りなりあ

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指先の記憶‐38

2008-09-02 01:22:57 | 指先の記憶 第一章

「私の…為、に?」
「違うのよ、好美ちゃん。ちょっと状況が悪かっただけ。きちんと従業員の教育を出来なかった私が」
「だから、引き止めるな。」
カレンさんの言葉を遮った須賀君の声は厳しかった。
「そろそろ…カレンさんが自分の仕事に集中しても」
「康太。好美ちゃんと2人だけで話をしたいの。」
今度は、カレンさんが須賀君の言葉を遮った。
「私が好美ちゃんに、きちんと話をしたいの。説明したいの。」
「何を?説明って?そんな必要ない。」
須賀君はカレンさんから視線を逸らさない。
そして、カレンさんも須賀君から視線を逸らさない。
「康太。」
再びカレンさんが名前を呼び、須賀君の肩から力が抜ける。
須賀君はカレンさんが贈ってくれた腕時計を手首につけた。
「5分。」
そして、私の腕時計を箱から取り出すと、私の手首につけてくれる。
「5分だけだから。カレンさん。」
「5分?少ないわ。」
カレンさんが抗議した。
どうして、私とカレンさんが会話をするのに、須賀君の許可が必要なの?
「康太。10分ぐらい、いいでしょ?」
どうして、カレンさんは須賀君に尋ねるの?
「10分も何の話をする訳?」
「だーかーらー…。私は好美ちゃんに、ちゃんと説明したいの。」
「だから、何を?」
「私の仕事の事とか、これからの事とか。」
「カレンさんは仕事で引越す。それだけ。姫野にカレンさんの仕事は関係ない。」
「須賀君も関係ないでしょ!」
突然の私の叫び声に、須賀君が驚いた視線を私に向けた。
「私がカレンさんと話をしたいの。その事に須賀君は関係ないでしょ?5分とか10分とか、どうして時間を決められなきゃいけないの?話したいだけ話しちゃ、ダメなの?須賀君は帰れば?」
「ちょ、ちょっと。好美ちゃん。」
カレンさんが私を落ち着かせようと、声を出す。
「姫野と話してもカレンさんは引越すし、その事について話し合う必要なんてないだろ?どうせ、行って欲しくないとか自分の感情だけで引き止めるんだよ。そんなのカレンさんには迷惑だ。」
私は何も言い返せない。
話を聞いても、どんな理由があっても、その事に関して納得したとしても、私はカレンさんに遠くに行って欲しくない。
その気持ちに変わりはないし、引き止めてしまう言葉を言ってしまうだろう。
「迷惑?大歓迎よ。」
動揺している私と違って、カレンさんの声は落ち着いていた。

「好美ちゃんに、どんな言葉を言われても、どんなに引き止められても、私の意志は変わらないから。引き止めて我が侭を言ってくれてもいいわよ。その望みには答えられないけれど、ね。結果的に今まで行かない事を決めたのは、私自身。私が好美ちゃんの傍にいたかったから。その好美ちゃんが私を引き止めてくれるのなら、大歓迎。」
「カレンさん…」
カレンさんが両腕を大きく広げてくれて、その胸に飛び込もうと思ったのに。

「ちょっと?康太!」
須賀君がカレンさんの両方の手首を掴んでいた。
「痛いでしょ?」
カレンさんが抗議しても、須賀君は動かない。
「康太。私は康太とは違う。成人した大人なの。自分で判断して自分で決めて、自分の責任で生きている大人なの。大人の都合で振り回されて犠牲になる子どもじゃないのよ。」
カレンさんの声は少し低くなっていた。
「康太だって、自分で決められるようになる。今は無理でも」
「どうして、“今”じゃないんだよ?俺の周りにいる大人達が正しいとは、思えない。」
須賀君の力が弱まり、カレンさんの両腕が自由になった。
ゆっくりと立ち上がった須賀君を、私は見上げた。
彼の指が動く。
指先が私の頬に触れそうになって、私は思わず顔を背けた。
「好美、ちゃん?」
カレンさんの声が戸惑っている。
「俺…帰るから。カレンさん、ありがとう腕時計。大切に使うよ。」
須賀君が和室から出て行くのが分かっても、私は顔を上げられなかった。
玄関のドアが開く音がして、そして閉まる。

「好美ちゃん。」
カレンさんに呼ばれて、私はゆっくりと顔を上げた。