいる事です。
何一つ映す事の無い空間を あなたの中に見つけ出せる事なのです。

波ひとつ立たない
静かな 湖面の様に 静寂な空間・・・・・。



余談ですが
若い頃の 物事のやり方と言うのは
自分の中に 何か(やり遂げた完成品やらあるいは
やっている最中の自分の姿やら 周りの絶賛やら)を見出して
燃える様な気持ちで
物事に取り組んでいくのですが・・・・

多分 
日本が 
高度経済成長期だった頃などは

そんな
気持ちで仕事に取り組んでいた
お父さん達が凄く多かったのに
今は そのお父さん達も元気が無くなってしまいました。

その
お父さん達に 
この さざ波ひとつ立たない とても静かな湖面の様な空間と
物事への 取り組み方をぜひ伝えて上げたいものです。

燃える様な
気持ちなど要らないのだということを
そんなものが無くたって
物事には取り組めるんだと言う事を・・・・・・・。
もう気持ちが死んだままでなど歩く必要などないことを・・・・・・。
そしたら日本は、いまより、ず~っと良くなるのにと感じている私でした。



恋をするでしょう
振られるとするでしょう。

別に 
これは恋でなくても 
夢中になってる仕事でも 
何でも良いんです・・・。

その
対象となるものに対して
自分が 本気に成れば成るほど

その対象物を
失ってしまった時のショックは
大きいでしょう? 

その時・・・自分の中に
ポッカリと穴があいたような状態というのを
体験した事がないですか?・・・・きっと誰もが
そんな経験を一度や二度はしているでしょう。

あの時の
ポッカリと穴が 
空いてしまった側の方が あなた自身なんです!

それまでの あなたは
何か勘違いをしてしまっていますよって教えてるんです!

本当の
あなた自身を
見つけてくれって言われてるのに
私達と来たら必死で その穴を埋めてしまおうとする。

埋めると言うのは 
また何か 新しく夢中に成れる物を
探してきてしまうことを言います
再び自分を騙し 自分に居眠りをさせようとする事を言います。

そして
今迄自分が夢中に成れていたものは 
どれも つまらない物ばかりだと言うことに あなたが気づき
やっと 本当の あなた自身に目を向けられる時期が来ているのに
あなたは そのチャンスを棒に振ろうとしている事が
あの穴を埋めようとしている事に当たるのです。

そればかりか
その穴を埋め終わると 安心までしてしまう。


もしも 
あの穴が本物の 
あなただとしたら あなたは自分を埋めているんです
自分を死なせようとしているんです。

本当は
怖がらずに 少しずつでも良いから
調べたら良いのにね~。

一見 
あの穴からは
不安みたいなものが 
ビュウビュウと吹き上げて来る様に見えるけれど

それは
ただ単に 
今の あなたが 
自分と思っている物にとって都合が悪いだけであって

本当は
ちっとも恐くなんてないかも知れません。

最初の内は
その穴を埋めたりなんか
しないだけで良いんです。

次に
友達関係にまで発展させましょう。


色んな事を 
そこは あなたに教えてくれる筈です・・・・・。