この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 296★

2007-06-30 08:38:12 | Weblog


◇ 風の様に在る道 2 ◇




そして
ここまでの事を
ひとたび理解 出来たら

あなたが
空(くう)を一度でも
味わった事が有るのなら


ひとつとして
自分に対して
人から物事を 強要させるべきじゃない

人から 
物事を強要されて
動いてはいけない

人からの
強要や 強制を
行動の原動力としてはいけない。

何故なら
それをすると
あなたが 二つに分かたれてしまうからだ。

自分の意志と
人からの 意志
当然 二つに分かたれてしまう。
ひとまとまりじゃない。

もしも
他からの 強要によって
あなたが 行動を起こすと
その行動を 取っている間

あなたは
何の意味もない生を
過ごしてしまう

だって
そうしている人は
内側で 自分の意志の方を
考えっぱなしだ・・・。

無駄な生を
過ごしてしまう

例え
その事が
誰が見ても
当然 悪い事でも

ここまでの事を 
ひとたび 理解した体験が
あなたに 有るなら

あなたの
考える意志の通りに
行動すべきだ。

良い 悪いではなく
あなたの意志の 向かうままに動く
そうした方が あなたは 活きている。

そうして
活きたまま
目を開いたまま
自分の意志で進み 苦しみ もがく。

最後には
その方向に
進めなくなり

その時
あなたは
誰の強要も受けずに

自分の
意志で
正道に帰ってくる
これが 成長だ・・・。



こうする事を
あなた自身に許せば
あなたは人にも その成長過程を許す事が出来る

頭の中で
先を見て
ブレーキをかける生き方など
ひとつの成長もないだろう。

それは
まだ 道徳や 理性において
ブレーキをかけたり

今までに
作り上げた自分が
壊れてしまうといった
 
恐怖心から出る 
自分を守りたいという考えから
あなたが 生きている事を 表わしている・・・。

そのままでは
あなたは 生きられない。

しだいに
あなたは どんよりとした
雲空の様に 成ってしまう・・・。




何をも恐れずに
自分にも 他人にも 
何の強要もせずに

求める事もせずに
歩き始めた時 
あなたは 初めて生に出逢える

その時
あなたは成長し
晴れ渡る 雲ひとつない 空の様に成れる。




そして
常にそんな歩き方だ。

一度 
そういう歩き方が
出来たからといって 満足してしまうと

再び 
あなたは
安心感のある 歩き方をする
上手くいったパターンを
無意識に持ち歩こうとする

すると
再び 生に出逢えず
どんよりとした
曇空に 成ってしまう。

常に
何をも恐れず
自分にも 他人にも
なんの強要も しない歩き方が 必要だ

自分の
やりたい事をする
歩きたい様に歩くと そこに成長がある。

間違った道を歩けば
その道が 間違いである事を
身をもって知る・・・成長だよ・・・。

自分で
覗き切った 間違った道は
あなたは 二度と再び歩かない。


人に
注意されて
途中でやめた間違いの体験は

何度となく 
間違えても あなたが 
注意をされて やめている限り
そこに 成長はない。

それどころか
再び その道を
歩きたくなる願望が 芽生える

その願望に
蓋をしてはダメだ
それは あなたの本性が
成長を望んでいる

再び
その間違いを
しない為に 自分の意志で

もう
進めなくなる所まで
進んで来させようと
あなたに成長を 促している。

だって
何故 それを したらいけないのかを
あなたは まだ身をもって知っていない。

それを
あなたが
頭で止めていたりしたら

一生 
あなたは
その行動を起こしてしまう可能性を
内側に持ったままで歩く・・・。

いつも
理性を
張り巡らさなければ いけない。

あなたの
内側では
一生 その問題と
睨めっこをし続ける。

理性を
張り巡らしている時
そこに 緊張感が生まれている

その
緊張状態から
解放されたい為の行動
ゆったりなどしていない

こんな状態での人生を・・・
こんな状態で歩き続ける人を・・・
果たして 生きていると言えるだろうか・・・?

そんな
状態でいる間中

あなたは 
永久的に脈々と
流れ続けて来ている 素敵な生を
味わう事を取り逃がし続ける・・・・。






だって 
こんなに素敵で爽やかな
香りを運ぶ風が吹いているのに

あなたは 
内側で 睨めっこをしている
なんて勿体無い事をしているのだろう・・・。

生は
そんな あなたになんか お構い無しで
あなたの直ぐ脇を 脈々と流れ続けている。








★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 295★

2007-06-29 13:27:31 | Weblog


◇ 風の様に在る道 ◇


生は まさに風の様に自由自在




以前 私が話した
カルマの話しを憶えているだろうか・・・?

あの ゴリラを例に出して
説明をした カルマの話しだ。

受け継いだものを
そっくり そのまま受け継がす。

そして
どうあがいても
そこから 抜け出す道はない。

あなたは 
受け継いだもの以外には 成れない
それ以外では 生きられない。

それ
以外では
生きられないのに
それ以外で生きようとする。

何か
他の者に成ろうとする。

そして
それが失敗に終ったり
思う様に進まなくなった時に 
あなたは悩む・・・。

まず最初に
勝ち目の有り得ない戦いに
出て行く事を 一旦やめる事だ。

何故
勝ち目の無い戦いに出て
行ってしまうのか・・・?

それは 
あなたが小さい頃から 今日まで 
外側の人々から 教わってしまった

こう 有るべきだとか
ああ 有るべきだとか
これが悪いとか
あれが良いという

理性や
道徳によって
あなたは あなたを作り
実際の自分が受け継いだものでの生を

悪いものだと見なし
その生を内側に
しまい込んでいるからだ・・・。

そして
誰よりも あなたが 
その内側の自分を 裁き続けているからだ。

受け継いだ
その生以外では 生きられない
あなたが それを裁く

何故
そんな必要が有るのだろう?

だって 
それは あなたが
そうしたんじゃないのに・・・。

もしも
あなたが その生を選んだなら
反省も 裁きも必要だけれど

それは
あなたが 選んだ訳じゃないのに
あなたは 受け継いだ生を 裁いて

内側
深く仕舞い込み
あなたじゃない あなたを作り・・・

それに
しがみ付いて
生きようとする。


まず
第一に 気がつかなければ
いけないことは

受け継いだ生を
内側に 仕舞い込む事を
している あなたは

他の誰よりも
あなた自身が一番
その生を 否定しているという事を
表している。

そして
その生を 隠す為に
作り上げた生・・・。

作り上げた
自分の根本は
受け継いだ生自体から
発生しているのだから

あなたは
一見 変っている様に見えても
それは 変っちゃいない。

あなたの親も 
そうして 生きた
同じ様に 生きた。

そして又
あなたの 親の 親も
その又 親も
あなたと 同じく

今の
あなた そのものの様に
内側に 受け継いだ生を隠し
その上に 作り物の自已を築き 生きた。

あなたも
その人達と
まったく同じ事をしているのに

あなたは
それを自分一人だけが
さも 初めて そうして生きている様に
受け取ってしまう。

そうして
生きるから
あなたは余計に
親 そっくりに 生きてしまうことを 知らない。

あなたが
親を嫌い
あんな親には
成るまいとする事が

余計に
親そっくりに成ってしまう。

だって
あなたの親も 
親に対して そう感じ

あんな親には 
成るまいとして 生きた結果が
あなたに 嫌われる親と成ってしまっている。

これは 悲劇だね・・・。

そればかりか 
あなたが 親と成り子供に
どう見られるかは 
既に 結果が出る前から 決っている。





まず
あなたが内側に
しまい込んでいる
受け継いだ生を 否定し
それ以外で生きようとしても

そんな事は
不可能だと言う事を 理解し

その上で 
今度は それは何も
あなたがしている訳じゃないという事を理解する。

あなたには
それ以外 出来ない様に
仕組まれている。

それは
あなたが した事じゃない。

これは
世の中の多くの人達に
起ってしまっている事だ。

あなたが
した事では 無いことに 対して
良いとか 悪いとかは 要らない。

その
良い人間だとか
悪い人間なんだとか

自分は 
良い事をしているんだとか
悪い事をしているんだという考え
自体が 邪魔なんだ。

それは
あなたのした事じゃない
流れ全体のしている事だ。

反省も
裁きも要らない
ただ 理解が必要だ。

覗き見る事が
必要とされている。

何故なら
自分が していると考え
良い 悪いと見なしたら

もう
それ以上
先を見る事が
不可能となってしまう。
事実を遠ざけてしまう事になる。

では この逆に
私じゃなかったから
良いんだという だけでは

あなたは 
その流れの中の
ひと流れになり
カルマの流れから
抜け出す事は 出来ない。

良い悪いは
あなたを途中で
固めてしまう
あなたは その二つを越えて
物を 見始めなければ成らない。

私の
本当の狙いは
あなたを あなた自身から
解放することにある。

そこに本当の 
あなたの誕生がある。

だが
折角 誕生を 遂げても
再び あなたは あなたを作り

その作った 
あなたが 我ならぬ我が
牢屋と成り 誕生した あなたを
その中に 閉じ込めてしまっている。

何度も
何度も牢屋の中に
閉じ込めたり 誕生したりを繰り返してしまう。

その事実全体に
目を向けられる地点まで
あなたに 歩いて来て欲しい・・・。


そして
その事実全体に
目を向けられる地点こそが
唯一カルマの影響が及ばない領域であり次元だ。
その次元とは”空”そのものだよ。


カルマが影響を及ぼせるのは
”私”に対してだけだ。我に対してだけ。


自己の消え去った
空間にはカルマは引き継がれようが無い。


だから 私は こんなに執拗に
あなたを 空へと誘う事をしているんだよ。


これは
別の言い方をすれば
自己救済の仕方を
伝えるブログでも有るのだから・・・。
















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 294★

2007-06-28 11:27:36 | Weblog


◇全面降伏・・・◇




どうして
部分的では いけないのか
どうして全面的に認めなければ
役に立たないかを

イエスの
言葉を借りて 説明すると

イエスが 
何人かの弟子達を 連れて旅をしていた。

その旅の途中
ある お金持の屋敷を 
通りすぎようとすると

その屋敷の主が
イエスの一行を見つけて
召使いに 言いつけ
屋敷内に招き入れた。

そして
旅の疲れを癒した
イエスの一行が再び 旅を続けようと

身支度を
整えている時
その屋敷の主が イエスに言った

「 私を あなたの弟子にして下さい
もしも 願いを聞き入れて下されば
私は 私の今 持っているすべての財産の半分を
貧しき者達に ほどこします 」

それを聞いたイエスは…
イエスとは言わなかった?
首を縦には ふらなかった

「 何故半分なのか
あなたの 持っている すべてのものを
投げ打って 貧しき人達に与えられるなら
私は あなたを弟子にしょう 」

主は 
困ってしまった
そこまでのつもりは
無かったからだ・・・。

そうして
こう思った 

「 イエスという
この男は 何て事を言うんだろう
折角 私の持っている半分もを
失なおうという気でいるのに
今までは 半分だって そんな気にさえ成らなかった
それを この私が 折角 最大限に
こんなにも 考えて上げているのに
この男は 一体 何て事を言うんだろう
私の善意が伝わらない
こんな男の弟子になったところで 先が見えている 」

そう考え
その主は それを断ってしまった。

だって
それでは あんまりだ
半分までだったらいい

でも
全部だったら
今までの私が 私でなくなってしまう。

これが
あなた方の心と言うものだよ。


イエスは
今までの あなたなんか
消えて 無くなって欲しい

今までの
あなただったら
私の弟子になる事など
不可能だと言っている。

今までの
あなたで 有るから
苦しみや 悩みが生まれる。

それは
今までの あなただったら
必らず 生まれて来てしまう
悩みや 苦しみだから

まずは
一番の最初に
今までの あなたなど
無くなってしまう事が始まりだ。

にも拘らず
その最初の 第一歩が
一歩を踏み出せずに
半歩だとしたら・・・。

これはもう
話にならない。

半分までなら
捨てられると言うあなたが
今までのあなたの 人生全体に現れている。

それは
ずっと そうだった
あなたが まだ幼い頃からの歩き方だった。

ワンパターンだよ
もっとも重要な第一歩を
半歩しか踏み出さないあなたは
多分 ずっと そのままだろう・・・。

大切なのは
この一歩だ
なのに あなたは
半分は ちゃんと捨てたと言い張る。

そう
半分は確かに捨てたけど
残りの半分はどうした?

依然として
ちゃんと守っているじゃないか
そしたら それは自分を守っているという事に
関しちゃ以前と少しも変らない。

前の
まんまだ 
これでは あなたは
何にもしてないのと同じ事になる。

全部を
捨てられない限り
たとえ 90%を捨てられたとしても

それは同じだよ
守っているのには変りはない
私も あなたに 同じ事を要求する

あなたが 
もしも本当に
これに気づきたいのなら

「 ほとんど
間違っていた事は 認めたけれど
このひとつだけは 違います 」

なんて言うのは認めない。

100%だ
完全に全部だ
真実に対しての全面降伏だ・・・。

その時でなければ
私の言っている事など
あなたには 聞えないだろうし

私の
言っている事が
真実以外の何ものでもないことを

あなたは
実感として
捉える事は出来ないだろう。

実感で捉えることが出来なければ
あなたに 復活は 再生は起らないだろう。

いくら必死で こんな話しを 
頭の中に掻き集めたところで
あなたには 何も起きはしないだろう。

そんなことを したところで
知識として持ち歩き
人に話して優越感に浸る事が出来る程度だ。

私は あなたに
そんなものを伝えたいわけでは無いのに・・・・・。













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 293★

2007-06-27 11:12:53 | Weblog


◇落下・・・◇

傲慢になってしまった時に
       必ずや起きる”落下”




多くの人が
せっかく気づいた処から 滑り落ちてしまう
大きな原因のひとつは

すべてが
間違っていたと
気づいたにも 拘わらず

これだけは
そうじゃなかったと
思いたいものを引っぱり出して

それに
屁理屈をつけて
間違いを 間違いじゃなかったとしてしまう事にある。


それは
エゴの罠だよ。
自我の復活だ。

過去の中の
たった ひとつでも生かそうとすれば
すべてが 生き返ってしまい

自分の中で
収拾のつかない
かっての状態に戻してしまう。

茶筒の
内なる空間を
一杯にしてしまう
もう 大変な混乱だ・・・。
全てを ふりだしに戻してしまう。
ここは 苦しい・・・。

一度
空の深遠な安らぎを
味わった人なら誰もが
以前の状態に戻ってしまうと
とても深い渇きを憶えるものだ。




あなたが気づけたものは
ホンの 一握りのものにすぎない。

まだまだ
あなたを 縛るものが 
あなたの過去の中に山ほど有る。

ほんの
針の穴を
開けた程度に すぎないという事を
どうか憶えておいて欲しい・・・。



その穴を
広げようが 埋めようが
そのまま 足踏みをしていようが

それは
あなた次第だ
あなたの選択だ。


何故なら
それは あなたの人生なのだから
全ての決定権は あなたの手の中に有る・・・。



”あなたと言う エゴの実の落下”


あなたが
解かった気になり
傲慢に成れば成るほど
あなたと言う エゴの実は太りに太る

余りの重さに
耐えられなくなった
あなたと言う エゴの実は自然に落下する。



その落下した場所を 
あなたの転落した場所を

拒絶するのではなく
新しいあなたの居場所として

素直に受け入れた時
あなたは再び帰り着いているよ・・・。










今日のUP分は とても短いので
昨日のUP分と繋げようとも考えたのですが
真実を解る上で とても重要な事が書かれている為に
あえて別々に掲載させて頂く事にしました。



明日の人間物語のブログ講座を どうぞ お楽しみに。










★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 292★

2007-06-26 11:18:02 | Weblog


◇「ありがとう」と
     「さようなら」◇






私が 
気づけた 
最大の理由がひとつ

それは
あらゆる方向に
最大限の努力をして生きていた時

その努力は
どこへも連れて行っては
くれない事に気づいた・・・。

その努力を
行なっている時には
努力をして 何でも自分の
思い通りに なっている時には

自分でも気づかない内に
自分というエゴを
自我を 我ならぬ我を
より強めてしまい

すると 次々に
思い通りにしたいという感覚が
湧き起り 
それが起れば
当然 努力をしてしまう

そして 
それは 一時たりとも
私に休みを与えてくれない。

本当は
ヘトヘトになっているのに
その努力は どこへも行きつかず

ただ
自己の過大評価を
させてしまうだけだった。

そして
当然それが 過大評価だから
いつか崩れてしまうのではという

過大評価ぶんの不安が
いつも いつも心の底にあった・・・。






そして
今まで生きてきた
人生全体が 間違っていたと気づいた時

このままでは 
同じ輸の中を
グルグル回るだけだと気づいた時。

始めて
その努力全体を
逆に切り変えた・・・。

今までが
自己の エゴの強固であり
過大評価だったのだから

それを
エゴの粉砕の方向へ
ただ ありのままの事実を見る方向へ。

勿論
自分の生まれた頃まで
逆のぼって 過去の一切を見た。

何か
不安や恐怖があるたびに
それと類似した過去の一切を見た。

それを
やりにやり続けた・・・。

それを
見ようとすると
エゴが 今までの 私が
必死に なって引き戻そうとする。

それを
やめさせようとする
それを 越えて見るということは

とても
苦しいものだけれど

それを
放置したまま
それに 目を背けたり
自分を 誤まかす事の方が

よっぽど 
苦しすぎる事を
もう知ってしまっている。

だって
一生 それにビクつく未来が
見えるし それとの戦いの毎日に 成ってしまう。

だから
最初の内は あえて それらを見てみた。

すると
その内
それをすれば するほど自分が軽くなる。

そして
最後の段階では
今日までの 一切の日々に

一切の
私と 関わった人達に

憎んでいた人にも
好きだった人にも
すべてに対して

そして
今日まで 訪れた
苦しかった 状況にも
楽しかった 状況にも

すべてに
全体に 対して
私は 頭を下げた。

そして
全てに 「 ありがとう 」と 一言

そして 
全てに 「 さようなら 」の 一言

だって
今 こうやって
気づけたのは その全てがあったからだ。

決して
私がそうしたんじゃない。

ここまで
私を 色々な人や 状況が
連れてきてくれた。

その中の
僅かな物が
欠けていても
これは 起らなかっただろう。

悩んだからだ
苦しんだからだ
だからこうやって 気づけた。

悩みや苦しみは
もはや敵じゃない
むしろ 最大の友だよ!

すべてに対して
「 ありがとう 」と言ったのは
あなたにも 理解できるだろう

「 さよなら 」を 言ったのは
「 ありがとう 」だけじゃ
今度は それら全体を 自分の内側に残してしまう
生かしてしまう。

だって
それは 余りに 
ありがたかった。

言葉なんかじゃ
言い表せない感謝だ。

だから
余計それにしがみつき
内側に 留めて置きたくなる。

けれど
その すべては 
もう終ってしまっている。

今は
もう無い
自分で勝手に
無いものを 生かしめておいた

「 さよなら 」を 
言ったのは 無いものを 
ちゃんと 無くさせてあげたんだよ。


これは
とても大事な事だ

すると
未来の一切も
完全に消え去ってしまった。

もう
何ものも
私を縛るものはない。

続いて
最後の最後に 私さえも消えた
エゴは完全に 蒸発してしまった…。


だから
今の私は
悩みも 苦しみもない。

たとえ
それが来ても
私は その中に 入っていって

それと
ひとつに 
なってしまえる。

そしたら
悩みは 悩みでなく
苦しみは 苦しみでなくなる。

あなたが
それと 敵対関係にあると
悩みは 悩みであり
苦しみは 苦しみであり続ける。

それは
あなたが
それに逆らおうとするから

そうしてしまう
そうは 成りたくないとか
もっと こうしたいとか
こっちへ 行きたいとかが 有るからなんだ。

私にはもう
そんなものは 何ひとつない
生とひとつになって

それが 
連れて行くところだったら 何処にでも行く・・・。













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 291★

2007-06-25 10:52:20 | Weblog


◇ 何故・そこに至れないのか
     無とは?、空(くう)?とは 2 ◇




その
二つの次元が
生れ出てくるのは

あなたの
身体が
生き始めた後からだ。

では
身体を生かしめているのは 
一体 何か?
あなたじゃないだろう?

だって
あなたが 
あなたを見い出そうとしている
その二つの次元は
身体が機能しているからこそ
生れ出てくるのであって

まだ身体が 
機能していない時には
そんな次元など 生れてはいなかった。

そして
あなたが生かしめているのでも無い
身体を生かしている 何ものかがある。

その何ものかが
あなたの身体を借りて
あなたの身体の中に流れ込んで来て

初めて 
あなたの身体は 生き始める
あなたは その流れ込んだ側であって
流れ込まれた側の 身体の方じゃない。

ちょっと
やっかいな事に
流れ込んだと 同時に

身体は
機能しはじめ
それを 維持しはじめる。

それを
自分だと思い込んでしまう
それと 同化してしまう。

それは
丁度 こんな感じだ。
車を 運転した事の有る人なら解かる

車を
運転すると
ハンドルと アクセルと
ブレーキで車の中に 乗っている人の
思いのままに動く。

運転手と
車が一体化してしまって
同化してしまって
まるで手足の様だ 自由自在だ。

それは 
生きているみたいだ
その車は 生きているみたいだ。

でも
車自体は 生きちゃいない
車が 車を 動かしているんじゃない。

中に
運転手がいて
始めて動き出す・・・。

車が
車自体で
動いているんじゃない。

それを
動かしめている人が
中にいるから動く。

丁度
これと
似た様な 感じだ。

あなたは 
身体じゃない
ましてや その身体が
今までに やってきた事なんかでもない・・・。



茶筒を
想い浮べてごらん
空っぽで 中には 何も見えない。

物質の世界にいる私達には
何も物が 見えない状態の中は
何もないと 判断する

その中に 
確かに 物は 何も無い。
でも “空っぽさ”がある

空間が有る
そして その茶筒自体が
あなたの 身体だよ。

外側の空と
内側の空を
隔てさせている身体。

その内側は 空っぽだ
何もない様に見えるけど
ちゃんと 空間が有る・・・。

そして
茶筒を 隔てた外側には
何処までも 広がる
途方もない 空間がある・・・。

あなたは
茶筒自体でも 無いし
何も有りはしない茶筒の内側の 空問に想像で
描いている過去や未来(目的)や 信念なんかでもない。

あなたは
茶筒の内側の空っぽ
小さな空間だ・・・。

それ自体が
あなたと 
気づいたその時・・・。

茶筒の外側の
どでかい空間と 
ひとつに溶け合ってしまう。

そして
此処こそ
心越えたる処だ・・・。



そうすると
あなたは 何処にでも居る
此処にも あそこにも

あの人の中にも 
この人の中にも
あの木の中にも この草の中にも

小さな内なる
空間を見い出せる。

そして
そう言った内側だけにじゃない
その外側にも いたるところ 空だらけだ。
あなただらけだ。

その あなたは
不可視なるもので 有り
不可死なるものでも 有る

いつも
満ちたりている。

何故なら
あなたは この地点で 
本当の 命の源に・・・ 
大海に・・・大海原に・・呼び方は何でもいい。
初めて 帰れるのだから。

そして
そこには
自然に 湧き起こる
限りない 祝福が有り 感謝が有る
それが 祈りの何たるかだ・・・。




そして
私に出来た事は
あなたにも 可能だ。

何故なら
本来的な所で
あなたと 私はどこも 変るところが 無いのだから。

でも
その気に
成らなかったら
多分 無理では有る。

それを
その気に成れないのを

「 私は 求道者でもないから
そこまでは 必要とはしていなかった 」とか


「 今現在が まあまあ 以前よりも
問題なく進んでくれさえしたら 良いだけだ 」 とか

そんな
誤まかしを
自分に対してしない事。


この最後の
究極の開華以外に
あなたを 落ちつかせてくれる場所など
何処にも有りはしない・・・。

それは 有ったとしても
結局のところ 一時的なものだろう。

人間にとって
残されている たった ひとつの道は
これ以外において 他に無い
これ以外の全ては 誤まかしでしか 無いだろう。

たった
ひとつの可能な道を
塞いでしまう事 それは とても不幸だ・・・。

それは
世にある最大の不幸だ
その道以外の どれを選んだところで

あなたは
あなたの最終の死への
ジャンプの時に 後悔をしてしまうことだろう。

だが 
その時には もう遅い・・・・
その段階では 誰にも助けることなど出来ないのだから・・・。










★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 290★

2007-06-24 14:59:34 | Weblog


◇ 何故・そこに至れないのか
    無とは?、空(くう)?とは ◇







あなたは それまでの
あなたの 歩み全体が
間違っていた事に気づいた

にも 拘わらず
あなたは そこから
滑り落ちてしまう。

何故
そうなってしまうのだろう・・・?
あんなに ハッキリと気づいた。

これは
真実だと 理解したにも
拘わらず 何故だろう?

まず 
第一には
第四の知恵の 最終段階で

あなたは
自分など 居た事も 無かったのに
過去全体を生かしめて

それを指して
自分だの 俺だの
私だの という感覚を
いだいていた。

ところが
その過去自体が
もう すべて終ってしまって

今は 
現実には 無い事が
ハッキリと見てとれた。

それと
同時に 突然の様に
どこを見渡しても何も無い・・・。

自分など 
どこにも 居た事が 
無かったと言う事が 理解できた。

生れてから 
今日に至るまで
実際には 一度も居た事が無かった。

一瞬たりとも
居た事が無かった。


居た事が
無かったのに 拘わらず
その事実を ハッキリと見た事が一度としてなかったから
居ると思い込んでしまっていた。

そして
その 居ると思い込んでいた
自分自身の事を 守るという発想の元に

今日までの
全ては
行なわれてきたが

守るべき
等のものが
無いと解かった時

すべては
馬鹿げて見えた
何も 有りはしないものを

今日まで
有ると思って生きてきた日々

ただ
一度も見た事が
無かったと言った
たったの それだけの理由で
必死になっていた日々・・・。

あまりにも
馬鹿馬鹿しい。

その為に 
人と戦ったり
人を 打ち負かしたりしていた。

ところが
その為にという
等のものが無い!

これは
あまりにも
素晴らしい事実だ。

世にある
最高で 最大の事実
事実中の 事実 真理だ!

これ
以外の何と比べても
比べられた方の物が
あまりにも貧弱に見えてしまう・・・。




一本の
茶筒を 
想い浮べてごらん。

(茶筒自体を
あなたの身体に例えるよ)

その
茶筒の中は
空っぽの空間だ。

(茶筒の中とは
あなたの内面を例えている)

今迄
あなたの
受けて来た 教育や
世間の人に言わしたら

この
事実は あんまりだ
むご過ぎる

その中には
過去の体験の 塊やら
それに 基づいた未来(目標)やら
そこから考え出した 信念やら

そういうものが
一杯つまっている様に 思いたい。

いや
思いたいどころか
それは もう実際に
そこに 有る様にさえ思えるし 見える。

しかし
実際には空っぽだ。

何も無い。
見えていたのは
あなたの 想念であり

あなたは
あなたの 頭の中を見ていた。

あなたの
解かったつもりで居る解釈を
見ていた・・・。

一本の茶筒
その茶筒が 
あなたの借りている 身体だ。

今回の
あなたの生が
借りた乗り物だよ。

あそこに
見えている犬は
今回は あの身体を 借りる事になった。

あっちに
見えている あの草は
今回の 生では

たまたま
あの身体を借りることに成った。

あの木は
今回の生では
たまたま 木と言う 身体を借りる事になった。

なにも
あなたが 選んで
それを借りた訳じゃない。

偶然だった・・・。

例えば
私で 有ったら
別に この身体を最初から
借りられる様に
決められていた訳でも 何でもない。

たまたま今回は
これを借りる事に成ってしまった。

それは
何十億万分の一という
確率の偶然だった。

別に
あなたの身体を借りたって
良かったし
草や 木でも良かった。

それは
何かが ちょっと ずれただけでも
そう言う 事実が起ってしまう。

何千万分の一秒という
時間の ずれだけで
私は 木を借りる事に 成ったかも知れない。

実際のところ
どれを 借りたところで
この事実に 気づいた時には

此処に 
辿り着いた時には
それは 同じ事だ。

あなたの
思っている あなたは
あなたの借りている
身体のところにしか
いない様に思える。

それは 
あなたの身体が
生を 受けた以降に
出来上がった あなただからだ。

ところが
私に見えるあなたは
私の中にも あなたの中にも

あの
木の中にも 同じだけ
注ぎ込まれている・・・。


ある
エネルギーが
あなたの誕生の瞬間に

この
誕生というのは
あなたが あなたのお母さんから
出てくる時を 言っているんじゃない。

あらゆる
ところに
あらゆるエネルギーが 活きづいている。

例えば
精子だって 卵子だって
生きている。

それ自体が
ひとつの生だ
生とは 物凄く
奥深い神秘的な現象だ。

そして
その色々な生同士が
色々な エネルギー同士が

結びついて
型となって
表われ出てくるのが

あなたの
身体だけど
実際には その精子が
生み出された時から始まっている

そして
母親の体内で
あらゆるものと結びついて

そして
あなたの借りている
その身体は 育っていく。

あなたの
身体は
あらゆるエネルギーの集合体。

それが
母体から
産み落とされた時を

人間は
誕生と言っているけど
実際は そうじゃない。

エネルギーが
流れ込んでいるからこそ
あなたの その身体は 機能しだす。

その身体が
機能しだすと
身体は 身体自体で

身体を
維持しようとする
それが 本能の次元 自然的生の次元だ

そして
沢山の 身体 同士が
生きて行く為の 約束ごとの次元が

いわゆる
理性の 道徳の次元が 社会的生の次元。

この
二つの次元を 生み出してしまう。



なにも
この二つの次元が
最初から有った訳じゃない

身体が 
身体自体で
身体を維持しようとした段階の次元を

あなたは
あなたが やっている
自分が やっているんだと 錯覚してしまった。

それを
自分だなどと 錯覚したら
当然 それを 隠す為の 次元を
あなたは 作り出さなくっちゃいけなくなってしまう。

これは
二つで一組のもの
どちらも あなたなんかじゃない!

そして
この二つの次元は 
単に 大人と子供との違いにすぎない。

自然的 生の次元とは
例えば 食欲が沸いてくる
すると 食べる。

そこには
マナーも 行儀も
何も無い!

ただ
食べる事だけ
身体が 身体を 維持しようとしている。

その
食欲を
いかに満たすかだけだ。

動物に近い
それに比らべ
社会的 生の次元というのは

人間独特のもので
その食欲が 沸いてくると
それを あまり露骨に見せずに

同じ目的を果たす
あくまでも 目的は同じだ!

ただ
違う事が ひとつ
それは 他人を 人目を

考えに 
入れるという事が
違うだけであって
品が良かろうが 悪かろうが

この
二つの次元は
同目的に向って動く。

方や いかに綺麗に
方や ストレートの 違いだけだ。

むしろ 
自然的 生の次元の方が
正直ではある。

もう
ひとつの例を出すと
道にきれいな女性が歩いている
そして「いい女」だと感ずる。

プロポーション
顔 全てが魅惑的だ
抱いてみたい・・・。

自然的 生の次元は
そこが 道端で 
有ろうが 無かろうが

公衆の面前で 
有ろうが 行って抱いてしまう
相手の意向も何も 有ったものじゃない。

自分を 
もろに押しだす
動物は そうだよ。

その
次元の中で
生きている犬は
ホテルになんか 行きゃしない。

社会的 生の次元では
同じ様に感じても
そうはしない・・・。

まず
その相手の住所を調べたり
電話番号を調べたりと

そして
こちらに相手を
引きつける 為の

数々の
アプローチを試みる
洗脳だ。

そして
優しさから 思いやり
プレゼントに 至るまでの全てが

その目的を
達成する為の 
ひとつの手段だ
真からのものじゃない 方法だ。

そして
同じ目的を果たす!!
だって自然的生の次元で行動したら
人に なんて言われるか 解からないし

それに
第一 警察が 飛んできてしまう。




この二つの
次元は 同質だ
一見 二つに見えるけれど
それは良く見ると 一つだ。

目を 凝らして見れば
一つで 有ることが 解かる。

そして
その次元は 
身体が 機能しだした後から

生まれ出て
来ているんで有って
それ以前から有った訳じゃない。

もしも
そこに身を置いて生きると
物事の終りとか 死というものが

常に
あなたの
敵対関係に有る。

何故なら
身体の機能停止は
身体 だけでなく

あなたが
身を置いている
その二つの次元をも 打ち壊してしまう。

様するに
あなたが
あなたと思っている所の
ものまでストップさせてしまう。

だから
物事の終極とか
死が 非常に怖いものと成ってしまう。

絶対に
来るべきものと
敵対関係に有る 生

それは
生じゃない
休みない 戦いの毎日だ。

愚かな
生だよ そんなんじゃ
生を 受けた事を 恨むしか 無いじゃないか!

違う!!
生は もっと素晴しく
活き活きとしている。

それが
そうでないのは
あなたが その二つの
次元の中や 借り物で有る 身体の中に

あなたを 
見い出そうと
するからに 他ならない・・・・・。

















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 289★

2007-06-22 11:21:33 | Weblog


◇空への帰還◇




あなたは
自分の子供と
まだ一度も 出逢ったことがない。

あなたは
あなたの子供も
愛したことがない。

怒りや 
憎しみのエネルギーを
あなたの 内側で 
産まれさせ続けている以上
それが あなただ。

その
エネルギーが
あなただとしたら

子供は 
そんな あなたの前で
ちゃんと それに反応した姿で
居ると言う事を あなたは知らない。

あなたは
一体 何をしているんだろう
私は あなたと出逢いたい

それが 
起ったら
もう私など まったく必要が無くなる。

あなたは
ずうっとそれを
求めているんだよ・・・。

全体との融合
全体との出逢い
空(くう)との出逢いを・・・。



全体との出逢いが
空間との出逢いが
宇宙との出逢いが どうしても難しい人には 
その時には 私が役に立てる。
あなたより 少しだけ先に辿り着けた
私が役に立つことが出来る。

私が
あなたと成り
あなたが 私と成る
自我の溶け去った者同士の出逢い
それは 此処に書かれている私の文章と
読み手で在る あなたとの出逢いの中に於いても可能だ

互いの
内面の奥深くに潜む
空間に溶け合う。 
すると それは ひとつの空間になる。


本当の あなたと 私が出逢う。
それは あなたの中に潜む空間と 
私の空間との 出逢いだ。

もしも
たった1度でもいい
私と出逢えたなら
あなたは 誰とでも出逢える様に成る。

ところが
それが あなたと 
私の間に 起っていない以上


多分
あなたは 
誰とも出逢えていない・・・。

もしも
あなたが他の誰かと
出逢えた事が 1度でも 今迄に有ったなら

私とも
逢った瞬間に
それは 起る・・・。

だって
あなたに 
その能力が
有るという事だ。

ところが
それがまだ起っていない
永遠の出逢いは まだ起っていない。




それは
本当に永遠の出逢いだ
過去の消え去った者 同士の
出逢いは 永遠だ。

そして
今もってそれが
起らない事に 色々な理由を くっつけず

あなたの
責任である事を 受けとめて
それを 引き受けて欲しい。

これは 
大切な事だ
あなたが この世に 
産まれ出てくる以前

そして直後は
それと 一体だった
外側のものなんて 何も無い。

それのみ
そのエネルギーの中で
あなたは 静かに 眠っていた 

まるごと 
それに 包み込まれていた。



あなたは
その大空間との出逢いを
ずっと追い求めている。
無意識に探し求めている。

ところが
それは何をしても起らない
今や それは遥か遠い夢のようだ。

あなたは 
我が家に帰りたい・・・。

ずっと 
帰りたかった
あなたが 旅を し始める以前に
住んでいた我が家に

それを
求め歩いてきた。

まず
外側には
それは 無いと 
気づく事が必要なのに

外側に
それを 求めようとしてしまう。

そして
あなたの子供として
産まれ出てくる者も
同様の事をしてしまう・・・。

全体への
空(くう)への 
帰還は 無意識に
生命全体が それを求める。

もしも
あなたが 帰り着いていたら

それだけで
あなたの子供や
あなたの 周囲の 触れ合う
人々全体を 満たしてしまう。

ただ
あなたと 居るだけで。

ただ
あなたの 傍に居るだけで
それは起るようになる・・・。

それは途方もないほど大きく
そして静かな 引力をたずさえている・・・。














★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 288★

2007-06-21 10:53:49 | Weblog


◇あなたの愛の質◇





そして
もしも あなたが
あなたの中に 怒りや 憎しみの
エネルギーを 産み出し

それを 
発散させる為のものが 性欲であり
その性欲から 愛なるものを 感じていたら

それは
どういう愛だろう
ただの エネルギーの発散の為の 愛・・・。

自己中心的な愛
怒りや 憎しみが
一番の 奥底にある愛は

本来の
愛を
交わす事は不可能だろう。

そして
発散の副産物として
産まれた子供と あなたは出逢えない。

だって
あなたが
此処に辿り着いて いない以上

出逢いは 
起こらない。

出逢いが
起こらなければ

子供は 
旅を し始めなければいけない。

あなたが
此処に辿り着いていない
ばかりに・・・

子供は 
最初から
それだったところへの 旅をする。
しなくてもいい 旅をする・・・。

そして
多くの者が 帰りつけない
あなたは 子供を 愛していると
言えるだろうか・・・?

ただ
俺の 私の 
子供だというだけの
愛では ないだろうか?

あなたが
親であり
ここまでの話しを聞いたなら

あなたは 
自分の怖さなど 放り出して
此処へ辿り着く事に
全力を注ぐはずだ。

そうでなければ
あなたの
愛など 偽物だ。




何故なら
今までは 
知らなかったで済んだ。

だが
今は知ってしまった。

もう 目を背ける事も
言い訳も出来ない。




そして
それが 
あなた自身をも 救う道だ。

あなたの手で
もしも あなたが
子供を 本当の愛で 満たす事が出来るなら

それは
そっくりそのまま
どこの子供にでも
向かう愛 そのものを
あなたが 持っているという事だ。

そして
それは子供だけではない
全てに対してだ!

だって
この人は愛せるけど
この人は 愛せないが 有る筈が無い。

それは
相手とは関係なく
あなたから出る愛
そのものの問題だ。

まだ
それがあるのなら
そんな差別や格差があるのなら
それが あなたの愛の質だ・・・。










★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 287★

2007-06-20 13:25:47 | Weblog


◇質の変容◇






もうひとつは
例えば このエネルギーを使い
仕事をして結果が 良く出れば

それだけ
あなたの中の
憎しみ 怒りは 小さくなるし
以前ほど
大きくない分
喜びが 現れる。

喜びが 現れれば
エネルギーの質が 転換されてしまい
以前の様な怒りに基づく意欲は 湧き出てこない。

あなたは
そこでぴったりと
立ち止まったままだ

そして 
後は落ちるだけだ
落ちては 再び
そんなに落ちてしまった事への 
恨みと 
怒りのエネルギーが 湧き出し
それを向けて 元の位置まで引き上げる

この
繰り返しで
一生を あなたは 過ごす。

ぐるぐる 
ぐるぐると 回るだけだ
そこから 抜け出す事は難しい・・・。

だが
ある事を 
看破できれば 
それは たやすい

その
ある事とは

“ それは あなたの力の限界ではなく
その エネルギーの力の限界だという事だ ”

ところが
今迄がエネルギーの
力だとは 思っていず

あなたの
力だと勘違いしてしまっている

だから
あなたは それを
あなたの 力の限界だと感じ 落ち込む。

そのままで
有ったなら あなたの未来はない。


今の延長
それが あなたの未来だ。

そして
そのあなたが
人の上に 君臨していたならば

その人達も
あなたが導いたのだから そこまでだ。

どこも
不思議はない
それは 自然な結果だ・・・。

これが
仕事によっての
発散に このエネルギーを向けた場合だ。

そして
多くの人は
そのエネルギーを 性に向ける。

これが
性欲 性衝動の基だ。

それは
自然に湧き出してくる様に
思えるが そうではない。

その
エネルギーは
あなたが あなた自身で
産み出してしまっている。

その
エネルギーを産み出せば
その衝動は 止める事は 不可能だ。

それに
止めるべきじゃない。

ところが
あなたが 産み出しているのならば
そのエネルギーを 産み出さなくなる事は可能だ。


それが
質の変容だ。

それには 
そのエネルギーを
産み出してしまっている プロセスを
看破してしまえばいい。

物事は
どんな 物事であれ
あなたが それを見破るだけで
蒸発して行く様に出来ている
但し その物事との 真正面からの出逢いが必要だ。
より深くまで見破ることが必要になってくる。


その
エネルギーの
産み出されるプロセスは

あなたの 「 俺が 俺が 」
「 私が 」と いう色メガネを通して
物事を見た時に 本当に リアルな あるがままが見えずに

あなた
独自の世界観を
産み出してしまう

あるがままと言うのは
ただそこに あるものが見えているだけで
そこには 一切の意味付けを
していない状態を言う。

もしも 
そこに
意味や 解釈をつけて
感じているなら
それは あるがままを見ていない

その
一切の意味や 解釈は
すべて あなた側からのものだ。

どんなに
良い意味も 
解釈も 駄目だ。

どんなに
悪い意味も 解釈も
それらは全部 あなたが投影しているものだ。

あなたは
純粋に ただ見る目を
持っていない。

心と言う
くだらない所から見ている
過去を 引きずったままの 目で見ている。

だから 
意味づけが出る 解釈が出る。

それは 
つい今しがたまでの
過去が 見ているんだ。

もう
終わって 
全てが無くなっている所からなど
どうして 見る事が出来る?

それを
あなたは知らずに
自分のしている事さえも
知らずにいるから 気づかずにいるから
そこに 怒りや憎しみのエネルギーは
産まれ出す。

いいや
あなたが 産み出してしまっている
そして 物の見方が 既に間違っている事に気づかないから

こう
あるべきだ
こうしなければいけないで

その
エネルギーを抑圧し
さらに 強いものにしてしまうのを
知ってるかな?

だって
こうあるべきだとか 
こうしなければいけないは

産み出した
エネルギーを
内側深くに押しやることだ。

あなたは
それに目を 
見張ってなければ いけない。

目を 
見張れば 見張るほど
それは より現実のものと成って行く。

最初は 
ただの心に浮んだ
過去からの 意味付け 解釈が

今は
現実のものに成ってしまった。

だって
それを止めておこうとする
緊張状態は 現実のものだ!

そうして 
エネルギーは
産み出され 育つ。

当然 
吐き出さなくては いけない。

そこで 
生きる あなたは セックス
それが 当然 必要と成ってくる。

それを
悪いものと見なしては 駄目だ
ただ そこからの卒業が 必要なだけだ。

成長が
必要なだけだ。

何故なら
その次元に居る 
あなたの身体を 支配するものは

この
怒りや 
憎しみ 欲望の エネルギーだ。

あなたは
怒りで有り 
憎しみで有り 欲望だ。

それを
偽装工作をして
そうではなく 見せようとする。

今や
世の中は
怒りと 憎しみと 欲望だらけだ。

あなたが
演じている
あなたなんか 居やしない。

その
根本の質は
怒りだ 憎しみだ 欲望だ。

だから
そうでなく見せ様とする
それは 疲れる。

それだけじゃない
それで 騙し通せるのは
あなた 自身だけだ。

あなたは 怒りで 有り
憎しみで 有る事
これを 看破すること。

あなたは
それ以外の 何者でもない。
私の言っている 此処(空)に来ていない以上

それが
他の質を 
持っているなんて事は 有り得ない。

そして
それが見抜けたら
どんな 状況の責任にすることも

誰か 
人の責任にしてしまう事も
何も 意味をなさない。

その
事実を
あなた自身で 
引き受けない限り
なんの変化も 起こらない。