この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

身近な者の痛み

2008-01-30 11:04:19 | Weblog

頭の理解は 使いものにならないのです。

身体で ハートで解る事が とても大切です。




身近な人の痛みを 自分の痛みとして感じ

その痛みが もしも自分が与えているものだとしたら・・・




自分の痛みは

我慢をして堪える事が出来たとしても

自分が与えた痛みで苦しむ身近な者の姿を目にし、感じたなら

それまでの自分の生き方など糞食らえです。




そんな くだらないものは

直ぐさま 放り出せるはずなんです・・・・・。




それは あなたが生きる上で

最低限 必要な勇気です。



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静かなる歩みが始まる時

2008-01-29 13:38:37 | Weblog

あなたの頼りにしていたものが
或いは あなたの拠り所にしていたものが


あなたの中から消失してしまった時
人は死んでしまいたくなったり
その事実に目を塞いでしまいたくなったりします。


それは本当に
何ひとつとして自分を支えるものが
無くなった時に起こります…。


けれど その事に目を塞がないで下さい。
あなたの言う お腹辺りのポッカリと穴が開いた様な感覚は
とても大切なものでもあるのです。


私は 
その出来事に振り回されたりなどせずに
その お腹の辺りに有る 新しく生まれた感覚の方を
大切にして欲しいのです。


その穴の中は
何ひとつとして存在出来ないほどの純粋な空間です。


どんな思考も、どんな感惰も
その中に置く事すら出来ません。
ただ ポッカリと穴が開いているのです。



そこは大きな
大空間である宇宙と繋がる
入り口の様なものなのです。


あたが 
その穴に対して純粋に受身になると
そこを伝ってエネルギーの様なものが
送られて来ている事が解ります。

こう書いている今も
それは ちゃんと私の中に存在するのです。



物事をやる意欲を、
思考や感情や、拠り所に求めるのではなく


それらをやめてしまっても
面倒をみてくれている所が有る事に気づけます。


その宇宙から供給される、
言葉では言えない何かによって
何の見返りさえ求めない 歩みが始まります。


命の しくみ

2008-01-28 11:25:35 | Weblog
新しい命が誕生する時に
その生命体の中に空が入り込む事で生きはじめられる

外側の空は大きな命
身体の中の空は小さな命となっているのです。

大きな命からは
いつも包み込まれているのですから
私達が気づいた段階で 外側の大きな命と
すぐさま溶け合えるように出来ています。

気づければ 
今直ぐにでも あなたは大きな命なのです。




これらは
理屈などではなく
実感で捉える事が出来るのです。

あなたが 
外側の大きな命である
巨大な空と溶け合えたとき
今迄に体験した事の無い感動にあなたは襲われます…。

それは言葉などで
表しようの無いくらいの
大きな至福に包まれてしまうのです。


★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 441★

2008-01-25 14:13:02 | Weblog


◇ 風の様に在る道5 ◇





人からの
どんな強要にも 構わない
はなっから 相手にしない

だって
風は 障害物を相手にして
そこにだけ吹き付けている訳じゃない。

それは
障害物の方で
勝手に自分だけに吹きつけている様な
感覚を持ってしまうだけだ。

障害物の方で
勝手に 風に戦いを挑んでいるだけだ。

だから 
障害物の声に
耳を傾ける必要などない。

もしも
そんな声に耳を傾けると
風は ノイローゼに 成ってしまい
風自体の動きまでもが 狂ってきてしまう。

違う
風は常に誰とも
戦ったりしていない・・・。

人から見たら
時には 悪魔の様に見えたり
様々な色に移り変わる。

だが
そんな事は
どうでもいい。

人に
どう見せる為に
あなたの生は 在る訳じゃない

優しく見えたり
冷たく見えたり
ピッタリと静止したままの
安らぎの中にあったり

自分でも
どうなるのか 解からない
それは 自分がしているわけじゃない。

ただ
いつも 良い人であったり
常に平静であることになんて
憧れなくていい。

そうなったら
人には良く見てもらえるかも知れない。

だから
あなたは
そんな状態をと願う。

だが
人に良く見られることが
あなたの生を豊かにする事は 有り得ない。

それは
ただ それだけで終わりで

そう 成ってしまえば
くだらない事を追いかけていた事を
あなたは 知ることだろう・・・。

時には
世の中の誰からも
相手にされなくなる位の勇気を持ちなさい。

時には
人から 悪魔と罵られる位の
勇気を持つことだ。

だが
決して
その状態で 固まれと言っているんじゃない。

そう
言ったものも
あなたの生を 
より豊かにする為の スパイスと成る。

より
深みのある 
生に入って行く薬となって

決して
毒には 成りはしない。

何をも
恐れない事

起ろうとしている事は
すべて起させてあげるがいい。

それが
たとえ どんな事だとしても
それを止め様とすることは不可能だ・・・。

物事は
必ず起り出せば
その完結を求める様にできている。

あなたが
生まれたら
必ず死ぬという様に。

その完結を
今の あなたにとって
都合が 悪いからといって
くい止めるという事は

それに
あなたが
戦いを挑んでしまった事になる。

それは
必ず あなたが負ける
負け 戦だ・・・。

ただ
負ける時期が
早いか遅いかの違いにすぎない。

そして
それだけでは
終わらせてくれない。

その間 
あなたは 
すべての生を
取り逃がすことになる・・・。













★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 440★

2008-01-24 11:11:15 | Weblog


◇ 風の様に在る道4 ◇




だが
いきなり
それは無理だ。

第一歩は
人から 一切離れる
人に 一切 構わないと
言うところへのスタートだ。

妻に 夫に 
彼に 彼女に
親に 子供に対して 

何ひとつ
望まない 強要しない。

そして
その逆に相手から
望んできた事にも
あなたが 気に入らなければ応えて上げない。

しかし
あなたの意志は まだ有る。

その
あなたの意志通りに
動き回ればいい。

それは
簡単な様で
ずいぶん自分勝手な様で

実のところ
非常に勇気のいることだ。

だって
都合の良い時は
自分の意志を使い

都合の悪い時には
人に頼るという様なことを
言っている訳じゃないからだ。

常に
自分の意志として動く。

人から
強要されて
人の為にではなく

そしたら
そこから生まれ出てくる
一切の責任も あなたが引き受けなくちゃいけない。

もしも
誰かの為に
誰かに好まれる様に歩いていると

そこに
生まれでる問題の責任も
誰かの影にかくれて
自分じゃ引き受けない・・・。

あなたは
「 俺は 私は 自分の意志で
こう動いたんじゃない
あの人が そう望んでいたからだ 」と

内側で 
スルリと 
逃げる事が出来る。

こういった事を
自分がしているのも
人に対して させてしまうのも

どちらも
本人に とっての成長は
まったく 無いだろう。

まずは
自分の意志のみで歩く
すると その意志で歩く事が

自分にとって
何を もたらすのかといった
重要な意味を あなたは 目の当たりにし始める。

歩くたびに
馬鹿さ加減を目にし

最終的には
その意志 そのものが
ポロリと落ちて行く・・・。

あなたが
投げ捨てるんじゃない
意志の方から 勝手にポロリと落ちる。

その時こそ
何の 囚われも無い
感覚が無い 意志が無い
意志を持たない


あなたは風だ 自由自在だ。



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★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 439★

2008-01-23 11:49:35 | Weblog


◇ 風の様に在る道3 ◇





ひとたび
あなたに空を
味わった経験があるのなら

あなたの
意志で生きてごらん

そして
それが一体
どうなってしまうのかを 試してごらん

何を
もたらすのかを
見て来てごらん。


勿論
人からは
そっぽを向かれるよ

非難を 
浴びせられるよ
それは 非常に勇気のいる事だ

そして
何も得るものはない
それどころか むしろ無くす。

しかし 
成長はある
それは 無くし続ける道だ。

だが
いつか あなたは
晴れた空を 手にする事ができる!




あなたが
ここまでの勉強を
曲がりなりにもしてしまうと

自然に
以前よりも 
あなたには ものが見える。

その目で
もっとも 身近な人を見ている。

夫で
有ったら妻を

妻で
有ったら夫を

彼で
有ったら彼女を

彼女で
有ったら彼を

母で
有ったら子を

子で
有ったら母を

以前 以上に
深く見てとる事ができる。


すると
そこに あなたに 対する相手の
望みや 期待像までもが 見えてしまう。

夫の
望む妻

妻の
望む夫

彼の
望む彼女

彼女の
望む彼

母の
望む子供

子供の
望む母が

見えてくる・・・。

その期待像に
振り回されてはいけない。

その望みに
応えようとすると

最初の内は
ここまでの勉強をした人が
その望みに応えるのだから 最高にうまく行く。



だが
次第に それに応えている
あなたの負担となる。

あなたは
まるで相手の為に
生きているみたいに思えてきてしまう。

それでは
あなたは昔の
道に戻ってしまっている・・・。

もしも
あなたが
相手の望む あなた像に

自分を 
当て嵌めて
ピッタリ その像の様な人間に成れても

それは
その像を望んでいる人に
とってのみ 良い人問であって

別に
世の中で 
全体の中で
あなたが 良い人に 成れた訳じゃない。

すべての
人にとって
あなたが好ましい理想的な人に 成れた訳じゃない。


その次元にいると
当然 こちらを立てれば
あちらが 立たなくなる・・・。

人の望む
あなた像に 
成る様な そういった強要を
無理強いを 自分自身にする事をやめてごらん。

それは
馬鹿げている
それは 自分を作ってしまう事になる。

再び
あなたじゃない 
あなたを作り上げる・・・そして 生きる。

この世の中に
これこそ良い人間像です
などというものは 無い事を知りなさい。

ある人に
とっては良くても

ある人に
とっては良くない

ある
場所では良くても

他の
場所では悪い

これが
私達の生きている
世の中の構造だ。

その構造に
波長を合わせて
生きるのを やめてごらん。

それは
無理だ
そんなものを
手にする事は 出来ないと言う事に 気づくことだ。

そして
それらを 後にすることが

今の
あなたには
もっとも必要だ。

このことを
勉強したとしても
聖人君子になんて
ならなくても良い。

それは
誰か 対象者が有ると
そうなりたがる・・・。

人に
舞らされているんだ
誰かに好まれ様とする生き方を やめてごらん。

その
延長線上を歩けば
自分に対して 無理強いをしてしまう。


誰にも
好まれなくても
良いじゃないか

自分一人で
孤立してしまうかも知れない
それも 良いじゃないか・・・。

だって
あなたは その方が
ひとまとまりに 成れているよ。

誰かに
好まれる為に
自分に対して無理強いを
しながら生きて行く生・・・。

そして
内側では常にそれとは
相対する想いが 有る
こんな生は 極悪だ!

まるで
牢屋に ぶち込まれた
囚人みたいにして生きる。

あなたは決して
誰かの為になる様な
人間になる為に この世に生を受けた訳じゃない。

生とは
まるで意味なんてない
一切の意味なんて含まれていないんだよ。

ただ在る
ただ ただ在る。

それだけだ。


もしも
あなたが
生とは これこれこういう意味の
有るものだと感じたり 考えたりしていたら

それは
生を受けた後で
あなたが 勝手につけたものだ。

なんの意味もない生 
なんていうのを受け入れてしまったら

生甲斐やら 
頼れるものが
何も無くなってしまうという

あなたの心細さが
その意味を勝手に作り上げた。

馬鹿を 
言い成さんな
根本のところで
そうした意味付けをしているからこそ

あなたは
その意味付けに
従った生き方しか出来ないでいる

その意味付けに
縛られて苦しみ続けてしまう。




その
心細いという
感覚こそ 正道だ。
その心細さを誤魔化しては駄目だよ。

その心細さを
通り抜けた先に 何かが 有る。



だって
心なんか
実際には 無いのに
あなたは その心を保っていようとする。

それが
あなたと 
成ってしまっている。


その
あなたが
無くなった時にこそ
あなたは 初めて実体を持つ。




何も
意味が無いという事ほど
素晴らしい事はない。

だって
意味が無いのだから
凝り固まったりしない。

自由自在だ。

時には
西に向かい

時には
東に向かう

ある時は
南に向かい

ある時は
北に向かう
風の様なものだ。

風は
向かう方向が
自由自在だ。

それには
理屈があると思うかい?

風は
誰かの為に
向きを変えたり

誰かの為に
無風状態の様に
ピッタリと 止まったりしていると思うかい?

あの人が
こう望んでいるから
東に向かってやろうとしているのかい?

あなたが
泣いているから
可愛想で
風は向きを変えるかい?

そうじゃない
風には 感情なんてない
意志なんか無い。

私は
あなたに
風の様に自由で居てもらいたい。






そうしたら
更に深い純粋な空を
味わう事が出来るようになる。

不純物無しの 
純粋で巨大な空間を 
あなたの中に見い出せるように成れる。

それが解らないのは まだ あなたに
知覚することが出来ないからだけだよ・・・。

それらを知覚出来る様にするには
やはり いつも 私が言っている様に 
研ぎ澄まされるまでに徹底的に磨きぬかれた
あなたの感受性が必要とされる。

真実の探究には 
物事の裏側にまで突き抜けてしまう位に
豊かに冴え渡った感受性が必要だ。
そうして初めて物事は見えて来る・・・。

なぜなら
中途半端な感受性は 
あなたの内面をズタズタに傷つけてしまい
真実を探し出そうとする あなたに
致命傷を与えてしまいかねないからだ。

その逆に
豊かな感受性は 
あなたが真実に辿り着く為の 
乗り物になり あなたを 何処までも助けてくれる。
 

あなたの中に内在する空(クウ)は
今だ 汚された事など ただの一度として無いよ
例え どんなもので有っても そこまでは届かないのだ。

そして
純粋で巨大な空間は 
瞬時に あらゆるものを再生してしまう力を秘めている。


だから ここで私が
あなたにして上げられる事は
あなたの感受性を磨き上げる事と
この空間に案内する事 その二つだ。 
その二つの事を同時にやろうとしている。

それも このブログを読むだけで
それは起こる・・・。

ブログを読んで それが起こらなくても
諦めずに何度でも試したらいい・・・。

あなたが
気持ちの中で警戒などをせずに 
リラックスをして家に居る時のような気持ちのままで
ゆったりと油断を仕切って2度目は読んだらいい・・・。
そして もうひとつ過度な期待もせずに読むといい・・・。

きっと何かを
感じられるようになる
その感じているものが何かを
あなたの目を皿のようにして探って行きさえすれば
更に深い何かが解って来る・・・。















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 438★

2008-01-22 11:21:12 | Weblog


◇ 風の様に在る道 2 ◇




そして
ここまでの事を
ひとたび理解 出来たら

あなたが
空(くう)を一度でも
味わった事が有るのなら


ひとつとして
自分に対して
人から物事を 強要させるべきじゃない

人から 
物事を強要されて
動いてはいけない

人からの
強要や 強制を
行動の原動力としてはいけない。

何故なら
それをすると
あなたが 二つに分かたれてしまうからだ。

自分の意志と
人からの 意志
当然 二つに分かたれてしまう。
ひとまとまりじゃない。

もしも
他からの 強要によって
あなたが 行動を起こすと
その行動を 取っている間

あなたは
何の意味もない生を
過ごしてしまう

だって
そうしている人は
内側で 自分の意志の方を
考えっぱなしだ・・・。

無駄な生を
過ごしてしまう

例え
その事が
誰が見ても
当然 悪い事でも

ここまでの事を 
ひとたび 理解した体験が
あなたに 有るなら

あなたの
考える意志の通りに
行動すべきだ。

良い 悪いではなく
あなたの意志の 向かうままに動く
そうした方が あなたは 活きている。

そうして
活きたまま
目を開いたまま
自分の意志で進み 苦しみ もがく。

最後には
その方向に
進めなくなり

その時
あなたは
誰の強要も受けずに

自分の
意志で
正道に帰ってくる
これが 成長だ・・・。



こうする事を
あなた自身に許せば
あなたは人にも その成長過程を許す事が出来る

頭の中で
先を見て
ブレーキをかける生き方など
ひとつの成長もないだろう。

それは
まだ 道徳や 理性において
ブレーキをかけたり

今までに
作り上げた自分が
壊れてしまうといった
 
恐怖心から出る 
自分を守りたいという考えから
あなたが 生きている事を 表わしている・・・。

そのままでは
あなたは 生きられない。

しだいに
あなたは どんよりとした
雲空の様に 成ってしまう・・・。




何をも恐れずに
自分にも 他人にも 
何の強要もせずに

求める事もせずに
歩き始めた時 
あなたは 初めて生に出逢える

その時
あなたは成長し
晴れ渡る 雲ひとつない 空の様に成れる。




そして
常にそんな歩き方だ。

一度 
そういう歩き方が
出来たからといって 満足してしまうと

再び 
あなたは
安心感のある 歩き方をする
上手くいったパターンを
無意識に持ち歩こうとする

すると
再び 生に出逢えず
どんよりとした
曇空に 成ってしまう。

常に
何をも恐れず
自分にも 他人にも
なんの強要も しない歩き方が 必要だ

自分の
やりたい事をする
歩きたい様に歩くと そこに成長がある。

間違った道を歩けば
その道が 間違いである事を
身をもって知る・・・成長だよ・・・。

自分で
覗き切った 間違った道は
あなたは 二度と再び歩かない。


人に
注意されて
途中でやめた間違いの体験は

何度となく 
間違えても あなたが 
注意をされて やめている限り
そこに 成長はない。

それどころか
再び その道を
歩きたくなる願望が 芽生える

その願望に
蓋をしてはダメだ
それは あなたの本性が
成長を望んでいる

再び
その間違いを
しない為に 自分の意志で

もう
進めなくなる所まで
進んで来させようと
あなたに成長を 促している。

だって
何故 それを したらいけないのかを
あなたは まだ身をもって知っていない。

それを
あなたが
頭で止めていたりしたら

一生 
あなたは
その行動を起こしてしまう可能性を
内側に持ったままで歩く・・・。

いつも
理性を
張り巡らさなければ いけない。

あなたの
内側では
一生 その問題と
睨めっこをし続ける。

理性を
張り巡らしている時
そこに 緊張感が生まれている

その
緊張状態から
解放されたい為の行動
ゆったりなどしていない

こんな状態での人生を・・・
こんな状態で歩き続ける人を・・・
果たして 生きていると言えるだろうか・・・?

そんな
状態でいる間中

あなたは 
永久的に脈々と
流れ続けて来ている 素敵な生を
味わう事を取り逃がし続ける・・・・。






だって 
こんなに素敵で爽やかな
香りを運ぶ風が吹いているのに

あなたは 
内側で 睨めっこをしている
なんて勿体無い事をしているのだろう・・・。

生は
そんな あなたになんか お構い無しで
あなたの直ぐ脇を 脈々と流れ続けている。










★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 437★

2008-01-21 11:54:33 | Weblog


◇ 風の様に在る道 ◇


生は まさに風の様に自由自在




以前 私が話した
カルマの話しを憶えているだろうか・・・?

あの ゴリラを例に出して
説明をした カルマの話しだ。

受け継いだものを
そっくり そのまま受け継がす。

そして
どうあがいても
そこから 抜け出す道はない。

あなたは 
受け継いだもの以外には 成れない
それ以外では 生きられない。

それ
以外では
生きられないのに
それ以外で生きようとする。

何か
他の者に成ろうとする。

そして
それが失敗に終ったり
思う様に進まなくなった時に 
あなたは悩む・・・。

まず最初に
勝ち目の有り得ない戦いに
出て行く事を 一旦やめる事だ。

何故
勝ち目の無い戦いに出て
行ってしまうのか・・・?

それは 
あなたが小さい頃から 今日まで 
外側の人々から 教わってしまった

こう 有るべきだとか
ああ 有るべきだとか
これが悪いとか
あれが良いという

理性や
道徳によって
あなたは あなたを作り
実際の自分が受け継いだものでの生を

悪いものだと見なし
その生を内側に
しまい込んでいるからだ・・・。

そして
誰よりも あなたが 
その内側の自分を 裁き続けているからだ。

受け継いだ
その生以外では 生きられない
あなたが それを裁く

何故
そんな必要が有るのだろう?

だって 
それは あなたが
そうしたんじゃないのに・・・。

もしも
あなたが その生を選んだなら
反省も 裁きも必要だけれど

それは
あなたが 選んだ訳じゃないのに
あなたは 受け継いだ生を 裁いて

内側
深く仕舞い込み
あなたじゃない あなたを作り・・・

それに
しがみ付いて
生きようとする。


まず
第一に 気がつかなければ
いけないことは

受け継いだ生を
内側に 仕舞い込む事を
している あなたは

他の誰よりも
あなた自身が一番
その生を 否定しているという事を
表している。

そして
その生を 隠す為に
作り上げた生・・・。

作り上げた
自分の根本は
受け継いだ生自体から
発生しているのだから

あなたは
一見 変っている様に見えても
それは 変っちゃいない。

あなたの親も 
そうして 生きた
同じ様に 生きた。

そして又
あなたの 親の 親も
その又 親も
あなたと 同じく

今の
あなた そのものの様に
内側に 受け継いだ生を隠し
その上に 作り物の自已を築き 生きた。

あなたも
その人達と
まったく同じ事をしているのに

あなたは
それを自分一人だけが
さも 初めて そうして生きている様に
受け取ってしまう。

そうして
生きるから
あなたは余計に
親 そっくりに 生きてしまうことを 知らない。

あなたが
親を嫌い
あんな親には
成るまいとする事が

余計に
親そっくりに成ってしまう。

だって
あなたの親も 
親に対して そう感じ

あんな親には 
成るまいとして 生きた結果が
あなたに 嫌われる親と成ってしまっている。

これは 悲劇だね・・・。

そればかりか 
あなたが 親と成り子供に
どう見られるかは 
既に 結果が出る前から 決っている。





まず
あなたが内側に
しまい込んでいる
受け継いだ生を 否定し
それ以外で生きようとしても

そんな事は
不可能だと言う事を 理解し

その上で 
今度は それは何も
あなたがしている訳じゃないという事を理解する。

あなたには
それ以外 出来ない様に
仕組まれている。

それは
あなたが した事じゃない。

これは
世の中の多くの人達に
起ってしまっている事だ。

あなたが
した事では 無いことに 対して
良いとか 悪いとかは 要らない。

その
良い人間だとか
悪い人間なんだとか

自分は 
良い事をしているんだとか
悪い事をしているんだという考え
自体が 邪魔なんだ。

それは
あなたのした事じゃない
流れ全体のしている事だ。

反省も
裁きも要らない
ただ 理解が必要だ。

覗き見る事が
必要とされている。

何故なら
自分が していると考え
良い 悪いと見なしたら

もう
それ以上
先を見る事が
不可能となってしまう。
事実を遠ざけてしまう事になる。

では この逆に
私じゃなかったから
良いんだという だけでは

あなたは 
その流れの中の
ひと流れになり
カルマの流れから
抜け出す事は 出来ない。

良い悪いは
あなたを途中で
固めてしまう
あなたは その二つを越えて
物を 見始めなければ成らない。

私の
本当の狙いは
あなたを あなた自身から
解放することにある。

そこに本当の 
あなたの誕生がある。

だが
折角 誕生を 遂げても
再び あなたは あなたを作り

その作った 
あなたが 我ならぬ我が
牢屋と成り 誕生した あなたを
その中に 閉じ込めてしまっている。

何度も
何度も牢屋の中に
閉じ込めたり 誕生したりを繰り返してしまう。

その事実全体に
目を向けられる地点まで
あなたに 歩いて来て欲しい・・・。


そして
その事実全体に
目を向けられる地点こそが
唯一カルマの影響が及ばない領域であり次元だ。
その次元とは”空”そのものだよ。


カルマが影響を及ぼせるのは
”私”に対してだけだ。我に対してだけ。


自己の消え去った
空間にはカルマは引き継がれようが無い。


だから 私は こんなに執拗に
あなたを 空へと誘う事をしているんだよ。


これは
別の言い方をすれば
自己救済の仕方を
伝えるブログでも有るのだから・・・。



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★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 436★

2008-01-18 11:45:26 | Weblog


◇全面降伏・・・◇




どうして
部分的では いけないのか
どうして全面的に認めなければ
役に立たないかを

イエスの
言葉を借りて 説明すると

イエスが 
何人かの弟子達を 連れて旅をしていた。

その旅の途中
ある お金持の屋敷を 
通りすぎようとすると

その屋敷の主が
イエスの一行を見つけて
召使いに 言いつけ
屋敷内に招き入れた。

そして
旅の疲れを癒した
イエスの一行が再び 旅を続けようと

身支度を
整えている時
その屋敷の主が イエスに言った

「 私を あなたの弟子にして下さい
もしも 願いを聞き入れて下されば
私は 私の今 持っているすべての財産の半分を
貧しき者達に ほどこします 」

それを聞いたイエスは…
イエスとは言わなかった?
首を縦には ふらなかった

「 何故半分なのか
あなたの 持っている すべてのものを
投げ打って 貧しき人達に与えられるなら
私は あなたを弟子にしょう 」

主は 
困ってしまった
そこまでのつもりは
無かったからだ・・・。

そうして
こう思った 

「 イエスという
この男は 何て事を言うんだろう
折角 私の持っている半分もを
失なおうという気でいるのに
今までは 半分だって そんな気にさえ成らなかった
それを この私が 折角 最大限に
こんなにも 考えて上げているのに
この男は 一体 何て事を言うんだろう
私の善意が伝わらない
こんな男の弟子になったところで 先が見えている 」

そう考え
その主は それを断ってしまった。

だって
それでは あんまりだ
半分までだったらいい

でも
全部だったら
今までの私が 私でなくなってしまう。

これが
あなた方の心と言うものだよ。


イエスは
今までの あなたなんか
消えて 無くなって欲しい

今までの
あなただったら
私の弟子になる事など
不可能だと言っている。

今までの
あなたで 有るから
苦しみや 悩みが生まれる。

それは
今までの あなただったら
必らず 生まれて来てしまう
悩みや 苦しみだから

まずは
一番の最初に
今までの あなたなど
無くなってしまう事が始まりだ。

にも拘らず
その最初の 第一歩が
一歩を踏み出せずに
半歩だとしたら・・・。

これはもう
話にならない。

半分までなら
捨てられると言うあなたが
今までのあなたの 人生全体に現れている。

それは
ずっと そうだった
あなたが まだ幼い頃からの歩き方だった。

ワンパターンだよ
もっとも重要な第一歩を
半歩しか踏み出さないあなたは
多分 ずっと そのままだろう・・・。

大切なのは
この一歩だ
なのに あなたは
半分は ちゃんと捨てたと言い張る。

そう
半分は確かに捨てたけど
残りの半分はどうした?

依然として
ちゃんと守っているじゃないか
そしたら それは自分を守っているという事に
関しちゃ以前と少しも変らない。

前の
まんまだ 
これでは あなたは
何にもしてないのと同じ事になる。

全部を
捨てられない限り
たとえ 90%を捨てられたとしても

それは同じだよ
守っているのには変りはない
私も あなたに 同じ事を要求する

あなたが 
もしも本当に
これに気づきたいのなら

「 ほとんど
間違っていた事は 認めたけれど
このひとつだけは 違います 」

なんて言うのは認めない。

100%だ
完全に全部だ
真実に対しての全面降伏だ・・・。

その時でなければ
私の言っている事など
あなたには 聞えないだろうし

私の
言っている事が
真実以外の何ものでもないことを

あなたは
実感として
捉える事は出来ないだろう。

実感で捉えることが出来なければ
あなたに 復活は 再生は起らないだろう。

いくら必死で こんな話しを 
頭の中に掻き集めたところで
あなたには 何も起きはしないだろう。

そんなことを したところで
知識として持ち歩き
人に話して優越感に浸る事が出来る程度だ。

私は あなたに
そんなものを伝えたいわけでは無いのに・・・・・。