この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 244★

2007-04-30 17:59:11 | Weblog


◇人間物語のメール講座NO4◇





私達は 自分自身のことを
知っているつもりで 今日まで生きてきましたが
それは あくまで自分の中で勝手に作り上げた自分で有り 
自分独りだけしか知らない“自分の知っている自分”に過ぎず

実は 実際に この世の中に生きている
本物の自分自身の姿の方である“現実の自分”を 
全くと言って良いほど 知らずにいた事実を 
昨日のメール講座で 出来る限り詳しく説明しました。

そして“現実の自分”の姿が 
一体 どんな姿をしているのか 見てみましょう というところで昨日は終りました。
今日は“現実の自分”の姿を 実際に 皆さんに見て貰うところから始まります
心の準備はよろしいですか・・・?


それでは始めましょう。
あまり身構え無いで下さいね・・・。
リラックスし、油断をして聞く感覚が
1番 解りやすく聞こえるかも知れません。



実は“現実の自分”の姿を見る事が出来る 
とても簡単な方法が有ります。

そして 皆さんは もう既に 
その姿を見たことが有るのです。
ただ それが自分自身の姿で有ると認識はしていませんし
まさか自分だとは 夢にも思わず見ているのですが・・・。



それでは その簡単な方法を紹介しましょう。

磁石のプラスとプラス マイナスとマイナスを 近づけると どうなりますか?
プラスとマイナスは引き合いますが 
プラスとプラス マイナスとマイナスは反発し合って離れてしまいます。
異なる極同士は引き合いますが 同極同士は反発しあい弾き合います。

人間も原理原則が この磁石の作用と同じです。
この原理に気づくことで簡単に“現実の自分”の姿を見ることが出来るのです。
どういう意味か解かりますか・・・?

ただし見る事は出来ますが あなたが それらを受け容れられるかどうかは
また別の問題です。

ここで 1昨日のメール講座の際に準備して頂いたものを使います。
あなたの周囲の人達に向けて書いて頂いたものを見て下さい。

人に向けて書いてある文を良く読み直してみて下さい。

その方達は 決っして いつも(四六時中) そこに書いてある状態で
居る訳では有りませんよね?
その方が腹を立てていたり その方の状態の悪い時に そうなっているのですよね・・・?

それなら あなたも同じ様に 御自分の腹が立っている時や 
状態の悪い時の自分に照らし合わせて
自分と似ていないか どうかを確かめてみて下さい。
自分が頭に来たり腹が立ったときに照らし合わせて見て下さい。
決して自分の状態の良い時の自分に照らし合わせることはせずに

もうお解かりですか・・・?
そこに書いてある嫌なことの全ては 現実のあなたの姿です。
人を見て嫌だと感じていたのは 実は その人の事が嫌なのでは無く
その人によって 自分の嫌な部分を 見せられることで
その人が嫌だと錯覚し その人が嫌だと思い込んでしまっていたのです。

それも普段 自分が自分の中で押さえ込んで自分は
やっていないと思い込んでいる事を見せられる相手は
特に嫌っているかも知れません。

10人の中で1番嫌いな相手を思い浮かべてみて下さい
その方が あなたの中の嫌な部分を 1番 あなたに見せている人であり
10人の中では あなたに1番ソックリな性格の人なのです。
そして どの様な シュチエーションでなのかは解かりませんが
あなたの姿が その人の様に見えている場面が必ず何処かに有る筈です。

私のところで行う 実際の講座の中で 
これらの照らし合わせを している時に こんな風に言う方が居ます
たまたま父親の処に お酒を飲むことが嫌いだと書いていた人が
「俺は酒を飲まないから こんな事は してない」と言って来ました。
私は その人に 例えば お父さんが美味しく楽しくお酒を飲んでいる人でも
嫌いかどうかを訊ねました。すると その人は言いました 
父はお酒を飲むと周りのことが解からなくなり
周りの人の事を考えずに自分勝手な振舞いに成るから嫌いなのだと・・。
ならば あなたは お酒は飲まなくても 
例えば腹が立って虫の居所の悪い時に周りの人の事など考えずに
自分勝手に振舞っていた事が無いのですか?と聞いたところ 
「それなら私にも有ります」と答えてくれました。

この様に 自分が書いた文章の表面に現れている形に囚われてしまうのではなく 
その影に潜むものに気づき そこと照らし合わせる事をしてみると
相手に向けて書いていた事が 自分のしていた事と
殆どパーフェクトに照らし合わせられる筈です。
会社では していないけれど 家庭ではどうかと場所を変えての
照らし合わせもして下さい。
自分の上司には してないけれど 部下にはどうか?とか
自分より弱いと見なしている人に やってしまっていないか
良~~~く 確かめてあげて下さい。
自分の都合の良い所にでは無く 自分の都合の悪い所に照らし合わせる事によって
やがて“現実のあなた”の姿が見えて来る筈です。

業務連絡で お願いしたものを準備が出来なかった人は
こう考えて下さい。

今現在 或いは 今迄に あなたが最も嫌いだった人の事を
思い浮かべて下さい。

あなたの“現実の 自分”の姿は その人の姿そのものです。

本当は あなたは その人が嫌いなのでは有りません
あなたが その人を嫌いな様に感じられてしまうのは 
あなたの中に有る あなたの嫌いな部分を 
その人から ソックリそのまま見せられるからです。

本当に あなたが嫌っているのは現実の自分自身の姿なのです。

それも嫌っている あなたはといえば・・・
あなたの中だけにしか存在しない 有りもしない あなたで有る
“自分の知っている自分”プラスの15の方である あなたが なのです。

幾ら良く見えていても実際には居もしない方の自分が
多少見てくれは悪いけれど この世の中に本当に存在している方の
本物の自分を嫌い さげすんでさえいます。

有りもしない架空のあなたが 本物のあなたを嫌っている
人によっては本物の自分を抹殺しようとさえしています。

もしも そんな事を許してしまったら あなたは死んだ様に生きるしか有りません。

本物のあなたは多少見てくれは悪いかも知れません。
でも それは高い所に居る あなたから見たらであって
私には そんな あなたの方が よっぽど醜く見えます。
第一 今日まで実際に生きて来てくれていたのは あなたに
さげすまれて続けて来ていた“本物の自分”の方なのですから・・・。



何故 そんな事を しているのか 解かりますか?
もしも 本物の自分が自分で有ることが解かってしまったら
今までの“自分の知っている自分”が消えて無くなってしまうからです。
いいえ本当は無くなるのでは有りません。
何故なら以前から そんな自分は無かったのですから

ところが あなたの中だけには有ったのです
あなただけには見えていて あなたが まだ小さい頃から
あなたは それに親しんで来てしまっている訳なのです
ですから それは あなたにとっては 
自分が無くなってしまう感覚なのです。

けれど ここを通らなければ あなたの成長は有り得ません。
器が広がるというのは この“現実の自分”を
頭では無く 理屈でも無く 実感で受け容れた時に
初めて あなたの器が広がり出すのです。


私達は人生や社会の中で様々な壁にぶつかります。
その壁を抜け出せた時に 自分が成長した様な感覚を受けることが有ります
確かに 多少は成長しています。
その時の成長は現実にぶつかり“自分の知っている自分”が多少崩れた時に起こります
“現実の自分”が 僅かに垣間見えた時に それは起こっているはずです。
ところが あなたは そこに再び“自分の知っている自分”を知らず知らずの内に
構築してしまい “現実の自分”の姿は 再び あなたから遠いものと成ってしまいます。



私は このメール講座の気づきを多少のものにする気は有りません。
それだけに大変ですけど・・・・。
“現実の自分”を全面的に受け容れられた時の感動は 
多分 とてつもなく大きなものに成る筈です。
ですから 最後まで ついて来て下さいね。

さあ講座を 更に先に進めて行きましょう
まず あなたが10人の方達に向けて書いた その方達の嫌いな部分は
本物の あなたの姿だという事は理解出来ましたよね・・・? 


“現実の自分”を 頭では無く 理屈でも無く
実感で受け容れられる様になれるには そこに至るプロセスが必要です。


今日まで 
あなたは “自分の知っている自分”で日常生活をすごしていると
思っていましたし 周りの人達とも関わっていると思って居ました。
ところが実際には 今日初めて解かり始めてきた“現実の自分”の方のあなたで
あなたは 日常生活を過ごしていますし 周りの人達とも関わっています。

その現実の自分で生きたときに 周りの人達の中で
1番に皺寄せを あなたから被ってしまう相手とは誰でしょう?

あなたが人に向けて書いた あなたの嫌いな部分を 
あなたが1番向けてしまう相手とは 一体誰でしょう?

あなたから あなたでも反吐が出る程の その部分を 
1番浴びせられ続けているのは一体誰なのでしょう?

云わば あなたの嫌いな部分の塊を 
あなたから1番向けられてしまって来た相手です。

皮肉な事に・・・
あなたが 1番 遠慮をしないで済む相手に 
あなたが 1番遠慮抜きに接しられ 日常生活をすごせる相手にこそ
あなたは それらを1番向けてしまっているのです。
さあ どなたでしょう・・・?


本当の問題はここからです。
あなたの性格が悪かろうが良かろうが本当は そんなことは どうでも良いんです。
ただ あなたが“現実の自分”で生きている時に あなたでさえ人からされた時に 
嫌悪する部分を もっとも身近で大切な人に向け続けている事実を
当のあなたは 自分が別な自分で生きていると勘違いをしているが余り
まったく気づいていないし認めようとしない事なのです。

あなたが認めない限り 
あなたは身近な その相手を 知らず知らずの内に
精神的に踏み付けにしてしまっているかも知れないのです。

それどころか 
あなたが気づいて上げない限り 
その人は あなたに愚痴や文句さえ言わずに
生涯 あなたの撒き散らかす 
言わば毒を飲み込み続けなければいけないのです。


ちょっと その痛みを想像して見て下さいね 


ここで あなたに重要な質問をしてみたいと思います。

あなたは あなたの事を大切だと思ってくれてる人が イコール 
あなたの大切な人に成っていますか?
あなたの事を大切に思ってくれている人が解からない人は
あなたの家の直ぐ傍の道路に飛び出して あなたが車に跳ねられ
危篤状態で病院に担ぎ込まれたと想像してみて下さい。
あらゆる方面に一斉に連絡が行った時に 何を置いても駆け付けてくれる相手がいます。
そんなに多い人数ではないかも知れませんが確かに居ます。
簡単に言えば その人達が あなたの事を大切に思ってくれている人達です。
その人を あなたは大切に出来ていましたか・・・?
そして その人達に あなたは1番 あなたの嫌な部分を
撒き散らかしてしまっていたのです。
これでも あなたは あなたを大切に思ってくれている人達を 
大切に出来ていたと言えますか・・?




明日は この大切な方の中から
もっとも皺寄せをしてしまっていた相手を1人だけ選び出し
あなたが その相手に成り代わって自分の流していた 言ってみれば毒の塊を 
あなた自身の手で味わってみることをしたいと思います。


それでは明日の
人間物語のメール講座を どうぞお楽しみに












★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 243★ 1

2007-04-29 10:58:30 | Weblog


◇人間物語のメール講座NO3(1)◇




昨日は 面倒臭いことを お願いしまして すみません。
「なんだよ 読むだけで解かるんじゃねぇーのかよ?」と言った
ボヤキ声が聞こえてきそうですけれど・・・。

あなたが 真剣に解かろうとして始めて
あなたの感受性を フル動員して始めて
たくさんのことが解かる講座に成っています。


今日から本格的な講座に入って行きます。
大変ですよ・・・・でも 決して大変なばかりでは無く
楽しくも有るはずです。
なにせ 自分の姿が見えて来てしまいますから。


それでは 
メール講座・ファーストステップの始まりです。

まず 最初に 
あなたへの大切な質問です 真剣に考えて答えて下さい。


“世の中で あなたのことを 1番知っている人は誰でしょう・・・?”
あなた自身も 知っている人の中の1人に 加えて下さって結構です。
誰が あなたのことを 1番 よく知っているでしょう・・・?


答えは2つに分かれます


普段の講座の中ですと 

7割位の方が自分と答えます
その理由は 自分のことなのだから
当然 自分が1番良く知っていると言う訳です。

残りの3割位の方が自分以外の身近な人の誰かと答えます
それは結婚をされていれば妻 或いは 夫で有り
独身の方は母親か或いは父親と答えています。

さあ あなたは どちらでしょう・・・・?

これは頭から出てくる理屈の応答ではなく
普段の自分の行動を振り返り 
自分の応えた答えに合った生き方をしているか どうかの
確認をしてから答えて欲しいのです

ひょっとしたら 普段の あなたは “俺のことは俺が1番良く知っているんだー”と
云わんばかりの 生き方をしているのにも拘わらず 
この場では講座用の答え方をしてしまい
「自分のことは自分以外の身近な誰かが1番良く知っていると思う」などと理屈の上での
模範解答などをしないように気を付けて下さいね。

あなた自身が本当に感じている感覚に正直に答えることをして下さい


あなたの答えはどちらですか・・・?


答えは決まりましたか・・・・?

あなたの答えが あなたの中で決まったならば 
そこで始めて講座は 歩を先に進めることが出来ます。

決まりましたか?(しつこいですね笑)


答えが決まったならば 
あなたの答えが正しいのか 
或いは 間違っているのかが自然に解かる話しをします

“あなたの事を 世の中で1番良く知っている人は誰か・・・?”
の答えが見えて来てしまう お話しです。

皆さんに まるで テレビを見ているかの様に
客観的に見える様に 私を題材に使い 
私の事で解かりやすく説明してみたいと思います。

今 あなたの前に私が居ます。
そして私の前には あなたが居ます。
あなたと 私との間には何の利害関係も無いこととします。
私が部下で あなたが上司で有るとか
あなたが部下で 私が上司で有るとか
そう云った役職上の上下関係も一切取り払って
ヒィフティー ヒィフティーの関係だとします。

そして その上で 更に私から あなたにお願いをしておきます
“今から私がすることを 見たまま そのまま伝えて下さい”

その際に 
これを言ったら彼を傷つけてしまうとか・・・
これを言ったら彼に恨まれてしまうとか・・・
これを言ったら周りの人から私が悪く見られてしまうと云った 
あなたの感情や考えや主義や主張を ひとまず 脇に除けて 
シンプルに見たままを どうか私に伝えて下さいとお願いしておきます。
そして解かりやすく 
10と云う度合いで 私が悪いことをします。
先ほどの条件付けが有りますから 
あなたは 私に10悪いことをしたよと 伝えてくれます。
例え あなた以外に 何人もの人が居たとしても
殆どの方が 10悪いことをしたよと 言ってくれますよね。

もしも先ほどの条件付けが無ければ 
例えば私が会社の上司で あなたが部下なら
あなたは私に10悪いことをしているのにも拘わらず5とか8とか
遠慮をして伝える可能性が有りますし
人から 恨まれたり 或いは人との諍いが嫌な人は 
本当のことは言わずに2とか3とかと言うかも知れません。

ここで気が付いておいて欲しいのは 
役職や利害関係や主義主張や考えや感情を入れてしまうと
人間は10人10色に成り100人居れば100色に成りますし 答えはバラバラです。

ところが役職や利害関係や主義主張や考えや感情を入れなければ
人間は10人1色ですし 例え100人が居ても
「私」という同じものを 100人の皆さんが 見ているのですから
ほぼ同じ答えが出てきます。
100人1色です。

人の表面では無く 奥底で感じていることは
皆さん かなり近いことを感じている訳なのです

此処までは説明を良く読んで下されば誰にでも解かります。
解らなければ 解るまで 何度でも読み直して理解して下さい。
この部分は とても大切なところですから・・・。






本当の問題は此処からなのです。

私の目の前に居て 私をシビアに見ていて 
そのままを伝えてくれている通りに 私は10悪い事をしたのですから
その10を 認めようとしますし受け入れようとします。
皆さんが口を揃えて言っている事なのですから
嘘だなんて思いませんし本気で受け止めようとします。

ところが私達には自衛本能と言って
自分を守ろうとする本能が無意識に働いている為に 
自分では10を受け入れているつもりが 実際には 半分の5にカットされてしまい 
半分の5しか受け入れることは出来ません
そればかりか 当の本人は10を受け入れたつもりでいて実際には半分しか 
受け入れていない事実には まったく気づいていないのです。

これは私達の日常生活を振り返る事で簡単に見てとれます
日常の中で人から言われる苦言や自分にとって都合の悪い話しは
聞き心地が悪いですよね・・・?
この聞き心地の悪さ自体が 私達の中に無意識に働いてしまう自衛本能ですし
目の前の現実の受け入れ方を 半分の5にカットしてしまう作用なのです。


今度は逆に10と云う度合いで良い事をします
あなたは 先ほどと同じ様に とね は10だけ良い事をしたと伝えてくれます
私は あなたに言われた通りに 10だけ良い事をした事実を受け入れようとします
ところが ここで 先ほどと同じように
10の良い事を受け入れようとすると 自然に自衛本能が働き出します。 
そして今度は その自衛本能は
先ほどとは逆に働き 10した良い事だけを受け入れたつもりが
倍の20にして受け入れてしまいます
何とセコイのでしょう(笑)
でも これは私達の誰もが 実際に体験している事実です
実際に それらを自分自身が している姿は
日常生活に目を向けてみれば簡単に見て取れます。


人からの誉め言葉は聞き心地が良いですよね・・・?
もうお解かりですね この聞き心地の良さ自体が
目の前の現実の受け入れ方を倍の20にしてしまう作用なのです
人によっては その誉められた事を何度も思い出しては 
又味わうといった様に まるで牛の胃袋のような事をする方もいます
これはプラスの20どころでは無いかも知れませんね(笑)
あなたも実際にやっていますよね・・・?


ここからが もっと驚きます

先ほど私は10悪いことをしました
そして次に10良い事をしました。
悪い事をマイナスにし 良い事をプラスにして 
差し引きするとプラス マイナスゼロの 
可も無し不可も無しといった私が
あなたに見えている私です。


ところが 私に見えている私は
先ほど10悪い事をした時に半分の5にカットして受け入れてしまい
10良い事をした時には倍の20にして受け入れてしまっています。
悪い事をマイナスにし 良い事をプラスにすると
差し引きするとプラスの15という人間が
私に見えている 私となってしまっています。

さて どちらが本物の私でしょう?

勿論 あなたに見えている方の 
プラス マイナスゼロの 私こそが本物の私の姿です

そして 私に見えている プラスの15の私の姿は 
悲しいかな 世の中で 私以外の誰にも見えない私の姿で有り 
実際には居ないし 存在しない 空想の中に作り上げた私なのです。
私は空想の私を見て 私を見ているつもりに成り 
私を知っているつもりに成っていた訳なのです。
そして誰もが見えている
現実の世の中に生きているプラス マイナスゼロの本当の自分の姿が
世の中で自分1人だけ知らず 周りの全ての人に見えています。

何も身近な人にしか見えない訳では無く
触れ合う全ての人達に見えてしまっているのです。


(長すぎるので 次のページに記します)







★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 243★ 2

2007-04-29 10:57:10 | Weblog


◇人間物語のメール講座NO3(2)◇

(長すぎて2件になってしまいました
    続きです1の方から読んで下さい)



更に説明すると 自分には2つ在って
1つめは“自分の知っている自分” 2つめは“現実の自分”という2つです。

最初の“自分の知っている自分”というのは プラスの15の方です。
今日まで生きてきて色々な体験や人から言われた言葉を通して
自分の頭の中でイメージ化して作り上げた自分
他の誰にも見えない自分 他の誰も知らない自分
自分にとって都合の良い部分だけを見つめて
作り上げてしまった自分 空想の自分
言ってみればオバケみたいなものです 実体が無いのですから

殆どの人が こちらを見て
実際に 今現在 生きている自分の姿だと思ってしまっています。



次に“現実の自分”というのは プラス マイナスゼロの方です。
周囲の目によって直視された自分
触れ合う全ての人に見えている自分!生の自分
自分にとって都合の良い部分も悪い部分も無く 全てに目を向けた時にしか
見えない自分であり 自分1人だけが知らない自分
頭の中のイメージ化した自己など通さずに見た自分
自分では見られない自分

殆どの方は 現実に生きている こちらの本物の自分の姿を
見た事が有りません。

“自分の知っている自分”を 
本物の自分だと思い込んで生きていると
あらゆる物事が歪んでしか見えません。 
その物事の表面しか見ることが出来ません。

例えば 問題が発生します
あなたは問題の表面しか見えていませんから 
その見えている表面に 手を付けます。
一時的に問題は解決したかの様に見えます。

ところが 暫らくすると再び同じ問題が発生して来ます。
再び手を付けます。一時的に問題は解決した様に見えます。
この繰り返しで 問題が発生する間隔が だんだんと狭まって来ます
あなたは その内 嫌気がさしてしまいます。
あなたには 今迄に こんな経験は有りませんでしたか・・・・?


“現実の自分”を 自分として生きていると
あらゆるものが鮮明に見えています。
例えば問題が発生します
手を付けだすのは ゆっくりなのですが
問題の表面には手を付けず その表面を透かして見つめる目を
使い本質が見えてから 初めて手を付けだします
言ってみれば レントゲンの目を持つ人みたいなものですね(笑)
問題が本質から解決されてしまい 一度で全面解決をしてしまいます。
同じ問題は2度と発生して来ません。



いかがでしょう・・・・此処までの 私の説明で
現実の自分の姿を見ていなかった事に気づいて頂けましたでしょうか?
自分が見ていた自分が どの自分で有ったのかは もうお解かりですよね・・・?




私達は良く落ち込むという言葉を口にします。
それが普段 あなたが高い所に居る証拠なのです。

そして 
こんな事も言います 落ち込んだけれど
苦しかったけれど ようやく自分で元の位置に
なんとか戻せて元気に成れたと 
本当は これでは元の木阿弥なのです

プラス マイナスゼロというのは 
あなたが大地に足を付けている
地に足が付いている状態を言います。
それ以上 下には落ちようが無い場所なのです。




私達は 丁度こんな感じでいます
私の中に現実の私で有るプラス マイナスゼロの私と 
自分の知っている自分で有るプラスの15の私が同居する様に居ます

自分の中の 下の位置にあたる方の自分がプラス マイナスゼロの自分です。
上の方の位置にあたる方の自分がプラスの15の自分です。
先ほどの落ち込むというのは 上の位置の自分が 下の位置の自分に落ちてくる
感覚を言うのですが 本当は そのまま足掻かずに落ち込み切ってしまえば
現実の自分に出会える唯一の可能性なのです。
けれど私達は 勇気が無くて そんなことは する気も有りません。









上の自分は 自分の知っている自分のプラスの15です
そして自分だけに見えている自分です
下の自分は 現実の自分のプラス マイナスゼロの自分です
悲しいかな自分には見えません。

目の前に 他の人が居たとします
その人にも あなたと同じ様に上下に位置する 2つの自分が在ります
ところが その人も あなたと同じ様に上の位置の自分である
自分の知っている自分の方のプラスの15の自分しか見えません
下の位置で有るプラス マイナスゼロの現実の自分の方は
自分からは見ることが出来ません

ところが あなたが その相手を見た時に見えるのは
相手の下の位置の方の自分である プラス マイナスゼロの姿だけで、
相手に見えているはずの上の位置の自分であるプラスの15は見えません
何故なら そのプラスの15の姿が見えているのは
世界中で その人 たった1人だけなのですから それに その姿は
その人の空想の中に存在しているだけで
実際には存在すらしてないのですから あなたに見えなくて 当たり前です

逆にその相手から あなたを見ると あなたに見えない
下の位置の方の自分である プラス マイナスゼロの あなたが見え  
あなたに見えている上の位置の方の自分である
プラスの15の あなたの姿など 相手には まったく見えないのです。
なぜなら そのプラスの15の あなたは
実際には存在すらしていないものだから見える筈など無いのです。

お互いに 相手の下の位置の自分で 有る “現実の自分”本物の自分である
プラス マイナスゼロの姿を見ることは出来ます。

他人の事はシビアに見えるのです。
なのに 自分の事は自衛本能に目隠しをされてしまい
自分で自分を見る事が まったく出来ません。



そして互いに相手に見えない 有りもしない方の
プラスの15の自分を主張し合っているわけです
相手の目に映っているのは この自分であると思い込んだままに
そんな次元になど 絶対に和解や理解は起こりません。
この次元に生きている限り 自分以外の人間との本当の理解は生まれません
なぜなら互いに有りもしない自分を必死で相手に解からせようとしているからです。

この事実にすら気付かずに 一生を終えてしまう人達の なんと多いことでしょう・・・。


あなたは 今日までの人生を 
どの自分を 自分と思ってしまって 生きていましたか・・・・?


それならば 現実の自分の姿が一体 どんな姿をしているのか
見てみたいとは思いませんか?

今迄見ていた自分というのは 都合の悪い部分は半分にカットして
都合の良い所は倍にして見ていたのですから
その自分と比べたら 物凄い落差が有って 
ハッキリ言って 落ち込みますよ きっと
だって あなたは かなり高い所に居たのですから・・・。
でも この際ですから 現実の自分の姿まで見てしまいましょう

まさか ここまできて勘弁してくれと言う人は居ませんよね・・・?(笑)

居ますか・・・・?


大分長くなってしまいました。 
ここまで理解して読んで頂けているか どうか とても心配です。
ですから今日は 此処までにしたいと思います。
この先も大分長く成りそうなので・・・。



“バカヤロー” これじゃ昔の どこかのテレビ番組の探検隊みたいじゃねぇーか
なんて言わないで下さいね(笑)大分古いかも
出るぞ 出るぞと散々煽っておいて最後まで何も出ずに終ってしまう番組でした(笑)
でも この講座は ちゃんと出ますから御安心を!

現実の自分の姿を どうしても見たいという方達だけに 
ぜひ この先の講座を体験して頂きたいのです ここから先に進んだ方には
ハッキリと現実の自分の姿を見て頂きます。
けれど 私と約束をして欲しいのです。
そこまでの講座を体験した方は必ず最後まで この講座をやり通すという約束です。
途中でリタイヤをしない約束をして欲しいのです。


昨日 お願いしたものは 明日必ず使いますので
まだ やってない方で 真剣に解かりたいと思える方は ぜひ用意をしておいて下さい。


それでは明日の人間物語の講座を お楽しみに・・・。









★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 242★

2007-04-28 16:06:14 | Weblog


◇人間物語メール講座NO2◇





今日のメール講座は
どちらかと言うと業務連絡の様なものです
明日からの本格的な講座に突入する前に
出来れば準備をして頂きたいものが有ります。

仕事が忙しかったり
時間が無かったりして どうしても無理な方は
仕方が有りませんし 無理をしなくても結構です。
それが無くても気づいて行けるように私の方で頑張ります(汗)

けれど もしも可能で有るならば 準備をしてくれた方が
あなたが 気づける領域が より広くて深いものに成ります




準備をして欲しいものは 

まず あなたと日常の中で関わる人の中から 10人の方達を選び出します。
父親 母親は 必ず入れて下さい。

両親が健在ならば 勿論ですが、 親が亡くなっている方や離婚されている方でも
当時の自分の年齢が5歳以上か 或いは それ以下でも記憶にあり
憶えているという方は入れて下さい。

両親と今は別に暮らしている方でも 
あなたが御両親から受けている影響は大きいものが有りますから必ず 入れて下さい。
そして兄弟がいれば兄弟も入れてください。

結婚をされている方は 夫 或いは 妻を必ず入れて下さい
離婚をされている方は 前妻 ・ 前夫と言う様に入れて下さい
学生ならば 教師 ・ 友人 ・ 彼女 ・ 彼も 必ず入れて下さい

後は仕事をしている方なら職場の上司 ・ 同僚 ・ 部下がいる方は 部下と
それぞれ 何人づつでも構いません。

そうして10人の方達を選び出したら メモ帳かワードを開いて(何でも構いません)


1人1人に対して 
あなたの感受性を使って 
あなたが 日頃見てきている
その人達の性格の良い所には
一切 目を向けずに
 
普段は余り見ようとしていない
その人達の性格の嫌な所のみを
見つめて書いていきます。



突然 嫌な所のみを書けと
言われても難しいかも知れません

何故なら私達は普段 日常の中で人を見つめるときに
その人と旨くやって行くために 出来る限り良い所に目を向けようとしています

それは互いに嫌な思いや争いは 出来る限り避けたいからですし
それが大人の印でも有り 暗黙の了解の様なものでも有るからです。

まさか相手と争ってもいないのに いきなり相手の嫌なところを本音で
ズバズバと言って回ったら喧嘩に成ります。

ましてや相手を間違えるとボコボコにされてしまいます(笑)
中には そんな方もたまに見ますけれど(笑)

そんなわけで普段やってない事なので とても難しいかも知れません

けれど 日頃の私達の
人への見方は 知らず知らずの内に随分偏った
見方をしている事に 私達は気づいていません 
例え良い所を見つめる事をしていたとしても 
偏っている事には違いは有りませんし
さらに 今迄の 私達の人や物事の見つめ方は
本来私達が持つ洞察力を 随分と鈍らされてしまっているのです


これから行う 
普段はしていない 
新たな見方である公平な物事の見つめ方が 
あなたの人生の先々に とても重要になってくるのです。




そして 10人の中から
最初の1人を選び出します
順番は どなたからでも構いません 
けれど 両親の どちらからか始めた方が簡単な気がします。
他の人から始めたい人は 自分の好きな順番から始めて下さい。

より簡単に書ける為のヒントを出しておきます。



その人と争ったり ぶつかり合ったり 意見が対立したり
腹が立ったり ムッとしたりした時の場面を思い浮かべて
その時に見える その人の嫌な所を本音で書けば 
直ぐに簡単に書けてしまいます。

その都度 書く対象となっている人と
争ったり 気分の悪い思いをした時の事を
思い浮かべて書いてくだされば より簡単に書けるはずです

良い所は日頃 嫌と言うほど見てきていますから
今回は良い所は一切書かず 嫌な所のみを見つめ 嫌な所のみを書いて下さい
最低でも3行くらいは書いてくれればOKです。

長ければ長くても一向に構いません
より解かることが出来るかも知れません
それに10人の中に 普段から嫌いな人を選択してあれば
当然 長く書けるはずです
早い方で30分くらい
遅くても1時間も有れば10人全員が書きあがるはずです。

書き終わったら10人の中から
あえて言うなら この中では
この人が一番嫌いだという人に○印を付けて置いて下さい

これで準備をするものは終わりです。
準備したものは 明日のメール講座に使うことに成ります。
明日からのメール講座を お楽しみに。

時間が無かったり忙しかったり・・・或いは面倒だったりして出来なかった方は
無しで進めていきますから心配しないで下さい。
ただ 解かり方が浅いものに成ってしまうかも知れませんが
そうは 成らない様に出来る限り 私 とね が頑張りますので・・・(汗)






★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 241★

2007-04-27 11:09:15 | Weblog



◇人間物語メール講座NO1◇




あなたが たとえ 
どんな生き方をして来たとしても 
そんな事は何の問題でもないんです。



それよりも今日まで 
あなたが生きて来てくれている事自体が本当は凄いことなのです。
なぜなら私達は 誰一人として正式には
「生きるとは どういう事なのか」を誰からも教わってはいないのですから。

宗教臭かったり説教臭かったりせずに
あくまでも科学的に
「生きるとは、どういう事なのか」という事を教わった経験が
私達には無いのですから
間違いを起こしたって当たり前です。

けれども広い世の中には
あなたがその気になって探す決心をすれば、
たとえ どんな事でも学べる所が
必ず在るものなのだという事実も忘れないでください。

34日間に渡る 
人間物語の メール講座では 多くの皆さんが知らずにいる
自分の心の育て方を解りやすく解説し実践する講座です

この講座をメール上で伝えることにより 現在の様な厳しい社会環境の中でさえも
心病むことなく健康的に口笛を吹きながら 軽々と人生を歩ける 新たな道があることを
1人でも多くの方々に知って頂きたくて 私達はメール講座の発行に踏み切りました。




この講座は 私達人間物語の講座を始める時に 
どなたであれ最初に体験して頂く講座にあたる
1段階目の講座で ファーストステップと呼ばれているものです

普段行われている私達の講座は
ファーストステップ ・ セカンドステップ ・ サードステップ 
スーパーステップ ・ エンドレスステップ と 5段階に分かれていて
それぞれに3日間という 日数が必要になる
結構過酷な講座かも知れません

その代わり得られるものも半端では有りませけれど・・・

このメール講座でもファーストステップに出来る限り近いものを
皆様に お届け出来ればと思っています

この講座を始めていくと 
途中 あなたの聞いた様な話が出てくることが有るかも知れません。
例え有ったとしても そこで早まった判断をして
こんなものかと思い 講座を終えてしまうことの無い様に
私達は願うばかりです

なぜなら メール上での この講座が終わるまでには 
今までに あなたが体験したことの無いような深い気づきと
真のあなたの軽い目覚めを 必ず体験して頂けると思うからです。
そして この講座は あなたが今迄に受けた どの講座とも
まったく違うはずです。

ですから どうか 途中で痺れを切らして諦めたりせずに
最後まで本気で この講座に取り組み続ける事を 
ぜひ誓って下さい
あなたの気持ちの中で どうか最後まで諦めずに投げ出さずに
自分を見つめ続けることの誓いを立てて下さい。
別に誰も見ていませんから たとえ誓いを破ったところで
あなたを非難する人なんていません。
安心して軽い気持ちで自分に誓って下さい。
折角だから何かを得ることが出来るまで続けてみるかと
そんな軽い誓いで充分ですから

本当のところ 人間物語の講座は無色透明です
何の色も付いてはいません
この講座に意味を持たせることが出来るのは あなたの姿勢なのです
あなたの自分を何とかしたいという思いが 
ここから始まる船出の一歩に成りますし あなたの乗り込む一人用の
船のエンジンに成ります そして船長はあなたです

私は ただの水先案内人とでも言いましょうか
船が暗礁に乗り上げないように正確な案内をする灯台のような
ものでしかありません。

別の言い方をすると
あなたが 壁に向かってキャッチボールをする様なものです
あなたの投げ方が強ければ強いボールが跳ね返って来ます
反対に弱い力で投げたボールで有れば
ボールの跳ね返り方は弱いものでしか有りません。
あなたの投げ掛けたものと同じだけのものが あなたに返ってくるのです

講座が終わるときに あなたが大きなものを得たければ
大きな解かり方をしたければ それは私にお願いすることでは有りません 
あなたは この講座に真剣に向かい取り組み
沢山の疑問を投げ掛ければ良いのです
たったのそれだけで あなたは驚くほどのものを手にすることが出来るのです

そして もうひとつ これは大事なことですからハッキリと言っておきます
私は あなたが現在抱えている 問題や悩みには一切 手を付けません。
その代わりに それらの問題を解決できる能力を持った  
あなたに育て上げることが出来ます 僅か数日間で です。
私は あなたの抱える問題には手を貸さず 
それらの問題を解決できる 新たな あなた自身を発見させるのです。
 
あなたが現在 抱えている悩みや問題を人に解決して貰う事と
その悩みや問題を解決出来る能力を身に付け 今後自分の悩みや問題を
自分の力で解決出来る能力を持ってしまう事と 
どちらが良いですか?
一体 どちらが得でしょう?

以前に こんな話しを聞いたことが有ります
昔 あるところで空腹に倒れていた男のところに一人の旅人が通り掛りました
その旅人は近くの池から魚を釣って その空腹で倒れていた男に与えました
魚を食べた その男は すっかり元気を取り戻し 旅人に感謝をし
大層御礼を言って別れたそうです
しかし その男は再び空腹で倒れ 通る旅人も居なかった為に 今度ばかりは
死んでしまいました。

それから数日後 同じ場所に別の空腹で倒れていた男がいました
そこに初老の旅人が通り掛りました。
その初老の旅人は空腹の男に魚を与えるのでは無く
魚の釣り方を教え去って行きました
空腹の男は 早速 魚を釣り上げ 
自らの空腹を 自らの手で満たし
それ以降 その男は飢えに苦しむことはなく生涯安泰に暮らしたそうです
そればかりでなく その男は周りの男達に釣りの仕方を教えて
その村から飢えで死ぬ者が二度と現れなかったという お話しでした。

もしも私が あなたの悩みや問題を解決してしまったら 
あなたは次も私に相談に来て悩みや問題を解決して貰います
だんだん あなたは私を凄い人だと思うように成り
私に尊敬の念を持って見つめだします
そして あなたは私に頭が上がらなくなりますし
私の言うことは何でも本当だと思う様に成り 私の言いなりになります
こうして宗教や神様は創り出されて行くのです
とても怖いことですね  こんな罠には引っかからないことです。

私は そんな事には興味は有りません
一人でも多くの人に 楽に歩ける生き方が在ると云う事を
伝えることの方にこそ興味が有ります。

あなたが歩ける様になったら 
それで お仕舞いですし お別れです。
私のことなど思い出してさえくれなくていいのです。

第一考えてみて下さい
そうやって沢山の人に頼られる日々を
切りが有りませんし 終わりが無いのです あんまりです。
それに 人が本当の意味で自立出来れば そんな必要は まったく無いのです。 

人の悩みや問題を解決したり人に頼らせたりすることは
決して良い事では有りません。
時間は掛かっても その人自身の中に眠る 自分で問題を解決出来る能力を
呼び覚まして上げることなのです。

第一 解かった人は誰とも群れないし 独りで歩きます
群れたり 徒党を組んだりする必要が まったく無いのですから
口笛を吹きながら独りで生きていられるはずです

この講座の中で私は あなたに あなたを見つめ育てる事に
必要な事と それらの やり方を説明していきます
なぜ こんな事が必要なのだと思われることも有るかも知れません
けれども とりあえず持てる力を出して精一杯やってみてくだされば
その後に必ず 何故 そんなことが必要で有ったのかも明かされて行きます
騙されたと思って どうか最後まで投げ出さずに
この講座を続けて下さる事を 願っています。





現在 実際に悩みや問題を抱えている方への
簡単なヒントを書いておきます

私達が なにかしら 悩みや問題を抱えた時に まず必要になるものは
その悩みや問題を解決する 答えだと考えがちですが そうでは有りません
何故なら 例え 頭の中で 考えに考え抜いた 答えに辿り着けたとしても 
決してモヤモヤは晴れないからです 
それだけでは あなたの悩みや問題は決して解決されないからです

本当は 答え以前に あなたが必要としているものが有るのです
それは頭の中で考える必要としているものではなく
もっと感覚的で 余りに当たり前すぎて気づかずにいるものなのですが
私達の多くは悩みや問題を解決するための答えを求めようとするがあまり
どうやら気づいていないようです

悩みや問題を抱えたときに本来のあなたが本当に必要としているもの
それは 何を置いてでも あなたと真剣に向き合ってくれる
相手の気持ちや姿勢なのです
あなたの身になり あなたと共に悩み抜いてくれる 
相手の気持ちや姿です

そして そんな人の出現を知らず知らずの内に あなたは求めています

あなたが その様な相手の姿勢を見たときに 
あなたの中に あなたの悩みや問題を見つめようとする勇気や力が湧いて来ます
それが あなたの抱える悩みや問題を解決する上での大きな助けになるのです

そして あなたの最も身近にいて 
あなたを気に掛け あなたを本当に心配している人達の存在に気づくことです
ひょっとしたら 実際に悩みを抱えている あなた以上に 
もっと辛い思いをしているかも知れません
その人達は あなたが気づいてあげなければ 
そんな事は顔にも口にも 決して出さない筈ですから
誰にも気づかれ無いままに一生を終えてしまうかも知れないのです。



知っていますか?
私達が悩みや問題を抱えてしまうのは 
悩みや問題自体から あなたが目を そむけてしまっている時に
悩みは悩みと成り 問題は問題に成ってしまっているという事実を

悩みや問題を解決して今迄の 何も悩みや問題の無かった自分に
戻ろうとするのでは無く
悩みや問題の解決を図ろうとはせずに
まずは 悩みや問題を抱えたままでいる現在の自分自身を
ソックリそのまま受け容れてしまうのです。
その時にこそ 悩みは悩みで無くなり
問題は問題で無くなってしまうのです。

昔や過去に戻ろうとすることでなく・・・それは不可能な事なのですから。
どんな時にも 新たな自分を目指すという事を 
新たな自分を産み落とすと云う事を 忘れないで下さい。
すると どうしても越えることの出来なかった壁を 
難なく越えることが出来てしまうはずです。

そして これこそが まったく新しい解決の道なのです。


明日からは本格的に
講座が始まります ぜひお楽しみに

講座は大変かも知れません でも自分の事が解かり 
自分を育てる事は きっと楽しい筈です

そして多分 あなたの一生を助ける
あなたの奥の奥から湧き出るハートの力を手にする事が出来る筈です

この人間物語が
本物か偽者かを あなたの目で確かめて下さい








この講座は あらゆる宗教や 団体とは 一切無関係です 
人間物語の 全ての講座は 独自の理論とプログラムから形成されています







★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 240★

2007-04-25 11:09:11 | Weblog


◇お知らせ◇




明日から
再びメール講座のスタートです。

初めて
此処を訪れて下さる方に
出来る限り解りやすく自分を見つめて頂く為に
2ヶ月サイクルで講座がスタートします。

その日 その日の日記は
どんな方でも読んで下さるのですが
過去の日記まで開いて読む事は
よほど苦しんでいない限りは有りません。
ですから この先も何度も自分を見つめる講座の
新たなスタートを切っていきます。




以前から此処を知っていて
読んで頂いている方達は 学び直しが出来ます。
何度読んでも 最初には気づけなかった事に気づけたりと
その度に違う気づきが得られる様に この講座は出来ています。


そして自分の内面を
磨いて行く事には限界はありませんし
どこまでも磨き抜いて行く事が出来ます。

ただし
あなたが自分は解ったと慢心した時には
限界は突然の様に現われてきます。

それは 
あなたの産み出してしまった限界です。

暫くの間
あなたは生意気で
鼻持ちなら無い傲慢な人間か

あるいは
一見すると謙虚そうにみえる
大人びた内的傲慢さを秘めた人間になってしまい
そんな あなたで人生を歩んで行きますが
やがて そんな傲慢な あなたの前に
必ず壁が現われてしまい あなたは1歩も歩めず
身動きさえ取れなくなってしまいます。

そして あなたは重く暗い内面のまま苦しみ続けます。
折角灯った明りも消え あなたは暗闇の中を
何年もの間 歩き続けなければなりません。

それでも尚 あなたが
あなたを投げ出さず あなたを見捨てなければ
やがて苦しみはピークと成り それと共に
何ひとつとして解ってはいなかった自分の姿が見えてきて
あなたは とても楽に成れます。

すると今度は
どんなに解った事が有っても 
あなたは解った気になど成れなくなります。

外から見ると
以前と同じ様な あなたに見えていながら
実は 中身は一段成長した あなたでいるから
再び同じ間違いを繰り返さないのです・・・。


何度 あなたが解ったと思えても
日常の中を それで生きる事が出来ない限りは
解ったとは言えないのです。

あなたの頭の中で何が解ったとしても
その頭の中の物が あなたの人生を助けてくれる事は
まず有り得ないのです。

日常を軽々と歩ける様になれるところまで
あきらめずに 投げ出さずに 
自分の内面を育ててあげて下さい。
そして自己の内面性という この土台が出来たら
そこに あなたの好きな どんな家でも建てたら良いのです。
その家は どんな風雨にも耐えられますし
どんな地震でもビクともしません・・・。






あなたの手で
あなたを解き明かし 
あなたから あなた自身を解き放つ事が出来ると
すると 突然 そこには広々とした空間が広がります
その空間自体が 本物の あなたです。




自由とは 
あなた自身からの自由を言います。

あなたが
馴れ親しんで来ていた 
今迄の あなた自身が

本物の あなたと
出合わせない為の
仕掛けとなっていたのです。

閉じ込められていた牢獄・・・

けれども
それほど居心地が
悪かった訳でもないので ほとんどの人は
本物の自分を探そうとか出会おうなどとは思いもしません。



人生の中で何度となく絶望し
この世界は矛盾に満ちた
世界だと見抜いた人達だけが
本物の自分と出会おうと切望します。

ところが悲しい事に 
そこでも多くの人達が脱落してしまい死を
選ぶ方向へと歩いてしまいます。

もう 自分には
死という道を選ぶ以外に 
道は無いと思い込んで仕舞う為です。
かっての矛盾に満ちた世界へ戻るくらいならば 
まだ死の方が良いと思ってしまうからです。



その過程を幸運にも 
くぐり抜けて来た者達だけが
初めて 本物の自己探しにトライします。

この人達は 
自分の全てを賭けて
本物の自己探しをします
ですから 途中で挫折したりはしないのです。

たとえ 
どんなに困難でも 
既に彼等には その道以外には
可能性が無いことを見破ってしまっていますから
挫折を知りません。

やがて彼らは
探していた本物の自己に
出会うことが出来るのです・・・。



明日からの講座を
どうぞ お楽しみに^^













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 239★

2007-04-24 11:22:57 | Weblog


◇開花◇





あなたの中に湧き上がる不安から逃げ出さずに
あなたの中の不安のままで 物事に向き合い

あなたの中の不安のままで その物事に触り
あなたの中の不安のままで あなたが物事に取り組めたとしたら。


本当は普段から その場所で生きて
日常生活を あなたの中の不安のままで過ごす事が出来たなら

特に物事をやる時には どこでやるの?
なんて心配や悩みは産まれようが無いのです。



此処で伝えている事は 
まず あなたが在った上で
その下に これまでに気づけた事が有るのではなく。

まず これまで気づけた事や空が有り 
その下に あなたが居るのです。
あなたが使うのでは無く、あなたが使われるです^^




不安なままと言うのは無私の状態です。
自分などと呼べるものなど全く居ない状態です。

その時に何かが 
あなたの中に降り立てるのです。
やるのは あの空の方です。

あなたは 
その通りに動いてあげるだけです。
空に使われて上げるだけです。




そうして出来たものを
あなたは自分がやったなどと
傲慢に成れますか?

そして そのやり方を後生大事に
取って置こうなどとすると思いますか?



ここまで気づけた人は
そんな馬鹿げた事は やりません。

あなたが そんな物を取って置かなくても
その度に あなたが無私の状態に在れば

その途方も無いものが
あなたの中に降り立つ事が出来て

今、目の前に有る物事に
1番相応しいやり方を引き出してくれます。



あなたがやる事は
たったの一つだけなのです。

それは”無私”だけです。




自分に
何処までも正直になり

奥深い所にある
「自分は本当は1人では何ひとつ
として出来ない・・・」という

不安な感覚のままで
居られる様にすること。

たったのこれだけ 
そして降り注いでいるものが
あなたの中にまで入り込んでくるのを許すだけです。



あなたの人生の中で 
普段の日常生活の中で
これを試し実験するのです。

そしたら私の言っている事が
嘘か本当か解かりますし
あなたは産まれて初めて全くのオリジナルで
生きられる可能性が有ります。

その可能性が有るとしたら
この歩き方の他には 多分、存在し無いでしょう。




自分の中に無私の状態を起こして 
そこに降り立つもので生きたら

誰でも同じものに成ってしまうんじゃ無いのと?
頭は考えます。けれど それは違います。

なぜなら 無私になり 
あなたの中に降り立つもので あなたが歩く時

本来 あなたが貰い受けていた 
あらゆるものが そこで初めて活動しだすからです。

それ以前には あなたが貰い受けたものの一切は
眠らされたままなのです・・・。



あなたの貰い受けていた色・・・それは これまで
あなたが身に付けてきた色とは全く別の色です。

あなたの 本来貰い受けている呼吸の深さ、あるいは
あなたの中の生きるリズム、あなたから出る波動、
あなたが持つ あなたから醸し出される香り、
そして あなたから放たれる輝きと言った様に
全てが動き出してくれるのです。



その時に あなたは初めて本当のオリジナルで
歩み始めるのです。













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 238★

2007-04-23 09:52:39 | Weblog


◇ 全ての知恵を越えたる智慧3 ◇





もう
あらゆる欲望は落ち
何ひとつ やる事など
あなたには 有りはしない。

あなたは
ただの 純粋な空間
それと共に この空間を世に持ち帰り

皆と
味わう事
何ひとつ
やる事などなくなったあなたにこそ
本当に全てが可能だ




だが
何ひとつ やる事など
無くなっていない人間には

全てが
不可能だ
それは 必らず壊れる。

全ての欲望を 
越えた あなたこそ

何も
やる事が無くなり
全てが終ってしまった
あなたにこそ 全てが可能だ。

大いなる
海に 帰り着いた あなたにこそ 
生の本流に 溶け去ってしまった あなたにこそ
すべてが可能だ。

なぜなら
生(真理)は
まだ この本流に
帰り着いていない

欲望に 
埋もれ切っている人間には

欲望が 
落ちているものの
僅かにでも その欲望が
残っている者には

全てを
可能にする事の力は
開けない様に ちゃんとしてある。

だって
考えてごらん
そんな 人間が
もしも その途方もない
力を持った時の事を・・・あんまりだよ

この道の 
鍵はそこだ
嘘や上辺のポーズ
などでは 通してくれない
本物以外は 通行禁止に成っている



そして 
もっと判りやすく言うなら
ただ まともに戻りかけているだけなのに

それが 
さも大きな事の様に
受けとめている事が 落し穴であり

それ以上
先へ進む事を
自らの手で 止めてしまう事になる。



今日までは
あまりにも 当り前では 無さすぎた。

この道は
あまりにも 当り前な道であり
この道を進まない方が どうかしているのに
多くの人は進まない・・・。

そこで
その多くの人が
進んでいないという現実に
甘えてしまう・・・。

私が
「人間は それ以上悪くなど 成りようの無い
最低次元で生きている」
と言うのはそこだ。

そこと
比較すると
この道は 大層な道に見える。

確かに
そこから見れば
あまりにも大変で 大層な道だ。

だが 真実は違う


それは
その一番の低いそこに
自分を置いて捉えた場合だけの
話しであって・・・。

その 
どこの段階などにも
自分を置かずに

全体を
ただ ありのままに 
捉えた場合
それはあまりにも 当り前な道だ……。

そして
私の 全ての話しは
私の 味わった極地まで

あなたを
誘う為に
その極地に至る段階を
その極地を指し示す ただの言葉の
集りにすぎない。

どうか
その言葉の集りを
頭に入れて持ち歩いたり

その
言葉の集りを
あなたの支えにしたり しないでほしい。

私はあなたに
その単なる言葉の集りが
指し示した地点が 実際に 在る事

その地点を
あなたが味わい
その地点の中に 溶け去り

そのものに 
至って貰いたい為の
ただの話しに すぎない事を

くれぐれも
あなたに伝えて
私の話しを終りたい・・・。


最後に 
何度も あなたの
胸の中に沸き起こる
批難めいた言葉と戦いながら

その
言葉達に負けずに
最後まで読み切ってくれた あなたに
感謝と祝福を贈りたい。本当に ありがとう・・・。



いつか必ず
あなたが此処に
到着する日を 願いながら 

私は此処で
宇宙の澄み切った
エネルギー達と共に
あなたを 待ち続けているから・・・。








ここまでは
今から26年前に
私が28歳で書いたものでした。
今でも全然 新鮮でしょう・・・?
私の年齢は各自勝手に計算してみて下さい(笑)

そして
これは後編の方であって 
これには前編があります。

最初に前編の方では
前編の方が解りやすい為に
前編部に囚われてしまうのです。

私が皆さんに
是非とも知って頂きたいのは
こちらの方だという結論部を前倒しで
記させて頂きました。


明日からはハートに重点を置いた
とても解りやすい前編を記していきます。

こちらの方が
感情移入をしやすい為に
理解しやすいのですが
ハートの領域は あくまでも途中でしかなく

そこでは
永遠に続く幸福感は不可能です。

自己を理解する為の
通り道でしかないことを
わかって歩くことが必要ですし

最終的には 
その領域とは さよならをし
今回まで記した後編にこそ
生きられる領域が有ることを忘れないで下さい。










★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 237★

2007-04-22 13:54:16 | Weblog


◇ 全ての知恵を越えたる智慧2 ◇





薄々知っていた
自分の姿の 発見を
深めれば深める程

気づきという
道標を辿れば辿るほど 
全ての間題は 自然に蒸発する。


あなたが
真の あなたを救い出すと同時に
その対象と成る者までが
自然に救われている事実に 視点を合わせる。

その対象と成る者とは 
あなたと関わる全ての人達の事だ。

この視点が 
ずれだして
相手を救う事に焦点を定めたり

自身の
成長に 
焦点を定め出す事が
偏りを 産み出し

欲が発生し
二次的結果となる意味のない
苦しさまで 産み出してしまうが

これらは
視点の問題であり
本当の問題が
そこに 現存している訳では 無い。

沢山の思考に
目を向けているのではなく
それらの思考を超越した所に
思考の背後に全体として在る空間に
視点が定められている この状態
この視点が 現れ出した時

あなたは
本当の生と共に生きる
本来の生と共に歩む
本来の あなたの生の上に 乗っかっている。

それは
最初から ずっと有った物だ

ただ
あなたの視点が
どこか 他の所ばかり見ていた。

この
途方もない
贈りものである
この生と 共に生き抜いてごらん。

これこそ
あなたのものだ
あなただけのものだ。

世に有る 
本当に
あなた1人きりのものだ。

他の誰にも仕えず
他の誰にも 触る事さえ不可能なもの。

他の誰もが
壊す事の出来ない物
誰にも 壊せない幸福感

あなたの
今までの幸福は
誰かの手によって 状況によって
必ず壊されてしまう物でしかなかった

愛さえそうだ
親子さえ 夫婦さえ 
兄弟でさえ 必ず 自分の意志だけでは
守り切れる物ではなかった・・・。

それが
あなたの幸福感だった。



だが 違う
そんなものは全部
デッチ上げのものばかりだ。

本当の
あなたの幸福感は
誰も 壊せるものではない。

今や
あなたは まさに
それを手にしている。

いや
ずっと手の中に有った。
それを 今始めて目にした。

それこそ
幸福感だ
永遠に続く あなただけのものだ。

そして
今 まさに あなたは
あなた 本来の 生の上に在る。

この生の
上を歩けば 歩くほど
あなたの幸福感は成長し 大きく 豊かになる。

そして
あなたは 
その幸福感のみに
やさしく 包み込まれ

あなたが
この世に 
産まれ出る以前の 

あの
安堵感の中に
帰りついている・・・。

そここそ
終点だ
あなたは 生の 大きな海に 帰り着いた。

あなたは
出発点から旅をして
今 終点である 同じ場所に
大きく ひと回りをして 帰り着いた。


ここが
「母なる源」
まさに 私が時々
「母源」という言葉で表現をしていた

あなたの
産まれ出た「源泉」だ
もう あなたは消えている

完全に
リフレッシュされ
浄化された ただのエネルギーだ。

余分なものは
何ひとつ付いていない

すべてが
落とされ 洗らわれ
ただの純粋なエネルギーとしてある。

何ひとつ
やる事もなければ
やらなければいけないと
言う事も ひとつもない。

それは
あなたの
生の中に有った 
ひとつの目的 ひとつの内なる
大いなる叫びが 果されてしまったからだ・・・。





この
生の中に秘そむ
無意識なる目的が 果されない場合 

人は 
あらゆる事に対して
欲望し あらゆる事をやるが

何ひとつ
真の満足感を
与えてくれるものはない

ところが
あなたは
その生に秘められた目的が
なんであるかを理解し それを達成した

世に有る
たった ひとつの
可能な道を 達成させてしまった










★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 236★

2007-04-21 08:52:39 | Weblog



◇今日は普段の講座から離れて一休みです◇




普段の生活の中で 
たまにで良いですから
試して貰いたい事が有ります。

それは あなたが
例えば窓の外の遠くの景色を
見るともなく見ている時 焦点を合わせずに
ただ何となく見ている時って有りますよね?
遠くの景色を見ているようで見ていない感じ
解りますか?

あの感覚の見方で あなたの心の中に次から次へと
やってくる思考や感情を ただボンヤリとしながら
見つめる事をして欲しいのです。

私達のひとつ、ひとつの考えや感情は ちょうど
空に浮かぶ雲のようなものなのです。
放っておくと流れて消えて行ってしまう 他愛の無い
物に過ぎません・・・。

私達は そうは思っていませんけれど、
事実は そうなのです。

ですから ただボンヤリと眺めるだけにして
それに焦点を合わせたりせずにいれば
どんな考えや感情にも あなたを取り乱させる事など
出来ないのです。

ただ静かに人ごとのように眺める事をするのです。
すると その考えや感情は空に浮かぶ雲のように
流れて消えて行ってしまいます。

あなたが このコツをものに出来たら
あなたは それだけで驚きます。
何故なら あなたが 何かに振り回される事は
もう二度と無くなるからです。

もしも あなたが それらの考えや感情に焦点を
合わせてしまえば あなたは取り乱されます。
あなたは自らの手で自分自身を地獄に突き落として
しまうようなものなのです。

他愛の無い考えや感情に力を持たせないこと
それは あなたが見入る事をしてしまうと
力を与えてしまうのですから・・・。

そして どんな考えや どんな感情にも焦点を
合わせてしまわないだけでなく それらの考えや
感情で動かない事 行動しない事・・・。

そしたら どうするんだよ~?
と言う 沢山の声が聞こえて来そうです。

簡単です。
窓の外の 遠くの景色を見ることなしに
見てみて下さい。 ボンヤリとですよ。

空に浮かぶ雲を見ることなしに
ボンヤリと見ていて下さい。

焦点を合わせなければ雲は流れて行きます。
焦点を合わせることが雲を自分の手で
止めてしまうことをしているのです。

だから その雲のひとつで行動したら
あなたは その考えや その感情やらで
一杯になってしまい それらに支配されてしまうのです。
その時には 正気の あなたなんて居なくなります・・・。


再び空を見て下さい。
あなたの中を見て下さい。
流れる雲に焦点を合わせないのがコツです。

ただボンヤリ雲と背景の空を眺めていると
すると だんだんと雲の速度が落ちて来ます。
次から次に沢山の考えや感情やらが押し寄せて来ていたのが
ゆっくりになって来ます。

雲の速度が落ちて来ると
考えや感情の速度が落ちて来ると
雲と雲の間の切れ間が大きくなってきます。
さっきの考えが去り 次の考えや感情が来るまでの
少しの間 何も来ていない場所が生まれ出て来ます。

その合間が やがて更に広がり
あなたの中に 青空だけが大きく広がり
雲など たまにしか やって来なくなる処まで行けます。

そこが あなたの本来 動く場所なのです。
そこが あなたの本来 生きる場所で在り 空間なのです・・・。





続いて あなたの中に存在する
静寂に包まれた空間の見い出し方を
お話したいと思います・・・。

あの青空を いつも見られる
ひとつのテクニックを披露したいと思います。
簡単です。誰にでも出来ます。
時間が有る時には どこでもやって下さい。
やればやるほど あなたの中は浄化されて行くはずです。

それをすると あなたの中が静かになるばかりか
身体の疲れさえも癒してくれる筈です。
酷く疲れている時などには とても お勧めです。

まず 身体の力を抜きます。
リラックスをして下さい。
そして目は開けていても閉じていても
どちらでも楽な方にして下さい。

静かに ゆっくりと口から息を吐き出します フゥーッと
その息を出来るだけ長く もうこれ以上吐けない処まで
目一杯に吐き出したら 吐くのをやめて力を抜くだけで
空気が入って来ます。 吸う事は意識しなくても
目一杯吐き出し切ると 吸い込もうなどとしなくても
自然に空気を吸い込んでしまいますよね。
これを ゆっくりと10回ほど繰り返して下さい。

今度は 同じく ゆっくりと息を吐き出しながら
吐き出す息を意識で見つめます。
吐き出し切ったら 新たに入って来る
息を意識で見つめます。

こうして意識を呼吸に置いまま
意識は呼吸を見つめたままで 
ゆっくりとした呼吸を繰り返します。

意識は呼吸を見つめ続けたまま
出来れば入って来る息をお腹の中まで
意識で追えたら、見つめ続けられたら
尚更良いです^^

ときおり 意識は呼吸から離れて
他の事を見つめてしまいます。
そうしたとしても それに気が付いた段階で
再び意識を呼吸を見つめる事に戻します。

その際に批難なんかしないで下さいね。
「何か眉毛が痒くなって来たぞ」という考えだとか
「そう言えば あいつ本当に頭にくるよな~」といった感情に
意識が行ってしまったとしても 気が付いた段階で
再び呼吸に意識を戻すだけで良いのです。

呼吸を見つめる事に意識を置いておく事で 
流れて来た雲である 思考や感情を
追わなく成れるのです。
流れさせて上げられるように成ります。
そればかりか 思考や感情の去った後の
あの青空を感じる事が出来ます・・・。
凄いでしょう?。

実際にやったら この凄さが解ります。
いつでも開いた時間が有ったらやってみて下さい。
休憩時間に5分でも10分でもやるだけで身体の疲れが
簡単に取れてしまいます。

不思議でしょう? 
でも実は不思議でも何でも無いのです。
当たり前なのです。

何故なら大気中に充満している空(クウ)の
エネルギーは私達の中に 常時 
降り注いでいるのですが

私達の内面が思考や感情やらで
一杯になっている時には
100の内の10パーセント位しか取り込めていません。

それが この呼吸を見つめ続ける事を
しているだけで 普段から あなたの内面を
一杯にしている思考や感情やらを消し去ってくれます。
それらが去った後の状態に比較的に簡単になれてしまいます。

すると あなたの周りに存在するエネルギーが
何にも阻まれずに100パーセント入って来るように成れるのです。
だから簡単に身体の疲れが取れてしまうという訳なのでした。


これを呼吸瞑想と言います。
やればやるほど あなたの内面は
静寂さに包まれるようになります。
そして身体に静かな力が みなぎって来ます。



この呼吸瞑想は 
やれば解るのですが
ある所までは睡眠と同じ様な方向に向かいます
睡眠と とても良く似ています けれど睡眠との違いは
途中で二つの方向に別れます。

片方の睡眠の場合は身体も意識も眠る方向へと向かい
もう片方の呼吸瞑想は身体は眠るのですが意識は
クリアーに冴え渡っています。
周りの物音は全てクリアーに聞こえています。

通勤電車の中で吊り革につかまりながら出来ますし
睡眠を取る前に寝転がったままでも出来ます。
いつでも どこでも 何度でも時間が有れば
試して 自分のものにして下さい。



そして 呼吸瞑想は
どんなスタイルでも構わないのですが
一応自分の部屋などで する場合の
正式なポーズを お伝えしておきます。

胡坐をかいて座り 口は軽く閉じ 
目は半眼位(半眼と言うのは斜め
45度の下を向いた感じです)が良いでしょう。
目は別段閉じていても構いません。
どちらか自分に合う方を選択して下さい。

手は両膝の上に
そのままのせて下さい・・・・その感じを憶えていて下さい
今度は そのままのスタイルで 手の平だけを ひっくり返して
手の平を上に向けて下さい、手の甲の方が膝の上に乗っている・・・この感じと
手の平をそのまま膝の上に置いているのと感じが同じですか?

手の平を そのまま膝の上に乗せている場合は
まだ自分を守れている感じがしませんか・・・?
そうです この感覚は まだ守りを解けていないのです。

逆に手の平を上に向けて膝の上に乗せて置くと
何かしら心細いと言うか不安な感じがします。
自分の内面に有る防御が解き放たれるスタイルなのです。

呼吸瞑想を通して自らを周りの空間に
解き放つと言うか 明け渡すと言う感覚です。
周りの空間に全面的に あなたの中に入り込んで来て
もらうといった感覚なのです。

防御無しでの呼吸瞑想が出来た時には
その深さに圧倒されてしまいます。

あなたが 呼吸瞑想をする度に 
とても深い満たされた感覚が
もたらされるようになるでしょう・・・。

呼吸を意識で見ている事は変わりません
お腹の中まで空気が入り込む処まで追えたら追って下さい。
出来なければ 出来ないで構いません。
その内に出来る様に成れますから。

別に睡眠の前に寝たままの格好でするのも
どんなスタイルでするのも有りなんですからね^^


深く呼吸瞑想に入れると
呼吸の出入りを見つめ続けながら
部屋全体になっている感覚にまで包まれますので
どうぞお試しあれ・・・。




単なる呼吸法とか 
瞑想法とは少し違います
余り呼吸には捉われないで下さいね 
勿論呼吸自体も大事ですが 
もっと大事なのは呼吸を見ている事の方なのです。
呼吸を見ている事の方がより重要なのです。

何をして欲しいのかというと
呼吸の出入りを今の あなたの意識が
見つめていく事をし続けていくと やがて 
あなたというエゴが活動出来なくなります。

なぜなら呼吸は現在に次々と行われています
その呼吸を通して現在の 真っ只中に入り込むと
あなたは蒸発してしまいます。

あなたは これまでも
私が何度となく話して来た通り 過去と
過去からの材質で作り出した思い込みの中の未来
過去も思い込みで出来ていますから 
あなた自体は思い込みの中にしか存在出来ていないのです。
現在の中には あなたは居ないと言うのが
理屈ではない本当の事実なのです。

だから呼吸を見つめる事をし続けて行くと
現在の中に居られるようになり つい今しがた
までの有りもしない自分に付いていた疲れまでも
その自分ごと綺麗に洗い流されてしまうのです。

この現在の中に居られると言うのは
あなたが居られるのでは有りません
正確に言うと あなたは消えてしまいます。

なぜなら あなたは現在には居られないのです
居られない材質で出来ています。
あなたが居られるのは過去や未来という 
あなたが作り出した思い込みの中になら居られます。

思い込みと言うのは 想像です。
想像の中には居られます。
でも想像は現実では有りません。

呼吸瞑想は呼吸を見つめ続ける事によって
あなたを現実に連れて行こうとします。

本当に呼吸を見つめ続けっ放しになれたら
あなたは消えてしまい そこに現在だけが有ると言う
感じになってしまいます。
その時 あなたは宇宙です。

今迄の あなたが居なくなれば その部屋全体が
自分のように感じられるのは別に不思議な事では
有りません1時間もやって御覧なさい
宇宙とひとつに繋がっている感覚すら憶えますから
その時には法悦という感覚が訪れます。

簡単に言うとエクスタシーです。
女性のSEXでのエクスタシーと言うのは
知りませんが 私は男性ですから男性としての
経験から言うとSEXの100倍良いです。
そして その状態が自由自在に味わえ ずっと続くのです。