この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 141★

2006-11-30 09:27:45 | Weblog


◇”あなた”という真実・・・◇





あなたの
今迄に体験した愛と来たら

必ず 
終ったり 色褪せたり
苦しみが 横たわっている。

そんなのは
愛とは呼ばない。

それは
支配ごっこと呼ぶんだ。


さらに
深くこの事を説明しよう。

例えば
型で全部 
捨てろと言っている通りに
私は 捨てた事はあるけど
何も 起こらなかったと
言う事だって有得る。

だって 
もう そろそろ
捨てたくなっていた時期
それに 嫌気がさしていた時期であったら
難無く それは捨てられる。

けれども
それは捨てたんじゃなくて
厭きたんだ・・・。

だから
直ぐに 次のを
掴もうとするじゃないか!。

本当に
何かしら変化するのは。

満足していて
まだそれを 捨てたい時期では 無いのに
捨てた時だ・・・。

そして
変わりのものも
何にも掴もうと しない事


皆の 
愛している時や
愛し始めの前後を 見てごらん。

必ずや
何かしら
悩んだりしている時で 在ったり

何かに対して
嫌や気がさしている時で 在ったり
何かしら 心が 空虚になっている時だ。

特に 
愛など 理解など
起こり得る筈の
ない時に 愛が起っている・・・。

だから
それは愛なんかじゃないんだ
なにか別のもの・・・。

それによって
苦しさが 誤まかされ
なにか 満たされた感覚が起ってくる。

それは
満たされたんじゃない!
誤まかされたんだ!

自分に
自分が誤まかされた・・・。

右を向いていたのが
左を向いたら
右に見えていたものが
無くなった感じがした。

そう
右に見えていたものは
今 あなたの目の前には 無いよ・・・。

だって
あなたは 左を向いているんだもの。

左を向いたことを
忘れてしまっているだけだ。

だから
そおーっと 右を向いてごらん

まだ それは 
そこに ちゃ~んと在る。

それも 
以前より ひと回りも
大きくなった 感じがする。

そして
又 慌てて 左を向く
こっちの方がいい。

また 
右を向く
前よりも 今度は ふた回りも
大きくなっている。

左を向いて
前より その愛とやらに
もっと のめり込んで 酔ってしまわなければ
とてもじゃないけど
あの恐さは 忘れられない………と

調度 こんな感じ
これは 愛とは呼ばず
逃げと呼ぶんだよ・・・。

だから
この逃げ込む度合が
強ければ 強いほど
逃げ込んだ 対象物に対する
執着は 凄まじい。

だって 
それが 無くなったら
と 考えただけで 震えてくる。

だから
相手を殺してしまう事さえ
しかねないし

現に 
これは起っている・・・。

そして
この対象物は
何も 人間だけとは限らない。

お酒の場合だって
賭け事の場合だってある。

じゃあ
このとっても恐ろしいまでに
でっかく 成ってしまっている
右を向いてみよう・・・。

愛とやらに
逃げ込ませた張本人!

それを させてしまった
強迫観念の 基を見てみよう。

そう 
何かしら
悩んだり 嫌気がさしたり
心の中が 空虚に成っていたりした あの時

一体 
何が起っているのかを
見てみると・・・。

それは
ずっと以前から
あなたが まだ幼かった頃からの
根強い経験だ・・・。

これは 一体なんだろう?

あなたに 
こんな体験が 無いだろうか?
何かに 夢中に成っている時には
何も感じないが

その 
夢中になっている状態は
いつまでも続かない。

同じ事に対して
いつまでも夢中になっていられる訳もないから
当然 その夢中な状態は 去って行く。

と そこに何か
大きなポッカリとした
穴の様なものが開いている感覚がある。

そこから
空虚さや
むなしさが 吹き上げてくる。

そして 
何かしら
もの淋しい感覚さえある。

一体これは 何だろう?
絶対なる孤独感・・・。

ここで
「 やはり人間は 1人なんだ
生まれてくる時にも1人だし
死ぬ時も 1人なんだから 」
などと

そこら辺の宗教みたいな解釈を
してしまって 固まらない事

そこは 
通過点であって
まだ途中だ
終点じゃない・・・。

それは
今急に もたらされた感覚じゃない。
ずっと遠い昔から
そこに在った。

そして
いつも何かに夢中に成っていたり
動きを起こしている 時には

それは
そこに無いが
その夢中や
動きが止まった時には

いつも
そこに姿を 現してきた。

そして
それを 無くそうと
そのポッカリと開いた 
大きな穴を埋め様として

あらゆる 
あれや これやを
やって来た。

ところが
埋っていると言う感覚がある時は
いつも 何かしらやっている時だけで

それは
本当には
埋っちゃいなかった・・・。



これこそ 
大いなる穴
その穴こそ 空(くう)に繋がっている。

その穴こそ 真理
その穴こそ 全存在の源に 繋がっている。
そして その穴こそ あなただ。

真のあなたを 
埋めよう なんて馬鹿げている。

その穴は
あなたが 入って来るのを

いつか 
あなたが気づいて
入って来てくれる事だけを
息を 潜めて じっと待っている。

なにも
怖がる事はない
私は 事実その中に入っていった。

そこに入ると 私に会える
始めて 出逢える
おいでよ!

そして 
宇宙にも これと似た様な
現象があると言う あのブラックホール
その穴は 直径なんと3千万kmも有るという。

あなたは 
小さな宇宙だ
精巧にできたミニチュアだから

あなたは 
あなたを
本当に全部 理解したら

あなたは 
宇宙を理解してしまった事になる。

そして
ロケット無しで
まだ 人々の未知なる世界までをも
理解してしまう事が出来る。

最後の最後の
此処に来てからでなくては
本当の愛は 起こらない。

全存在を愛す
全存在を 理解できる事は
不可能だ・・・。





くれぐれも
言っておきたい。
その 埋まっちゃいない穴
それを 埋めようとする事自体
無理なんだ!

だって
それは あなたと 宇宙が 
あなたと 真理が 繋がっている
架け橋なんだよ。

それは 
埋められるものじゃない
だって それこそ あなたなんだ!

それこそ 
あなた本来の姿なのに

それから
逃げようとしたり
埋めようとしたりしていた あなたの方こそ
あなたじゃないよ・・・。

そんな事に
労力を 費いやす人生は 馬鹿げているよ。
一生を無駄にしてしまう・・・。

その
あなたの方こそ 偽者だよ。
解かったかな・・・?









★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 140★

2006-11-29 10:11:02 | Weblog

◇シンプルな事実◇



私が本当に伝えたいのは
1昨日前に伝えた そんな愛などではなく。


全面的な 理解
すると 必然的に やってくる信頼
またもや 必然的に やってくる時の この愛。

例えば
私が 1人の人を 愛する。

その時 
全存在を
かけた愛ならば

部分的な
愛ではなく
全面的な 愛ならば
私は まったくの別人と化す。

その
愛した人が 私
そして 私が その人に成ったなら
一挙に 此処(真理)に
到達してしまう。

けれど 
人は そうはしない。

その 
変わりに自分で
自分を騙す様な 小細工をしてしまう・・・。

外側では 
全面的な愛の様に演じて・・・
表面的な部分では そうしておいて
 
自分自身の 
その外側の
振りの 演技の部分を見て

自分は 
愛している
自分は 全面的に 
愛しているんだと思い込む。 


それは
まだふりでしかない

では
その事に
何故 気づきにくいかと言うと

この
外側と言うのは
普段の思考領域ほど
外側ではない。

調度 中間点
この奥に 一番の奥に
本人には まるでご存知ない

無の領域
空の領域がある・・・。

普段の 
日常の生活で
人と接している時の
がっちりと自我を守っている
一番の外側の部分に 比べたら
この中間点は 内側に属する。

ところが
本当の内側ではない

一番外側に比べたら
ずっと奥に入っている。

だから
それはまさに 本当の事
内なる 叫びの様にも聞こえる。

その声に 
忠実に従がうと
皆の言う所の 愛は起ってくる。

この中間点の
心と言う部分に 従がって行けば
それが起こる。

そして
これを愛と 思い込む
それは 部分的な 愛でしかない。
我欲愛 
利己的愛でしかない。

何故なら
これでも 巧妙にコントロールできる
範囲が 残っていて
人は それをちゃんとする……。

何もかも 
全部 その場で捨てられる事。

持っているものの一切
手の中に 握っている一切だけを
捨てるんじゃない

その手が
ついている
自分自体をも捨てるという感覚だ。

一挙に
そうした時に
それは 起こってくる。

その時
全面的な愛
コントロールも 何も効かない
生まれて始めて
体験する本当の ひとまとまり。

ひとつの考えが
こっちにあって
もうひとつの考えが あっちにあると
言う様に,バラバラじゃない。

その バラバラの考えの
出どこまでも 捨てた
まったくの無 何にもない。

今までは
あっちにあった考えが
こっちの考えを
こっちの考えが あっちの考えを
と言う様に

考え自体が
考え同士を
互いに縛り合って
押したり 引いたり
コントロールし合っていた。

そんなものの
出どこを拾ててしまうと
もう 全面的に違った人になってしまう。

これが愛!
あなたは 
どの考えでもなかった事に気づける。

そして
あの内なる叫びは
満たされた事のない
考え自体から出ていた。

そんなものに
中間点に合わせていたなら
狂って来てしまう

だから
人はそれが恐くなって
中間点である この心から
また 一番の外側である頭の領域に
戻ってしまう・・・。

本当の愛は
この中間点を達し 一番の奥の
「空」の領域に出た時起こる。

それはもう
誰を 愛すというものじゃない
その人の前に来た人なら
誰でも愛す。

選ばない
特別な人は 居ない
ひとたび 空の領域に出たら。

そこに 
溶け去ってしまったら
それは 愛の塊りになってしまう。

理解の塊
信頼の塊
受容の 塊りに成ってしまう。

「空(くう)」 空(から)だったら
その中に 吸い込まれえる。

それは
ひとつの引力だ。


何かしら在ったら
それ自体が 邪魔をして
入いる事は 不可能だ。

本当の 
愛が起こっていたら
「空」になる。

1人の女性を愛したら
私は その女性であり
その女性は 私となる。

もう 
ふたつではない 
ひとつだ 一体だ
これは 何も 人問だけにじゃない。

仕事を
している時は 仕事だ
これで 一体になれている。

「仕事をしている人」だとしたら
「仕事」と「仕事をしている人」
そのものと 自覚の ふたつになっている。

駄目だ
自覚が邪魔をしている。

御飯を 
食べている時は 御飯
御飯を 食べている人じゃない。

酒を
飲んでいる時には 酒
常に ひとつだ そこに自覚など 無い時

それを している時は
それと同体で 
ひとまとまりになれてしまう。

だって
「無」は「空」は 何にでも成れる
どこか一ヶ所に固まって
それを持ち運んだりしたら
バラバラになってしまう。

対象物は 
人だけじゃない
それと いつでも同じに成れて
そして違う。

すると
ただの「空」なんかじゃない
100% 常にそこに生きられる。

今 
起っている事の中に
何ひとつ 持ち歩かない。

いつも 
空(から)っぽで 流れていて
そして 満ち満ちている。

自由だ。


自由と言うのは
こちらは その対象となるものに対して
執着しない
執着したくても 出来ない
どっちでも いいと言う事。

無選択だ 
選ばない
あちらが 選んでも
こちらは 選ばない。

だって
「空」に 到達する以前に
真理となる以前に

そんなものは
全部 放棄してしまっているのだから。

ここで
選ぶ事をしたり 執着したら
あなたは まだ空に至っていないという証拠だ。

すると あなたは
そんな事をしていたら
愛は壊れてしまうと思うだろ?

違うよ!
愛は 理解なしでは 起こらないし
理解は 自由を与える。

もしも 
縛られていたら
発散が 必要になる。

自由じゃないから
自由が欲しいし
自由に したくなる。

もし 自由でいたら
自由に したくなどならない。

だって
自由なのに
自由にしたり したかったり
する必要も 訳もない。


それを
山にたとえると……
ひとつの山を 征服するのは 難しい。

とても
出来るものじゃない
人とは 調度 この山の様なものだ。

あなたが
ひとつの山を 征服したかったら

あなたは 
まず 
あなたと言う山を
征服しなければならない。

その山さえ
征服していなければ
他の どの山も征服する事など 不可能だ。

あなたは
あなたと言う山の一部分
ほんの 表面を征服しただけ
理解しただけだと言うことを
理解しなければいけない・・・。

そうだとしたら
他の山の理解も
多分 表面だけの事だろう。

山の表面を 
見ていてごらん
コロコロ変わる
まるで カメレオンの様だ。

季節が来ると
緑が青く
また 
季節がくると 茶色に

そして 
無くなる
あなたは 山なんか 理解しちゃいない
それは 葉っぱだよ 山じゃない。

人で言ったら
それは その人の考えだ
それも その人の あるひとつの考え。

その人なんかじゃない。

それは 木だ。
それは 土だ
それは 岩だ
それは マグマだ。
山なんかじゃない 山が消えてしまった
と 突然 山など どこにも
無かった事に気づく。

まったく
無かった
色々な物の集合体を 山と呼んでいた。

あなたも同じく
色々な考えの 集合体。

それが
それ自体で
あなたと言う感覚を あなたに与えていた。

あなたなんて どこにも居なかった
辞書で 空というところを
引いてごらん……(空こそ あらゆるものの
本来の姿であると言う 仏教の基本的な考え方)とある

これは
考え方なんかじゃない。

真実だ
ブッタは 遥か2500年も前に
現代科学がやっと
辿り着こうとしているこの領域に

内観と言う
自己の内側を見る方法を使い
やすやすと見破ってしまっていた。

あらゆる
万物の本未の姿は
「空」だ
これ以上の真実は どこにもない。

私は
この真実を通過して
あらゆる万物の 源に帰りつき

それと 
一体だという所まで
まずは あなたを連れて行きたい。

この地点で
始めてあなたは あなたを
そして それ以外のものを 理解出来る。

愛が起こる
無と無
実体と 実体の結びつき
虚飾なるものは 一切含まれていない。

だから 
壊れうるものは無い
何もない空と空が 触れ合い
そこで 無くなる物が
何か有るだろうか・・・?

何も 無くなりはしない
無くなるものなど何ひとつ無いのだから。

そして 
終りなき愛が起こる。
空間は 広がるばかりで 終らない。


終りなんて無いんだ。


永遠の愛
永遠の理解
深まる一方だ 止まらない。











あなたの中に隠されている場所

2006-11-28 11:19:10 | Weblog





あなたが

あきらめた場所で

あきらめたまま生きる

そのままで 前を向けるし 歩ける様にもなれる


それこそが

光に包まれながら生きる

光の道だ


それは

あなたにも

簡単に見つけられる道だ



もう人生を

やめてしまいたくなったり

生きるのが

イヤになったり


全てを

投げ出して

しまいたくなった時


その

直ぐ足下に

本当に 易々と簡単に


生きられる

次元が有る事に

多くの人は気づいていない。


死ぬ前に

投げ出す前に

あなたの 足下を 探してごらん


その

投げ出す位置こそ

楽に生きられる位置だと 言っているんだよ。


誰もが

そんな処は

生きられない場所だと思っている


何故なら

そこは 物事を

やる場所では無いからだ


ヤル気に成って

挑んでいたことから

あなたは 挫折して落ちて来た・・・。


そこは

落胆する位置であったり

死のうとする位置だと多くの人が思っている


違うよ・・・・・・。

それは 間違っている。


だから

多くの人は

本当に物事をやれる位置を知らない。


あなたの

知っている

物事をヤル場所は・・・

最後には誰もが挫折して

まっ逆さまに 落ちてしまう位置でしかない。


一体

誰が そんな位置で

生きろと教えた?


誰が人生とは

頑張らなければいけない

ものだなどと教えた・・・?


誰が人生とは

苦しいものだなどと教えた?


そんな

場所で 物事を

やる事自体が間違っているんだよ。


新しい

場所を 位置を探してごらん。

誰もが見付け出しにくい場所に それは在る。


でなければ

既に多くの人達が

見つけ出して そこで生きている筈だ。


だが

誰も まだ

発見出来ていない・・・。


誰もが

そんな場所には

有る筈がないと 思い込んでいて

探そうとも しない場所

そんな場所に それは有る


息を潜める様に

ひっそりと

誰にも知られずに

誰にも触れられずに咲く

一輪の無垢な花の様にして それは在る・・・


あなたが

見つけ出してくれるのを

静かに待っているのだ。

もう何十年もの長い間

何ひとつ文句も言わずに・・・。



皆が

そんな場所では 物事は

出来ないと思い込んでいる場所


力む事など

出来ない場所


そんな所で

生きたら 駄目にしか

ならない様に見える場所


本当にそこは

あなたの 直ぐ傍に在り

多くの人達が そこで生きた時には


今迄の

種類の人間には出来なかった

数々の奇跡が起こり始めるようになる


そんな世の中が

直ぐそこまで来ている・・・・というか

そこで生きる以外に

私達が

混乱せずに生きられる場所は

無いように感じられる


これは

誰にでも可能で

本当に簡単な道だ


もしも

あなたが 本当に

死にたくなった時には

最後に この場所が・・・位置が・・・

自分の中にも存在しているのか どうか?


どこの事を

言っているのか

確かめる連絡をしてくれたら

私は あなたに 真剣に その場所を

そこでの 生き方を 伝える事が出来る


死ぬより

もっと簡単に生きられ


ずっと物事を

出来る場所は

あなたの 中にも必ず在ると

断言出来る


だから

あなたは死ななくていい

死ぬ必要なんか無い


あきらめた場所で

あきらめたまま生きる

そのままで 前を向けるし 歩くことも出来る


それこそが

光に包まれながら生きる

光の道だ


それは

あなたにも

簡単に見つけられる道だ







★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 139★

2006-11-27 09:36:14 | Weblog


◇愛するがゆえの背伸びが
        あなたに もたらすもの◇





まず
気づいて欲しい
大切な事は 愛と言う言葉に
あなたが あなたなりの
味付けをしてしまっているとしたら

私の言葉は聞こえず
その味付けを通して聞こうとしてしまい
その味付けに照し合せ
味付けに合うものだけを 取り入れ
合わないものは 入れない

私の話を聞いている間
あなたの中で 
何が起っているかと言ったら 
一生懸命 照し合せごっこを
してしまっている事になる。

こうなったら 
私の話は あなたの観念を
より強固にしてしまうだけになってしまい

私の話した話しが 
伝え様とする事など
いつも取り逃がす事にしかならないどころか 

あの話は 良かったとか
あの人の言っている事は
理解出来るだのと言って

日常の中に
その より強めてしまった観念を
持ち回り
それに 照し合わせ

いや ちょっと違うだの
やっぱり その通りだのと
気分の アップダウンが
相も変らず 続く事になる。

自分の観念
言葉からくる 言葉に対して
味付けしてしまっている観念を
ちょっと 捨ててごらん
そこに愛の入口が見えてくる。

愛などと言ったら
何にか知らないけど

胸が高鳴ったり
胸が躍ったり
はたまた キュンと 
胸が締め付けられたりする

そんなのを
一切捨ててごらん。

あなたは
まだ愛など知っちゃいない。

あなたは 
あなたの愛に関する考えを
自分の愛に対しての
物の見方を 知っているだけだ。

あくまでも 自分のだ
本当のじゃない。

この世にある 
唯一の道 自然達観は
極々 まれに起こるけれど

その道は
愛に添っている
愛イコール理解
愛とは 理解を言う。

それも すべての理解
全面的な理解
大いなる理解

解釈じゃ 駄目だ
解釈は あなたが入っている。

あなたの知識
あなたの体験
あなたの 過去が入ってしまっている。

それでは
真の理解は起こらない。

理解とは
そうした一切が入らない
いわゆる あなたが あなたと思って
しまっているものは 入らない。

それを 超えている。

もしも
愛が本当に
起っていたり

あなたが言う
愛と言うものが 本当のものだとしたら

もう
とっくに
あなたは この事に辿り着いて
しまっている。

何故なら
愛だけが 
この事に辿り着ける道なのだから。


あなたが言う
愛においても
部分的にではあるけれど
これは起っている。

部分的にでも 
理解せずには
愛は 起らないからだ・・・。

何故
部分的かと言うと

自分にとって
都合のいい部分には
全理解を傾けるが

白分にとって
都合の悪い部分には
まったく 理解を傾けない。

だから
全体なる理解をした事がないから
部分的にしか 愛は起こらない。

ところが
部分的にでも 甘美なものだから
これに酔ってしまう。

そして
この段階で
私は 彼を愛しているだの
彼女を 愛しているだのとなる。

本当は 
何が起っているかを
理解する為に
「私はあなたを 部分的に愛しています」と
言うべきなのに…。

そして
ここまでのことが
どんな愛でも
我欲の愛でしかない

どんな愛でも
必ず崩れる運命になっていると言う
理由である。





何故なら
あなたの理解している部分だけしか
相手に無いのならばいい。

だが
実体は違う
むしろ あなたが理解している部分の方が
ほんの一部に等しい。

ほんの一部に等しいのに
あなたは 全部解ったつもりでいる。

そして
相手もそれに気づいているから
それに 応えようとする。

ここで
愛を無理矢理
作り出してしまっている。

自分の
行為行動は
ふりでしかない 演技でしかないと 解りながらも

この甘美な気分を 
逃したくない
この気分は 相手によって
もたらされた物だから
その相手を 失しないたくないと言う感覚も手伝い
あなたの理解した ほんの一部に
自分を当てはめ 演じ様とする・・・。

これは 
何にも男女の問柄だけではなく

会杜の 上司に対して
上司のお気に入りの部分が
なんとなく理解出来ていて
その部分に
自分を当て嵌め様とする。

最初の内は良いけれど
だんだん あなたは苦しくなってくる。

すると どうだろう

あなたは
自分の判断によって
そうしたはずなのに
何にも そうしなくても良かった筈なのに

そうさせたのは あいつだと
その相手に対する憎しみを
あなた自身の中で 育てて行ってしまっている。

それが
いつ爆発しだすのか
それを見ている第三者の
私の方が 余程 恐い。

そして 
それが だんだん
大変になってくる。

我ならぬ我
絶対的に 手に出来ない
偽わりを求めて歩く。

最初から 
結果は明らかだ。

そして
誰一人 
そんな事をあなたに
強制する事など不可能なんだよ。



しかし
にもかかわらず だんだん愛など
後かたもなく消えて行っているのに
まだ 愛が有る振りをする・・・。

これを すればするほど
愛など 自分の手で
壊して行ってしまう。

だって 
振りだと言う事ぐらい
誰にでも解るし
この振りをさせている対象者を
あなたは もっと憎むし
凄まじい 憎しみを 
見せない為の振り。

これは
もう悪循環であり
すべてが 破壊以外の
何ものでもない。

そして 
壊れてしまっているのに
それを見ず
それから目を背けてしまっていると・・・。

それらを 忘れる為
そこで 傷ついた我が身を
癒す為の
別の愛が 欲しくなる。

しかし
最初と同じ道を 通っている事に
本人は気づかない。











明日のブログ上での講座を どうぞお楽しみに。






★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 138★

2006-11-25 08:41:15 | Weblog


◇あなたの愛は偽りだ・・・
    あなたの内面に広がる 大いなる穴(虚空)◇





愛……まずこの言葉に
あなたが つけてしまっている観念や
あなたの 体験によって
つけた感覚を 捨ててほしい。

何故なら
あなたは あなたの愛は 知っているけど
あなたの 体験した愛は知っているけど
それが イコール
本当の 愛かどうか・・・?

10人いたら
10人の愛が 微妙に違うし

たとえ 大まかに見て
10人の愛が 共通していたとしても

たとえ
世の中の人達全員の
愛とやらが 共通していたとしても

そんなものには
騙されない事・・・。

だって
そんなものには
何の根拠も無いのだから。

あなたは
何をしているかと言ったら

根拠の無いものに
根拠を求め様としてしまっている。

あなたの
たった ひとつの根拠
それは
「 だって 皆が そうしているし
それは 正しいって 皆が言っている 」

こんなものは
根拠でもなんでもない。

だから
絶対数の多い
数の上での正しさは

5年 
10年したら
ひっくり返える
それは 真実じゃない。

真理は 
10年 経とうが
100年 経とうが
変らない。

これは
何も愛だけに
限った事じゃない。

すべての
事に対して
あなたは あなた自身の
解釈を してしまっていて

そして
理解してしまっている気でいる
だから 本当は何ひとつ知りやしない・・・。

ギリシャの哲人 ソクラテスが
「私が知っている ただひとつの事は
私が 何ひとつ知らない事を 知っている」と言って
気づいていた事は

私は
今迄 あらゆる物に対しての
私自身の解釈を 知っていたのであって

本当に あらゆる物を
知っていた訳では 無い事に
気づいたと 彼は言っている。

これが
第一番目に理解されなければ
この後に 起こる 沢山の事を
理解するのは 不可能だ・・・。

私が
話す事の 一切を理解するには
最低限 此処までは必要だ。


もしも
私の話が
理解しずらいとしたら

まだ
あなたは
始めの第一歩が
理解できていないという事になる。

あなたは 
あなたの解釈を通して
物を見ようとするから

歪んでしまって
あなたは その物を 
見る事は出来ない。

そんな歪みきった物は
世の中の どこを探したとしても無いよ
それは 無い事だけに気づいたらいい。

それは 
あくまでも その事に対する
あなたの解釈なんだと言う事。

そして
あなたは そのただの解釈を
知っているだけなのだと言う事・・・。

その
解釈を
取ってしまったら

あなたは
何ひとつ
知りゃしない事に気づく。

そこで
始めて
あなたには
物が見えてくる・・・。


そして
解釈と言うのは
過去の知識や
体験を通した時に
起こるものだと言う事を
理解しておきなさい・・・。

だから
過去の知識や
体験を通さずに見る事。

たとえ
世の中の人達全員の意見が
考えが 見方が 共通していたとしても

その
世の中の人達全員が
間違っている事だって有り得る。

内側で
なにかしら
不安定だからと言って

外側に
確かな物を
あなたは 求めたがるけれど

それ自体 間違いの基なのだ

外側に 
基準や 定儀を
見いだそうとしたり
作り出そうとしたりしないこと。

それを
して行くと
最初のうちは それが自我(エゴ)の
つっかい棒になって
安定感が来るけれど

その
安定感は 偽者だから
やがて 倍の不安が襲ってくる。

そして
今度は もっと沢山の
その不安に負けない

基準や 定儀を
仕入れ 掻き集め
前にも増した 大偽者の安定感を 作り出す。

当然 
長続きなんてしないどころか
大偽者の 安定感を
打ち負かすほどの 不安が
またもや襲ってくる。

延々と 旅は続く
これも 終りなき旅だ
遥かなる 追っかけごっこ。

この旅の 
仕掛人は あなただ
張本人は あなたなのだ。

真理に目を背け様とするあなただ・・・。

だって 
真理こそ あなたなのに
忘れられる訳がない。

目を 背けたままで
いられる訳がない・・・。


この 
成長'課程を経て
1人歩きを し始めると

この事が
とても嫌になる時期がくる。

出来るだけ遠くに 
逃げ出したくなる・・・。

それは
遅かれ 早かれ
誰にでも 起こる。

そして 
今が 調度 その時期に
当たっている人が 何人かいる。

そういう人は
とっても この事が嫌だろうし
うんざりだろう。

あなたは
あなたが 今したい事
やりたい事を 迷ったりしないで

内側で
そうしている自分を
責めたりなんか しないで

力一杯
その思う方向に
進んだら良い……。

その内
帰って 来たくなる時が来る。

だって
それは あなたなんかじゃないんだから
きっと その事に気づける時が
自然にやってくる・・・。

その
逃げ様としたり
目を背けようとする事が

不可能だと言う事実に
辿り着く時

あなたは 
それ自体が
それ自体こそ
あなただったと気づく。

あなたは
真理以外の
何者でもないのに

その事実から 逃げ様として

それも 
本来の自分自身から
逃げ様として生きて来た
誕生してからの
一切の日々が
馬鹿馬鹿しく見えてくる・・・。



決して
出来えない事に
挑戦していた日々

そして
それに負けきった日

外側の
ポーズなんかじゃなく
内側から完全に
粉々に負けきった時・・・。

あなたは
最初から 真理だった事を
ずっと以前から それ以外の
何ものでもなかった事に 気づく。

そして
此処に 帰って始めて
恐れる必要など
何も無かったと 理解する。

空(くう)とは 真理であり
あなた本来の姿だ。
これは 絶対に言い切れる。
あなたは それ以外の何者でもない。







明日を お楽しみに。






★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 137★

2006-11-24 10:24:25 | Weblog


◇道は 二つある◇





まず ひとつめの道
人を 無条件に 愛する事を 始める。

彼の 彼女の 此処は愛せるけど
此処は愛せない
などと 部分的にじゃない。

そんなものは
愛でも何でもない
もっと 全面的に愛す。

決して 
相手の此処を直そうとか
相手を 変えようなどとしない事。

もしも 
あなたの中に
そんな思いがあるとしたら

そんな思いが 
邪魔をして
あなたは その相手を
受け入れられないし愛せない。

そんな風に思う 
自分と言うのが あなたの内側に
しっかリ根を下ろしてしまっている。

その思いを
自分を どかさない事には
あなたは 人を受け入れられないし
愛する事など不可能だ。

その内側に
根を下ろしてしまっている
自分にとって 都合の良い様にしてからではないと
受け入れられなくなっている愛など
愛とは 言わない。

そうやらなければ
人を 親を 妻を 夫を 子供を
彼を 彼女を 受け入れられないとしたら

それは
一体どう言う愛だろう?

愛と言うのは
そんなに 自分勝手なものじゃない。

第一 自分が居たら
愛は 起ってきやしない・・。

あなたの中に
私は勉強したの しないだの
偉いだの 偉く無いだの
高いだの 低いだのと言う様な

一切の物が無かったら
何の苦しみもなく
受け入れられる。

そこには
邪魔をする何物もない
比較をする 何物もなければ

何が 入って来ても
何も起らず
真の受け入れが可能になる。

そっくり 
そのまま愛す
今の今 まるごと受け入れる。

こちらを
向かせようとも
思い通りにさせ様もなく。

今の今 
目の前にいる人を
今の今 
そっくりそのまま

1人1人 
全てに
それをして行こうとすると

やがて
問題 が葛藤が 生じてくる
その時が チャンスだ
内側を 覗き込んで
何が有るかを見てごらん。

そして
その中に入る
出来るだけ 深く
それが 何で 有るかを 見抜く。

表面的な所で 
終わらさない事
そうすると 今度は以前よりも
もっと深く もっと広く もっと高く
あなたは 愛せる様になる。

自然に 
愛情深くなり
愛が起ってくる。

そして 
又 葛藤が生じる
再び 内側を覗き込んで

今度は以前より
もっと深く
何にが 内側で起っているかを
見抜いてごらん・・・。

すると
人だけでは無く
動物や 緑や あらゆる生命までをも
受け入れ始めてくる。

もう 
人間を対象として
始まった道をも 越えた所に
あなたは来る・・・。

終りなき旅は
あらゆるものを 
受け入れる地点にまで 到達する。

これが 
受容の道で有り 愛の道だ。

あなたに
この道が合っていると
感じたならば この道なき道を
歩み始めたらいい。





そして
もうひとつの道は 全面受容の道。

始めの第一歩から
対象を限定せず
起こる事 全てを受け入れて行く。

すべての物事 
事柄 状況 人
という様に 無制限に

生の中で 出くわす 全てを
ひとつ ひとつ受け入れて行く。

そして 
問題や葛藤が
生じた時

その中に踏み入り
同じ様にできるだけ深く
それを見抜く。

この
出来るだけ深く見抜く事が
大事なのは

無意識の内に
身に付けてしまった
自我の層まで達する事が
深ければ 深いほど
可能だからだ・・・。

そして 
このどちらの道も
外側で 起こる物事とか
行動と ゴッチャにしない事。

外側の 型から
直そうなどとしない事
それ自体には 手をふれない事。

あなたが 
内側に取り込んでしまっていて
その内面で起っている物事や
葛藤の中に踏み入る事を
言っているのだから・・・。


一旦 
綺麗に 
掃除をしても
そこに 又 
埃は 溜まり出す。

それを 
そのままに しておくと
外側に 現象として
姿を 露わにする。

自分で 
そうして しまっている事に
気づきもせずに・・・
気づきもしないから
なんの努力もしない。

そして
そうなってから
ワーワー騒いで

その
外側の現象に 
手をつけ出せば
尚更 それを 悪化させてしまう。

そんな 
外側になど
構わなくていい

それは 
根源なんかじゃない。

内側で
起っている
問題や 葛藤は

それから
逃げようとしたり
目を背けたり

くだらない理由をつけたり
すれば するほど
それ自体が 
強大に見えて来てしまう。

それを
強大にしてしまっているのは

あなたの
逃げ様とする意識なんだ。

本当に 
何とかしたければ
それから逃げるのではなく

その中に 入って行き
その 原因を この目で見て
効力を失しなわせる事である。

それは
ただ 見る事だけで
自然に蒸発してしまう。



そして
自分が 知らず知らずの内に
身に付けてしまっている

思い込みによる
恐怖やら
色々なものの 根源を見抜き。

ひとつ ひとつの効力を
失なわせて 行く事によって
その内側での効力が
消えた 途端

それが 外側に現象となって
現れたのと同じ時間を用して
外側の現象も 消えて行く。

「 内面の中で 問題が生じた時
その問題に 打ち負かされるべし
それが 心越えたるところの
無限の空(くう)に出逢う道。

空(くう)の中に 消え失せる あなた
その時 命 贈られる事の
喜びに 身を震わす
そして あなたは 空 」

あなたの 内側で
自分にも 他人にも 周囲にも
状況にも 一切の変化や
望みを求めなくなって

そこに 
身を置き切った時に。

始めて
そこに 今ここがあり
真の 内面変化が起ってくる。

そして
除々に 外面の変化が始まってくる。

ところが
あなたは 常に
自分にも 他人にも
周囲にも 状況にも
変化や 望みばかり求めているから

今 ここをも
受け入れられず
常に 満たされない。

そんなあなたに
内面の 変化が起ってくるはずもない。

そして
それなしで 外面変化を求めるから
いつまでたっても
真の変化も
そこからの脱却も出来ないで
それが 悪足掻きに
終ってしまう。

それどころか
その事自体で
何もかも ぶち壊しているのに
気づかない。

今に 満ちたりてごらん。
足りないものなど 何一つ無いのに
あなたが 勝手に
足りなくさせている。

そして
あなたが この気分を
なんとかしてくれと 言っている。

私に
どうする事ができる?
あなたが それに気づくだけでいい……。

いかに
起こる物事の
邪魔をしない様になるか

ただ
自分の本性に
目覚めるだけで

その一切が
なされているのに
邪魔をし続け
のた打ち回って来た
自己の発見となる・・・。

その時
すべては そのままであるのに
一切がなされ
流れ続けている事に
目をみはる








明日を お楽しみに。







★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 136★

2006-11-23 09:51:15 | Weblog



○昨日までUPしたものが前編部です。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 101★から
★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 135★までです。

此処までは 言ってみれば基礎編みたいなものです。

初めての方で 
興味を持たれた方は 
そこから読むと 解かりやすく読めると思います。


最初から
此処まで読み進めて来た方達は
今日からは後編に入っていきます
さらに あなたの内面を
ハートを見つめる事を
しなければならなくなるかも知れません・・・。

けれども
そんな時には
そこで逃げ出さずに
読み進める事をして行く事で
あなたの現在抱えている問題の原因と
解決への糸口が見つけられるかも知れません。

だって逃げ出す事は
今日までの間に 既に散々やって筈です。
それでも全く解決しなかったどころか
更に現実は悪化の一途を辿っている。

ひょっとしたら
そんな あなたを助け出す事の出来る
再生の道が ここに有るかも知れません・・・。



それでは後編の はじまり はじまり♪




◇二つの自我(エゴ)◇




この話をしている 相手は
あなたではなく

あなたの内側
あなたの本性に向って
常に 話しかけている。

本当のところ
あなたの内側にある本性は
この事 全てを理解している。


だから
私が これに関連する話をすると
あなたの本性は
目を覚まし始め
あなたは 揺さ振られる。

すると 
表面の あなたは
それを防害して
一生懸命 それを理解させまいと
してしまう。

それも 色々な理由を
引っぱり出して来て。


その時 あなたは一体
何をしているのか理解してほしい。

あなたと 言うのは
外側で 色々な事をして来た
過去の体験の 積み重ねで
作り出している部分。

これは
一度掃除をして 
捨てたと思っても

また 
知らずに知らずの内に
溜まって来てしまう
埃の様なもの。


私は
そんな あなたなどに 
話しちゃいない。

私の話し相手は
あなたの 本性なのに
何故 あなたが しゃしゃり出て来る?

邪魔をしなさんな

私が 
話しかけている 
相手でもない あなたが
色々な理由を 引っぱり出して来たとしたら
これは 馬鹿げている。

あなたは
あなたと言う我を
より 強固にしているだけ
そして 一人相撲を してしまっている。


何故
自我が 出始めてしまうのか・・・?


他人や 物事によって
自分の 今迄していた事が
今迄 通りには
進まなくなってしまったり

自分の思い通りに
事が進まなくなった時
要するに 我が通らなくなった時に
自我が より強固になって来てしまう。

本当は 
この時に
あなたの 今迄してきた事に
「間違いが ありますよ」と
本性が 教えてくれている。

自分の思い通りが
通らなくなった時も 

あなたの その考えには 思いには・・・
「間違いが 有りますよ」と
折角 あなたの 本性が伝えているのに

あなたは 
それを無視する
と・・・そこに葛藤が 生じてくる。

自分の 思い通りに成らなくなればなるほど  
より強固な
“白分の思い通りにしたい”
と言う気持(自我)を 生じさせるのであって

それが 
思い通りになっていた時

あなたは 
それ自体 そんなに思い通りにしたいと
言う程 強い感情や 思いは
無かった事を見抜いてごらん。

と すると
あなたの 
白分の思い通りにしたいと 言うのは
自我を傷つけられた事への
復讐や 反発であって
あなたの 本当にしたい事じゃない。

あなたは 
何をしているのだろう。
折角の 自我を消せるチャンスを
棒にふってしまった・・・。

それどころか
それによって 
以前にもまして

自我を 
より大きく強大にして
より それを消すのが
困難に してしまっている。

それならば
それでも 決しておかしい事はない
あなたの 外側である 

いわゆる あなたが 
あなたの 内側である 本性を
色んな理由で 言いくるめて

あなたが 自我が
打ち勝って
今まで通りの 思い通りに成ったとしても

それは 
そんなに長続きはしない
それ自体に 今度は あなた自身の方で
興味がなくなってくる。

だって
あなたは それ自体に
興味があったのではなく
自我を 傷つけられた事に 対しての
復讐や 反発に 興味が 有ったのだから。

復讐やら 反発は
思い通りにした 途端に果せてしまう。

すると どうだろう・・・。

あんなに 思い通りにしたいと
思っていた事が さほどでもない・・・。
「こんな事に 躍起になっていた」とは
などと言う感覚が 浮び上ってくる。


その通り
その思い通りが 続けられるには
思い通りにさせまいとする他からの
圧力が有れば 有るほど
長く続けられ。

させまいとする圧力が
まるっきり無くなった 途端に
あなたは それに興味を 失ない始め

やがて 
それから離れて行く。

あなたは 
今まで通りに
したかった訳でもなく

自分の思い通りが
通らなくなった事に対しての
白我が傷つけられた事への
反発やら 復讐をしたかった訳でもない。

この
どちらでも 無いのに
その中に埋もれてしまって

そんな
くだらない事に
動かされていた自分を見抜ければ

それだけで
あなたは 自分自身から
解放され 自由になる。

あなたの
本性が求めているのは
この 自我からの解放だけ。

常に 
この自分自身から 解放された
状態で居たいだけ。

では 
常に この状態で居られるのには
どうしたら良いのだろう?。

自我には 
大きく区分すると
二種類ある。

意識していながら 身に付けた自我と
無意識で 身に付けてしまった自我の
二種類である。

簡単に言うと
この成長課程を受ける以前
あなたは 既に 幼ない頃から

母や 父とのふれあいの中で
あるいは 友達との触れ合いの中で
この意識をしていながら 身に付ける自我を学び始めて

そして
それを 社会に出て
さらに確固たるものに
して行ってしまう。

周囲から 
見たり聞いたりして
それまでの 過去の経験と照し合せて

そこからの 判断によって
こうしよう ああしようと
作り出して来る 自分。

そして
この成長課程を受けて
一瞬 本当の所に立つ。

その時の
ほんの一瞬だけは
真実を見る・・・。

ところが
直ぐに滑り落ちる。

そして
努力をして
また あの状態をと願う。

が・・それは中々来ない
自分で 勝手に 自分を騙し
自分を庇い。

同じ輪の中をグルグル回るだけ
そして それだけではない。

あなたの 
今立っている所には
あなた自身でさえも 気づかない

あなたの
無意識のうちに
身に付けてしまった自我がある。

そこは
あなたが
こうしよう ああしようを
身に付ける以前の

何も
したくないから しないと言う
子供の様な

ただ 
嫌なら 嫌
周囲も 何も考えずに
自我だけを強調するところに

自分が
落ちてしまっているのに
気づかないから

あの人が
言っている事だけでは
今の社会は
生きて行けないとなる。

勿論
その通り
私は そんな事なんて伝えていない。

今 
あなたがいる所なんかを
中心にしなさんな・・・。

中心なんて無いよ
どんな処に居ようと
それが 固まったりしたとしたら
間違っている・・・。

私が 
言っている所に居ると
あなた自身 思えていても

それが
固まってしまう様なものなら
あなたは そこには居ない。

あなたの
頭で
そこに 居るつもりに成っているだけだ。

本当に
そこにいるとしたら
こり固まったりしやしない。

もっと
柔軟で
もっと
柔らかくて
もっと軽い。

頭だけが そこに居たって
何も成りはしない。

1度だけ
そこを 見た事 
味わった事は 有るが
「今の私は そこには 居ません」と
言い直しなさい。

そんな 
処に居ると
又 以前の 

ああしよう こうしようで
自分を作り上げて行くところに
戻してしまう事になる。



自分が 
意識していながら
身に付けてしまった 自我以前に

自分でも
無意識のうちに,
身につけてしまった自我(条件付け)が有る。

それさえも 越えたところに
私の言う生 
真の生がある・・・。
無条件の 真白い1枚の 紙のごとく…。

この
滑り落ちてしまっている所の
無意識の内に 身に付けた
条件付けを 越えるには

人の事など 見ない事
内側の自分の 正体をつかむ事 以外に
実際 可能な事は ひとつもない。

あなたが
人を心配したり
面倒を見たりしている時

一体 何をしているのか
ハッキリ 認識する事。

あなたは 自分を巧妙に
誤魔化し続けて 
内側への探究を
ストップしてしまっている。

これで
終りなどという 地点など 無いのに
終ってしまったつもりになっている。

そんな 
あなたに
私の言うところの生など
起りはしない。

成長課程に 於いては
大きく粗く マクロに

例えば
人を 自分を高める為
満足させる為の道具としか
使っていなかったなどと言う様に
大まかに 総体的に理解した。

今度は
あなた自身で
もっとミクロに 具体的に

日常あらわれて来ている事で
自分の 内面に取り込んでしまっている
あらゆる物事の中に
踏み入って 行かなくてはならない。

自からの
日常の
生との出逢いを通して。






明日の人間物語の 後編講座を どうぞお楽しみに。








★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 135★

2006-11-22 11:04:29 | Weblog

(昨日の文の続きになります)



でも
それは 自分の心の中に
浮かんでいる物自体が 「自分」となって仕舞うと云った

心の
特異性と仕掛けがあるので
一度 解った気になっても その解った事が

何時の物かを 
見破ると言った事を
していかなければ成りません。

常に見破り続けることに
よって常に新しい新鮮な鮮度をもった
より深まった空間を感じ続けられる事が出来ます。


あなたの中に
何ひとつ映し込んでいない
空間を感じられる様になると 

その
空間自体で 物事に取り組んだ時に
どんな物事であれ 今迄の自分以上の成果を結果とし
て得られる様になってしまいます。

何も世の中の
果ての果てまで旅をしたり
沢山の人達から 
借り物の知恵を掻き集めたりしなくたって

あなたは 
どんな物事でも 誰に尋ねなくても
やってのけられる人に成ってしまいます。

それほどの
お宝が あなたの中に眠っています。

それも 
あなた1人だけの
権利のある財宝です。

あなたが
要らないのなら 
私が貰える物なら
貰いたい物です・・・ホント!

あ~あ 勿体無いな~。

これで少なくとも
お宝の方向だけは 解って頂けたでしょうか。



今 
私が こうして
書き込みをしているでしょう
この事実も一瞬で 書き込む たびに次から次えと
無くなって消えていってしまっています。

あなた達が
読んでくれるのは 
私が感じられた一瞬の事実の残骸です。

皆が これを読む頃には 
全然違う 「今」 と言う時間を
生きている 私が居るんです。 
その様に
事実が 無くなっていっているのですから
自分の内面からも その度その度 
自分の した事を 捨てて行ける事なんです。

本当は捨てるんではなく 「あ~さっきの
物だ」 と 気づける事なんです。

そして 
何ひとつ映す事の無い空間で
常に安らいでいる事です。
何一つ映す事の無い空間を あなたの中に見つけ出せる事なのです。

波ひとつ立たない
静かな 湖面の様に 静寂な空間・・・・・。


余談ですが
若い頃の 物事のやり方と言うのは
自分の中に 何か(やり遂げた完成品やらあるいは
やっている最中の自分の姿やら 周りの絶賛やら)を見出して
燃える様な気持ちで
物事に取り組んでいくのですが・・・・

多分 日本が 
高度経済成長期だった頃などは

そんな
気持ちで仕事に取り組んでいた
お父さん達が凄く多かったのに
今は そのお父さん達も元気が無くなってしまいました。

その
お父さん達に 
この さざ波ひとつ立たない とても静かな湖面の様な空間と
物事への 取り組み方をぜひ伝えて上げたいものです。
燃える様な
気持ちなど要らないのだということを
そんなものが無くたって物事には取り組めるんだと言う事を。
もう気持ちが死んだままでなど歩く必要などないことを。
そしたら日本は、今よりも ず~っと良くなるのに・・・。




恋をするでしょう
ふられるとするでしょう。

別に 
これは恋でなくても 
夢中になってる仕事でも 
何でも良いんです。

その
対象となるものに対して
自分が 本気に成れば成るほど

その対象物を
失ってしまった時のショックは
大きいでしょう? 

その時・・・自分の中に
ポッカリと穴があいたような状態というのを
体験した事がないですか?・・・・きっと誰もが
そんな経験を一度や二度はしているでしょう。

あの時の
ポッカリと穴が 
空いてしまった側の方が あなた自身なんです。

それまでの あなたは
何か勘違いをしてしまっていますよって教えてるんです。

本当の
あなた自身を
見つけてくれって言われてるのに
あなたと来たら必死で その穴を埋めてしまおうとする。

埋めると言うのは 
また何か 新しく夢中に成れる物を
探して来てしまうことを言います。

再び あなたを騙し 
あなたに居眠りをさせようとする事を言います。

そして
今迄自分が夢中に成れていたものは 
どれも つまらない物ばかりだと言うことに あなたが気づき
やっと 本当の あなた自身に目を向けられる時期が来ているのに
あなたは そのチャンスを棒に振ろうとしている事が
あの穴を埋めようとしている事に当たるのです。

そればかりか
その穴を 埋め終わると安心までしてしまう・・・。


もしも 
あの穴が本物の 
あなただとしたら
あなたは自分自身を埋めているんです・・・。



本当は
怖がらずに 少しずつでも良いから
調べたら良いのにね~。

一見 
あの穴からは
不安みたいなものが 
ビュウビュウと吹き上げて来る様に見えるけれど

それは
ただ単に 
今の あなたが 
自分と思っている物にとって都合が悪いだけであって

本当は
ちっとも恐くなんて無いかも知れません。

最初の内は
その穴を埋めたりなんか
しないだけで良いんです。

次に
友達関係にまで発展させましょう。
色んな事を そこは あなたに教えてくれる筈です・・・・・。









★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 134★

2006-11-21 08:39:20 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO34 ◇




自分を
愛するということは
自分の中の 出来損ないの自分を 

駄目な所だらけの
自分を抱きとめられること。
その自分をいとおしく思えること。

決して
背伸びした自分を
本当の自分だなんて勘違いして

そんな自分を
自分として生きないこと。

背伸びしたり
必要以上に頑張ったりすることは
本当は 自分は駄目な所 
だらけだということを知っていて 

その本物の自分から
逃げようとしているだけなんです。

どんなに頑張たって
それは 逃避しているだけなんです。
積極的に逃げている それは消極性です。


もしも
そんな生き方をすれば 
あなたは自分自身をどんどんと
自分の手で淋しくさせてしまうことになります。

そんな時に
いわゆる 皆の言う所の
愛が 必要となります。

でも
そんなの愛でも 何でも有りません。

だって
そうでしょう?
自分の手で 本物の自分から 遠ざかる生き方をしておいて
 
自分自身ですら
愛することの出来ない自分を
他の人に 愛させるんですか?

そんな事を
人にさせて いるとしたら
あなたが どんなに口先で 愛しているといったところで
あなたには愛情なんて有りません。

あなたは
その相手の人を愛してなんていません。

そればかりか 
あなたが背伸びをし続けることで
手に入れようとしている 出来の良い「あなた自身」を
手に入れることすら あなたには多分出来ないことでしょう。




なぜなら
答えはこうです・・・。
あなたは もうすでに何十年の間
背伸びをし続けているのに 

今だに
「出来の良いあなた」なんて
手に入れる事なんて 出来てないじゃないですか!!!

背伸びを
する自分で 生きる方向で 
あなたが手に入れられる物なんて 
ひとつも無い事に出来るだけ早く気づいて

あなたが
自分に正直になっている時に
あなたの中に 感じられる

出来の悪い 
駄目な所だらけの 
自分と向き合って その自分を抱きとめる。

それは
人に頼るんじゃなくて
自分でする事 

何故なら
いつでも四六時中 
あなたと一緒に居られるのは あなた自身だけだから

人には
そんな暇なんてないから。

それに あなたの事を 人に受け止めさせたら
あなたは その人に裏切られる場合だって有れば
その人が先に死んでしまう場合だって有る。
その
どちらも 
あなたの人生は真っ暗になってしまうし

それに かこつけて 
この事を 放棄してしまうかもしれないから・・・。

とにかく
自分で抱きとめること。

自分で 
抱きとめるというのは 
どういう事かというと 
駄目な自分自身の方で生き様としてみる事。
 

駄目な
自分自身と共に居て上げる事 
それこそが愛でしょう?。

そうして生きられたら
あなたは他の人達を見て 
いかに 本物の自分を
愛せずに生きている人達の 
多い事かを目の当たりにするし
そんな人達の嫌ってしまっている自分自身を
受け止めて上げられる様にもなれるよ。


自分に正直になって
背伸びをし続けている 自分自身ではなく
出来損ないの駄目な自分を愛して
その自分と生きてみる・・・・と書き込んだけれど 
それでは本当の所 まだ半分なんです。


本当に
私が伝えたい所は 
そんなところではありません。

そのままでは
本当の あなたは 駄目な方の
自分だよと言っているみたいでしょう?。

確かに
そう言っていますけれど

それは
背伸びをし 
自分に知らず知らずの内に
無理強いを強いてしまっている自分よりは 
駄目な自分の方が 本物だよと言っているんです。

あなたが
正直になって 自分の中(内面)の
駄目な自分に対して 心を開くと・・・・。

心を開くと言うのは
駄目な自分に対して 抵抗をしない
あるいは嫌がったりしないで 向き合うと言う事

そして
「 あ~本当に俺って 
こんなちっぽけな自分でしか
無かったな~ これ以外の俺なんて
全部嘘っぱちで 無理して作り上げていただけな
んだな~ 」な~んて事に気が付いてくると
全身の力が抜けて とても楽な気持ちに成れるんです。




そして
ここからが 
とても大事な事なのですが

そうして
駄目な自分を 
頭の先っぽでは無く
心を開いて 受け入れると 

とても
楽な気持ちに
成れるばかりでなく

そこには
もっと 深くて重要な
事実が隠されているのです・・・・・・・・。

それは
あなたが 今の今見つめてる
あるいは 向き合っている 受け入れている

“ 駄目な自分自身とは
 一体 何時の物なのか? ”と言う
質問をしてみたいのです・・・。

私達が
生きているこの世の中は
常に時間が流れています。

今迄に
起きた全ての事は
過去と言う時間の中に
飲み込まれてしまっていて 
二度と帰ってくる事は有りません。


そして
私達の考える未来と言う時間は
私達の考えや想像の中に有るものであって

まだ 
現実の時間として
過ごす事など出来得ない
まだ 来ていない時間です。

実際に
私達に味わい
感じられる時間は 
今現在と言う時間だけなのです。

そして
大事な事は 
どんなに嬉しいことであれ
或いは どんなに悲しいことであれ

私達に
現実として感じられるのは
たったの一度きりだと言う事実です。


何であれ 
どんなことであれ 
たったの一瞬だと言う事実です。

なのに
私達の中では 
そういう具合には成っていません。

事実として
感じられるのは
誰であれ たったの一瞬なのにも拘わらず

その後で
私達は 私達の中で 
まるで ビデオで録画したものを
私たち自身に見せ続ける様な事をしていて 

あたかも
その事実が
ず~っと続いていて 

自分自身の中に
今も その事実が有るかの様に
思い込ませています・・・変でしょうこれって?


小さい頃に
何かを失敗してしまって
叱られたり 或いは 皆の前で恥ずかしい
思いをしてしまったりと

そんな中で
傷付いてしまった
あなたの心さえも ひっくるめて

それらの
事実は ぜ~えんぶ
終わってしまって 今は無いのに
有るように感じられていたら・・・・

それは 
あなたが あなたに見せ続けている
ビデオで 有って事実じゃあないよ。

それは
あなたを 背伸びした あなたで
走らせ続ける為の仕掛けの様な物なのです。

あなたを
走らせ 
息切れさせて 

あなたの
人生において 
あなたの 手によって 
あなた自身を 失望させる為の仕掛けです。

一時的には
良い時も
有るかも知れないけれど

最終的には 
何ひとつ手にする事も出来ずに
あなたは 深い孤独の中で身動き一つ取れなく
なってしまうかもしれません。

駄目な
自分が自分の
内面に有るように感じられる時

そこから 
逃げ出し 背伸びをする
自分で生きるのではなく 
その当の駄目な自分が 一体 いつの物なのかに気づけると

それは つい今しがたの物であって
今は既に無くなってしまっているという事実に気づけ
逃げ出す必要など無いどころか
そこには 何一つない 
自分と呼べる物さえ 無くなってしまっている
なぁ~んにもない
「無さ」が広がっています。


この空間こそが
その無さ自体が本物のあなたです。

その空間は 身体を隔てた 
身体の外側の巨大な空間とひとつに繋がっています。
溶け合っています。
その時あなたは宇宙です・・・。


・・・・。
















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 133★

2006-11-20 09:57:46 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO33 ◇





それは 
本当の愛などじゃないと
今気づかなくても

あなたが やがて
おじいさん おばあさんになった頃
必らず その事実が
あなたを圧倒してしまう時が来る。

その時になって
いくら あなたが
泣きわめいても駄目だよ。

あなたは 
色々な人に
助けを求め様とする。

だが
誰もあなたを
助けられる人はいない。

そこで
あなたは今度は その事から目を
背けようとする。

だが 
それも
あなたを助けるまではいかない。
その場が
楽になるだけだ・・・。

違う
そんな事では
役にたたない。

それは
あなたが 間違っていたという
事実を 目の当たりにして



本当の 
あなたじゃない あなたが
打ち負かされ切った時に

あなたを 
怖がらせ
泣きわめかしていた物も

自分の手で自分を恐がらせ
泣きわめいていた あなた自身も
その どちらも 同時に 消えてなくなる。

そして
そこに
あなたの本性の 誕生がある
その本性のあなたは
それ自体に
優しく包み込まれる・・・。 


その時こそ
あなたは あなたの手で
あなたを 救い出してしまっている。

その時こそ
あなたは ここに至っている。
「空」に至っている。
真理に至っている。
愛 そのものになっている。

もう 
愛など求める必要も
なくなってしまう。

そして愛とは
あなた自身の内に潜んでいて
あなたは その愛自体に
1人で出逢えない為に

いつも いつも 人を介していた事を
知るに至るだろう。

人を介していたばかりに
いつも 内側に あなたが 
入って行く事を せずに

愛が 体験できていた為に
愛は 外側にあるもの
それは 人との間にしか起こらないものだと
決め込んでいた事にも
あなたは気づく・・・。

そんな
決めつけがあった為に

あなたは今日まで
てんで方向違いの方向に
進んでいて

長い事 あなたが 愛そのものに
なってしまう事を
延期し続けてきた・・・。

あなたの愛は
いつも 未来に必らず
終りが 破壊が
横たわるものでしかなかった・・・。

だってあなた1人じゃ
今までの愛は
起こらなかったからだ。

それには 必らず相手が
必要だったからだ。

自分が 
終りたくなくても
相手によって
終らされてしまう可能性もある。

だから あなたは
いつも 愛の中ですら
自分を守っていたし
その緊張をとけなかった・・・。

それは
そもそもの始まりから
間違っていた。

順序として
まず第一番目に
なされなくてはならない事が
なされていない。

だから 終りが来る事も
あなた自身が
一番良く知っていた。


まず 一番に
あなたは 内側に入って
あなたが 愛そのものになってしまう
あなたの内側の愛を
開く事を始める。

あなたの内側の愛が
開かれたら

あなたは
愛は 人に 外側に
求めるものじゃない事を
知るに至っている。

あなたは 
愛で満たされている。

愛で満たされている人は
愛をするなんて
馬鹿な事をしやしない。

そんなうわべの
作りものなんて 演じない。

そして
近づいてくる人を
愛の名の基に

自分が一人になり
内側をのぞき出してしまう事を
まぎらわせる為の
道具になんて使わない。

淋しさを誤まかす為の
道具になんて使わない。

だから
やがて その相手も
自然に 内側の愛を発見する道を
歩み出してくれる事だろう。

それは
長い時間を 
要すかも知れない・・・。

だが 
あなたとの関係の中に
何かを見い出した人は

必らず
その道を歩み始めてくれる。

愛は 
人に求めるものではなく
又 与えるものでもなく

ただ ただ 常に あなたの内側が
あなたのハートが 心が
空っぽの 空き家で 居られる事だ。

今までの あなたに
「さよなら」をして

あなたの内面が 
ただの 空き家で
あり続けている事実に
波長を合わし続けられる事だ。

あなたの 内面の 
事実と共に
歩いている事だ。

そして
そんな あなたから
人が愛を与えられていると
感じ取っても・・・。

それは 
その人の自由だ
そう言われ続ける様にしようなんて
馬鹿みたいな事はしない。

あなたは 誰一人 
特別扱いなんかしない・・。

或いは
皆を 特別扱いする。
どちらも同じ事だ。

どんな人でも
あなたの 空き家に訪ずれた人を
自然に大歓迎でき。

そして
空き家を後にして帰るお客さんを
閉じ込めたり 引き止めたり

その後を追いかけたり
いつまでも そのお客さんの事を
考えていたりしない・・・。

だって そんな事をしたら
あなたは もう
空き家じゃなくなっている。

次に 入ってきた お客さんを
お通夜みたいにして
迎え入れてしまう事になる・・・。



あなた達の 
今まで 
知っていた愛は
誰かしら
相手を 必要とする 愛だった・・・。

その愛は
その愛自体
いかに 不毛かという 事実を
あなたが 知るに 至るまでの
乗り物だ。

その事実を
あなたが 知るに 至るまでは
何度でも 何度でも
愛し続けたらいい・・・。

相手が問題なんじゃない
あなたが 問題なんじゃない。

その乗り物
愛という乗り物は
関係の上に成り立つ 愛の不毛さを
あなたに 伝える役目をする。

だって 
その愛の おかげで
苦しさを せつなさを
悲しさを

あなたは うんざりするぐらい
嫌というほど
味わい続けて来た。



それは
必らず 後にしなければならない
乗り物だ。
そうじゃなければ
あなたは 一生その中で
のた打ち回る。

勿論 
喜びもあるだろう。

だが
その喜びの分
あなたは 必ず苦しまなければならない。

そして 
そこを後にしてから
内側へと
あなたは 進み出す。

本当の 愛を深しに
あなたは 始めて
正しい方向に向かい出す。

もしも
あなたが その不毛さを
理解した上でなければ
あなたは 再び外側に
向い出してしまう。

何故なら
内側の 深みに達する事が
出来ないからだ。

愛の扉を
開く地点まで 達せられずに
あなたは 戻って来てしまう。
だって 内側への探索は
非常に難しく
根気がいる。

そればかりか
恐怖や 苦しさを 伴い
大変な勇気がいる為に
あなたが 本当に理解してからで
なければ
進めない。

だが 
外側の愛で
こっぴどい程に傷つき
どんなに相手が変ろうが
同じ事だと理解し
その愛に嫌気がさした あなたなら

内側の 奥の奥の奥に潜む
愛の扉を開かせる事が
可能になる。




だって
今や あなたは
外側の一切を求め歩いて
外側の どこを探がしても
それがないことを
知ってしまっているからだ・・・。

もう
内側をおいて 他にない
あなたは ひとつの確信に立って
歩み始める。
そこに
至る為なら
自らの命までもを 差し出す用意がある。

そんな
人にならば
最後の地点に至る事が
可能だ。



ここで
彼の本性の誕生 復活は起った・・・。

これから読み上げるのは
その時の彼の言葉だ。
 
そして
それは 彼の誕生の詩だ

「 パパは 今まで
たくさんのものを
ただ 追い求めて来た。

それは 
小さい頃 
そう おまえより
もっと ずっと小さい頃から
パパが 育って来た線路の上を
歩いているとも解からずに

ただ 
パパは それが良い事だと
思っていた。


でも
何を求めても
何をしても
パパの 本当に欲しいものは
そこには 無かった。

線路の上を 
歩き続けても
走っても
何をしても
それは そこにはないと
わかった時
それが どんなに馬鹿げたことかと
わかった時
パパは 一切を捨てた。
全てを捨てた。

いや 捨てたんじゃない
最初から
何も持っていなかった事に
気づいたんだ。

何もだよ
何ひとつ
パパの 持ってる物は 無かったのに
それを見るのが怖くて
ただ 次から次へと
求め歩いている
そんな 自分が 
消えうせてしまったんだ。

そしたらバパは 
どこにも居なくなって しまった。

いしだ たかし というのは
パパじゃない。
この肉体に ついている名前で
パパは いしだ たかし じゃない。

ただ その体を 
借りていただけなんだ
おまえも そうなんだよ
だから それを自分などと
思っちゃいけない。

そんな所にも
おまえは 居ないんだから
いつか気がつく 時がくる・・・。

パパには 
もう一度
おまえと同じ所で
気づかない様に
眠ったふりはする事ができても

それは
あくまで
ふりだけで
眠り続ける事なんて
出来ない。

おまえは 
そんなパパを見て
おかしい 変な人だ
狂っていると 思うだろう。

でも 仕方がない
もう パパには どんなに努力をしても
おまえの所に
帰る事は出来ないんだ。


ただひとつ
おまえと 一諸に 成れるのは
おまえが パパのところに
来る事は 可能だよ。

でも 
その逆は無理だ
例えしても
それは 振りだけなんだよ。

パパだって
おまえと 離れたくなかったけど
仕方なかった。

パパには 
どうする事も 出来なかったんだ。
今が パパのその時だった・・・。
悪かったね 」

これは
彼の奥さんが
ここまで成長した彼を見て

今までの 彼とは
まるっきり 違ってしまった 彼を見て
奥さんは 戸惑ってしまった。

その奥さんが
子供口調で
「 どうして 今までのパパと
違ってしまったの? 」と
言う質問の手紙を書いた。

その時
子供に答える様にして
彼が書いた「愛の詩」だ・・・。
奥さんは 
それを読んで
内的な成長の道を歩む
きっかけになった
彼の詩だ・・・。

そして
今 彼等は
二つの純粋な空間として在る。

互いの中に
溶け込み合って 成長につぐ
成長を 繰り返し続けている。



さあ 
ここまでで
彼の話しは お終まいだ。

あなたが 
ここまでの 彼の話をきいて
何を感じようが
構わない。

だが これは真実だ。


私は 彼の話を通して
あなた方にも
同じ地点まで
歩く事が出来るということを。

そしてあなたにも
本性の誕生が
可能なのだという事を伝えたかった。



明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに