この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 64★

2006-08-24 22:09:00 | Weblog


◇ 人間物語 の メール講座   NO31 ◇




それと同時に
続いて次なる 発見が起こる。

それは 
まったくの1人という事実に
出くわして

その事実に 
敵対せずに
その中に あなたが入っていった時に
さらに 素晴らしい事実を
あなたは 発見する。

その事実とは
「なされる事は すでに全てなされている」
という事実だ。

にもかかわらず
その 既になされている事を
当たり前としていたが為に

常に
それ以上のものを追いかけ
それが 思い通りに行かず
破綻すると

まるで
自分が 駄目になってしまうかの様に
捉えていた事が

どんなに馬鹿げていたかを
目にすることができる。

そんな事で
駄目に 成ってしまう あなたなど
あなたじゃない。

むしろ そんな事で 駄目に成ったり
失くす物が 有るとしたら
それらは 全部 失くした方が
良いものばかりだ。

それが 出来なければ
あなたの 本性の誕生はない。

あなたが まったくの1人という
事実の中に人って行くと

まず 
今まで1人で 生きて来た
などと言う錯覚は
粉微塵に 吹っ飛ぶ。





それが 
吹っ飛んだと同時に

空気が 酸素が
あなたの 呼吸の為に
いつも ただ当たり前の様にある事実を
あなたは ふと 目にする・・・。

あなたが 喉が渇いた時に
それを潤す 水がある 事実を
やっぱり あなたは目にする・・・。

あなたの食べる
食物を 育てる為の雨

そして 太陽があり
それが あなたの体を養う
という事実に
支えられてこそ

あなたの 生がある事を
あなたは 感じ出す事が出来る・・・。

例えば
あなたは 会社で働いて
給料を自分で得ている。

その自分の得た給料で
食べているから
自分は 1人で 生きていると考えてしまう・・・。

だが 違う
あなたが そこで働けるのは
誰かが作った 会社があるからだ。


そして いつも働いていられるのは
営業の人が
仕事を探してくるからだ。

その他の あらゆる役割を
やっている人達が いるからだ。

その全てがあってこそ
あなたは 給料を得られている。

あなたは 1人でなんか 生きちゃいない。
他人に ちゃんと依存している。

それと 共に
あなたも その中のひとつの
機能としてあるから

他も同時に
あなたに依存できている。

これを 相互依存という。

人だけじゃなく
あらゆるものは あらゆるもの同士の
相互依存の上に成りたっている。

あなたが
生きて 毎日生活して
行けているのは
食べるからだ。

いくら
お金があっても
それを 売ってくれる人が
いなければ
あなたは 食べられない。
あなたは その人達にも
依存している。

そして同時に
その人達も あなたに依存している。

売ってくれる 人だけじゃない
それらを作っている
農家の人にも 依存している。

農家の人の方も
あなたに 依存している。

では
農家の人達は
自分で 作って 食べているから
食べる事に関しては
誰にも依存していないかというと
そうじゃない。

まず 
その稲に 野菜に
依存している。

その稲は 野菜は
ただ植えておいても
稲白身 野菜白身で
育つかと言ったら そうじゃない
農家の人の 手入れが必要だ。

それだけじゃない
雨に 太陽に 依存している。




例えば
私達が死ぬと
私達の 葬むられ方は
火葬か 土葬か もしくは 水葬だ。

土葬の場合
あなたのその身体は
土を肥す

そして 
稲や野菜が育つ。

火葬の場合は
灰となり 煙となって
空気中を漂い

雨によって 
地上に降り注ぐ
あなたの その身体は
やっばり 稲や 野菜や 果物を育てる。

その稲や 野菜や 果物を食べれば
私は あなたを食べている事になる。

灰となり 煙となってしまった
あなたの身体が 草を育てる。

その草を食べて
大きくなった 牛を食べる。
私は 同じ様に 
あなたを食べている事になる。

水葬だって 同じだ
それは 魚のエサとなる
あなたの 身体を食べた魚を
誰か 他の人が食べる。
そして
あなたの身体も 私の身体も
いずれは 何かに溶けて
誰かの胃袋の中に入る。

食べるばかりじゃない。
いずれは 誰かに食べられる。

生かされる ばかりじゃない
いずれは 生かす側に ちゃんと成る。

生とは こうして休みない
相互依存をくり返す・・・。

この果てしない 
大きな 全ての存在同士の
相互依存は

大きな運動
大きな輸を描き
ぐるぐる ぐるぐる
運動を繰り返し続けている。

遥か 遠い昔から
ずっと この運動は
変る事なく 繰り返されている。

これが
自然界の節理だ
宇宙の 節理だ
自然の 宇宙の あるがままの法則だ。

もう 既に 成されえる事は
すべて 成されているのに


あなたと来たら
それを 当然のごとくに捉えて
その 成されている事実を
忘れてしまっている・・・。

その事実を 覗き見たことも無ければ
それに対する感謝さえない。

あなたは まさに
全てによって 生かされているのに・・・。

全てと 連ながり
すべての中の 一部としてあるのに

この事実を 知らずに
もっと もっと と求め。

それが なされないと
「あの人は 思いやりがない」と
腹を立ててみたり

「あの人に 傷つけられた」と
嘆いてみたり 悲しんだりする。

だが 
それはあなたの甘えだ
それが 甘えである事に
気づき始めてごらん・・・。


あなたが
思いやりなどと言う
余計な事を 考えなくたって

出来るだけ人を 傷つけない人に
成ろうとしなくたって
あなたは 自然に周りを
生かす様に成っている・・・。

そして 周りも 
あなたを生かす。

生かし
生かされあっている。

それ以上の 
作り事を求めない事。

それ以上の 
作り事を与えない事。

それは 必らず
あなたの負担となって
あなたの上に 重くのしかかる。

それ以上の
作り事を求める為に

自分を作って
さも 思いやりのある人に見せて
相手の思いやりを
誘う様な事を しないこと。

そんな事を し続けているから
事は 余計にやっかいになってしまう。

それは 世の多くの人達が
この事実に 気づけずにいて

常に 
満たされない思いを
持ち続けている。

その
満たされない思いを
満たす為に それ以上の事を
常に追い続けんが為に
勝手に作り出してしまっている
互いの協定の様なものだ。

人間界だけの法

それは 甘え合いだ
互いの演技の競い合いの場を
生み出してしまう。

そして
そこは 勝手を通すか
偽善を演じるかの
どちらかの場でしかない・・・。

ここが
これまでの
あなたの 愛の次元だった。


そして ただ 
この事実中の事実に
出逢うことで
自然な途方もない
感謝は 沸き起こる。

それは 
人の話を聞いて
なるほど などと
あなたが 解かったつもりに
なるのではなく。
あなた自身が 
たった 独りきりに成って。

その 独りきりの 状態を
避けたり 誤かしたりせずに

その 独りきりの 状態の中に
あなたの方から 入って行った時に
まのあたりにする事実だ。

その時あなたは
何ものも求めなくなり

ただ 生きていて
命あるという事実だけで

今までの 
あなたの 体験したことのある
どんな喜びよりも

大きな
途方もない喜びが
あなたの 身体いっぱいに
広がることだろう。

そして
続いて自然に 
あなたの中から
どこへという訳でもない
全存在に対する
深い感謝が 溢れ出す・・・。

これが 真の感謝だ。
この感謝こそ 祈りだ・・・。
そして この感謝こそ愛の なんたるかだ・・・。



一度 
愛から 関係から抜け出て
その不毛さを見抜き

再び 関係の中に入って行く
そこには 新たなる関係が
芽生えだす。

その関係は 成長している。
以前とは
まったく質が違う。

一見
同じ様に見える。
だが違う・・・。

その関係は
誰にでも 自由を与える。

決して 独占したり
縛ったり 執渚したりする
関係ではない。

そして
二度とあなたは
愛に 関係に埋もれきらない。

埋もれ切らないと言うのは
愛して いないからじゃない。

むしろ 愛は以前より
遥かに 成長している。

それでも
人は 決して 縛れるものじゃないと
言う事を あなたは 知ってしまっている。
夫だって 妻だって 子供だって
彼だって 彼女だって
決して 縛れるものじゃない。

もしも
あなたが そんな事をやりたがって
やり始めると・・・。

あなたは よどんでしまう
重たいし 暗いし
振り廻される・・・。
苦しいし 悲しい・・・。

本来の愛は
関係は
決して その種のものは
産み出さないという事を
憶えておくといい。

それはきっと
なにか違うものだ・・・。







明日の人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに