この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

物事を難しくしていたのは あなたの方だったのです

2017-11-30 10:56:14 | Weblog






あなたの

目が意識が

外側を向いてしまうと

あなたは簡単に あなたの

故郷を忘れ去ってしまい

長い旅に出て行く様に成って

しまいます。




それほどまでに

外側には あなたを

魅了し誘惑してしまう

数々の物事が存在しています。




あなたが

何度も何度も

沢山の物事に誘惑され

魅了されてしまった挙句の

果てに長旅に出ては故郷を

忘れ去ってしまう日々が続き

徐々に あなたは疲れてしまいます。




そして

外側の物事の

刺激に余り魅力を

感じられなく成って

行きます。




それどころか

あなたを あんなにも

魅了した物事に あなたが

着いて行っても 何一つとして

大した物など与えてくれないどころか 




何処へも

辿り着く事など

出来ない事が解って

来てしまいます。




そうなのです。

外側に見える物になど

大した物など何一つとして無く

意味の無い物ばかりなのです。




その役目は

あなたの目を

意識を外側に向かせ

続けさせてしまう事に

有ります。




何故ならば

あなたが外側を

見ていてくれなければ

あなた自身が存在する事が

出来なく成ってしまうからです。




あなたは

外側の物を

見つめ続けて

出来上がっている

存在に過ぎないからです。




あなたは

外側の物に

魅入る事に依って

それらを あなたの中へと

取り込み それを見つめ続ける事で

あなたの”俺や私”は出来上がっています。




本当は

あなたの中には

何も無い空間が広がって

いるだけなのに その空間を

見る事が出来ずに あなたの外側から

取り込んで来た 何かを置き

その置いた物に あなたは騙されてしまい

魅入ってしまうのです。




そして

あなたの中に

置いた物に魅入る事で

あなたの”俺や私”は

出来上がっています。




現実では無い

物事の方が現実と成り

その背後に何処までも

広がっている何も無い空間の

方を見えなくさせてしまうのです。




だって

何で有れ

あなたの中へと

何かを置く事など

出来る訳など無いから

現実では無いのです。




置いたつもりで

あなたが魅了された

物事の記憶の映像を置けている

だけなのです。それは実体では無く

あなたが魅了された物事の記憶です。




その記憶に

魅入る事で あなたは

実体である何処までも広がる

何も無い空間の方を見る事が

出来なくさせられてしまって

いるのです。




その実体の無い

あなたが取り込んだ

記憶に邪魔をされてしまい

あなたは あなたの本来の場所で有り

故郷である 何も無い空間へと帰る事が

出来なく成ってしまっているのです。




あなたが外側に

見い出してしまっていたり

あなたの中側に持ち込んでしまった

記憶のカケラは針の先程の小さなもので有り

あなたの本来の場所で在る記憶のカケラの

背後に何処までも広がっている何も無い空間は

果てしの無い程に広い大海の様なのです。




あなたは

わざわざ小さな

針の先の様な物事に

魅入ってしまっていた

だけだったのです。




それらは

あなたが毎日の様に

毎時間の様にして




更に

毎分毎秒の様にして

あなたが気づけた時には

あなたの手の中に有るものの

全てを手放してしまう事が出来るだけで

あなたは あなたの ふるさとの大海へと

一瞬の内に帰る事が出来てしまいます。




あなたの目が

覚めてしまう事で

あなたは本来の あなたの

場所へと 何も無い空間へと

帰って来る事が出来ます。




本当は

あなたは何処へも

出掛けてなど無かったのです。




ただ何かに

魅入ってしまっていた

だけだったのです。




何かに魅入る事で

自分の居場所さえも

忘れ去ってしまっていた

だけだったのです。




但し あなたが

何かに魅入った状態のままで

何かをするのと あなたが何にも

魅入ってなど無く 本来の あなたの

居場所のままで何かをするのとは余りにも

違う結果と成ってしまいます。




何処までも

あなた自身に正直に成り

何処までも素直に成ってしまい

あなたの中の最低の あなたの姿を

そっくり そのままで受け容れて上げて

しまう事なのです。




勿論 受け容れて

上げてしまうのは実際に居る方の

最低の あなたで 最低の あなたの姿を

受け容れて上げるのです。




それが出来るだけでも

あなたは本来の あなたの場所へと

帰って来る事が出来ます。




最低で最弱な

あなたこそが本当は

最強の あなたなのでした。




その 本物の

あなたの事を あなたが

受け容れて上げないなんて

あなたは どうかしています。




それは

あなたが いつも

最強な あなたの事ばかりを

追い求めてしまっているからに

他なりません。それが浅はかなのです。




そんな所に

本当に優れたものは

有る筈が有りません。




神様は

大いなる摂理は

あなたが最も探し出す筈の無い

場所へと最も優れた あなたを

隠しておいたのです。




だって簡単に

誰もが見つける事が

出来たならば 詰まらないでしょう?




と言うのは冗談です。

本当は最も あなたに

近い場所で誰もが探し易い

場所へと本物の あなたの姿を

置いておいてくれたのです。




なのに

あなたと来たら

何処か遠くの方ばかりを

探したり 難しい方ばかりを

探し続けていたのです。




だから今日まで

見つけ出す事が出来なかった

だけなのです。




最も あなたが

探し出し易い場所へと

置いて有ったのに あなたが

勝手に難しい方角へと探す旅に

出て行ってしまっただけなのです。




それは絶対に

何も見つけ出す事の

出来無い旅だったのです。




だから誰もが

傷つき疲れ果てて

彷徨い果てるしか無い

旅なのです。




何も旅に

でる必要など

全く無かったのです。




だって

それは あなたの

足元に当り前の様にして

元々置いて有ったのですから。




その事実に

あなたが いつ

気がつく事が出来るか

だけの話しだったのです。








































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”へなちょこ”の あなたで生きる事の勧め

2017-11-29 12:24:16 | Weblog






あなたが例え

何を見ていたとしても

それらの全ては次の瞬間には

残念な事に一瞬の内に 現実の物では

無くなってしまうのです。




だからこそ

あなたが あなたの

内側に生まれ続けている

何も無い空間に あなたの

意識の目を向け切って置く事が

とても大切な事なのです。




あなたが

味わう物事は

それが例え どんな物でも

あなたは たったの一度きりしか

味わう事が出来ないのです。




だから懸命に

生きろなんて事は

必要が無いのです。




だって あなたが

懸命になど生きたならば

肩に力が入り過ぎてしまって

物事の大半が逆に見えなくなって

しまうからです。




あなたの中の

最も奥深い場所に

潜む 弱くて 駄目で

情けなくて 出来の悪い

とてもじゃ無いけれども

何も出来そうには思えない

あなたの場所でしか一度しか

味わえない場所を味わい尽くせる

あなたは他には居ないのです。




その あなたの

感受性は とても

豊かで果てしないのです。

最も 弱くて 最も 儚い場所の

あなたには命そのものに備わっている

感受性が元々 花開いています。




だから

あなたは

そこで どうしたら

生きられるのかだけを

工夫する事が出来れば

良いだけなのです。




その場所は

あなたの前に

次から次へと現れては

消え去って行く一度きりの

現実を全面的に生きる事の

出来る場所で有り 最も物事が

出来る場所でも有るのです。




あなたが

無理をしたり

背伸びをして精一杯の

力を酷使してやる やり方も

本当の あなたの 物事の

やれる場所には到底 敵いませんし

足元にも及びません。




そして

何の力も要らずに

誰の助言も 誰かの真似も

何一つととして使わずに




ただ ただ

何も無い場所の あなたで

やる事だけを心掛けるだけで

それらの果てしの無い力は発揮されて

しまいます。




あなた自身の為にも

そして後に続く人達の為にも

一日でも早く その場所の発見を

してしまい その場所で まずは自分が

生きられる様に成ってから沢山の人達を

案内する事が出来る事です。




火の様な意欲で

燃える様にして物事を

やる場所は 過っての あなたの

生きて来ていた過去に対する反発や

反作用によって生まれる意欲や やる気です。

それは歳を取ったり身体が傷ついたり弱って

来たりしたならば出て来なく成ってしまう

意欲や やる気です。




その意欲や やる気は

燃える様にして 物事を

やり遂げる事も出来るけれども

あなた自身をも何処までも燃やし

尽くしてしまいます。




もっと静かに

ホンの小さな指一本の

力で良いのです。




あなたが

満たされない渇きから

生まれる やる気や意欲や

力では無くて




あなたが

満たされた後から

自然に生まれ出す意欲や

力が有ります。それこそが

本物の自発性です。




渇きから

生み出される力は

満たされてしまったら次に

渇きが生まれ出るまでの間は

あなたが再び堕ちて行くまでの間

産まれ出しては来てくれないのです。




何度も 

あなたは上がり下がりを

繰り返すしか無いのです。




真実の自発性は

満たされた後に生まれて来る

”これを やってみたいな”と

自然に生まれ出るもので何処からも

押し出されてなどいないものです。




そして そこには

誰かの為や何かの為など

これっぽっちも有りません。




もう既に

自分は満たされ切って

しまっていますから それを

やり遂げる事に依って自分が

満たされたいなどとは思ってなど

いないのです。勿論 誰かに見て貰い

褒めて貰ったり認めて貰おうとする欲求など

全く無いのです。ただ自分が やりたいから

やってみたいだけなのです。




だからこそ

出来ない時に

誰かや何かの所為になど

全くする事など無く自らの

責任にしてしまう事が出来ます。

自分の責任にしても壊れる自分など

居ないからです。




そんな時に

自分の何処に問題が

有って上手く行かなかったのかが

具体的に見る事が出来ます。




問題が有った やり方を

変えて やって行けば 何度か

そんな事を繰り返して行く内に やがて

問題は解決してしまい物事が出来て

行ってしまうしか無いのです。




それどころか

あなたの やり方は

何処からも真似た やり方では無く

あなた独自から産み出された やり方ですから

新しい物が あなたから次から次へと

産み出されて行くしか無いのです。




それが

あなたの独自の

オリジナルの生き方であり

オリジナルの やり方を産み出す

事の出来る歩みです。




あなたが

何一つとして

持っていない事

全てを実際の現実の中を

生きる事で学ぶ事でしか得られない

あなた独自の道です。




あなたが実際に

やるまでは躊躇して

しまうけれども 実際に

やってしまえば意外と簡単な

歩みなのです。




それは ただ

あなたの中の最も

隠したがって来ていた

へなちょこの あなたで

生きる事だけです。




へなちょこの

あなたで生きる時

力なんて 全く必要は

無いでしょう?




極意は

”へなちょこ”

それだけの事です。




みんなで

へなちょこ同盟でも

作りましょうか?




但し

そここそが

世界の誰もが

探しているのに未だに

誰も見つけ出す事の出来ない

本当の物事の やれる

実は最も生産性の高い

場所なのです。










































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何も持ってなどいない時ほど あなたの内面は目覚め渡っています

2017-11-28 11:06:09 | Weblog






あなたの駄目さを

本当の あなたの姿を

あなたが受け容れて上げて

いなければ




一体 誰が

本当の あなたの姿を

受け容れてくれるのでしょう?




それを

あなたが

今日までの間

して来て上げて

いないとしたら




あなたは

本当の自分の姿を

誰にも受け容れて貰う事が

出来ずに今日まで生きて来て

しまった事に成ります。




だから

いつまでも

あなたの中から

深い底無しの様な

寂しさが あなたに

付き纏ったままで何をしても

癒えないし消えないのです。




だから

あなたは いつも

必死に成って自分を繕い

無理をし 背伸びをして

人に受け容れて貰おうとして

ばかりいるのです。




けれども

そうして あなたが

無理をしたり 背伸びをして

受け容れて貰える あなたは

無理や 背伸びをする事で作り出した

本当の あなたでは無い あなたが

演じる事で生み出している あなたの

姿が受け容れて貰えるだけなのです。




だから いつも

あなたの中では一時的に

満たされた様な感覚には

成れるけれども直ぐに その

満足感も過ぎ去ってしまいます。




だって

周りの人達には

上辺の あなたしか

受け容れて貰う事が

出来ていないからです。




上辺の

あなたを

どんなに演じて

どんなに良いねを

どんなに多くの人達から

連発されようとも 




あなたの

満足感はホンの

束の間の出来事に

過ぎず




再び

あなたの中は

渇きで満ちてしまう

しか無いのです。




そのままで

行ったならば

あなたの中の渇きが

潤う事など多分 一生

無いのです。




あなたは一生

無理や 背伸びをしては

偽った自分の姿を演じ続けて

人々に承認して貰い続けるの

でしょうか?




自分の幸福感さえも

他人の手に委ねるしか

無いのでしょうか?




そうして一生

人に媚び続けるしか

無いのでしょう?




そんな

満足感や

そんな幸福感など

上辺で偽物の その場

凌ぎの幸福感でしか

有りません。




人から

与えられる

倖せ感を いつまでも

追い求めているのでは無く




あなたが

あなたに本当の

倖せ感を与えられる

唯一の人なのです。




人に与えて貰う

倖せ感を得るが為に

あなたが どんなに努力を

した所で もう そんな程度の

倖せ感では あなたは満たされなく

なってしまっています。




一時的に

満足をした所で

直ぐに あなたの喉は

渇いてしまいます。




だから

あなたは再び

自分に鞭を打ち

無理や 背伸びをしては

自分以上の自分を演じ続けて

いつか あなたが もう無理など

出来ないと言う所にまで追い詰められて

初めて あなたは気づくのです。




俺が私が

求めていたのは

こんなに儚く簡単に

消え失せてしまう様な

倖せ感じゃ無かったと言う事に

気がつかされてしまうのです。




もっと永遠に

続く絶体の倖せ感だったと

気づくのです。




でも その頃には

あなたも歳を取り 無理も背伸びも

利かない歳に成ってしまっています。

それでは遅過ぎます。




今の今

気づく事が

出来るのです。




上辺を整える

無理や 背伸びをして

演じて来た自分の姿など

本当の自分の姿では無い事ぐらい

あなたが一番良く知っています。




そして

無理や背伸びなど

しない所に 本物の

出来の悪い 人様には

見せられない様な あなたが

居る事も あなたは知っています。




その あなたを

無理や 背伸びなど

一切してなどいない

本当の あなたの姿を

人様に見て貰うのでは無くて

あなたが見て 向き合って上げて

しまうのです。




そして

生まれて初めて

あなたが無理や背伸びを

してなどいない 出来の悪い

姿をした 本当の あなたの姿を

出来の悪い あなたのままで素直に

受け容れて上げてしまうのです。




人になど

受け容れて貰う

必要など無いのです。




何にも出来ない

無理も背伸びもしていない

本当の あなたのまま 出来の悪い

本当の あなたの姿を全面的に

受け容れて上げてしまえば

良いだけだったのです。




それは誰かに

受け容れて貰う事では無くて

あなたに受け容れて貰いたかった

だけだったのです。




だから

あなたが弱くて

駄目で 出来の悪い

素の あなたの事を

素の あなたのままで

受け容れて上げてしまえると

あなたの内面の芯から隅々にまで

渡り それまでの一斎が癒されてしまい

満たされ切ってしまいます。




それまでに

味わった事の無い

満足感が あなたの中に

広がり出します。




やっと

あなたは

あなたが貰い受けていた

本来の あなたの場所へと

辿り着く事が出来たのです。




それは

あなたの中の

満たされた感が

それが本当の事か

どうかの 全ての事を

物語っています。




一斎の物を

何も持ち合わせてなど

いない あなただから何の

自信も無ければ 絶体の弱さや

駄目さや 出来の悪さを感じられて

しまうのです。




それを決して

打ち消さない事です。




何故ならば

それは あなたが

受け容れて上げるだけで

何処までも広がる広々とした

何も無い空間へと早変わりして

しまうからです。




そして

その空間の内部に

流れ込んで来ていて

何も無い空間の内部を

満々と満たし切ってしまうものが

在る事に気づけた時に あなたの中に

大きく豊かな倖せ感は広がってしまいます。

それこそが あなたの求めていた

永遠に続く倖せ感です。




但し

永遠に続くのは

その倖せ感に あなたが

しがみ付いたらでは無くて

次から次へと生まれ続けている

永遠の倖せ感に次から次へと

気づけたならばなのです。




それに次から次へと

気づけてしまうのには

あなたが芯から目覚め渡って

いる時だけです。




あなたが芯から

目覚め渡っていられるには

あなたが何かにしがみ付いてしまい

安心などしてしまっていては あなたは

居眠りをしてしまっています。




常に あなたが

何も持たない時にだけ

あなたは目覚め渡っている事が

出来るのです。




全てを

手放して

しまっている

時にだけ あなたの内面は

芯から目覚め渡っています。




そして

その時こそ

次から次へと

永遠に生まれ続けている

倖せ感に出会い続ける事が

あなたにも出来てしまいます。









































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あなたが受け容れてしまう事に依ってのみ 開かれてしまう場所

2017-11-27 12:26:25 | Weblog








あなたには

本当に 何も

要らないのです。




むしろ

どんどんと

手放してしまい




そして

何も無い

あなたの事を

そのまま 何も無い

あなたが受け容れて上げて

しまうだけで良いのです。




それだけで

不思議な事が

あなたの中に起こって

しまうのです。




それは

あなたが本当に

あなたの 芯から

あなたの隅々までに渡り

満たされ切ってしまうのです。




それが

あなたに

起こるのは

いつも いつも

全てを手放してしまい




例え それが

どんなに魅惑的な

出来事であったとしても




その場に

全ての事を

置き去りにして

次の瞬間の中へと

全体の あなたのままで

生きられる事です。




あなたが

何一つとして

持っていない時に

あなたは大きな全体として

生きられています。




あなたが

何かを持ち込んで

しまった時 あなたは

全体から孤立してしまいます。




あなたは

今現在の中には

生きられなく成り




あなたの

思い込みの中に

生きる 思い込みの

一部と化してしまいます。




そして

あなたの生は

何処にも存在しなく

成ってしまいます。




思い込みは

現在の中には無く

過去と過去から連想した

未来の中に有ります。




過去は

既に過ぎ去り

未来は まだ来て

いません。




どちらも

実際には無いもので有り

思考の一部でしか有りません。

だから現在の中に あなたの生は

存在しなくなってしまうのです。




それも たったの

過ぎ去ったものに あなたが

魅入られてしまうだけで

なのです。




それだけで

あなたの生までもが

ホンの一瞬の内に この世から

消え失せてしまうのです。




有りもしない物を

持たないだけで良いのです。

既に死せるものに着いてなど

行かない事だけなのです。




此の場に

次から次へと

産み出されている

真新しくなっている

何も無さが有る事に

あなたが気づき




その

真新しく

なっている

何も無さと いつも

一緒に生きて上げられる

事だけなのです。




本物の

あなたは

現在の中に

生まれ続けている

真新しい何も無さだけ

なのです。




今の今

そこにしか

生きられる場所は

無い事を理解する事

だけです。




何も

持ち越す事など

出来ない事を理解

出来る事です。




あなたが

持っているものは

活き活きとした生の一部

などでは無くて既に残骸と成った

使い物になど成らないものなのです。




そして

それを後生大事に

抱きかかえ様としている

あなたまでもが残骸と成って

しまうしか無いのです。




此の場に有ったものは

全て 此の場の中へと置いて

行くしか無いのです。




あなたは空の手で

此の場から次の場へと

出て行くしか無いのです。




実際には

空の手のまま

何も持たずに此の場に

居れば次の生は向こうから

やって来ます。




全ての生は

全ての未来は

全部 此の場を通り

現在と成って あなたが

此の場に居るだけで全てを

味わう事が出来てしまうのです。




あなたが

何も持たない時には

あなたは大きな何処までも広がる

空間として生きられています。




あなたが

何かを持って

しまった途端に

あなたは 此の場には生きられず

過去の残骸と成ります。




それは

あなたの中の

思い込みの一部と化し

此の場から あなたの存在が

消え失せてしまうしか無いからです。




だから

あなたは何も

知らなくても良いし




いつも

何も出来ない

人のままで良いのです。




何も

知らない人こそ

多くの事を実感で知り




何も

出来ない人こそ

多くの事が実際には

出来てしまうのです。




そして

それが いつまでも

続けられるのは全てを

此の場に置き去りにして

行けるからこそなのです。




空っぽの

ままの あなたで

生きているからこそ

あなたは いつも全体として

居られるのです。




あなたは

毎日の様にして

あなたの本来の場所へと




あなたは

毎瞬の様にして

あなたの故郷へと

帰り着いた場所で生きて

しまっているのです。




だから

全体は あなたで在り

あなたは全体なのです。




全体とは

広々とした

何処までも広がる

途方も無い空間全体の事です。




これ以上の

生など何処にも

有りません。




あなたは

あなたが亡くなって

しまった時に初めて

帰る事の出来る場所に




あなたの身体が

生きているままで

毎日の様に 毎時間の様に

毎分 毎秒 毎瞬間の

様にして 辿り着いてしまい

帰り着いてしまう事が

出来るのです。




あなたが

思考や感情の中に

留まらなければ




本当は

あなたには

この世も あの世も

既に無いのです。




本当に

生きる事の

出来る場所は

今の あなたの意識が

消え失せてしまった後に

生まれて来ている空間の事を




何もかもの

全てが無くなって

しまって憮然としている

あなたのままで受け容れて

上げる事が出来た時です。




その時に

初めて何も無い

空間としての本当の

あなたが産まれて来ます。




そして

その あなたの

誕生は次の瞬間には

直ぐに死へと変化して

しまいます。




それを

抗わない事です。

流れに身を任せる様にして

受け容れて上げる事です。




そこで

生まれたばかりの

自分に しがみ付かずに

死なせて上げる事が出来ると

次の瞬間には真新しい あなたの

誕生に立ち会えてしまいます。




あなたの内面では

こうして次から次へと

本物の あなたの生と死が

繰り返されています。




こうした

真実に怯まずに

あなたの方から潔く

進んで 立ち会って

上げたら良いのです。




あなたの中では

新緑の季節の様にして

新芽が若葉が芽吹いて来て

しまっています。




それも

毎瞬の様にして

真新しい あなたが

芽吹き出してしまって

来ているのです。




それに立ち会い

受け容れて上げる事で

あなたが生きられる場所が

開かれてしまうのです。




そんな

あなたの想像を

超える真実から眼を背け

立ち会う事から逃げて

ばかりいると




あなたは生涯

あなたの本当に

生きられる場所には

出会えずに終わってしまいます。




それこそが

唯一 あなたが

生きられる場所だと

言うのにです。














































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あなたの中に薄っすらと感じられている感覚と一緒に生きて上げる

2017-11-24 11:55:40 | Weblog








もう既に

あんなにも

解る事の出来た

場所にも 自分は

居ないし




本当に解った

自分すらも何処にも

居なくなってしまった。




そして

今は あの時に

解った事を思い出す事で

再び 解る事の出来た あの頃に

帰ろうとしているけれども




一向に

帰る事も

戻る事も出来なく

成ってしまっています。




それが

解る事の出来た

全ての人達の上に

起こる事なのです。




別段

慌てる事では

無いのです。




あなたが

過って解った事に

すがるのでは無くて




新しく

あなたの中に

芽生えて来てしまった

解った事も 解った自分も

既に記憶でしか無くて今は

何もかもの全てが消え失せてしまい

何も残ってはいないと言う事の方が

あなたの中のハッキリとした実感なのです。




その実感を

正直に受け容れて

上げてしまえば良いだけ

だったのです。




その実感から

あなたは逃げようと

してしまっていたのです。




その実感を

受け容れたならば

せっかく解った事の

何もかもの全てまでもが

ことごとく無くなってしまうと

思ってしまい絶対に受け容れる事が

嫌だったのです。




だから

あなたは

受け容れる事から

逃げ回ってしまって

いたのです。




それは

解った事を

何もかも無くし

失わせてしまいます。




但し それは

解った事の知識を

何もかも全てが消え失せて

しまうだけなのです。




その代りに

もっと深まった

実感を あなたは

手にして行く事が

出来る様に成れるのです。




既に

あの時に

解った事の

全てが消え失せて

しまっていると




あなたの中では

ちゃんと実感をして

いるのです。




それが

逆に ちゃんと

物が見えていると

言う事なのです。




あなたは

こう言っているのです。




確かに

記憶の中には

有るけれど実感の方は

既に失われてしまったと




正解です。

何も あなたは

間違ってなどいないのです。




記憶は

記憶であって

現実では無いから現実の

実感の方が失われてしまった事を

あなたは嘆いているのです。




けれども

そこが少しだけ違います。

実感は失われてなどいません。

前の実感とは違う形の実感が

あなたの中には芽生えている

だけなのです。




そちらの

実感の方が

真新しい実感なのです。




その実感とは

”既に あの頃に解った事が

今は全てが無く成り失われてしまった”

と言う新しい実感です。




”何もかもが

失われてしまい

何も残されてはいない”と言う




現実の真新しい

実感の方から あなたは

怖くなってしまい受け容れて上げる事が

出来なかっただけなのです。




その真新しい

あなたにとって

都合の悪い感覚に

正直に成って上げられる

事だけだったのです。




あなたが

大事にする方は

今の目の前に現れている

現実を ちゃんと捉える事の

出来ている あなたの中の一番

深い場所に在る あなたのお腹辺りに

感じられている実感の方なのです。




あなたの中の

お腹の辺りに在る

絶対的な弱さとしての

あなたの場所には真実しか

映し出さない様に出来ているのです。




そして

その あなたの

お腹の辺りの感覚に

正直に成り受け容れて上げて

しまい 更に その場所と常に

一緒に生きて上げられる

事だけなのです。




どんなに

あなたにとって

都合の悪い事でも

あなたが受け容れてしまえば

その現実から あなたは逃げ出さずに

済んでしまいます。それが目の前の あらゆる

現実から眼を背けずに逃げ出さずに済むコツです。




そのコツは

絶対的な弱さの

塊の様な 駄目さの

塊の様な あなたの中の

お腹の辺りに感じられている

実感の方と普段から生きて上げてしまう

事の たった一つだけです。




そして

あなたの外側の

物事に目を奪われずに

あなたの内側の感覚に目を向けて

上げていられる事です。




あなたが

目覚めてさえいれば

あなたの中の感覚に正直に

生きる事は容易い事です。




だって

あなたの中の

目の前に常に真実は

横たわっているからです。








































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あなたが目覚め渡っている場所で生きる時

2017-11-22 12:25:16 | Weblog








あなたが

いつも何にも

気を取られずに




あなたが ただ

お腹に辺りに居て

目覚め渡っていたならば




それは

直ぐに解る事です。




あなたが

今見たばかりの

何も無い 空間は

ホンの束の間の出来事で




次の瞬間には

既に 此の場には

無くなってしまっている事を

本当は誰でもが見えているし

感じられているのです。




それなのに

既に無くなって

しまっている感覚に

正直に成らずに 




つい

先程までの

何も無い空間の

記憶の方を追い掛けて

ホッと胸を撫で下ろして

いるのです。




それは

何も無い

空間の記憶であって

リアルでは無いのです。

現実の姿では無いのです。




あなたは

それを期にして

思い込みの世界の中に

再び生きる事に成ります。




その時の

リアルは現実は

あなたが あなたの中の

お腹辺りの絶対的に弱い場所で

感じられていた ホンの数秒前に

せっかく見い出せていた何も無い

空間が既に無くなってしまっている

と言う現実の方なのです。




その

あなたが

落胆してしまった

現実の方にスルスルと

降りてしまえば良かったのです。




再び

落胆し

降りてしまえば

良かったのです。




再び

落胆し

何度でも

落ちてしまえば

良かっただけだったのです。




以前の事を

守る事や その場に

居着く事などでは全く

無かったのです。




どんどんと

落胆し どんどんと

落ちれば良かったのです。




そこに

あなたの本来の

立ち位置が 本来の

あなたの姿が いつでも

ちゃんと在ります。




いつも

あなたが見た物など

直ぐに消え失せてしまいます。

そして その場に実際に在るのは

何もかもの全てが無くなってしまった

リアルで本物の何も無い空間です。




そこに素直に成り

正直成って上げてしまい

真新しく成った あなたを

受け容れて上げられる事です。




現実の

あなたは

秒単位で真新しく

生まれ変わっているのです。




その事実から

逃げ出してしまったら

あなたは迷子に成るばかりです。




だから

リアルでは無く

記憶の中の あなただけの

思い込みの世界の中へと

逃げ込んでしまうしか

他に道は無いのです。




それは

あなたが最初に

あなたのお腹の辺りの

絶対的な弱さの中に感じられた

感覚に正直に成らなかったからです。




決して

あなたに何も

見えなかったからでは

無かったのです。




一度

あなたが

そこに立ったならば

あなたは何処までも正直に

成って行くしか無いのです。




もう

あなたは

引き返す訳には

行かなくなって

しまったのです。




そうじゃなければ

あなたの中は いつまでも

スッキリと冴え渡りません。




そうで無ければ

あなたの中に いつも

満たされた感覚が訪れて

くれなくなってしまいます。




あなたが

次々に消え去り

あなたが次々に生まれ変わる

現実の中で本当の あなたの姿を

次々と受け容れて上げて行く時に

あなたの中は何処までも途方も無い

愛に包まれてしまい満たされ切って

しまうしか無いのです。




それは

絶対的な

弱さの塊の

何も無い空間を

本物の あなたの姿を

あなたが常に 受け容れて

上げる事が出来ている時にだけ

起こる とても貴重な出来事なのです。




それを

毎回の様に

秒単位の中で

あなたの中に起こして

しまおうと言うのです。




あなたの中の

絶対的な弱さの塊の

あなたのお腹の辺りの

本物の あなたで持って




真新しく

生まれている

何も無い空間と

真正面に向き合い

受け容れて上げて

しまうのです。




あなたの中の

何も無い場所だけが

目の前の真新しく産まれている

何も無い空間の事を受け容れる事が

出来るのです。




それ以外の場所で

本物の あなたの姿を

受け容れる事は無理なのです。




あなたの

お腹たりの

何も無い場所で在り

絶対的な弱さの塊の様な

場所だけが いつでもリアルな

あなたの事を受け容れる事が

出来ている場所です。




だから

いつも あなたの

お腹の辺りを意識をして

そこに あなたが居られる事を

意識して上げられる事です。




あなたが

何かの失敗や

間違いを犯してしまう時

あなたが あなたのお腹の辺りから

離れてしまっている時です。




あなたが

あなたのお腹の辺りから

遠ざかってしまっている時です。




何故ならば

あなたが あなたの

お腹の辺りに居られる時に

決して あなたに間違いなど

起こり様が無いからです。




それは

あなたが

居眠りなどせずに

目覚めてしまい意識が

冴え渡っている場所だからです。




何もかもが

見えてしまっている

場所だからです。




そんな場所に

居ながら間違える人など

まだ見た事が有りません。




だから

あなたの中の

絶対的な駄目さは

駄目なんかじゃ無いのです。




むしろ そこは

もの凄く 途轍もない

場所だったのです。











































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あなたが満たされた 本物の あなたで生きる時

2017-11-21 14:47:02 | Weblog






あなたの

身体の外側に広がる

途方も無い空間は

あなたに確かに

繋がっています。




その空間に

あなたが開いて

上げてしまえば

良いだけなのです。




すると

外側の空間は

あなたの中へと流れ込み

始めてくれます。




それは

あなたの

お腹の辺りに

一番 解り易く

感じられてしまいます。




あなたは

外側の大きな

空間と繋がっている

あなたの お腹の辺りに

感じられる何も無い空間です。




あなたが

あなたの思考の中にも

感情の中にも あなたを

見い出さない時に あなたは

あなたのお腹の辺りに何も無い

空間として感じられてしまいます。




それは

何も出来そうも無い

弱くて 駄目で 情けない

あなたとしてしか感じられません。




とてもじゃ

無いけれども

出来の良い あなたには

全く感じられないのです。




だから

あなたは元々

そんな あなたの姿を

ちゃんと感じられていたのに

そんな姿では何処にも通用しないと

ばかりに周りの人達の真似をしては

外側に素晴らしく出来の良い あなたの

姿を築き上げて行ったのです。




そんな

あなたで生きると

そこそこ認めて貰えたり

するものだから あなたは

調子に乗って更に無理をしたり

背伸びをしては尚一層 出来の良い

あなたの姿を頑丈に築き上げて

行ってしまったのです。




それも良い事を

しているつもりに成ってです。

確かに ある所までは それで

何かを築き上げている様な感覚を

あなたに覚えさせてくれます。




やがて

あなたの築き上げていた

帝国の崩壊する時が必ず

誰にでも やって来ます。




それは

あなたが認められ

褒められれば褒められるほど

密かに あなたは慢心して行き

傲慢に成って行きます。




そこには

謙虚さの欠片すら

全くと言って良い程

有りません。謙虚さの

振りは出来ても本当の

謙虚さなど とっくの昔に

失ってしまっています。




傲慢に成り

慢心してしまった

あなたには物事を

素直に見る事の出来る眼など

失われてしまっています。




物が見えないのですから

打つ手も全てが外れて来ます。

ところが本人には一体 何処に

原因が有って それまで出来の良かった

自分が駄目に成って来ているのかが

解りませんし認めたくも有りません。




こうして あなたは

あなたが築き上げたものの

全てを失うまで その事実を

認められないのです。




自分が駄目に成って

しまった事を認める事が

あなたが出来ている頃に

築き上げてしまった傲慢さが

邪魔をして全く認める事が

出来なくなってしまっているのです。




あなたの崩壊は

あなたが駄目に成っている

事実に気づき あなたが それを

認め受け容れるまで続いて行きます。




それは

それまでに

築き上げた あなたの

崩壊どころか あなたの

命までを取り上げる場合だって

有るのです。




だって事実

認める事が出来なくて

自分が駄目に 成って

しまった事を見たくなくて

自らの命を 絶ってしまう人達が

残念な事に 沢山居ます。




あなたが

無理をしたり

背伸びをして出来の良い

あなたを作り上げる事は

決して悪い事ばかりでは有りません。




それは一つの

プロセスだからです。




やがて

そのままの

あなたのままでは

それまでの様に出来なく

成ってしまい認められる事も

褒められる事もされなく成って

行きます。




そして

それまでに

築き上げていた

出来の良い あなたの

姿が見る影も無く崩壊し

あなたは転落して行きます。




要は

その時なのです。

その時に どん底に

落ちてしまった あなたを

あなたは否定して以前の出来の

良い時の あなたの姿に返り咲こうと

必死なのです。




けれども

再び返り咲く事は

出来ません。




もしも

返り咲く事が

出来たとしても

それは酷く短命で

再び あなたは転落して

しまうしか無いのです。




だって

あなたは元のままで

何も解ってなどいませんから。




相も変わらずに

傲慢なままで謙虚さの

欠片も無い あなたのままでしか

無いからです。




その時には

あなたは もっと転落した

場所の あなたの姿を認める事が

苦痛に成ります。




あなたは

転落した場所の

何も出来なく成ってしまった

無気力の あなたでしか無いのです。




それは あなたが

以前の出来の良い あなたの

姿へと返り咲こうとして




返り咲く事が

出来ないと解った時に

あなたは何もかもを諦めてしまい

投げ出してしまうから全くの無気力に

成ってしまっているだけなのです。




あなたには

ひとつだけ その場所で

していない事が有ります。




それは

転落してしまい

何もかもの全てが

失われてしまった 弱くて

駄目で 情けなくて 何も出来ない

現在の あなたの事を受け容れて

上げる事です。




あなたが

こんなに成る前に

様々な事が出来ていた

あなたなど偽物で人の物真似で

作り上げただけの中味の無い

あなたでしか無かったのです。

表面だけを整えた あなたの

姿に過ぎなかったのです。




なのに

あなたは

それを本物の

あなたの様に扱い

毎日の様に自分は強いし

出来が良く成ったのだと本気で

信じ込み思い込ませてしまって

来ただけだったのです。




最初に

あなたの小さい頃に

あなたは自分の出来の悪さも

弱さも 駄目さも 全部

あなたは 解っていました。




けれども

あなたは その

本物の あなたの姿を

否定をしてしまい周りの人達の

真似をして その場を凌ぐ事を

してしまって行く内に そちらを

選んでしまい上辺の作り上げた あなたで

生きる事を選択して来てしまったのです。




当時も

今現在も

あなたは本物の

あなたの姿を一度として

受け容れて上げた事が

有りませんでした。




それを

ようやく

して上げる

機会が訪れたのです。




あなたが

どんなに何が出来て

誰にも褒められようとも

一時的な倖せ感は有ったとしても

永続的に続く倖せ感を得られる事が

無かったのは あなたが本物の あなたを

否定をしてしまったままだからです。




あなたが

出来の良い

あなたから転落して

何も出来なく成ってしまった

駄目な あなたの姿に成って

しまった事は 本当は実に

幸運な事なのです。




だって

あなたは

本来の あなたの姿へと

帰って来ただけだからです。




そこで

あなたが

苦しいのは

まだ以前の場所の

あなたが本物だと思い

以前の場所へと戻りたいと

思っているからです。




もう例え

以前の場所へと

あなたが戻れた所で

それまでの あなたの栄光など

とっくに崩れてしまっていますから

逆に あなたが苦しむだけです。




もう道は

一つだけしか

無いのです。




本物の

成れの果ての

転落した場所の

あなたの姿を受け容れて

上げる事しか あなたには

出来る事は無いのです。




それを今

生まれて初めて

あなたが あなたに

して上げるのです。




弱くて 駄目で

情けなくて 出来の悪い

何一つとして出来ない あなたの

姿を受け容れて上げてしまうだけで

良いのです。




勿論

受け容れるのは

弱くて 駄目で 情けなくて

出来の悪い あなたしか もう

居ませんから その出来の悪い あなたが

出来の悪い あなたの事を受け容れて

上げるのです。




すると

あなたの中が

じんわりと温まり出して来ます。

満たされて来ます。




だって

本物の あなたが

初めて 本物の あなたを

愛して上げる事が出来たからです。




今迄

本物の あなたが

本物の あなたのままで

本物の あなたに愛して貰えた

事など一度も無かったからです。




あなたは

あなた自身の愛し方が

全く 解らなかったからです。




ただ

駄目な あなたのままで

駄目な あなたの事を認めて

上げてしまう事だけで良かったのです。




それが出来て

長い間 否定をされて来ていた

あなたが救われます。そのままで

駄目な あなたのままで居ても良いのだと

解って来ます。




別に周りに出来の良い

あなたの姿を繕って見せる必要など

最初から無かったのです。




本物の あなたと

一緒に生きられる事で

満たされ切ってしまった

出来の悪い あなたのままで

物事に向き合い 物事を受け容れて

出来の悪い あなたの中に感じられて来た事で

動いて上げれば良いだけだったのです。




それが

誰の真似をしなくても

物事が出来てしまう道で有り

歩みだったのです。




そして

あなたの中に

いつも何の自信も無く

弱くて 駄目で 情けなくて

出来の悪い あなたが居る感じが

していたのは 




実は

あなたは

真実を見破る事が

出来ていたからだったのです。




時は流れています

そして何もかもの全てが

時の経過と共に失われて

しまって行きます。




だから いつも

あなたの中には何もない

空間が産まれていたのです。




その空間は

あなたが受け容れて

上げる事が出来ないと

空虚なままなのです。




あなたが

受け容れて上げる事で

空間の中が ただ何も無いのでは

無くて 空間が満杯に充満して

しまっている事が解って来ます。




何も無いのでは無くて

何も無さが”有る”のです。




その何も無さと

あなたの身体を包み込んでいる

周り中の空間とは一つに繋がっています。

その空間に あなたの身も心も委ねてしまい

生きて上げれば良いのです。




そんな あなたのままで

何もかもを 何も出来ない

あなたのままで やって行くと

外側の大きな空間までもが あなたを

応援してくれてしまいます。




全宇宙の

計り知れないほどの

智慧までもが あなたの中へと

流れ込んで来てくれます。




だから いつも

自信の無い 駄目な

あなたのままで居て下さい。

自信の無さを 決して何かに依って

埋めたりしないで下さい。




そこに宇宙は

流れ込んで来てくれるのですから。












































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全ては あなたが生きる事の中で確かめて行くしか無いのです

2017-11-20 11:13:18 | Weblog








あなたの中に

次々と生まれている

真新しい何も無い空間を

あなたが いつでも当り前の様に

受け容れて上げる事は 実は

そんなに難しい事などでは

無いのです。




それは

あなたが過去から

一斎の物を持ち出したり

引用をしない事さえ

あなたが出来れば




いつでも

目の前に現れている

真新しい何も無い空間としての

あなたしか あなたの中には

生まれ様が無いのです。




大体 過去から

持ち出したり 引用する様な

物など 本当は何一つとして

無いのです。




あなたが

浅はかだった頃に

見い出していた やり方や

知識など 最早何処にも

使い道など無いのです。




その度に

何も持たない

あなたが 何も無い

真新しい空間のままで

真新しく成っている 

誰にも気づけなかなかった

真新しい やり方や 真新しい智慧を

産み出して上げて行くだけなのですから




それを

怠っていると

過去から詰まらなくて

古臭い その場凌ぎの

やり方を いつまでも持ち出して

来るしか無いのです。




そして

そうしている時に

物事の やり方だけに

留まらず あなたは完全に元の

あなたの姿に戻ってしまっているし

投げ返されてしまっています。




あなたが

過去に手を染めている限り

そこから抜け出す事は

困難なのです。




それは自ら

選んで そうして

いるのですから。




考えても見て下さい。

あなたは無理をしたり

背伸びをする事では既に

限界と成り 大した成果も

上げる事が出来なく成っていました。




そんな時に

あなたの本物の

駄目な姿を見つめる事は

全くの対極に有った事ですし

やっては行けない事だった筈です。




だって

それは無理をしたり

背伸びをして生きる事からしたら

致命的な事だったからです。




本物の

弱くて 駄目な

あなたの姿を あなたの中で

あなたが冷たく見放し

見捨てる事で




本物の

あなたの姿を

あなたの中で完全に

否定をする事で




あなたは

本物の弱くて

駄目で情けなくて

出来の悪い あなたに

蓋をして それとは真逆の

有もしない 如何にも強そうで

賢くて出来の良い あなたの姿を

無理や背伸びをしながら無理矢理に

作り上げて行ったのです。




その偽物の

あなたで歩む

限界が来た時に あなたは

それまでの様に成果を上げる事など

出来なく成って行くしか無かったのです。




そして一歩も

前に歩めなくなって

しまった時に 本当の

自分の姿を見つめる機会を得て

一歩 一歩 本物の あなたの姿を

見つめる事をして行ったのです。




本物の あなたの姿が

見えれば見える程 あなたの

内面は どんどんと癒されました。




そして最後に

あなたのした事の

全ては あっと言う間に

此の場から去り 残されているのは

何も無い空間でしか無かった事を

目の当たりにして初めて あなたは

あなたの本当の正体は 何も無い空間でしか

ない事に気づかされました。




けれども

これでも まだ本当には

何も解ってなどいないのです。




あなたは

確かに何も無い

空間でしか無かったのですが。




その正体を

あなたが見ただけでは

まだ駄目なのです。




それでは

あなたは消極的に

見ているだけで逃げているのです。




だからこそ

更に歩を進めてしまい

目の前に広がる何も無い

空間の事を




既に何も

無くなってしまった

空間の あなたしか居ませんから

その何も無い空間の あなたのままで

何も無い空間の あなたの事を あたかも

抱きかかえる様にして実感として

受け容れて上げてしまうのです。




何も出来ない

あなたのままでも

目の前の何も出来ない

あなたの事を受け容れる

事ならば出来ます。




自分として

何も無い空間の

あなたが承認をして

上げるだけで良いのです。




すると

何も無い

空間としての

あなたの中に

何も無い空間が

呑み込まれてしまうのです。




その時に

あなたは何も無い

空間は何も無い空虚な

物などでは無く 




何かが一杯に

充満している事が

解って来ます。




そこには

何も無い空間が

真空状態が充満して

いるのです。




何も無い

空間には ちゃんと

何も無い空間が満杯と成った

何も無い空間としての実体が

在る事を実感で捉える事が

出来てしまいます。




それに

気がつけた途端に

あなたの中は途方も無い

倖せで一杯と成り あなたは

芯から満たされ切ってしまいます。




そして

あなたが長い間

求めていたのは これだったのかと

言う事にまで気づかされてしまいます。




そして

そこに辿り着けた

あなたには もう やらなければ

成らない事など 一つも無く成ります。




そうです。

強迫観念で

やらなければ

成らない事など

一つも無くなって

しまうのです。




そこで初めて

強迫観念では無い

自発性が生まれて来ます。




”やらなければ

成らない”では無くて




”やりたい”が

自然に 満たされ切った

あなたの中から湧き出して来ます。

それが本当の自主性です。




この自主性が

物事を やり出して行くのです。

それは あなたが満たされ切った後に

自然に湧き出して来るものです。




それには

いつでも あなたを

満たして上げる事が必要です。




あなたを芯から

満たして上げられるのは

此の場に次から次へと真新しく

産まれている本当の何も無さを




何も無い

空間と向き合ってしまえた

何も無い空間のままの あなたで

何も無い空間を受け容れて上げられた時に

あなたは芯から満たされ切ってしまいます。




それが

毎日の中で

一日に何度でも

味わえる あなたで

居られる事です。




それには

全てを その度に

その場の中に 勿体無くても

未練が有っても潔く全部を何一つとして

残さずに捨てて行ける事です。手放して

行ける事です。




その場で

味わった事は

何一つとして残さず

その場の中に置き去りにして

手放して行ける事です。




最初の内

それは意識をして

やらなければ成りません。




だって

あなたには既に

持ち続ける癖が着いて

しまっているからです。




いつも空っぽの

何も知らない人のままで

良いのです。




さも解った様な人ほど

本当には何も知らないからです。




自ら進んで

全てを手放してしまい

何も知らない人と成って

しまって行くのです。




何も知らないから

何も持ち合わせていないから

次の真新しい何も無い空間としての

あなたに自然に成れてしまっています。




落胆するほど

何も知らない あなたで

居ても全然構わないのです。

良いのです。




その方が

ずっと真新しい

やり方を産み出せる

可能性を秘めている人です。

そして満たされた空間として

生きている人です。




そこには

何も無い空間が

在るだけなのですから。




何も無い

空間としての

あなたからは誰も敵わない

魅力が溢れ出し続けています。

それは人智を超えた魅力です。

途方も無い空間から吹き出されている

それは途方も無い磁力を持った魅力です。




だから

あなたに

必要な事は

たったの一つ

だけです。




何も無い

空間としての

あなたの場所に

生きられる事 ただ

それだけです。










































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真実の何も無い空間と共に歩む時

2017-11-17 11:36:03 | Weblog






あなたの中の

何も無さは今の

あなたの目の前に

現れている実物の

何も無い空間だろうか?




それとも

いつか解る事の出来た

何も無さの記憶だろうか?




いつか

解る事の出来た

何も無さを実感で

理解する事の出来た時の

記憶を自分の中に留めてしまい




その留めて在る

記憶としての何も無さの

実感の中に帰っているだけ

なのだろうか?




それでは

以前の あなたが

していた事と同じで

今迄の体験の記憶を

自分の中に留めて置いて

それが「私」だと言い張って

いる時の あなたと内容物が

変わっただけで実体は全く

変わっていない事をしている事と

成ってしまうのです。




これは誰もが

一度や二度は必ず

陥るトリックなのです。




再び

あなたは

あなたの中に

厳然とした あなたが

出来上がってしまって

いるのにも拘らず




あなた

一人だけは

自分は ちゃんと

何も無い空間としての

あなたの姿を受け容れられていると

錯覚し思い込んでしまっているのです。




今の

あなたの中に

そして あなたの

目の前に広がっている

何も無さに あなたの中の

何も無い場所の あなたが向き合い

受け容れて上げる事が出来ると




あなたの中に

何も無い空間が

何処までも広がっている事を

実感する事が出来ますし




真実は

それだけしか

無いのだと言う事までもが

実感 出来てしまいます。




余りにも

大きな真実だから

あなたは それを忘れまい

離すまいとして あなたの中に

残してしまうのです。




そうなったら

あなたの中に残された

真実の記憶が あなたと成り

その真実が去った後に 真新しく

あなたの目の前に広がっている今の今の

活き活きとした真実が見えなく

なって行ってしまうのです。




やがて あなたは

見る事が出来なく成り

次第に 見なくなって行って

しまうしか無いのです。

そうして多くの人達が何十年と言う

歳月の時を無駄にしてしまうのです。




何かが違うと

あなたの中では

感じられているのにも拘らず

あなたは もう既に過ぎ去ってしまった

過去の中の一部と成り 此の場の中には

存在する事など出来ていない以前の思い込みの中に

生きる あなたと化してしまっています。




こうなって

しまったならば

道は たったの一つです。




あなたの中の

何かが違うと言う

感覚に対して正直に成り

何が 一体 どう違うのか?を

次々に あなたの前に明らかにして

行って上げたら良いだけなのです。




せっかく

あなたの中に

感じられている

何かが違うと言った

正直な芽を摘み取らない事です。

正直な目を覆い隠さない事です。




その芽を

その目を開き

広げて行って上げたら

良いだけなのです。




ちゃんと

あなたの中の

正直な芽は全てを

見破ってしまっていますから

あなたの中の小さな正直な芽を

根絶やしになどしない事です。




何かが違う

もう既に本当の

何も無さなど此の場には

無くなってしまっているのに

自分は何度も同じ何も無さと言う

記憶の中へと帰り続けていただけだと

言う事に気がついてしまえば

良いだけなのです。




あなたが

実感で得られた

何も無さと言う感覚は

ホンの一瞬で無くなってしまい

過去の中へと消え去って行ってしまいます。




その何も無さに

いつまでも未練など

持たずに いいえ いつまでも

未練などを持ち続けている暇など

本当は無いのです。




だってホンの一瞬で

無くなってしまった何も無さと言う

素晴らしかった感覚が去ってしまい既に

此の場の中には何もかもの全てが無くなって

しまっているのです。




その既に何もかもの全てが

無くなってしまっている事実を

現実を あなたは目にしているのに

さっきの通り過ぎてしまった何も無さに

未練を残しているが余りに あなたは

落胆をしてしまいます。




そして過ぎ去ってしまった

過去と成ってしまった古い何も無さを

追い掛け探そうとしています。




そして記憶の中に

残されていた古い何も無さの

残像を見て 有った 有ったと

ホッとして自分の胸を撫で下ろし

自分を騙してしまうのです。




そんな回りくどい事を

しなくても 既に此の場を

去ってしまい過去と成ってしまった

古臭い何も無さに未練など持たなくても

あなたが何も無さを実感として得られた直後に

無くなってしまった現実が見えた時に あなたが

落胆するほどまでに何もかもの全てが無くなって

しまっていた現実が目の前に有りました。




その現実の

何もかもの全てが

無くなってしまっている状態こそが

紛れも無い 真新しく生まれている

何も無い途方も無い空間だったのです。




その空間は

いつも いつも

あなたの目の前に

現れているのに あなたは

つい今しがたまでの物が無くなって

しまった事に嘆き悲しみ落胆するが余り

真新しく生まれて来てくれている何も無さが

目にさえ入らなかったのです。




あなたの落胆の

対象こそが さっきまでの

何も無さよりも もっと深くて

広々としていて真新しい何も無さ

だったのです。




それは

以前の何も無さに

いつまでも しがみ付かずに

その度に 一旦 味わったならば

直ぐに手放して上げてしまえば

良いだけだったのです。




何故ならば

現実は次から次へと

無く成って行きますから

あなたの内面も現実に伴って

次から次へと全てのものを手放して

上げて行けば いつも あなたは

本物の中に生きる事が出来ます。




それだけで

あなたは真実と共に

歩む事が出来てしまいます。




その時には

あなたまでが

真実と成ってしまうしか

無いのです。




いつも

あなたとして在るのは

真実の何も無い空間だけと

なります。











































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その度に 全てを手放す事が 全てを得られる事なのです

2017-11-16 11:29:34 | Weblog





惜しみなく

全てを人々に

与えてしまう様にして




あなたの

持てる全てを

目の前の空間へと

手放してしまいます。




すると

真新しく

成ってしまった

空間が あなたの

手放した分量だけ

あなたの中へと齎されて

しまう様に成っています。




だって

どうせ全ては

一瞬の内に無くなってしまい

本当は何処にも何も残されてなど

いないからです。




物質だってそうです。

あなたが手に入れた時には

新品でピカピカだったけれども




いつまでも

新品のままでは

いられないのです。

それは徐々に劣化して

行きます。




そして

それだけでは無く

あなたの方でも徐々に

飽き始めてしまうのです。




最初の内は

あんなに欲しくて

欲しくて堪らなかったものが

手に入り暫くすると あなたの方でも

徐々に飽き始めてしまうのです。




あれほど

恋い焦がれた物が

今では大した魅力も

何も感じられません。




あなたが

決まり切った

硬直した様な あなたに

成ってしまうのも これと

全く同じ事で 




あなたが

決まり切った

スタイルの あなたを

手放す事が出来ずに いつまでも

保ち続けようとしているからです。




それは

本当の あなたが

飽きられているのでは無くて

あなたが手放す事の出来ない

表面上の あなたが飽きられてしまって

いるだけなのです。




あなたの中に

もっと魅力に溢れた

あなたが居る事に あなたが

気がつかないからです。




表面の

あなたが

維持して来た

あなたが どんなに

無く成ったって何の問題も

起こらないのです。




だって

そんな あなたは

いつでも一瞬の内に

過去へと消え去り無くなって

しまっているからです。




あなたが

例え どんなに

自分に言い聞かせた所で

あなたの中の 記憶として

残っていたとしても




あなたが

言い聞かせた現実も

あなたに言い聞かされた

現実の あなたも どちらも

次の瞬間には現実では無くなって

しまい過去の藻屑と成って

しまっています。




そこに

残されているのは

何も無い真新しい純粋で

無垢で瑞々しい




何処までも

広がっている

空間だけなのです。




この現実の

全体性を捉えられる事です。




どの現実にも

捉われたならば最後

その瞬間に あなたは

過去の藻屑と成ってしまう

運命の中に在ります。




全ての

現実は此の場から

消え去る運命の中に

在ります。




その事実を

受け容れて上げてしまい

あなたの中に一切の物が

無くなってしまっている事実を

見破り続けて上げてしまいます。




そして

その度に あなたの中の

全てのものを一切残さずに

手放してしまえる事だけが

あなたの現実に即した状態の

姿の あなたとして いつでも

居られる事なのです。




だって一斎は

残せないからです。




例外など

無いのです。




だから目の前に

次々と現れて来ている

現実の何も無い空間に対して




あなたが

惜しみなく

それまでの全てを

与えてしまう事は あなたが

全てを失う事などでは無く その逆に

あなたが全てを得られてしまう

事なのです。




だから

ケチケチなんて

しなくも良いのです。




いつも

大盤振る舞いを

して上げたら良いのです。




あなたが

与えた分だけの

真新しい 空間が

あなたの中に注ぎ込まれて

しまいます。




そこに

思考や感情に

与えているスペースを

残していたならば その分

あなたの中に真新しい何も無い

空間が流れ込めなくなって

しまうからです。




あなたが

一体 どれだけ

捨てられるか?が




あなたが

一体 どれだけ

得られるか?なのです。









































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