この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 346★

2007-08-30 11:12:51 | Weblog


(昨日の文の続きになります)





でも
それは 自分の心の中に
浮かんでいる物自体が 「自分」となって仕舞うと云った

心の
特異性と仕掛けがあるので
一度 解った気になっても その解った事が

何時の物かを 
見破ると言った事を
していかなければ成りません。

常に見破り続けることに
よって常に新しい新鮮な鮮度をもった
より深まった空間を感じ続けられる事が出来ます。


あなたの中に
何ひとつ映し込んでいない
空間を感じられる様になると 

その
空間自体で 物事に取り組んだ時に
どんな物事であれ 今迄の自分以上の成果を結果とし
て得られる様になってしまいます。

何も世の中の
果ての果てまで旅をしたり
沢山の人達から 
借り物の知恵を掻き集めたりしなくたって

あなたは 
どんな物事でも 誰に尋ねなくても
やってのけられる人に成ってしまいます。

それほどの
お宝が あなたの中に眠っています。

それも 
あなた1人だけの
権利のある財宝です。

あなたが
要らないのなら 
私が貰える物なら
貰いたい物です・・・ホント!

あ~あ 勿体無いな~。

これで少なくとも
お宝の方向だけは 解って頂けたでしょうか。



今 
私が こうして
書き込みをしているでしょう
この事実も一瞬で 書き込む たびに次から次えと
無くなって消えていってしまっています。

あなた達が
読んでくれるのは 
私が感じられた一瞬の事実の残骸です。

皆が これを読む頃には 
全然違う 「今」 と言う時間を
生きている 私が居るんです。 
その様に
事実が 無くなっていっているのですから
自分の内面からも その度その度 
自分の した事を 捨てて行ける事なんです。

本当は捨てるんではなく 「あ~さっきの
物だ」 と 気づける事なんです。

そして 
何ひとつ映す事の無い空間で
常に安らいでいる事です。
何一つ映す事の無い空間を あなたの中に見つけ出せる事なのです。

波ひとつ立たない
静かな 湖面の様に 静寂な空間・・・・・。


余談ですが
若い頃の 物事のやり方と言うのは
自分の中に 何か(やり遂げた完成品やらあるいは
やっている最中の自分の姿やら 周りの絶賛やら)を見出して
燃える様な気持ちで
物事に取り組んでいくのですが・・・・

多分 日本が 
高度経済成長期だった頃などは

そんな
気持ちで仕事に取り組んでいた
お父さん達が凄く多かったのに
今は そのお父さん達も元気が無くなってしまいました。

その
お父さん達に 
この さざ波ひとつ立たない とても静かな湖面の様な空間と
物事への 取り組み方をぜひ伝えて上げたいものです。
燃える様な
気持ちなど要らないのだということを
そんなものが無くたって物事には取り組めるんだと言う事を。
もう気持ちが死んだままでなど歩く必要などないことを。
そしたら この国は、今よりも ず~っと良くなるのに・・・。




恋をするでしょう
ふられるとするでしょう。

別に 
これは恋でなくても 
夢中になってる仕事でも 
何でも良いんです。

その
対象となるものに対して
自分が 本気に成れば成るほど

その対象物を
失ってしまった時のショックは
大きいでしょう? 

その時・・・自分の中に
ポッカリと穴があいたような状態というのを
体験した事がないですか?・・・・きっと誰もが
そんな経験を一度や二度はしているでしょう。

あの時の
ポッカリと穴が 
空いてしまった側の方が あなた自身なんです。

それまでの あなたは
何か勘違いをしてしまっていますよって教えてるんです。

本当の
あなた自身を
見つけてくれって言われてるのに
あなたと来たら必死で その穴を埋めてしまおうとする。

埋めると言うのは 
また何か 新しく夢中に成れる物を
探して来てしまうことを言います。

再び あなたを騙し 
あなたに居眠りをさせようとする事を言います。

そして
今迄自分が夢中に成れていたものは 
どれも つまらない物ばかりだと言うことに あなたが気づき
やっと 本当の あなた自身に目を向けられる時期が来ているのに
あなたは そのチャンスを棒に振ろうとしている事が
あの穴を埋めようとしている事に当たるのです。

そればかりか
その穴を 埋め終わると安心までしてしまう・・・。


もしも 
あの穴が本物の 
あなただとしたら
あなたは自分自身を埋めているんです・・・。



本当は
怖がらずに 少しずつでも良いから
調べたら良いのにね~。

一見 
あの穴からは
不安みたいなものが 
ビュウビュウと吹き上げて来る様に見えるけれど

それは
ただ単に 
今の あなたが 
自分と思っている物にとって都合が悪いだけであって

本当は
ちっとも恐くなんて無いかも知れません。

最初の内は
その穴を埋めたりなんか
しないだけで良いんです。

次に
友達関係にまで発展させましょう。
色んな事を そこは あなたに教えてくれる筈です・・・・・。












★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 345★

2007-08-29 17:15:32 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO34 ◇




自分を
愛するということは
自分の中の 出来損ないの自分を 

駄目な所だらけの
自分を抱きとめられること。
その自分をいとおしく思えること。

決して
背伸びした自分を
本当の自分だなんて勘違いして

そんな自分を
自分として生きないこと。

背伸びしたり
必要以上に頑張ったりすることは
本当は 自分は駄目な所 
だらけだということを知っていて 

その本物の自分から
逃げようとしているだけなんです。

どんなに頑張たって
それは 逃避しているだけなんです。
積極的に逃げている それは消極性です。


もしも
そんな生き方をすれば 
あなたは自分自身をどんどんと
自分の手で淋しくさせてしまうことになります。

そんな時に
いわゆる 皆の言う所の
愛が 必要となります。

でも
そんなの愛でも 何でも有りません。

だって
そうでしょう?
自分の手で 本物の自分から 遠ざかる生き方をしておいて
 
自分自身ですら
愛することの出来ない自分を
他の人に 愛させるんですか?

そんな事を
人にさせて いるとしたら
あなたが どんなに口先で 愛しているといったところで
あなたには愛情なんて有りません。

あなたは
その相手の人を愛してなんていません。

そればかりか 
あなたが背伸びをし続けることで
手に入れようとしている 出来の良い「あなた自身」を
手に入れることすら あなたには多分出来ないことでしょう。




なぜなら
答えはこうです・・・。
あなたは もうすでに何十年の間
背伸びをし続けているのに 

今だに
「出来の良いあなた」なんて
手に入れる事なんて 出来てないじゃないですか!!!

背伸びを
する自分で 生きる方向で 
あなたが手に入れられる物なんて 
ひとつも無い事に出来るだけ早く気づいて

あなたが
自分に正直になっている時に
あなたの中に 感じられる

出来の悪い 
駄目な所だらけの 
自分と向き合って その自分を抱きとめる。

それは
人に頼るんじゃなくて
自分でする事 

何故なら
いつでも四六時中 
あなたと一緒に居られるのは あなた自身だけだから

人には
そんな暇なんてないから。

それに あなたの事を 人に受け止めさせたら
あなたは その人に裏切られる場合だって有れば
その人が先に死んでしまう場合だって有る。
その
どちらも 
あなたの人生は真っ暗になってしまうし

それに かこつけて 
この事を 放棄してしまうかもしれないから・・・。

とにかく
自分で抱きとめること。

自分で 
抱きとめるというのは 
どういう事かというと 
駄目な自分自身の方で生き様としてみる事。
 

駄目な
自分自身と共に居て上げる事 
それこそが愛でしょう?。

そうして生きられたら
あなたは他の人達を見て 
いかに 本物の自分を
愛せずに生きている人達の 
多い事かを目の当たりにするし
そんな人達の嫌ってしまっている自分自身を
受け止めて上げられる様にもなれるよ。


自分に正直になって
背伸びをし続けている 自分自身ではなく
出来損ないの駄目な自分を愛して
その自分と生きてみる・・・・と書き込んだけれど 
それでは本当の所 まだ半分なんです。


本当に
私が伝えたい所は 
そんなところではありません。

そのままでは
本当の あなたは 駄目な方の
自分だよと言っているみたいでしょう?。

確かに
そう言っていますけれど

それは
背伸びをし 
自分に知らず知らずの内に
無理強いを強いてしまっている自分よりは 
駄目な自分の方が 本物だよと言っているんです。

あなたが
正直になって 自分の中(内面)の
駄目な自分に対して 心を開くと・・・・。

心を開くと言うのは
駄目な自分に対して 抵抗をしない
あるいは嫌がったりしないで 向き合うと言う事

そして
「 あ~本当に俺って 
こんなちっぽけな自分でしか
無かったな~ これ以外の俺なんて
全部嘘っぱちで 無理して作り上げていただけな
んだな~ 」な~んて事に気が付いてくると
全身の力が抜けて とても楽な気持ちに成れるんです。




そして
ここからが 
とても大事な事なのですが

そうして
駄目な自分を 
頭の先っぽでは無く
心を開いて 受け入れると 

とても
楽な気持ちに
成れるばかりでなく

そこには
もっと 深くて重要な
事実が隠されているのです・・・・・・・・。

それは
あなたが 今の今見つめてる
あるいは 向き合っている 受け入れている

“ 駄目な自分自身とは
 一体 何時の物なのか? ”と言う
質問をしてみたいのです・・・。

私達が
生きているこの世の中は
常に時間が流れています。

今迄に
起きた全ての事は
過去と言う時間の中に
飲み込まれてしまっていて 
二度と帰ってくる事は有りません。


そして
私達の考える未来と言う時間は
私達の考えや想像の中に有るものであって

まだ 
現実の時間として
過ごす事など出来得ない
まだ 来ていない時間です。

実際に
私達に味わい
感じられる時間は 
今現在と言う時間だけなのです。

そして
大事な事は 
どんなに嬉しいことであれ
或いは どんなに悲しいことであれ

私達に
現実として感じられるのは
たったの一度きりだと言う事実です。


何であれ 
どんなことであれ 
たったの一瞬だと言う事実です。

なのに
私達の中では 
そういう具合には成っていません。

事実として
感じられるのは
誰であれ たったの一瞬なのにも拘わらず

その後で
私達は 私達の中で 
まるで ビデオで録画したものを
私たち自身に見せ続ける様な事をしていて 

あたかも
その事実が
ず~っと続いていて 

自分自身の中に
今も その事実が有るかの様に
思い込ませています・・・変でしょうこれって?


小さい頃に
何かを失敗してしまって
叱られたり 或いは 皆の前で恥ずかしい
思いをしてしまったりと

そんな中で
傷付いてしまった
あなたの心さえも ひっくるめて

それらの
事実は ぜ~えんぶ
終わってしまって 今は無いのに
有るように感じられていたら・・・・

それは 
あなたが あなたに見せ続けている
ビデオで 有って事実じゃあないよ。

それは
あなたを 背伸びした あなたで
走らせ続ける為の仕掛けの様な物なのです。

あなたを
走らせ 
息切れさせて 

あなたの
人生において 
あなたの 手によって 
あなた自身を 失望させる為の仕掛けです。

一時的には
良い時も
有るかも知れないけれど

最終的には 
何ひとつ手にする事も出来ずに
あなたは 深い孤独の中で身動き一つ取れなく
なってしまうかもしれません。

駄目な
自分が自分の
内面に有るように感じられる時

そこから 
逃げ出し 背伸びをする
自分で生きるのではなく 
その当の駄目な自分が 一体 いつの物なのかに気づけると

それは つい今しがたの物であって
今は既に無くなってしまっているという事実に気づけ
逃げ出す必要など無いどころか
そこには 何一つない 
自分と呼べる物さえ 無くなってしまっている
なぁ~んにもない
「無さ」が広がっています。


この空間こそが
その無さ自体が本物のあなたです。

その空間は 身体を隔てた 
身体の外側の巨大な空間とひとつに繋がっています。
溶け合っています。
その時あなたは宇宙です・・・。


・・・・。















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 344★

2007-08-28 13:56:22 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO33 ◇





それは 
本当の愛などじゃないと
今気づかなくても

あなたが やがて
おじいさん おばあさんになった頃
必らず その事実が
あなたを圧倒してしまう時が来る。

その時になって
いくら あなたが
泣きわめいても駄目だよ。

あなたは 
色々な人に
助けを求め様とする。

だが
誰もあなたを
助けられる人はいない。

そこで
あなたは今度は その事から目を
背けようとする。

だが 
それも
あなたを助けるまではいかない。
その場が
楽になるだけだ・・・。

違う
そんな事では
役にたたない。

それは
あなたが 間違っていたという
事実を 目の当たりにして



本当の 
あなたじゃない あなたが
打ち負かされ切った時に

あなたを 
怖がらせ
泣きわめかしていた物も

自分の手で自分を恐がらせ
泣きわめいていた あなた自身も
その どちらも 同時に 消えてなくなる。

そして
そこに
あなたの本性の 誕生がある
その本性のあなたは
それ自体に
優しく包み込まれる・・・。 


その時こそ
あなたは あなたの手で
あなたを 救い出してしまっている。

その時こそ
あなたは ここに至っている。
「空」に至っている。
真理に至っている。
愛 そのものになっている。

もう 
愛など求める必要も
なくなってしまう。

そして愛とは
あなた自身の内に潜んでいて
あなたは その愛自体に
1人で出逢えない為に

いつも いつも 人を介していた事を
知るに至るだろう。

人を介していたばかりに
いつも 内側に あなたが 
入って行く事を せずに

愛が 体験できていた為に
愛は 外側にあるもの
それは 人との間にしか起こらないものだと
決め込んでいた事にも
あなたは気づく・・・。

そんな
決めつけがあった為に

あなたは今日まで
てんで方向違いの方向に
進んでいて

長い事 あなたが 愛そのものに
なってしまう事を
延期し続けてきた・・・。

あなたの愛は
いつも 未来に必らず
終りが 破壊が
横たわるものでしかなかった・・・。

だってあなた1人じゃ
今までの愛は
起こらなかったからだ。

それには 必らず相手が
必要だったからだ。

自分が 
終りたくなくても
相手によって
終らされてしまう可能性もある。

だから あなたは
いつも 愛の中ですら
自分を守っていたし
その緊張をとけなかった・・・。

それは
そもそもの始まりから
間違っていた。

順序として
まず第一番目に
なされなくてはならない事が
なされていない。

だから 終りが来る事も
あなた自身が
一番良く知っていた。


まず 一番に
あなたは 内側に入って
あなたが 愛そのものになってしまう
あなたの内側の愛を
開く事を始める。

あなたの内側の愛が
開かれたら

あなたは
愛は 人に 外側に
求めるものじゃない事を
知るに至っている。

あなたは 
愛で満たされている。

愛で満たされている人は
愛をするなんて
馬鹿な事をしやしない。

そんなうわべの
作りものなんて 演じない。

そして
近づいてくる人を
愛の名の下に

自分が一人になり
内側をのぞき出してしまう事を
まぎらわせる為の
道具になんて使わない。

淋しさを誤まかす為の
道具になんて使わない。

だから
やがて その相手も
自然に 内側の愛を発見する道を
歩み出してくれる事だろう。

それは
長い時間を 
要すかも知れない・・・。

だが 
あなたとの関係の中に
何かを見い出した人は

必らず
その道を歩み始めてくれる。

愛は 
人に求めるものではなく
又 与えるものでもなく

ただ ただ 常に あなたの内側が
あなたのハートが 心が
空っぽの 空き家で 居られる事だ。

今までの あなたに
「さよなら」をして

あなたの内面が 
ただの 空き家で
あり続けている事実に
波長を合わし続けられる事だ。

あなたの 内面の 
事実と共に
歩いている事だ。

そして
そんな あなたから
人が愛を与えられていると
感じ取っても・・・。

それは 
その人の自由だ
そう言われ続ける様にしようなんて
馬鹿みたいな事はしない。

あなたは 誰一人 
特別扱いなんかしない・・。

或いは
皆を 特別扱いする。
どちらも同じ事だ。

どんな人でも
あなたの 空き家に訪ずれた人を
自然に大歓迎でき。

そして
空き家を後にして帰るお客さんを
閉じ込めたり 引き止めたり

その後を追いかけたり
いつまでも そのお客さんの事を
考えていたりしない・・・。

だって そんな事をしたら
あなたは もう
空き家じゃなくなっている。

次に 入ってきた お客さんを
お通夜みたいにして
迎え入れてしまう事になる・・・。




あなた達の 
今まで 
知っていた愛は
誰かしら
相手を 必要とする 愛だった・・・。

その愛は
その愛自体
いかに 不毛かという 事実を
あなたが 知るに 至るまでの
乗り物だ。

その事実を
あなたが 知るに 至るまでは
何度でも 何度でも
愛し続けたらいい・・・。

相手が問題なんじゃない
あなたが 問題なんじゃない。

その乗り物
愛という乗り物は
関係の上に成り立つ 愛の不毛さを
あなたに 伝える役目をする。

だって 
その愛の おかげで
苦しさを せつなさを
悲しさを

あなたは うんざりするぐらい
嫌というほど
味わい続けて来た。



それは
必らず 後にしなければならない
乗り物だ。
そうじゃなければ
あなたは 一生その中で
のた打ち回る。

勿論 
喜びもあるだろう。

だが
その喜びの分
あなたは 必ず苦しまなければならない。

そして 
そこを後にしてから
内側へと
あなたは 進み出す。

本当の 愛を深しに
あなたは 始めて
正しい方向に向かい出す。

もしも
あなたが その不毛さを
理解した上でなければ
あなたは 再び外側に
向い出してしまう。

何故なら
内側の 深みに達する事が
出来ないからだ。

愛の扉を
開く地点まで 達せられずに
あなたは 戻って来てしまう。
だって 内側への探索は
非常に難しく
根気がいる。

そればかりか
恐怖や 苦しさを 伴い
大変な勇気がいる為に
あなたが 本当に理解してからで
なければ進めない。

だが 
外側の愛で
こっぴどい程に傷つき
どんなに相手が変ろうが
同じ事だと理解し
その愛に嫌気がさした あなたなら

内側の 奥の奥の奥に潜む
愛の扉を開かせる事が
可能になる。




だって
今や あなたは
外側の一切を求め歩いて
外側の どこを探がしても
それが無いことを
知ってしまっているからだ・・・。

もう
内側をおいて 他にない
あなたは ひとつの確信に立って
歩み始める。
そこに
至る為なら
自らの命までもを 差し出す用意がある。

そんな
人にならば
最後の地点に至る事が
可能だ。



ここで
彼の本性の誕生 復活は起った・・・。

これから読み上げるのは
その時の彼の言葉だ。
 
そして
それは 彼の誕生の詩だ

「 パパは 今まで
たくさんのものを
ただ 追い求めて来た。

それは 
小さい頃 
そう おまえより
もっと ずっと小さい頃から
パパが 育って来た線路の上を
歩いているとも解からずに

ただ 
パパは それが良い事だと
思っていた。


でも
何を求めても
何をしても
パパの 本当に欲しいものは
そこには 無かった。

線路の上を 
歩き続けても
走っても
何をしても
それは そこには無いと
わかった時
それが どんなに馬鹿げたことかと
わかった時
パパは 一切を捨てた。
全てを捨てた。

いや 捨てたんじゃない
最初から
何も持っていなかった事に
気づいたんだ。

何もだよ
何ひとつ
パパの 持ってる物は 無かったのに
それを見るのが怖くて
ただ 次から次へと
求め歩いている
そんな 自分が 
消えうせてしまったんだ。

そしたらバパは 
どこにも居なくなって しまった。

いしだ たかし というのは
パパじゃない。
この肉体に ついている名前で
パパは いしだ たかし じゃない。

ただ その体を 
借りていただけなんだ
おまえも そうなんだよ
だから それを自分などと
思っちゃいけない。

そんな所にも
おまえは 居ないんだから
いつか気がつく 時がくる・・・。

パパには 
もう一度
おまえと同じ所で
気づかない様に
眠ったふりはする事ができても

それは
あくまで
ふりだけで
眠り続ける事なんて
出来ない。

おまえは 
そんなパパを見て
おかしい 変な人だ
狂っていると 思うだろう。

でも 仕方がない
もう パパには どんなに努力をしても
おまえの所に
帰る事は出来ないんだ。


ただひとつ
おまえと 一諸に 成れるのは
おまえが パパのところに
来る事は 可能だよ。

でも 
その逆は無理だ
例えしても
それは 振りだけなんだよ。

パパだって
おまえと 離れたくなかったけど
仕方なかった。

パパには 
どうする事も 出来なかったんだ。
今が パパのその時だった・・・。
悪かったね 」

これは
彼の奥さんが
ここまで成長した彼を見て

今までの 彼とは
まるっきり 違ってしまった 彼を見て
奥さんは 戸惑ってしまった。

その奥さんが
子供口調で
「 どうして 今までのパパと
違ってしまったの? 」と
言う質問の手紙を書いた。

その時
子供に答える様にして
彼が書いた「愛の詩」だ・・・。
奥さんは 
それを読んで
内的な成長の道を歩む
きっかけになった
彼の詩だ・・・。

そして
今 彼等は
二つの純粋な空間として在る。

互いの中に
溶け込み合って 成長につぐ
成長を 繰り返し続けている。



さあ 
ここまでで
彼の話しは お終まいだ。

あなたが 
ここまでの 彼の話をきいて
何を感じようが
構わない。

だが これは真実だ。


私は 彼の話を通して
あなたにも
同じ地点まで
歩く事が出来るということを。

そしてあなたにも
本性の誕生が
可能なのだという事を伝えたかった。






明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに 












★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 343★

2007-08-27 15:18:32 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO32 ◇


 


例えば
あなたが 結婚しているか
恋人同士でいる場合

そこでの 関係は 愛は
どんな ものなのかを 伝えてみたい。

あなたが 結婚して
あるいは 恋をして
あなたは 相手である 
彼を 彼女を 愛する。

あなたが その相手を
愛すれば 愛するほど
同時に その相手を 失ないたく無いと
言った気持が生まれ

愛する度合と
同じ度合にまで

その 失ないたくないといった
気持も 大きく育てて行ってしまっている。

するとあなたは
無意識に その相手に出来るだけ
嫌らわれない様に 歩き出してしまう・・・。


この歩き方は
作られた歩き方だ。

本当のものじゃないから
ひどく疲れてしまう。

そして 
その内それが
馬鹿馬鹿しくなってきてしまう。

そりゃそうだ。

だって
そうなったら あなたは
誰の生でもないところの生を
生きているのだから。

あなたの生でもないし
彼の 或いは 彼女の生でもない
それは まがいものの生だ・・・。

その結果 
あなたは その相手を
内側の一番深い所で
どんどん憎み出す。
それが あなたの本音となる。

あなたは 相手である彼を 彼女を
うわべでは 
建前のところでは

まがいものの
作られた生のところでは 愛し。

本音の部分では
憎み出す。
そして 
もしも結婚をして
法的に縛り 縛られ合っていたら

本音を 
妥協しながら押さえ込み
建前である型上の愛を
永続させようとしてしまう・・・。

ところが 内側では
その相手を 憎んで愛していない。

これでは
まるで 牢屋に入っているみたいな
生だから

この牢屋から
抜け出したいが為に

内側の本音は
やがて 
他の何か夢中に成れるものを
探し出し始める
あるいは あなたは他の異性を求め出してしまう。

こうなってしまうと
あなたは 本音の部分で
やりだした何かこそ
私の本当にやりたい事に
やっと出逢えたなどと錯覚する。

あるいは
あなたが牢屋から抜け出す為に愛した人こそ
本当に愛している人なのだと錯覚してしまうことになる。

だが 
それは違う
本音というのは

あなたが 建前の生で
生き始めたと 同時に
産まれてきてしまうもので
それは
両方とも あなたが作り出したものだ。

建前と 本音
これは 二つで一組のものだ。
それは ペアだ
対だ。

だから 
建前が無くなってしまえば
本音だけでは
持ちこたえられなくなり
それは 消えさる。

本音に 
命を注ぎ込んでいたのは
建前だった・・・。

もしも
あなたが建前の生の方に合わせて
無理をして生きようとしなければ

本音などというものは
生まれて来はしない。



例えば
あなたの奥さんに対する
愛情が最初の頃と変わり
情熱的では無くなって来ているのに拘わらず
あなたが それを認めずに
愛しているフリで誤魔化そうとしていると
あなたは奥さんを
建前で 愛し始める様に
なってしまい

他の女性を好きになって
恋に落ちる。

あるいは
あなたが 旦那さんを
建前で愛する様になってしまうと
あなたは 自然に他の男性に
目を向け始めてしまい

これこそ
私の求めていた愛だったと
その男性と恋に落ちる。

そして
建前である 愛の方の奥さんと
あるいは 建前である 愛の方の旦那さんと
ちゃんと離婚をして 別れて
本音で 愛し始めた女性と
あるいは 男性と
一諸に暮し始めてごらん。

あなたは
あんなに 身を焦がした筈の愛が
どんどん どんどん
消えて行く事を
目にするだろう。

するとあなたは
「 本当は 別れた奥さんのことを
旦那さんのことを 愛していたんだ
この愛は 一時の気の迷いだったんだ 」
などと 思い始める。

だが
違う
そのどちらも
あなたは 愛してなんかいない。

本音と 建前
それは どちらも本当のものじゃない。
あなたは
誰も愛してなんか
いなかったことに気づき始め
なければいけない。

あなたの愛は
いつもそうだった。

あなたの愛は
いつも建前か 本音の
どちらかだった。

だが
どちらも本当じゃない・・・。

第一 愛するという
あなたの 姿勢自体が
間違っている。

愛は するものじゃない
愛は 守りを一切
捨てたところに
起こる現象だ・・・。

する事など 出来ない。

愛は 関係は
守りを一切捨てたところに
たちまち 生まれ出る空気の様なものだ。

それは 見えないが
感じる事ならできる・・・。



自分を守るという事を
一切しない状態。

あらゆる支えという支えを
自分というものから
取り去った状態。

その時
あなたは居ない
そこに愛は 降り立つ。

例えば
一切 守らないとは

もしも
あなたが ある人を愛していたら
全面的な信頼が起こる。

この信頼は
自分の都合の良い時は
受け入れ信頼し。

自分に都合が悪くなると
信頼しない
などといった
たぐいの信頼なんかじゃない。


愛とは 一切の守りを
ただ ただ捨て去り
そこに在るだけの状態だ。

それを 人が感じる事はあっても
あなたから愛を
する事はできない。

愛は するもんじゃない。
むしろ なにもしないことだ。

なんの低抗も
なんの計画も
愛はできるものじゃない。

もしも
あなたが それをやっている感じでいるなら
それはまったく
別なものだ・・・。

あなたは 
まったく別なものを
愛と呼んで
何か勘違いをしている。

愛そう
などとせずに

何故なら
それをしてしまうと
今までの道だ。

いつも内側に 
何かしら持って

それで あなた自身を
支えようなどとせずに。

あなたを 支えるものを
何もかも外し

いつも 空き家の様な心で
内面で
居られること。

いつも 
空き家
あなたの心が
空っぽの 空き家であったら

そこに来た
お客さんは 誰一人として
あなたに 迷惑がられない。



もしも
あなたの 心が 内面が
空き家では無く

それ以前の お客さんが 
或いは それ以前のお客さんの残像が
まだ居座っていたりしたら

そこに 
尋ねて来たお客さんを

あなたは
迷惑そうに迎え入れて
しまう事になる。

もしも
あなたが 常に 
空き家であり続けられたら
そこに尋ねて来たお客さんは
皆 大歓迎だ。


そんな時
愛は起っている。





そして
本当は誰にも
いや 人だけじゃない
物でも 考えでも
何ひとつ その あなたの心であり
内面である 空き家を
空き家で無くする事は
不可能だ。

それは 
ずっと空き家のままだ
常に 空き家のままであり続けているのに

あなたと来たら
いつも その空き家を
何かで埋め様としたり

誰かお客さんを
あるいはお客さんの残像を閉じ込めっ放しにしたりして 
( 恋愛している時 いつもその相手の事を考えている状態 )
充実感を抱いたり
それを 愛と呼んでみたりする。


そんな
あなたの 愛なんて
嘘っぱちだ。

あなたが 1人勝手に
それが愛だと思い込んで
その思いに基づいた行動を取って
相手をこちらに向かせ様とする

あなたの
愛を 活かし続けるには
常に 相手をこちらに
向かせ続ける為の
行動や 演技や 努力を
し続けなければいけない事になる。

そうでなければ
その愛は 壊れてしまう。

あなたの
言う愛が
本当だとしたら

それは 
酷く疲れそうだ
愛って そんなに疲れるものなのかい?

もし そうだとしたなら
そんな愛は うんざりだね・・・。








明日の人間物語のメール講座を 
どうぞ お楽しみに 












★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 342★

2007-08-24 10:46:42 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO31 ◇




それと同時に
続いて次なる 発見が起こる。

それは 
まったくの1人という事実に
出くわして

その事実に 
敵対せずに
その中に あなたが入っていった時に
さらに 素晴らしい事実を
あなたは 発見する。

その事実とは
「なされる事は すでに全てなされている」
という事実だ。

にもかかわらず
その 既になされている事を
当たり前としていたが為に

常に
それ以上のものを追いかけ
それが 思い通りに行かず
破綻すると

まるで
自分が 駄目になってしまうかの様に
捉えていた事が

どんなに馬鹿げていたかを
目にすることができる。

そんな事で
駄目に 成ってしまう あなたなど
あなたじゃない。

むしろ そんな事で 駄目に成ったり
失くす物が 有るとしたら
それらは 全部 失くした方が
良いものばかりだ。

それが 出来なければ
あなたの 本性の誕生はない。

あなたが まったくの1人という
事実の中に人って行くと

まず 
今まで1人で 生きて来た
などと言う錯覚は
粉微塵に 吹っ飛ぶ。





それが 
吹っ飛んだと同時に

空気が 酸素が
あなたの 呼吸の為に
いつも ただ当たり前の様にある事実を
あなたは ふと 目にする・・・。

あなたが 喉が渇いた時に
それを潤す 水がある 事実を
やっぱり あなたは目にする・・・。

あなたの食べる
食物を 育てる為の雨

そして 太陽があり
それが あなたの体を養う
という事実に
支えられてこそ

あなたの 生がある事を
あなたは 感じ出す事が出来る・・・。

例えば
あなたは 会社で働いて
給料を自分で得ている。

その自分の得た給料で
食べているから
自分は 1人で 生きていると考えてしまう・・・。

だが 違う
あなたが そこで働けるのは
誰かが作った 会社があるからだ。


そして いつも働いていられるのは
営業の人が
仕事を探してくるからだ。

その他の あらゆる役割を
やっている人達が いるからだ。

その全てがあってこそ
あなたは 給料を得られている。

あなたは 1人でなんか 生きちゃいない。
他人に ちゃんと依存している。

それと 共に
あなたも その中のひとつの
機能としてあるから

他も同時に
あなたに依存できている。

これを 相互依存という。

人だけじゃなく
あらゆるものは あらゆるもの同士の
相互依存の上に成りたっている。

あなたが
生きて 毎日生活して
行けているのは
食べるからだ。

いくら
お金があっても
それを 売ってくれる人が
いなければ
あなたは 食べられない。
あなたは その人達にも
依存している。

そして同時に
その人達も あなたに依存している。

売ってくれる 人だけじゃない
それらを作っている
農家の人にも 依存している。

農家の人の方も
あなたに 依存している。

では
農家の人達は
自分で 作って 食べているから
食べる事に関しては
誰にも依存していないかというと
そうじゃない。

まず 
その稲に 野菜に
依存している。

その稲は 野菜は
ただ植えておいても
稲白身 野菜白身で
育つかと言ったら そうじゃない
農家の人の 手入れが必要だ。

それだけじゃない
雨に 太陽に 依存している。




例えば
私達が死ぬと
私達の 葬むられ方は
火葬か 土葬か もしくは 水葬だ。

土葬の場合
あなたのその身体は
土を肥す

そして 
稲や野菜が育つ。

火葬の場合は
灰となり 煙となって
空気中を漂い

雨によって 
地上に降り注ぐ
あなたの その身体は
やっばり 稲や 野菜や 果物を育てる。

その稲や 野菜や 果物を食べれば
私は あなたを食べている事になる。

灰となり 煙となってしまった
あなたの身体が 草を育てる。

その草を食べて
大きくなった 牛を食べる。
私は 同じ様に 
あなたを食べている事になる。

水葬だって 同じだ
それは 魚のエサとなる
あなたの 身体を食べた魚を
誰か 他の人が食べる。
そして
あなたの身体も 私の身体も
いずれは 何かに溶けて
誰かの胃袋の中に入る。

食べるばかりじゃない。
いずれは 誰かに食べられる。

生かされる ばかりじゃない
いずれは 生かす側に ちゃんと成る。

生とは こうして休みない
相互依存をくり返す・・・。

この果てしない 
大きな 全ての存在同士の
相互依存は

大きな運動
大きな輸を描き
ぐるぐる ぐるぐる
運動を繰り返し続けている。

遥か 遠い昔から
ずっと この運動は
変る事なく 繰り返されている。

これが
自然界の節理だ
宇宙の 節理だ
自然の 宇宙の あるがままの法則だ。

もう 既に 成されえる事は
すべて 成されているのに


あなたと来たら
それを 当然のごとくに捉えて
その 成されている事実を
忘れてしまっている・・・。

その事実を 覗き見たことも無ければ
それに対する感謝さえない。

あなたは まさに
全てによって 生かされているのに・・・。

全てと 連ながり
すべての中の 一部としてあるのに

この事実を 知らずに
もっと もっと と求め。

それが なされないと
「あの人は 思いやりがない」と
腹を立ててみたり

「あの人に 傷つけられた」と
嘆いてみたり 悲しんだりする。

だが 
それはあなたの甘えだ
それが 甘えである事に
気づき始めてごらん・・・。


あなたが
思いやりなどと言う
余計な事を 考えなくたって

出来るだけ人を 傷つけない人に
成ろうとしなくたって
あなたは 自然に周りを
生かす様に成っている・・・。

そして 周りも 
あなたを生かす。

生かし
生かされあっている。

それ以上の 
作り事を求めない事。

それ以上の 
作り事を与えない事。

それは 必らず
あなたの負担となって
あなたの上に 重くのしかかる。

それ以上の
作り事を求める為に

自分を作って
さも 思いやりのある人に見せて
相手の思いやりを
誘う様な事を しないこと。

そんな事を し続けているから
事は 余計にやっかいになってしまう。

それは 世の多くの人達が
この事実に 気づけずにいて

常に 
満たされない思いを
持ち続けている。

その
満たされない思いを
満たす為に それ以上の事を
常に追い続けんが為に
勝手に作り出してしまっている
互いの協定の様なものだ。

人間界だけの法

それは 甘え合いだ
互いの演技の競い合いの場を
生み出してしまう。

そして
そこは 勝手を通すか
偽善を演じるかの
どちらかの場でしかない・・・。

ここが
これまでの
あなたの 愛の次元だった。


そして ただ 
この事実中の事実に
出逢うことで
自然な途方もない
感謝は 沸き起こる。

それは 
人の話を聞いて
なるほど などと
あなたが 解かったつもりに
なるのではなく。
あなた自身が 
たった 独りきりに成って。

その 独りきりの 状態を
避けたり 誤かしたりせずに

その 独りきりの 状態の中に
あなたの方から 入って行った時に
まのあたりにする事実だ。

その時あなたは
何ものも求めなくなり

ただ 生きていて
命あるという事実だけで

今までの 
あなたの 体験したことのある
どんな喜びよりも

大きな
途方もない喜びが
あなたの 身体いっぱいに
広がることだろう。

そして
続いて自然に 
あなたの中から
どこへという訳でもない
全存在に対する
深い感謝が 溢れ出す・・・。

これが 真の感謝だ。
この感謝こそ 祈りだ・・・。
そして この感謝こそ愛の なんたるかだ・・・。



一度 
愛から 関係から抜け出て
その不毛さを見抜き

再び 関係の中に入って行く
そこには 新たなる関係が
芽生えだす。

その関係は 成長している。
以前とは
まったく質が違う。

一見
同じ様に見える。
だが違う・・・。

その関係は
誰にでも 自由を与える。

決して 独占したり
縛ったり 執渚したりする
関係ではない。

そして
二度とあなたは
愛に 関係に埋もれきらない。

埋もれ切らないと言うのは
愛して いないからじゃない。

むしろ 愛は以前より
遥かに 成長している。

それでも
人は 決して 縛れるものじゃないと
言う事を あなたは 知ってしまっている。
夫だって 妻だって 子供だって
彼だって 彼女だって
決して 縛れるものじゃない。

もしも
あなたが そんな事をやりたがって
やり始めると・・・。

あなたは よどんでしまう
重たいし 暗いし
振り廻される・・・。
苦しいし 悲しい・・・。

本来の愛は
関係は
決して その種のものは
産み出さないという事を
憶えておくといい。

それはきっと
なにか違うものだ・・・。







明日の人間物語の
メール講座を どうぞお楽しみに 












★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 341★

2007-08-23 10:36:45 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO30 ◇




彼は 
愛する人に
去られたくないと言う
幼ない頃に 体験した恐怖から
身を守る為に

彼の 奥さんが
死んでしまった時の
未来のことまで考える始末だった・・・。

その
未来で
いかに自分が 傷つかない様に
なるかと いった事まで
考えているから 
勿論 無意識にだよ。

だから 奥さんを 心底から
愛せなかった。

もしも 心底 愛してしまったら
彼女が 絶対に死なないなんて
誰が 言い切れる。

遅かれ 早やかれ
死は 必らずやってくる。


もしも
そうなってしまったら
彼女が 死んだ時に

あの
遠い過去にした
悲しく辛い思いが
甦がえってしまうと
考えていたからだ・・・。

そんな思いを 
二度としない為には

心底から 彼女を愛さなければ
彼女が 居なくなっても
耐えられるという思いを 基にして
生きてきてしまっていた・・・。

何も 
これは奥さんにだけじゃない。

今までに出逢った
女性達にも 同様に

別れでいかに 
自分だけが
傷つかない様に
苦しさ 辛さに 耐える事が
出来るか という思いの基に
愛していた。

だが 
そんな事をすれば
決して 満たされない。


彼は 満たされたいのに
人が満たしてくる事を 許さない。

そんな彼が
次から次に
相手を変えて行ったのは
自然な結果だ。

これはなにも
彼だけの事でなく
世の多くの人に起っている。



世の多くの
人の愛は 彼同様
自分を 守るという所から出発している。

自分だけは
傷つきたくないと言う思いが
必らず 心の奥底にある。

それを持ったまま
愛の中へ 関係の中へと
入って行く。

あなたも 
同じだ
彼と どこも変わらない。

今や 
世の中から
愛は 消え去ってしまった・・・。



私は 
その愛を 復活させたい。
それも まずはあなた自身の中に・・・。

彼の一番の
恐怖であった

愛する人に去られた時の
悲しさ 苦しさが
どうして 生み出され続けてしまうのかを
更に解かり易く
説明すると

それはこうなる

彼は 
自分を守りながら
愛の中へ入って行った為に
誰も 愛してはいなかった。

彼は 
自分を 守れているつもりでいても

心底で
誰も愛さないままに
共に暮した奥さんが
もしも死んでしまったら

彼は
自分を守れるか?
傷つかなくて 済むか? といったら

そうじゃない
彼は 泣く・・・彼は傷つく。


その時になって 
始めて気づく
「 今日まで 自分は妻を一度も
愛していなかった 」と
いう事に気づく。
そして 悔いる。

それだけじゃない
その悔いを 一生持ったままで生きる・・・。

何故 泣きわめくのか?
何故 悔いるのか?

それは
今日まで 
彼は 自分を守るがあまり

一度として
その守りを といたことが 無かったからだ
その守りを とく事こそ
愛なのに・・・。
彼は それを知らない・・・。

彼は 愛と言うのは
もっと別な 何かだと

勘違いした観念を 持ってしまっている為に
彼に愛は 起こらない。

もしも 
その守りを といていたら
100%守りなど とけていたら



彼は 悔いやしない。
自分の守りが 全面的に とけていたら
彼は “ここ”に居られる。

“今”に “現在”に 居続けられる。
先の事など 考えない。

今に
現在に
全面的に溶けさって

それと
ひとつに
そのものに 成っている状態の時

そこに 
未来も '過去も
入り込めない。

そんな
実体の無いものなど
入り込めようがない。

それは
あなたを 守った時に
入り込んでくるものだ・・・。

守りの 全面解放こそ
すべてを かけた愛だ!

もしも
彼の愛が 
ここまでの ものであったら
悔いる必要はない。


なんら
悔いずに「さようなら」を言ってあげられる。

だが 
世の多くの人達はそうじゃない。

だから
人の死が あんなにまで
冷たく 暗く 悲しい 雰囲気を持っている。

それは いかに 生前
皆が その人の事を
愛していなかったかを 物語っている。

そこで 
泣いたり
悔んだり 
悲しさを 押し殺している人だって勿論の事。

そんな人達は
いかに その人の事を
日常の中で 愛して いなかったかに気づき

それに なげいている
それに 悔いている

そのなげきは
死んだ人の 身近かな人であれば
あるほど 大きい。

だって 
そんなに 身近かな人ですら
自分は 愛していなかったと言う事に
気づかされてしまう。


当然
もっと こうすれば 良かった
あの時 こうしていれば 良かったが
次から 次に生まれ出てくる

その事に対しての嘆きだ
自分の いたらなさに 
対しての 嘆きだ。

自分の為に
泣いている

だが 
本当に愛しきった人は 違う
常に 今ここに在り続けた人は 違う。

その 死んだ妻が
満ちたりて 去った事を
知っているからだ。

彼は 
静かに満たされた気持で
その妻を 送ってあげられる。

そして
そんな人なら
彼女は 彼女自身が

何十年か前に 出てきた所に
再び 帰って行っただけだと
いう事まで知っている。

それは 
悲しい事じゃない
嬉しいことでもない。

それは
大した事じゃない
元に戻っただけだ。

だって 
元々は
彼女だけじゃない
あなただって 居なかったんだよ。

それに
本当は 今だって誰も
いた事なんて 無いんだよ・・・。

そして
これは 男女の恋愛関係の
別離の場合も 同じだし

夫婦の
離婚の際も
子供が 成長して
親から離れて行く場合にも
同じ事が言える。

すべてが 
終ってしまっているのに

あなたの中で
あらゆる物事を 
生かし続けているが為に
あなたは 愛せない。
それが 
今のあなただ。




彼は
そのあと全ての事が 終って
もう 今は無くなっている事に気づき

その すべてに対して
「ありがとう」と
そして 「さよなら」を言った。

その “ありがとう” は
彼の あらゆる苦しさ
辛さに対してのものだ。

何故なら
その すべてがあったから
彼は 悩み 苦しみ

その結果
此処に辿り着けた。

彼自身が
ここまで歩んで来たんじゃない
あらゆる苦しみが あらゆる悩みが
彼をここまで 連れて来てくれた。

もはや 悩みや苦しみは
敵じゃない。

むしろ
それは友達だ。
それは ここに至る 素敵な
乗り物だった。

だがもう
その乗り物も
後にする時が来ている。



彼が“さよなら”を言ったのは
それら すべてが
もう終ってしまって
今は 無くなっているものだと言う事を
理解したからだった。

この何十年の間
無いものを 
必死で生かしていた彼は

無いものを
ちゃんと 無くさせて上げた。

それが
“さよなら”の意味だ。

今迄の彼は 
ここまでの事を
理解したと同時に
消え去ってしまっていた。




彼は”空”の領域へと旅立っていった。
彼は”空”の領域へと入っていったからだ。

「空っぽ」「一枚の真白な紙」
「純粋な空間」に
彼は 達してしまっていた。
その中に 
溶け去ってしまった。 






それでは 
明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに 












★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 340★

2007-08-22 10:59:54 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO29 ◇





やっと 
そこに辿り着いた 彼は語る・・・。


「 私は 自分がまだ
幼なかった頃から
今迄 人を愛する事が出来ずに
育ってきてしまっていた。

今日まで出逢った
最初の女性
そして妻
最後の彼女と
勿論その他にも 多くの女性と 
出逢ってきたが

この三人だけは 自分でも本当に
愛していたと思い込んでいたが
そうではなかった・・・。

本当は 誰一人として
心底から 愛した人は
いなかった。

私は 
幼ない頃に
母を亡くしている。

とても 愛していた母が
その頃の 私のすべてだった。
その母が亡くなった事への
悲しさを境にして
それまで以上に
それ以降の 人への接し方は
必らず 一歩間合をあけての
接し方に変っていた。

そして 
それは年が経てば 経つほど
奥深い所で
自分を守る様になっていった。

だが 
その事 自体に
私自身も気づかず
なにか自然に
私の 知らないところで
自動的に
ある機能が 働いてしまうと
いった感覚だった。

だから 
自分が 淋しくて
自分の為に 愛する 女性に 対してさえ

自分では 心を開いているつもりなのに
ちゃんと計算して
一歩 問合を 開けて
奥深い所で
自分を 守っていた 愛だった。






その事実が
うすうす見え始めてきたのは
結婚して何年か 経ったときだ。

妻さえ 愛していない自分に気づいて
随分と 自分が 惨めに思えた。

あんなに 執拗に迫って
一諸に 成った筈の 妻さえ
自分は 愛していない。

だが 
私は それに 
目を背け続けていた。

その結果
自分が 妻を
愛せない事を
妻の 責任にしてしまい
次なる 女性を 愛した。

だが 
この女性も 本当のところ
自分は 愛していなかったんだと
今は ハッキリと気づいた。

その女性が 私の前から
身を引く様に 去った時

私は 
私の前から
去った部分だけを見て

私の中で 
自分は被害者で
彼女が 加害者だと見てしまっていて
自分の 気持の中で 
いつか思い知らせてやるとか
絶対に許さないといった
逆恨みに 近い 思いを
平気で 産み出してしまっていた。

ところが
その彼女が 
そうしなければ
ならない様にしたのは
自分なんだと言う事には
まったく 気づいていなかった。

私自身が 
彼女を 加害者に
仕向けておいて
そうした 彼女を 憎んで居た。

むしろ 本当の加害者は
私だった・・・。

そして
それは 今日まで出逢った
すべての 女性にそうであった。

自分自身は 
愛してもいず
相手に自分を愛する事ばかり
望んで歩いて来ていた。

相手には 正真証明の 愛を望み。
自分は 一歩間合を おいての 
作り物の愛で
愛している ふりをする
相手が どう出て来ても
自分だけは 傷つかない為に・・・。

そして
自分が 一歩間合を おいている為に
どんな人にも
私の事を 愛することは
不可能だった。

相手に 自分の
本当のところを
愛することさえ
許しては いなかった。

それは 
私 自身に 原因があった。

幼ない頃に
愛する 自分の 全てだった 
母が 亡くなって以来

あの
孤児院時代
面会に来てくれた父に対して

やっと 心を開くと
再び 辛い別れが有る
そんな思いを
何度もして以来

自分が
愛した人に 去られてしまう
悲しさ 苦しさを
二度と 
味わいたく無いと言った思いが
恐怖心が・・・。

愛すれば 愛するほど
同時に 内側で 育ってしまっていた。
それはもう
私自身の 愛においての
ひとつの 癖の様に 成ってしまっていて
内側にしっかり
根をおろしてしまっていた。

だから
いつも いつも その癖は
愛の中で 自動的に
私の 知らない内に
その機能は 作動してしまう。

そして 
愛する人にさえ
奥底で 心を閉ざしたまま
接する 人間に成ってしまっていた。

ただ 自分だけが
傷つきたくない為に
自分を守ったままで
愛の中へ 関係の中へと入って行く。

これでは 自分が相手を
愛せない・・・。

自分が 相手に関れないだけでなく
相手にも同時に
本当の自分を
愛する事を許せない
本当の自分に関る事を
許せない

様するに
自分の手で 
相手に 自分を愛せなくさせている


自分で 相手に自分に
関らせない様に
させてしまっているくせに
そんな事には まったく気づけないで

勿論
相手にどんどん
愛を関ってくることを
要求してしまう。



だって 満たされないからだ。

だが
決っして どんな相手によっても
満たされる事はない。

それは 
当然の結果だった
私が 私を守ったままだからだ。

もう今は
あの幼ない頃に
母が亡くなったことも
孤児院での
何度となく 繰り返された父との
別離も・・・。

初恋も・・・。 
妻を愛していたつもりが
本当のところでは
愛さずに過ごし続けてきてしまった
緒婚生活も・・・。

全てが つい今しがたまでの
すべてが過去として
消えさってしまって
それらは 二度と帰る事のないものにも
拘わらず。

非のうちどころのない
完壁な 理想人間を目指しているが余り

私は 私の中で
それら全てに こだわったまま

なんとか そこから 抜け出そう
なんとか そんな人間では
無くなろうとしている事自体が

より内側で
それら全てを生かし続ける為の
努力に成ってしまっていて
自らの手で 自分をその中で
生かし統ける結果を
産み出してしまっているなどとは
まさか 思いもよらぬことだった・・・。


過去のすべて
それは ある意味では
私の存在基盤であった。

そこに腰かけて
私の支えとなっていた。

しかし
それらを 私の内側で 生かし続けていた為に
私は ずっと誰一人 愛せない人間でいた。




私が いつも 
あんな思いだけは
二度としたくないと
思う事によって

もう 終ってしまって
今は 無いものである過去から
恐怖を
私が勝手に産み出して
作り出していて
 
それと戦い統ける
生き方をしてきた為に
愛した人に去られ続ける
過去と同様の結果ばかりを
現在である(今)に 産み出し続けて
嘆いたり 苦しんだりして
ずっと 自分の手で
過去の中に生き続けていた 」




彼は 超能力者だ??
何故なら
彼は 素晴らしいことが出来る
秘術を持っているからだ。

絶対に出来えない不可能な事を
可能にしてしまう男だ。

その秘術とは
彼は 終ってしまって
ありも しない過去の中に住み
その過去の中で 暮らしている。

そして
その過去を 現在に
甦えらせる事までやってのけてしまう。


あなたは 超能力者に
憧れなくたっていい。

だって あなたは 既に
超能力者も 真っ青な事をやってのけているのだから。
いまや 世の中は 超能力者だらけだ。






それでは 
明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに 












★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 339★

2007-08-21 10:46:46 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO28 ◇



 
ようやく 
彼は そこに 帰りついた。

もう全て終って 消えて
無くなっている過去全体を
「ある」と 思い込んでいたところから
なくしたくないと言う不安を
同時に 作り出して

その不安を 消そうとする為の
一切の 行動が始まる。

行動すれば する程
不安を 消そうと 
努力すれば するほど

その不安は より大きくなってしまう。

その延長線上にいる限り
永久にその'不安の消える地点は
やってこない。

だって 
その不安自体 
無いものなのに
無い物を消そうとする事から
出来ない相談だ。


あなたと 
思い込んでいるものが
本当に 在るのか どうかを
良く 見てみる事・・・。

そんなものは どこにもない。

そうしたら
そのないものを 消そうとする 
その 行動自体が 
過去を よりリアルにし
過去の息を 吹き返えさせようとする。

それは 
あなたを
より その過去の中に
閉じ込め続ける結果を
生み出してしまう。

そして 
あなたが あなたを
過去に がんじがらめに する為の
その行動は
いつまでも いつまでも
あなたが 気づかない限ぎり
永遠に終る事はない。

これは
あなた自身が 仕掛けているトリックだ。


彼は ここまでの事実を 見抜いて
始めて 自分は 何ひとつ持ってはいないし
何ひとつ無い

ただの 
空っぽの空間になった。



今迄の
彼は死に
彼は すべてから開放され

新たに ただの空間として
誕生した。

その時
彼は 彼の命すら
自分のものなどでは ない事を
発見できた。

自分で
生かし続けている訳でもない我身・・・。

まさに 
何にかによって
生かされている・・・。

摂理によって
運動によって
自然の 大いなる法則によって。

宇宙によって
生かされている
我身を感じた時。

彼は 
始めて
呼吸が 出来ている事に
喜びを感じた。

それは 
とてつもなく
深い感動だった。

今迄
自分が 
生かしているものでもない
この命を 当然の様に感じて

まるで 
自分自身で生きていて
生きているのが 当り前の様に
錯覚していた日々・・・。

それどころか
自分自身で生きている訳でもない 我身を
一体 どうやって生きて行くべきかと
悩み 苦しんでいた一切の日々に

彼は この時点で
始めて別れを 告げる事が出来た。



そして 
もしも 彼同様に
あなたが 愛で傷つき
苦しんでいるのなら

もう 
あなたは愛で傷つき
もがき苦しむ必要はない。

それは
ただひとつ
あなたの 愛の成長が 必要なだけだ。

あなたの愛自体の 成長だけが
その苦しさから
あなたを 救い出してくれる。

その愛の
対象者を憎んだり
あるいは 助けを望んだりする事は
なんの役にも 立ちはしない。

愛(関係)は
何も 男女の間だけに
有るものじゃない。

夫婦 親子 
恋人間だけのものじゃない。

男の人と 男の人
女の人と 女の人と 言う様に
あなたが 生きる以上
あなたは あらゆる人との関係の中にある。

そして 
あなたの特別視している
親子間 恋人間 夫婦間の
愛(関係)は
あなたと 人との関係の
集大成にあたる。


だから
ひとたび
その愛を 関係を
覗き込む事が出来たなら
その関係を 成長させる事が出来る。

愛を 
人との関係の集大成を
ひとたび 覗きこむ事によって
すべての 関係の成長が起こる。

夫婦関係 親子関係 恋人関係と
この関係は 愛は
ちょうど 関係(愛)の 中心だ。

木で
例えるならば
それは 幹の部分にあたる
そして 普通視している人々との
関係は 枝にあたる。

枝よりも
幹の方が根に近い。

愛の 
関係の 成長は 根にある
だから それほど幹である愛を
覗き込む事は 必要だ。

そして
それを覗き込まなければ
いけなくなるぐらいまでに 

人は 多くの愛を体験し
こっぴどく打ちひしがれて
それ以上 先には進めなくなった時に
始めて 帰路につく。

外側から 内側へと
外面から 内面へと
歩む方向を切り変える・・・。

根に向い出す。
その根に 辿り着いた時にこそ
すべての関係(愛)の成長がある。
彼は やっと そこまで歩んで来た。




それでは 
明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに 













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 338★

2007-08-20 13:55:22 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO27 ◇





あなたは 
もう 既に
今は無くなっているものの中に
生きている・・・。

過去の中に生きるとは
そう言う事だ。

無いものの中になど
どうして 生きる事が出来る
それは 不可能だ。

だが 
あなたは その不可能をしている。
あなたは 今日まで死んでいた
生きては いなかった。

何故なら
過去とは 
死んでいるものだ。

その中に生きる あなたも
当然,死んでいる。

あなたは 今日まで
うす暗い 墓場の中で
もう死んでしまった過去と
共にあった。
それは とてもじゃないが
生きているとは 言いがたい。

そんな姿が 
あなたが あなたと思い込んで
歩き続けてきた「俺」であり「自分」と
呼んでいたものだ。

そんな「俺」を そんな「自分」を
後にしなさい。

それは あなたなんかじゃない。
第一 「俺」とか 
「自分」と呼べるものなど
この世に存在した事など
今だ 一度もない。

何故なら
あなたが「俺」と
指し示めそうとした瞬間に・・・。

あなたのやった事は
過去という時間の中に
すべり込んで行ってしまう。

あなたなど
今まで 1度も居た事など無かった。
それは あなたが過去と
一体と 成っている間は ずっとそうだ。

そうして
生き続ける限り
肉体の誕生を済ませただけで
本来の あなたの誕生をしないままに
あなたは 消え去る。



そして 
そんな あなたに
「生」を 味わう事は 
まず不可能だ。

過去を 
あなたの中で
生かし続けられていると
あなた一人が 勝手に思い込んで生きる。

そんなあなたには
生を味わう事ができない。

何故なら
その過去の中には
様々な事が 含まれている。

あなたが 
そんなに 
過去に すがって
過去を 手放せないでいるのは

例えば
未来を より間違いの
無いものにして 行く為に
あなたが 過去を使っているからだ。



未来に 
過去を照らし合わせ
その過去を 物事の判断基準に使う。

過去して来て 
良い結果を
得られて来た事と
似かよっているものは
やって。
 
悪い結果しか
得ていない事は やらない
こうなったら あなたは
未来を全部 過去にして行ってしまう
そして あなたの描いている
未来の 大黒柱は
過去から 投影されている。

例えば
過去 あれほど
嫌な思いを した事を
二度と 味わいたくないと思い
未来を あなた流に
作り出している。

それだって 過去を生かし続けて
いつまでも いつまでも
その過去と戦い続けて
あなたは ほんの一時も 
休息を 取れない。

そして
いつか あなたは 
息切れをして 負けてしまう。


あなたの負けは 
既に 決まっている。

それが 早いか 遅いかの
違いに すぎない。

それに第一
あなたは 既に
無くなっているものと
戦っている。

あなたが 勝手に「ある」と
思い込んでいる為に
造り出されている恐怖から
逃げる為の 未来・・・。

それは 馬鹿馬鹿しい 生だ
だから そんな あなたに
未来などない。

この事実に
気づかなければ
あなたは ずっと墓場の中だ。

折角 
この世に「生」を受けたのに
あなたは 産まれず仕舞いで
死んで行く・・・。

目を覚ましてごらん。
過去は すでに消えて 無くなっている。

未来は まだ来ていない。
何ひとつ 気にかける 
必要のあるものなど 無いのだよ。

過去 
そして未来
人は このどちらも 
気にかける必要など 無い事を知り

その上で 
その どちらも人には
味わう事など 不可能だという事を知る。

そのどちらにも
私達が 生きられる場所は無いし 
そのどちらにも
私達が 生きる事は
不可能だという事を知りなさい。

これは 事実だ。


人は「今」という 
時の流れなどに
振り回されない中に 
生きている。

その中に 
帰って来る事だ。

そこに 
波長を合わせてごらん。

そこ だけでいい。
他の 一切になんて
かまう必要は無い。

あらためて「今」の中に生きろなんて
言っていない。

一生懸命 今に生きろなんて
言ってはいない。
ちゃんと すでにもう
その今の中に 生きている
本来の あなた自身に
帰っておいでと 言っているんだ。
その事実に気が付いてごらんと言っているんだ。

感受性に
磨きをかけて
感受性を研ぎ澄ましてごらん。

豊かな感受性が無ければ 
私達が唯一生きられる場所である
その「 今 」という場所を感じ取ることは出来ないし
知覚することが出来ない。

そして
中途半端な 感受性は 
あなたの内面をズタズタにしてしまい
あなたを苦しめ傷つけてしまうことになりかねない

けれども全てを射抜いてしまい
あらゆる物事の 向こう側にまで
突き抜けてしまうくらいの
豊かに磨き抜かれた感受性は 

あなたの人生の灯りとなって
足元を照らし出してくれるものだ。




私の処は
その感受性の磨き方と
心の目を養うことを 
皆が学んでいる所でしかない・・・。

そして
あなたの内側に
真理に至る階段を、
道を、見い出して貰おうとしている所でしかない・・・。 





それでは 
明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに 











★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 337★

2007-08-19 14:12:20 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO26 ◇



☆はるかなる知恵への目覚め

(本性の誕生・愛を超えた愛との出逢い 
        すべてとの出逢い それが愛)




続いて 
第四の段階に
彼は 気づくことになる。

彼は 
今日まで避け続けて来た
たった一人になって
自身を 見つめる事を決意した。

彼は 三段階目の
事実に気づいた後

必然的に
何故 そんな事を続けて来たのか
もっと深く見つめる為に
自分の心の中を覗き込んでいた。

今や 
彼は 誰の所為にも
何の所為にも
しなくなる地点まで 歩き切っていた。
人の所為にしたり
何かの 所為にしたりする事は
余計問題を 解き難くし

その問題から
自分が 目を そらす為のトリックを
自分に 仕掛けている事を
知ってしまっていた。

彼は 自然に そんな事までが
見通せるまでに 成長を遂げていた。

そんな彼が 
究極の知恵に至った
きっかけは 都内を走る山手線の中で起った。

彼は この きっかけが 訪れるまで
まる 三日の間 自分の心の中を
覗き込む事だけ 試みていた。

そこで 彼は 
とうとう ものの見事に
ある事実を発見した。

彼が 他人より自分の妻に
あたったり
我がままを言ったり
自分勝手が出来ていたのは
何故だったのかを発見した。

彼は 最も奥深い所で
奥さんを 自分のものだと 思い込んでいた。

自分の物と言うのは
自分の自由に
思い通りにならなければ 腹が立つものだ。
人じゃない 
まるで物扱いして来た日々
それは 自分の憂さ晴らしの道具だった。

それは 奥さんだけじゃない
いつかしら からじゃない
ずっと そうだった・・・。

自分が生まれた頃から
自分以外の人は 物同然だった。

道具同然の様にしか 見ていず
扱かっていない自分の姿を
はっきりと見た。

妻を自分のものだと
思い込んでいたところから
あたったり 我がままをしたり
随分 ひどい事が出来ていた。



彼は 世の中に
たった1人で 出て来た
この たった1人きりと言う感覚は
私達にとって 一生涯 付きまとう不安感だ。

この 1人という感覚を消す為に
この 不安から逃げる為に
様々な事をして 
人に好かれ 誰からも嫌われまいとして
1人と言う不安を
消し去ろうとする。

だが その不安からは 
逃がれられない。


今度は 様々な物を
自分の物だと思い込む事によって
やはり この不安から
逃げ様として生きている。

彼は この事実に出くわした
そして 更に進んだ。

「 今まで一生懸命に 掻き集めてきた金銭を
私の物だと 思い込んでいたが
こうして 仕事も出来なくなると
全部 吐き出さなければ いけない
私の自由などには ならない。
今まで 自分のものだと思って来た会社も無くした。
やはり 会社も 私の物 私の自由に
永遠になっている事など 不可能だ。
うまく物事が 進んでいた時は 確かに
そんな感覚を 与えてはくれた。
だが あれは錯覚でしかなかった。

もっとも
当り前の様に思えていて 余り
自分がそう思っている事さえ
忘れてしまっていた 妻の事も 
やはり 自分の物などでは無い。

何故なら
私と 同じ様に 私以外の人を
好きになる事だって 出来るし離婚もできる。

それに
私 以上に 妻を 幸福に出来る人間は
世の中に沢山居る。



例えば 私が死んで 
彼女が再婚して
私との結婚など以上に
幸福になれる可能性は 沢山有る。

それに
私との 結婚生活を思い出として
1人で生きて行ったとして
果して幸福だろうか・・・?
今までは むしろ そうして欲しいと
願っていたが・・・。

それは
私が死んでも
私の物を無くしたくないと言う
私の エゴからの 願いでしかなかった。

そして
今日までの生活の中で
自分は 妻を食べさせているのだから
自分が死んだら
妻の生活が困ると
それを 私自身が生きている
存在理由にしていたが

それは 
事実では無かった
勿論 何年かの間は 大変だろう。

だが 
妻は 自分自身の力で
今迄 やったことの無い事を
やりとげる事のできる自分を
発見できる可能性だって有る。


むしろ 
一時的に彼女を悲しませる事に
成るかも知れないが
私の死は 彼女の成長を
進めるものとなる。

私の 今まで生きていた意味は
いつも 妻の成長を止める事でしかなかった。

それは 目先の 上辺の
愛でしかなかった。

私は 今まで生きて来て
妻や 私の係わる全ての人々に
トラブルしか 与えてはいなかった。

むしろ 今までの私は 居ない方が
トラブルは消え
周囲のものは ずっと楽になる事を知った。
私の生は その程度の ものでしかなかった 」




彼の発見した事は 事実だ。

本来
すべての人間の生には
なんの意味や
なんの理由もない。

たまたま あなたは 生まれて来てしまった。

あなたが 生まれて来なければ 
いけなかった理由や意味など
何ひとつ無い。
私は 無意味で
何も無いと 言っているんであって
あなたが生まれてこない方が
良かったと言っているんじゃない。

どっちでも無いと 言っている。
それを とても聞こえにくく感じているのなら
それは あなたが「自分は居た方がいいんだ」と
思っているからだ。

今 ここに 
こうして生きている
私も あなたも 全ての人が

ここに 
こうしている為の
存在理由を
私も あなたも 
自分自身の内側には
持っていない。

それにも かかわらず
「こうしなければいけない」とか
「こうする為に 生まれて来た」と言った
一斉の理由は 全部
あなたが
勝手につけた 理屈であって
真実じゃない。

彼も 
そして全ての人も
自分の 存在理由なしで 生きるのが
心細く 不安な為に
色々な意味づけ
理由づけをする・・・。

だが 
そうして生きていたから
今迄の 彼は 居ない方が良かった。

それは トラブルを 
撒き散らしてしか 生きていない。

そして
その事実を見た時に 
初めて 生きている理由や 
意味づけを 持たずに生きる事ができる

ここで 
初めて
居てもいいし 居なくても良い
どちらでも 良い質の人になれる

世の中に 
生きていた方が 良い人など
1人も居ない。

良くて どちらでもない人に
成れるだけだ。


にもかかわらず
「俺はいた方が良い」と 思っている人は
トラブルしか 巻き起こせない。

そうしている以上
あなたは 居ない方が
トラブルは起こらない。

あなたが 自分の事を
「自分は 生きていた方が 良いんだ」
と思っていると・・・。
事実は 調度 その逆で
「あなたは 世の中に 居ない方が
良い人間に成っている」と
言った事実を伝えたい。


だが 
これ程
認めがたい問題は 他に無い。


あなたも
自分が 世の中から 
居なくなった方がいい。

或いは
自分が生きていなければ
いけないといった
明確な存在理由は 無いなんてことは
認めたくもないだろう・・・。

彼も そうだった。

何故なら
もしも 
そんな物を認めてしまったら
今までの 自分が 崩れてしまう。

今日まで やってきた
すべての事が
水の泡に 成ってしまうからだ。

遥か 遠い昔
あなたの 小さい頃から 生きてきた
生き方全体が 崩れてしまう。

それでも 彼は
この自分自身が 崩れてしまうと言う
恐怖の中に入っていった。

そして彼は 
その恐怖を
乗り起えてしまった。



まず彼は 
自分が今まで
「俺は」とか 
「私は」とか 
「自分は」とかで 指していたのは
一体 どこを指して そう言ったり
思ったりしていたのかを 見た。

彼は 
彼自身の体を指して
そう言っていた訳では無い。

今 やっている事を 
指してでも無い。
それでは 一体 何だったのかと

更に深く 
覗き込んで見た時に
気づいた事は

生まれてから 
今日までの 
自分のして来た 一切の
経験を指して
「自分」や「俺」や「私」と言っていた。

そして それらを 自分であると
思い込んで生きてきていた。

その「自分」と
思い込んでいる
生まれてから 今日までの全てを
無くしたくなかった。

それが 無くなってしまったら
自分までもが 無くなってしまうと
言うところから
恐怖感が 生まれていた。

だが 
その恐怖感は
彼が 勝手に作り出していたものだ。

何故なら
彼が「俺」とか 
「私」とかで 指していた
生まれてから 今日までの全ての
歩み全体は もう過去だ。

過去と言うものは 
もう終ってしまって
消えて無い。

二度と 戻ってなど来ないものだ
その無いものを
無くしたくないと 思い込んでいた。

もう無いものなど
どうして
無くす事など出来るだろう?


それは 
不可能だ。

もしも 
それが「まだある」などと
言いたい人は
良く聞いてほしい。

それは あなたの思い込みがあるだけだ。
それは あなたの記憶が残っているだけだ。

記憶は 現実じゃない。

もしも 
それを あなたと 思っているとしたら

あなたは
一生 過去の中に 生きる。

あなたは
一生涯 過ぎ去った
記憶の中に生き続ける事になってしまう。







それでは 
今日は この辺で終わりにしたいと思います。
明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに