あなたが
日常の中を生きていると
どうしても あなたの目は
日常の中へと向いてしまいます。
そして
そこに あなたが
出来てしまい日常の中で
翻弄されてしまう あなたが
生まれてしまいます。
あなたが
意識を向けてしまい
目を向けてしまったものが
あなたと成ってしまうのです。
あなたが
日常の中に一度でも
まみれてしまったならば
あなたは日常の中で起きた
全ての事を抱え込んでしまいますし
背負い込んでしまいます。
それが あなたの上に
覆い被さる様にして次々と
積み重なってしまい疲労感と
成ってしまうのです。
けれども
あなたが日常の中に
どんなに まみれていたとしても
あなたの意識が、 あなたの心の目が
あなたの内側の何も無い空間に向けて
いられたならば あなたは日常の中に
まみれたりしないで生きられるのです。
あなたが日常の中に
まみれてしまわずに
生きられる事は とても
大切な事なのです。
あなたが
あなたの中の
何も無い空間に
目を向けて生きる事は
あなたと言う小さな自己など
無しに生きられると言う事です。
それは実に清々しく軽々と生きる事が
出来る生なのです。
あなたが
あなたの内側の
何も無い空間に目を
向けて生きる事が出来た時
あなたは 何も無い 大きな
空間そのものが あなたと
成ってしまうのです。
あなたに
見えていた
レベルの あなたが
居なくなってしまった時に
あなたは初めて あなたなど
無しに生きる事が出来るのです。
あなたと
呼べるものが
居なくなって初めて
あなたは本来の場所へと
帰って来る事が出来るのです。
その時の あなたは
大きな空間全体として
存在しています。
あなたが
居なくなった時の方が
清々しくて軽やかに生きる事が
出来ると言うことは
それまでの
あなたが重い荷物を
一杯背負って生きる生き方を
好んで生きて来てしまったと
言う事でもあるのです。
わざわざ
沢山の苦労を
浴びる様にしてしか
生きる事が出来なかったのか?
と言うと決して そうでは有りません。
あなたが
あなたの表面に
次々と生まれる現象の方に
見入ってしまっていた為に
あなたは その場所から動けなく
なってしまっていただけだったのです。
それらは
単なる現象で
現象など放って置けば自然に
来ては去って行くだけの
ものだったのです。
あなたがその現象に
見入ってしまう事で あなたが
その現象を その場に留めてしまい
長居をさせてしまっていたのです。
あなたの表面に起こる
現象は まるで天気の様に
次々と移り変わり 来ては
去って行くものなのです。
その表面の
現象になど いちいち
目を奪われたりせずに
一つの現象が去り 次の現象が
現れるまでには 僅かな隙間が生まれます。
その僅かな
隙間を通って
現象の背後に在る
何も無い空間の方に
怖れずに入って行くのです。
その空間の方に
目を向けて於ける事なのです。
あなたに
それが出来ると
それまで あなたが背負っていた
重い荷物を全て降ろす事が
出来てしまいます。
たとえ それが
どんな荷物であっても
あなたでは無かった あなたの事を
手放してしまえた瞬間に あなたは
それまでの荷物の全てから
解放されてしまいます。
人は何の苦も無く
シビアに自分を見つめる事だけで
そこまで歩む事が出来てしまうのです。
勿論 シビアに
自己を見つめる事は
多少の痛みを伴いますけれど
決して耐えられないほどの
痛みなどでは無いはずです。
私心など
永久に手放してしまい
大きな空間として在る歩みは
あなたの足元に転がっています。
あなたの
心の見つめ方の
手助けが出来ます。
誰も知らない楽な生き方
絶望から あなたを救い出し
生きる上での大きなヒントを与える
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大切な人と
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