この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 27★

2006-06-30 11:45:54 | Weblog


◇ 風の様に在る道8 ◇


生は
もっと 奥深い
もっと 神秘的だ。

それを知る為には
二つに区分されている
この二次元の間を
運動する事によって

やがて あなたは
その相反する二次元とも
後にする事が 出来る様になる。

そして
さらに運動を続けて行くと
その運動は 物事への深い理解を与える。

それ自体が
良いか 悪いか 
などと言う理解じゃない

その二つの間を
運動している間に
出くわす全ての物事に対する理解を
あなたに 与えてくれる

そうなって
始めて 
あなたは 生と出逢える。

必要としなくなった運動は
どんどん落ちて行き
必要とする運動が 次々に現われる。

成長につぐ成長
真空は 活き活きとし死なない
常に流れ続けている 生き続けている
生と死を繰り返し続けている。

だから
常に 新たなる
真空さがある
この成長こそ無限だ

どこまでも
どこまでも広がる一方だ
それは 宇宙の様に果てしない
無限の広がりを持っている。

新しきものに出くわし
古きものを後にする。

次の瞬間
その新しきものは 古きものとなり死ぬ
息を引き取る 消え去る。

そして
新しきものと出逢う
毎瞬 これが繰り返されている。
この連続こそ生だ。

何かに
ぶら下がったり
一緒くたに 成っている暇なんて無い。
それが無限の成長だよ。

真空状態の中を
生は 通り抜けて行く
その生に 波長を合わせること。

ただし
真空状態の中しか
生は通り抜けられない。

あなたの
内側に 何かしら
ちょっとしたものでも有れば
もう 生を あなたは味わえない。

生は 
流れ続けて来るけど
それは あなたの直ぐ脇を通り過ぎて行く
あなたは それに気づかない

あなたの内側が 
真空状態となり その内側を 
生が通過し続けている時にだけ あなたに成長がある


それは
やっぱり いつも言っている通り
あなたが 居なくなった時だろうね
あなたが 消え去った時だ・・・。



そして
それには最大のコツがひとつだけある
毎瞬 あなたが死に続けられる事だ。


本当は 
生と死を
毎瞬味わえる事だと言いたいけれど

例えば あなたが20歳なら
あなたは20年間 生きても来たけれど
既に20年間 死んで来てもいるんだよ。
何も あなたは最後に まとめて死ぬんじゃない。
それまでの間も ずっと死に続けてもいるんだ。
生きて来ている自覚は有っても 死んで来ている自覚は無い 

あなたは いつも
何かを 生かしっぱなしで
生の方だけは しっかりと握り続けているから

毎瞬 
死ねる事だよ
毎瞬 壊し続けられる事。

毎瞬
死んでいる事に
気づき続けられる事


この気づきが
有りもしない思考や感情を
壊してくれることになる
「あっ・・・これって さっきのだ」ってね

たったの
それだけで既に無くなっているものを
ちゃんと無くしてくれるし 死なせてくれる。

あなたの中に真空地帯を
産まれさせてくれる。

嫌 そうじゃない
あなたの中に毎瞬 産まれ続けている
真空地帯に気づいて上げられる。

そこにこそ
新たな生は降り立ち続けているのだから
それを感知できること。




そうじゃないと
新たなる生が 入って来れないじゃないか

それが 
出来ないでいるから
悩みは 生まれるし
恐怖も生まれて来てしまう。

なぜ恐がる?
無くなったものを・・・
既に無くなっているものを
ちゃんと“無くなっている”と自覚することは
ちっとも恐いことではない。

だって事実に対立したら
あらゆるものが恐くなってしまうよ。
あなたの恐怖は あなたの手で作り出しているんだ・・・。

死は恐くない
死は誕生でも在ることを
あなたが生きている内に簡単にレッスン出来る。

それが出来ないから
あなたは 活き活きとせずに
どんよりした 曇り空の様に 成ってしまう。

死の恐怖から解放されて歩く生
何の囚われも無くなってしまった生
そんな生を あなたにも ぜひ味合わせてあげたい。

あなたは
見事に晴れ渡った
生 そのものに成ってしまう・・・。




何であれ 
あなたが ひとたび

何かに 囚われたりして
そのことについて 考え出した途端に
あなたは あなた独自の世界観を 持ってしまい

その 
あなた独自の世界観で
ものを見始めれば

次々に 
囚われを産み出し続け
あなたには 何ひとつ
リアルな あるがままを
見られなくなってしまうからだ。

誰に対しても
どんなことに対しても
決っして 偏るべきじゃない

その偏りが
囚われを産み出してしまう。

もっと
運動が必要だ
反対の極へ行って ものを見てごらん
それが 逆に見える

すると
どちらに 囚われたり 偏ったりする事は
自已を 捻じ曲げてしまい

そんな あなたで歩いたなら
すべてが狂いだしてしまうという事実を
あなたは目にすることが出来る。


私は
そのあなたの世界観を
あなた自身が作り出さなくなる道を伝えたい

最終的には
その一点だけを伝えている。


だが
その一点だけを見つめても
今のあなたが それとは ほど遠い位置に有るのなら 
かえって その一点を見つめて歩く事は
あなたの障害となってしまう事に なりかねない

だから
私の言っている事にすら
捉われる必要はない。

それで
あなたが苦しくなって
しまうのならば

今はかえって
それから離れ出した方がいいだろう。


だが
それを機に
そこから あなたは あなたの生を
生き始めることだ。


この事にかぎらず
全てを あなたの意志で決定しだす。

全てだ
何ひとつ例外なく
あなたは あなたの意志だけで生き始める



すべて
自分の決めた事で歩き出す
すると エゴは その意志は太りに太る

やがて
その実は枝にしがみついては
いられなくなり一人でに 実の方から
地面にポトリと落ちて行く。

この地点にまで
今のあなたには
歩いてくる事が必要だ。

その地点で始めて
私の話しは 囚われる事なく
実感として聞きとれる。

実感で聞きとれたなら
頭で聞いている訳じゃないから
あなたの頭には こびりつかない。

あなたが
まだ理解できていないから
理解できるまでに成長していないから

それを頭で聞いてしまい
わからなくちゃいけないとした時に
あなたは 囚われだす。
それが頭に こびりつく。

もしも
実感で聞いたなら
その言葉は あなたの真空状態の中を
流れ通って消えてなくなる。
だから とらわれようがない。




エゴを 
自己意志を
太りに太らし
それ以上 大きくなりようがなくなり

大地に
エゴの方から ポロッと
落ちて行く地点まで
歩き切っておいで。

そして
あなたが帰えってくる
それまで私は待っているから。

そしたら私の話しは
きっと うっとおしくはなくなるよ。

悪魔のさけび声には聞こえない。


それは
通り抜けて行く
風と同じ様なものだろう・・・。






★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 26★

2006-06-29 11:26:24 | Weblog


◇ 風の様に在る道7 ◇



風は
時にはピッタリと
静止したままだ。

そして
時には優しく時には強く
時には嵐の様に荒々しく

そう言った
風を見て
人は 風を様々な印象で捉える。

だが
どれも間違いだ
風は 一時として
再び同じ吹き方など繰り返さない。

似た感じは有っても
それは微妙に異なっている
風を定義する事など不可能だ。

風は
誰の希望にそっている訳じゃない
誰に気をつかっている訳じゃない
誰の 命令を受けている訳でもない。

そして 
不思議なことに
風の意志でもない。

ただ
全面的に 任せていたら
そうなってしまった。

それは
風の所為じゃない

風の所為じゃないのに
風が それを自分の
所為だと考え始めたりしたら

そこには 過って有った
自由自在さが 消え失せてしまう
これこそ極悪だ!

あなたは 
ぎこちなくなってしまう
折角有った 自由自在さを
ぶち壊しにしてしまう。

これは
何ひとつとして
益を与えてはくれない。

むしろ
全てを破壊に導く。

決定的な違いは
良いも 悪いも
自らに 強要しないし

良い 悪いで
自らを 計らない事だ
そしたら 人にも 良い悪いで 
物を言って行かなくなる。

もしも
どうしても言いたい場合は
それを言う時に それは世間の中では間違って
いるなどと理屈をつけずに

「 それは 私にとっては 間違っています 」

と 正確に伝えることだ。

あなたにとって
都合が
悪くなるだけなのに

それをさも
世界の皆が都合悪くなる様な
言い方をして 人を捻じ曲げない事。

それは ひょっとしたら
あなたが 捻じ曲がっている証拠かも
知れないのだから。

良かろうが 
悪かろうが
人に自由を与えられる事だ。

それは
その人に成長を与えている事に
繋がるのだから

放っておくと言う感覚から
スタートしていい。

それは
やがて 放っておくと言う事すらも
傲慢だったことに
あなたが 気づける時がくる。

だって 
風の様になったら
放っておくと言う人さえも
そこには 居なくなると言う事だからだ。

何も無い 中身なし
以前は 内側に
思考やら感情が
有ったままの行動

それは
発散でしかないだろう
ところが 中身なしの空状態の運動

内側は
真空状態
そして 外側には運動がある。

その運動は
様々に変化する
そして その運動は
内側の真空さを成長させる運動だ。

その空は
より大きな空へと 成長する。

死なせない
より深みを与え
よりその真空を活き活きとさせる。

もしも 空状態で
運動まで止めてしまったら
そこに 活き活きさが無くなり

やがて
その空は
コップの水の様に腐ってくる。

それは
死んでしまう

それは
正という方向に
居っぱなしでは起こらない。

時には
悪と言われている方向にも
動いて行く事によってそれは起こる。

それは
悪だからなどと
理由をくっつけて
その道を歩いて行けないのは

あなたが
それは悪い事だと
解かっているからじゃない

あなたは
きっと 自分を
守っていたいだけで
その道を歩いていない。

あなたは
自分を理想的な人間として
置いておきたいだけなのかも知れない。

プラスと 
マイナスの
両極を動く事

正と 不正
良いと 悪い
道徳と 不道徳

世の中の
あらゆるものは
真二つに 分ける事で 区別しやすい様に

人々に 
受け入れられている
本来 そんなものは無いのに

互いの利益を
損ね合ってしまわない為に
互いの対立を少なくする為に

人間が
産み出した
作り出したトリックだ。

それは 
西洋の文化が生み出した
物事を単純化させる為に
二つに区分する二元論から発生している。

二元論とは
物事の本質を解釈したり
説明したりする為に 持ち入られて来た方法だ。

だが
人々はこの方法の中に
どっぷりと埋没してしまっている。

この
二元論に照らし合わせて
より 間違いのない生を 歩いて行こうとする。

だが 
この二元論は
あくまでも 物事を解釈する
ところまでしかいかない。

解釈というのは
知識となる
理解じゃない
解釈は 頭で知る。

理解と言うのは
身を 持って知る。
その 本質を味わう
その本質 そのものになる。

その中に入っていって
本質そのものとなった時
そこに理解が生じる。

解釈は
ブレーキにしかならない
それは 頭という介在がある為

間接的だ
あなたに成長はなく
どんどん痩せ細る・・・。

理解は 直接的だ
あなたに成長を与え 
どんどん 太らせる。

私は
理解を進めたいんであって
解釈じゃない。

解釈をすると
人はそれを 
知識として持ち歩く

頭で知っていて
知識が有効となっているのは
あなたが 理性を張り巡らしている時だけだ

だが
あなたに
問題が直面して来た時

張り巡らされていた理性は
どこかに消え去る ぶっ飛んでしまう。

勿論
知識なんて
その時には 出て来てくれない。

だから
あなたは 葛藤したり
苦しんだりしてしまう。

その問題が
アクシデントが起った時に
有効となるのは あくまでも理解の方だ。

あなたに どこまで
あらゆる物事に対して
解釈が 出来ているかじゃない

どこまで生を 
解釈しているかじゃない
どこまで 生に対する
知識を持っているかじゃない。

そんなものは
ガラクタ同然だ
どこまで 理解があるかだ

どこまで 
生そのものであるかだ
だから 二元論と言うのは

あなたに
抑圧と 知識を
与えるだけだと言うことを
知っておくことが必要だ。

解釈は 
何の役にも立たず
あなたを 振り回し
毒してしまう事になりかねない。

あなたに
より生とは縁遠い
まがい物の生を 与えてしまう。

生とは
そんなに単純じゃない
二つに区分する事など不可能だ。

世の中を
善と悪とで区分し
それに合わせて生きる

そんなのは 極悪だ・・・。
そんな事をしたら 生が怒るよ。
生は そんなに貧弱で 単調なんかじゃない。










★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 25★

2006-06-28 11:21:43 | Weblog



◇ 風の様に在る道6 ◇



あなたは
風を見た事があるだろうか
風は 目にする事はできない

吹きつけてくるのを
感じる事は出来ても
風を見ることは出来ない

吹かれているものを
目にする事は出来ても
あなたは 風自体を 目にする事は出来ない。

たしかに
風はそこにあるが
それを目にする事が出来ない。

もしも
そこに風と 
争うものが

何ひとつ
無かったら
風を見る事は出来ない・・・・・。

風は 無い
あなたがいると
風はある様に感じる

だが
あなたが 風と同じ速度で
逆らわずに流れたら

そこには
何も 無くなってしまう。

無風状態の時
風は一体 どこにあるのだろう
風は ちゃんと在る。

ピッタリと
止まったままではあるが
空として そこにある。

その空気こそ 
風になる
空気の動き それが風だ。

それは
一定の固まった
動き方などしない。

静止している時
そよそよと そよいでいる時
強くふきつける時

嵐の様に
荒々しく動く時と 
そこには自由自在な運動がある。

運動がないと
それは死んでしまう
澱んでしまう・・・。

そして
それによって生かされている
すべてのものも
連鎖反応で死んでしまう・・・。

それは
それ自体を生かす為の
運動だ どんなに優美なものでも

そこに運動がなく
固まっているとしたら
それは 作り物の様だ

それに何にかしら
死の臭いが 漂い
やがて それは絶えてしまう。

ここに
一杯のコップの水が有る
綺麗な水だ

今 
川の流れから
汲んで来たばかりの一杯の水

だが 
静止したまま
3日もたてば それは悪臭を放つ

あの時は
生きていた水が
今は腐って死んでいる。

運動の
必要性を物語っている。

もしも 
その水を 
こっちのコップから
あっちのコップと 作りだした動きでも
常に動かしていたら

その水は
死なない 暫くの間 活きる。

そして
もっと活かして上げる為には
川の流れに 自然の流れに その水を返す事だ。

それは
沢山の水と溶けあい
互いの生を流し込み合う。

それは
永遠に腐らない
死なない
生の 生自体の本流と流れあう時

あなたは 
永遠の中に
流れ込み始める。

そこは不死だ
その時こそ あなたは本当に生きる。
生と共にある 生自体になっている。




誤解しないで
欲しい事は
運動が無ければ 動きが無ければ

死を
もたらしてしまうことは
事実だが 私が最終的に言っている
運動と言うのは

何かを
紛らわす為に
行動している事を
言っているんじゃない。

落ち着きの
無さの原因を
静視しない為に

それを
紛らわせる為の
自分の恐さから出る行動を
言っているんじゃない。

それは
成長する過程において
必要だが そこで立ち止まらないこと。

最終的に
来て欲しいところは

あなたの
外側から受ける
受動的な感覚も
あなたの意志も消えさった後に起こる
運動を言っている

その運動は
あなたの生に豊かさを 深みを
活々さを与えてくれる。

風の様に 自由自在
まさに 風そのものの状態の生こそ
真理だという事を あなたに伝えたい。







★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 24★

2006-06-27 11:25:02 | Weblog


◇ 風の様に在る道5 ◇



人からの
どんな強要にも 構わない
はなっから 相手にしない

だって
風は 障害物を相手にして
そこにだけ吹き付けている訳じゃない。

それは
障害物の方で
勝手に自分だけに吹きつけている様な
感覚を持ってしまうだけだ。

障害物の方で
勝手に 風に戦いを挑んでいるだけだ。

だから 
障害物の声に
耳を傾ける必要などない。

もしも
そんな声に耳を傾けると
風は ノイローゼに 成ってしまい
風自体の動きまでもが 狂ってきてしまう。

違う
風は常に誰とも
戦ったりしていない・・・。

人から見たら
時には 悪魔の様に見えたり
様々な色に移り変わる。

だが
そんな事は
どうでもいい。

人に
どう見せる為に
あなたの生は 在る訳じゃない

優しく見えたり
冷たく見えたり
ピッタリと静止したままの
安らぎの中にあったり

自分でも
どうなるのか 解からない
それは 自分がしているわけじゃない。

ただ
いつも 良い人であったり
常に平静であることになんて
憧れなくていい。

そうなったら
人には良く見てもらえるかも知れない。

だから
あなたは
そんな状態をと願う。

だが
人に良く見られることが
あなたの生を豊かにする事は 有り得ない。

それは
ただ それだけで終わりで

そう 成ってしまえば
くだらない事を追いかけていた事を
あなたは 知ることだろう・・・。

時には
世の中の誰からも
相手にされなくなる位の勇気を持ちなさい。

時には
人から 悪魔と罵られる位の
勇気を持つことだ。

だが
決して
その状態で 固まれと言っているんじゃない。

そう
言ったものも
あなたの生を 
より豊かにする為の スパイスと成る。

より
深みのある 
生に入って行く薬となって

決して
毒には 成りはしない。

何をも
恐れない事

起ろうとしている事は
すべて起させてあげるがいい。

それが
たとえ どんな事だとしても
それを止め様とすることは不可能だ・・・。

物事は
必ず起り出せば
その完結を求める様にできている。

あなたが
生まれたら
必ず死ぬという様に。

その完結を
今の あなたにとって
都合が 悪いからといって
くい止めるという事は

それに
あなたが
戦いを挑んでしまった事になる。

それは
必ず あなたが負ける
負け 戦だ・・・。

ただ
負ける時期が
早いか遅いかの違いにすぎない。

そして
それだけでは
終わらせてくれない。

その間 
あなたは 
すべての生を
取り逃がすことになる・・・。









★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 23★

2006-06-26 11:03:14 | Weblog

◇ 風の様に在る道4 ◇




だが
いきなり
それは無理だ。

第一歩は
人から 一切離れる
人に 一切 構わないと
言うところへのスタートだ。

妻に 夫に 
彼に 彼女に
親に 子供に対して 

何ひとつ
望まない 強要しない。

そして
その逆に相手から
望んできた事にも
あなたが 気に入らなければ応えて上げない。

しかし
あなたの意志は まだ有る。

その
あなたの意志通りに
動き回ればいい。

それは
簡単な様で
ずいぶん自分勝手な様で

実のところ
非常に勇気のいることだ。

だって
都合の良い時は
自分の意志を使い

都合の悪い時には
人に頼るという様なことを
言っている訳じゃないからだ。

常に
自分の意志として動く。

人から
強要されて
人の為にではなく

そしたら
そこから生まれ出てくる
一切の責任も あなたが引き受けなくちゃいけない。

もしも
誰かの為に
誰かに好まれる様に歩いていると

そこに
生まれでる問題の責任も
誰かの影にかくれて
自分じゃ引き受けない・・・。

あなたは
「 俺は 私は 自分の意志で
こう動いたんじゃない
あの人が そう望んでいたからだ 」と

内側で 
スルリと 
逃げる事が出来る。

こういった事を
自分がしているのも
人に対して させてしまうのも

どちらも
本人に とっての成長は
まったく 無いだろう。

まずは
自分の意志のみで歩く
すると その意志で歩く事が

自分にとって
何を もたらすのかといった
重要な意味を あなたは 目の当たりにし始める。

歩くたびに
馬鹿さ加減を目にし

最終的には
その意志 そのものが
ポロリと落ちて行く・・・。

あなたが
投げ捨てるんじゃない
意志の方から 勝手にポロリと落ちる。

その時こそ
何の 囚われも無い
感覚が無い 意志が無い
意志を持たない


あなたは風だ 自由自在だ。




















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 22★

2006-06-23 14:09:30 | Weblog


◇ 風の様に在る道3 ◇



あなたの
意志で生きてごらん

そして
それが一体
どうなってしまうのかを 試してごらん

何を
もたらすのかを
見て来てごらん。


勿論
人からは
そっぽを向かれるよ

非難を 
浴びせられるよ
それは 非常に勇気のいる事だ

そして
何も得るものはない
それどころか むしろ無くす。

しかし 
成長はある
それは 無くし続ける道だ。

だが
いつか あなたは
晴れた空を 手にする事ができる!




あなたが
ここまでの勉強を
曲がりなりにもしてしまうと

自然に
以前よりも 
あなたには ものが見える。

その目で
もっとも 身近な人を見ている。

夫で
有ったら妻を

妻で
有ったら夫を

彼で
有ったら彼女を

彼女で
有ったら彼を

母で
有ったら子を

子で
有ったら母を

以前 以上に
深く見てとる事ができる。


すると
そこに あなたに 対する相手の
望みや 期待像までもが 見えてしまう。

夫の
望む妻

妻の
望む夫

彼の
望む彼女

彼女の
望む彼

母の
望む子供

子供の
望む母が

見えてくる・・・。

その期待像に
振り回されてはいけない。

その望みに
応えようとすると

最初の内は
ここまでの勉強をした人が
その望みに応えるのだから 最高にうまく行く。



だが
次第に それに応えている
あなたの負担となる。

あなたは
まるで相手の為に
生きているみたいに思えてきてしまう。

それでは
あなたは昔の
道に戻ってしまっている・・・。

もしも
あなたが
相手の望む あなた像に

自分を 
当て嵌めて
ピッタリ その像の様な人間に成れても

それは
その像を望んでいる人に
とってのみ 良い人問であって

別に
世の中で 
全体の中で
あなたが 良い人に 成れた訳じゃない。

すべての
人にとって
あなたが好ましい理想的な人に 成れた訳じゃない。


その次元にいると
当然 こちらを立てれば
あちらが 立たなくなる・・・。

人の望む
あなた像に 
成る様な そういった強要を
無理強いを 自分自身にする事をやめてごらん。

それは
馬鹿げている
それは 自分を作ってしまう事になる。

再び
あなたじゃない 
あなたを作り上げる・・・そして 生きる。

この世の中に
これこそ良い人間像です
などというものは 無い事を知りなさい。

ある人に
とっては良くても

ある人に
とっては良くない

ある
場所では良くても

他の
場所では悪い

これが
私達の生きている
世の中の構造だ。

その構造に
波長を合わせて
生きるのを やめてごらん。

それは
無理だ
そんなものを
手にする事は 出来ないと言う事に 気づくことだ。

そして
それらを 後にすることが

今の
あなたには
もっとも必要だ。

このことを
勉強したとしても
聖人君子になんて
ならなくても良い。

それは
誰か 対象者が有ると
そうなりたがる・・・。

人に
舞らされているんだ
誰かに好まれ様とする生き方を やめてごらん。

その
延長線上を歩けば
自分に対して 無理強いをしてしまう。


誰にも
好まれなくても
良いじゃないか

自分一人で
孤立してしまうかも知れない
それも 良いじゃないか・・・。

だって
あなたは その方が
ひとまとまりに 成れているよ。

誰かに
好まれる為に
自分に対して無理強いを
しながら生きて行く生・・・。

そして
内側では常にそれとは
相対する想いが 有る
こんな生は 極悪だ!

まるで
牢屋に ぶち込まれた
囚人みたいにして生きる。

あなたは決して
誰かの為になる様な
人間になる為に この世に生を受けた訳じゃない。

生とは
まるで意味なんてない
一切の意味なんて含まれていないんだよ。

ただ在る
ただ ただ在る。

それだけだ。


もしも
あなたが
生とは これこれこういう意味の
有るものだと感じたり 考えたりしていたら

それは
生を受けた後で
あなたが 勝手につけたものだ。

なんの意味もない生 
なんていうのを受け入れてしまったら

生甲斐やら 
頼れるものが
何も無くなってしまうという

あなたの心細さが
その意味を勝手に作り上げた。

馬鹿を 
言い成さんな
根本のところで
そうした意味付けをしているからこそ

あなたは
その意味付けに
従った生き方しか出来ないでいる

その意味付けに
縛られて苦しみ続けてしまう。




その
心細いという
感覚こそ 正道だ。
その心細さを誤魔化しては駄目だよ。

その心細さを
通り抜けた先に 何かが 有る。



だって
心なんか
実際には 無いのに
あなたは その心を保っていようとする。

それが
あなたと 
成ってしまっている。


その
あなたが
無くなった時にこそ
あなたは 初めて実体を持つ。




何も
意味が無いという事ほど
素晴らしい事はない。

だって
意味が無いのだから
凝り固まったりしない。

自由自在だ。

時には
西に向かい

時には
東に向かう

ある時は
南に向かい

ある時は
北に向かう
風の様なものだ。

風は
向かう方向が
自由自在だ。

それには
理屈があると思うかい?

風は
誰かの為に
向きを変えたり

誰かの為に
無風状態の様に
ピッタリと 止まったりしていると思うかい?

あの人が
こう望んでいるから
東に向かってやろうとしているのかい?

あなたが
泣いているから
可愛想で
風は向きを変えるかい?

そうじゃない
風には 感情なんてない
意志なんか無い。

私は
あなたに
風の様に自由で居てもらいたい。




★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 21★

2006-06-22 15:05:41 | Weblog



◇ 風の様に在る道2 ◇



そして
ここまでの事を
ひとたび理解 出来たら

あなたが
空(くう)を一度でも
味わった事が有るのなら


ひとつとして
自分に対して
人から物事を 強要させるべきじゃない

人から 
物事を強要されて
動いてはいけない

人からの
強要や 強制を
行動の原動力としてはいけない。

何故なら
それをすると
あなたが 二つに分かたれてしまうからだ。

自分の意志と
人からの 意志
当然 二つに分かたれてしまう。
ひとまとまりじゃない。

もしも
他からの 強要によって
あなたが 行動を起こすと
その行動を 取っている間

あなたは
何の意味もない生を
過ごしてしまう

だって
そうしている人は
内側で 自分の意志の方を
考えっぱなしだ・・・。

無駄な生を
過ごしてしまう

例え
その事が
誰が見ても
当然 悪い事でも

ここまでの事を 
ひとたび 理解した体験が
あなたに 有るなら

あなたの
考える意志の通りに
行動すべきだ。

良い 悪いではなく
あなたの意志の 向かうままに動く
そうした方が あなたは 活きている。

そうして
活きたまま
目を開いたまま
自分の意志で進み 苦しみ もがく。

最後には
その方向に
進めなくなり

その時
あなたは
誰の強要も受けずに

自分の
意志で
正道に帰ってくる
これが 成長だ・・・。



こうする事を
あなた自身に許せば
あなたは人にも その成長過程を許す事が出来る

頭の中で
先を見て
ブレーキをかける生き方など
ひとつの成長もないだろう。

それは
まだ 道徳や 理性において
ブレーキをかけたり

今までに
作り上げた自分が
壊れてしまうといった
 
恐怖心から出る 
自分を守りたいという考えから
あなたが 生きている事を 表わしている・・・。

そのままでは
あなたは 生きられない。

しだいに
あなたは どんよりとした
雲空の様に 成ってしまう・・・。




何をも恐れずに
自分にも 他人にも 
何の強要もせずに

求める事もせずに
歩き始めた時 
あなたは 初めて生に出逢える

その時
あなたは成長し
晴れ渡る 雲ひとつない 空の様に成れる。




そして
常にそんな歩き方だ。

一度 
そういう歩き方が
出来たからといって 満足してしまうと

再び 
あなたは
安心感のある 歩き方をする
上手くいったパターンを
無意識に持ち歩こうとする

すると
再び 生に出逢えず
どんよりとした
曇空に 成ってしまう。

常に
何をも恐れず
自分にも 他人にも
なんの強要も しない歩き方が 必要だ

自分の
やりたい事をする
歩きたい様に歩くと そこに成長がある。

間違った道を歩けば
その道が 間違いである事を
身をもって知る・・・成長だよ・・・。

自分で
覗き切った 間違った道は
あなたは 二度と再び歩かない。


人に
注意されて
途中でやめた間違いの体験は

何度となく 
間違えても あなたが 
注意をされて やめている限り
そこに 成長はない。

それどころか
再び その道を
歩きたくなる願望が 芽生える

その願望に
蓋をしてはダメだ
それは あなたの本性が
成長を望んでいる

再び
その間違いを
しない為に 自分の意志で

もう
進めなくなる所まで
進んで来させようと
あなたに成長を 促している。

だって
何故 それを したらいけないのかを
あなたは まだ身をもって知っていない。

それを
あなたが
頭で止めていたりしたら

一生 
あなたは
その行動を起こしてしまう可能性を
内側に持ったままで歩く・・・。

いつも
理性を
張り巡らさなければ いけない。

あなたの
内側では
一生 その問題と
睨めっこをし続ける。

理性を
張り巡らしている時
そこに 緊張感が生まれている

その
緊張状態から
解放されたい為の行動
ゆったりなどしていない

こんな状態での人生を・・・
こんな状態で歩き続ける人を・・・
果たして 生きていると言えるだろうか・・・?

そんな
状態でいる間中

あなたは 
永久的に脈々と
流れ続けて来ている 素敵な生を
味わう事を取り逃がし続ける・・・・。






だって 
こんなに素敵で爽やかな
香りを運ぶ風が吹いているのに

あなたは 
内側で 睨めっこをしている
なんて勿体無い事をしているのだろう・・・。

生は
そんな あなたになんか お構い無しで
あなたの直ぐ脇を 脈々と流れ続けている。






★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 20★

2006-06-21 11:21:53 | Weblog



◇ 風の様に在る道 ◇


生は まさに風の様に自由自在




以前 私が話した
カルマの話しを憶えているだろうか・・・?

あの ゴリラを例に出して
説明をした カルマの話しだ。

受け継いだものを
そっくり そのまま受け継がす。

そして
どうあがいても
そこから 抜け出す道はない。

あなたは 
受け継いだもの以外には 成れない
それ以外では 生きられない。

それ
以外では
生きられないのに
それ以外で生きようとする。

何か
他の者に成ろうとする。

そして
それが失敗に終ったり
思う様に進まなくなった時に 
あなたは悩む・・・。

まず最初に
勝ち目の有り得ない戦いに
出て行く事を 一旦やめる事だ。

何故
勝ち目の無い戦いに出て
行ってしまうのか・・・?

それは 
あなたが小さい頃から 今日まで 
外側の人々から 教わってしまった

こう 有るべきだとか
ああ 有るべきだとか
これが悪いとか
あれが良いという

理性や
道徳によって
あなたは あなたを作り
実際の自分が受け継いだものでの生を

悪いものだと見なし
その生を内側に
しまい込んでいるからだ・・・。

そして
誰よりも あなたが 
その内側の自分を 裁き続けているからだ。

受け継いだ
その生以外では 生きられない
あなたが それを裁く

何故
そんな必要が有るのだろう?

だって 
それは あなたが
そうしたんじゃないのに・・・。

もしも
あなたが その生を選んだなら
反省も 裁きも必要だけれど

それは
あなたが 選んだ訳じゃないのに
あなたは 受け継いだ生を 裁いて

内側
深く仕舞い込み
あなたじゃない あなたを作り・・・

それに
しがみ付いて
生きようとする。


まず
第一に 気がつかなければ
いけないことは

受け継いだ生を
内側に 仕舞い込む事を
している あなたは

他の誰よりも
あなた自身が一番
その生を 否定しているという事を
表している。

そして
その生を 隠す為に
作り上げた生・・・。

作り上げた
自分の根本は
受け継いだ生自体から
発生しているのだから

あなたは
一見 変っている様に見えても
それは 変っちゃいない。

あなたの親も 
そうして 生きた
同じ様に 生きた。

そして又
あなたの 親の 親も
その又 親も
あなたと 同じく

今の
あなた そのものの様に
内側に 受け継いだ生を隠し
その上に 作り物の自已を築き 生きた。

あなたも
その人達と
まったく同じ事をしているのに

あなたは
それを自分一人だけが
さも 始めて そうして生きている様に
受け取ってしまう。

そうして
生きるから
あなたは余計に
親 そっくりに 生きてしまうことを 知らない。

あなたが
親を嫌い
あんな親には
成るまいとする事が

余計に
親そっくりに成ってしまう。

だって
あなたの親も 
親に対して そう感じ

あんな親には 
成るまいとして 生きた結果が
あなたに 嫌われる親と成ってしまっている。

これは 悲劇だね・・・。

そればかりか 
あなたが 親と成り子供に
どう見られるかは 
既に 結果が出る前から 決っている。





まず
あなたが内側に
しまい込んでいる
受け継いだ生を 否定し
それ以外で生きようとしても

そんな事は
不可能だと言う事を 理解し

その上で 
今度は それは何も
あなたがしている訳じゃないという事を理解する。

あなたには
それ以外 出来ない様に
仕組まれている。

それは
あなたが した事じゃない。

これは
世の中の多くの人達に
起ってしまっている事だ。

あなたが
した事では 無いことに 対して
良いとか 悪いとかは 要らない。

その
良い人間だとか
悪い人間なんだとか

自分は 
良い事をしているんだとか
悪い事をしているんだという考え
自体が 邪魔なんだ。

それは
あなたのした事じゃない
流れ全体のしている事だ。

反省も
裁きも要らない
ただ 理解が必要だ。

覗き見る事が
必要とされている。

何故なら
自分が していると考え
良い 悪いと見なしたら

もう
それ以上
先を見る事が
不可能となってしまう。
事実を遠ざけてしまう事になる。

では この逆に
私じゃなかったから
良いんだ だけでは

あなたは 
その流れの中の
ひと流れになり
カルマの流れから
抜け出す事は 出来ない。

良い悪いは
あなたを途中で
固めてしまう
あなたは その二つを越えて
物を 見始めなければ成らない。

私の
本当の狙いは
あなたを あなた自身から
解'放することにある。

そこに本当の 
あなたの誕生がある。

だが
折角 誕生を 遂げても
再び あなたは あなたを作り

その作った 
あなたが 我ならぬ我が
牢屋と成り 誕生した あなたを
その中に 閉じ込めてしまっている。

何度も
何度も牢屋の中に
閉じ込めたり 誕生したりを繰り返してしまう。

その事実全体に
目を向けられる地点まで
あなたに 歩いて来て欲しい・・・。








★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 19★

2006-06-20 15:19:00 | Weblog


どうして
部分的では いけないのか
どうして全面的に認めなければ
役に立たないかを

イエスの
言葉を借りて 説明すると

イエスが 
何人かの弟子達を 連れて旅をしていた。

その旅の途中
ある お金持の屋敷を 
通りすぎようとすると

その屋敷の主が
イエスの一行を見つけて
召使いに 言いつけ
屋敷内に招き入れた。

そして
旅の疲れを癒した
イエスの一行が再び 旅を続けようと

身支度を
整えている時
その屋敷の主が イエスに言った

「 私を あなたの弟子にして下さい
もしも 願いを聞き入れて下されば
私は 私の今 持っているすべての財産の半分を
貧しき者達に ほどこします 」

それを聞いたイエスは…
イエスとは言わなかった?
首を縦には ふらなかった

「 何故半分なのか
あなたの 持っている すべてのものを
投げ打って 貧しき人達に与えられるなら
私は あなたを弟子にしょう 」

主は 
困ってしまった
そこまでのつもりは
無かったからだ・・・。

そうして
こう思った 

「 イエスという
この男は 何て事を言うんだろう
折角 私の持っている半分もを
失なおうという気でいるのに
今までは 半分だって そんな気にさえ成らなかった
それを この私が 折角 最大限に
こんなにも 考えて上げているのに
この男は 一体 何て事を言うんだろう
私の善意が伝わらない
こんな男の弟子になったところで 先が見えている 」

そう考え
その主は それを断ってしまった。

だって
それでは あんまりだ
半分までだったらいい

でも
全部だったら
今までの私が 私でなくなってしまう。

これが
あなた方の心と言うものだよ。


イエスは
今までの あなたなんか
消えて 無くなって欲しい

今までの
あなただったら
私の弟子になる事など
不可能だと言っている。

今までの
あなたで 有るから
苦しみや 悩みが生まれる。

それは
今までの あなただったら
必らず 生まれて来てしまう
悩みや 苦しみだから

まずは
一番の最初に
今までの あなたなど
無くなってしまう事が始まりだ。

にも拘らず
その最初の 第一歩が
一歩を踏み出せずに
半歩だとしたら・・・。

これはもう
話にならない。

半分までなら
捨てられると言うあなたが
今までのあなたの 人生全体に現れている。

それは
ずっと そうだった
あなたが まだ幼い頃からの歩き方だった。

ワンパターンだよ
もっとも重要な第一歩を
半歩しか踏み出さないあなたは
多分 ずっと そのままだろう・・・。

大切なのは
この一歩だ
なのに あなたは
半分は ちゃんと捨てたと言い張る。

そう
半分は確かに捨てたけど
残りの半分はどうした?

依然として
ちゃんと守っているじゃないか
そしたら それは自分を守っているという事に
関しちゃ以前と少しも変らない。

前の
まんまだ 
これでは あなたは
何にもしてないのと同じ事になる。

全部を
捨てられない限り
たとえ 90%を捨てられたとしても

それは同じだよ
守っているのには変りはない
私も あなたに 同じ事を要求する

あなたが 
もしも本当に
これに気づきたいのなら

「 ほとんど
間違っていた事は 認めたけれど
このひとつだけは 違います 」

なんて言うのは認めない。

100%だ
完全に全部だ
真実に対しての全面降伏だ・・・。

その時でなければ
私の言っている事など
あなたには 聞えないだろうし

私の
言っている事が
真実以外の何ものでもないことを

あなたは
実感として
捉える事は出来ないだろう。

実感で捉えることが出来なければ
あなたに 復活は 再生は起らないだろう。

いくら必死で こんな話しを 
頭の中に掻き集めたところで
あなたには 何も起きはしないだろう。

そんなことを したところで
知識として持ち歩き
人に話して優越感に浸る事が出来る程度だ。

私は あなたに
そんなものを伝えたいわけでは無いのに・・・・・。








★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 18★

2006-06-19 13:43:09 | Weblog




多くの人が
せっかく気づいた処から 滑り落ちてしまう
大きな原因のひとつは

すべてが
間違っていたと
気づいたにも 拘わらず

これだけは
そうじゃなかったと
思いたいものを引っぱり出して

それに
屁理屈をつけて
間違いを 間違いじゃなかったとしてしまう事にある。


それは
エゴの罠だよ。
自我の復活だ。

過去の中の
たった ひとつでも生かそうとすれば
すべてが 生き返ってしまい

自分の中で
収拾のつかない
かっての状態に戻してしまう。

茶筒の
内なる空間を
一杯にしてしまう
もう 大変な混乱だ・・・。
全てを ふりだしに戻してしまう。
ここは 苦しい・・・。

一度
空の深遠な安らぎを
味わった人なら誰もが
以前の状態に戻ってしまうと
とても深い渇きを憶えるものだ。




あなたが気づけたものは
ホンの 一握りのものにすぎない。

まだまだ
あなたを 縛るものが 
あなたの過去の中に山ほど有る。

ほんの
針の穴を
開けた程度に すぎないという事を
どうか憶えておいて欲しい・・・。



その穴を
広げようが 埋めようが
そのまま 足踏みをしていようが

それは
あなた次第だ
あなたの選択だ。


何故なら
それは あなたの人生なのだから
全ての決定権は あなたの手の中に有る。