浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2021-01-12 00:48:46 | 明来闇去

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

          第五章 心の曇りをとるための反省

          親子の確執が消えた反省の功徳


一度入ったら今度は出口がわからないほどのお城のような大邸宅があります。
ふだん使うのは門から百メートルほど離れた所にある勝手門です。
お屋敷には土塀がはりめぐらせてあります。
そんな大きく立派なお宅ですが、
そこに住んでいる母と娘は敵同士のように仲がわるいのです。
60歳代ぐらいのお母さんと40前の三人姉妹の末娘さんですが、
その娘さんが養子をもらって住んでおられるのです。
お孫さんは小学生です。

お母さんが言うには、
この娘は前世の敵が自分の腹を借りて生まれて来たのかと思うほどに
親のことをいじめるのだそうです。
箸がこけたのまでお母さんの心がけがわるいからだと
言って責める始末です。

その娘さんは妙な信仰に凝って、
お母さんのすることなすことから出かけた先までを逐一、
その宗教の教会へ行き、報告するのだそうです。
すると、宗教の神様が「そりゃ、お母さんがわるい」と言うので、
それをまた家でお母さんを責める材料として使う。
お母さんにしたらたまらないでしょう。

よく相談に来られて嘆かれていましたので、
「その娘さんが信仰に行っていたら、
お母さんもいっしょに行ってあげなさい」といいますと、
「妙な霊に憑かれると怖い」とのことでした。
「娘さんを救ってあげるためにも、

自分を捨てて共に行ってあげるのが真の愛じゃないでしょうか」と、
お話させてもらったのです。
しかし、「そこまではようしません」とおっしゃいます。
そこで、自分はいつも正しいと思うから苦しみが生まれるのです。
という話をさせてもらいました。

自己を中心として見た時、必ず苦しみが生まれます。
見たり聞いたり触れたりという五感を通して何もかも見ることになるからです。
それらにはどうしても自己保存を第一とする働きがあります。
すると、内部と外部、自と他という分離が生じてしまい、

自分以外のいっさいは己の自我と対立するものになってくるのです。
これではもう正しい見方はできません。
必ず自己保存と自我我欲によって目が曇らされた「煩悩」にとらわれた
見方しかできなくなってしまうのです。