恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第一章 或る愚か者の生涯
◆催眠術をかけて遊ぶ◆
私は昭和六年に大阪と奈良の県境に位置する
南河内郡(現在は柏原市)国分町に生まれました。
大和川の上流で河内嵐山と呼ぶくらい風光明媚なところであり、
頼山陽ゆかりの歴史ある土地柄でもあります。
農家に生まれ、男の兄弟が四人、女の姉妹が四人おりました。
十一歳上の長姉、十歳上の長兄、それから二人の姉をはさみ、
私は五番目、その下には弟二人、いちばん末が妹でした。
昔は、子供がよちよち歩きができるようになるまで成長すると、
どこへ行くかわからず危ないので、
倒れないように底の四方に足がついている木製の箱に
子供は入れられていました。
箱の外には小さなおやつ入れのやはり箱状の入れ物が付けられています。
この子守り箱の中に私も誕生一年前後には入れられて遊ばされていました。
母が用事をしている間は、
ときどきここに置き去りにされて泣いてしまうこともありました。
兄弟はみんなこの箱の中で大きくなったのでした。
これが最初の記憶です。
その次の記憶の糸をたぐると、こんな光景が脳裏浮かびます。
二つ年下の弟が母の背中におんぶされ、
私は母の温かな大きな手に引かれています。
父が畑仕事から帰る夕刻になると、
私の家から五~六00メートルほど離れた山のお宮さんの
下の竹藪がおおいかぶさって
昼なお暗い道を歩いて父を迎えに行くのです。
もうあたりは薄闇が降りている時分です。
その怖い道を、「お父ちゃん、帰っといで。
山のケンケンなっこるで」と何度も繰り返し
歌を口ずさみながら、母は私たちを連れて父を迎えに行くのです。
ケンケンとは狐のことです。
「お父さん早く帰ってきてください。
もう山の狐が鳴きますよ」という意味です。
よちよち歩きの頃です。