りなりあ

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指先の記憶‐48

2008-09-15 21:41:26 | 指先の記憶 第一章

「姫野。ばあちゃんに甘えて育ちすぎ。」
そんな言葉を私に言えるのは須賀君だけだと思う。
母の存在を知らず、父を亡くした私が祖母に甘える事を誰も責めなかった。
「ばあちゃんは、姫野に何も教えなかったのか?」
そんな訳ではない。
祖母は、いつか私が1人になることを分かっていたから、料理も掃除も色んな家事を私に教えてくれた。
だから、同級生に比べれば、私は家事一般は出来ると思う。
だって、実際に1人で住んでいるのだから。
でも、1人で生きていける器用さや強さを身につけるのは怖かった。
1人になる時が、必要以上に早くなりそうな気がして、目を背けたかった。
「教えて貰えば良かったな。もっと聞いておけば良かった。」
私は本棚の上に手を伸ばした。
「だって…私が知りたい事、知らない事、たくさんあるのに、もう…誰にも聞けないもん。」
母の事を、祖父の事を。
「あれ?」
背伸びをしてみても、上の棚には届かなくて、やっぱり私の身長は伸びていないことに気付く。
仕方なく、昔と同じように椅子の上に乗ろうとした。
「これ?」
須賀君の伸ばした手が、目的の場所に届く。
「…勝手に入ってこないでよ。須賀君。」
家には何度も来ていても、彼が私の個室に入るのは初めてだった。
「そんな事、どうでもいいから。この箱か?」
須賀君が箱を取り、私に渡してくれる。
箱を支えにしていた本が倒れそうになって、須賀君の手が、それを止めた。
「須賀君。その本も…取って。」
彼が私の勉強机の上に本を置いてくれ、私は箱の中から裁縫セットを取り出した。
「取るのが難しいところに、どうして置いてあるんだ?」
「うーん…おばあちゃんが亡くなる、ずっと前に、私の為に用意してくれたけれど、その時は、おばあちゃんは元気だったし、やっぱり自分でする機会はなくって。おばあちゃんの裁縫セットを借りたりしていたし。」
「ばあちゃんが亡くなってからは?一度もボタンは取れなかったのか?今回みたいに太ったから直す、じゃなくてさ。」
「…大江先生が…してくれてた。」
また、須賀君の大袈裟な溜息。
「…あのさぁ、須賀君。スカート脱がなきゃ直せないし…出て行って貰える?」
「別にいいけど。自分で出来るわけ?」
「…たぶん。」
「俺がやってやるよ。出て行くから、脱いだら渡せ。」
凄く面倒そうな口調で須賀君は言うと、部屋を出て行きドアを閉める。
私は急いで着替えて、廊下で待っている須賀君を呼んだ。
いつの間にか、彼の手には針と糸が準備されている。
私の部屋の床に座った須賀君が、スカートを手に取った。
私は彼の器用な手を見ていた。
「全く出来ない訳じゃないよな?」
確認するような須賀君の口調。
「…うん。まぁ一応。時間はかかるけど…。須賀君、早いね。」
やっぱり器用だな、そう思って彼の指先を見て、そして彼の横顔を見る。
殆ど毎日会っていて見慣れた顔なのに、彼は私と違って、とても大人に近付いているような気がした。
「姫野。」
「なに?」
「暇なら、俺の家の冷蔵庫から夕食持って来て。」
「え?」
「ずっと見ていないで、動け。他にも明日の準備もあるだろ。こうして直しているから、夕食も朝食も食べるだろ?」
須賀君は私を見ずに話し続け、そして針を動かす。
「食べないとか痩せるとか無理なダイエットとか、そんな事するなよ。」

どうして少し怒っているのか不思議だったけれど、私は嬉しかった。
見放されたと思っていた。
金銭的な事をカレンさんと話していた時に須賀君に言われた言葉がショックだった。
『姫野は自分で出来るよ。それに、しなくちゃいけないだろ?』
「あの…須賀君。」
今ならお願いしても、聞いてくれるかもしれない。
「お金の事…やっぱり、お願いしちゃ、ダメ?」
須賀君の指の動きが止まる。
私は須賀君の返事を聞くのが怖いと感じながら、彼の指先を見ていた。
「条件がある。」
「え?」
「姫野の要望を受け入れても良いけど、俺の条件を姫野が受け入れられるのなら。」
パチンと、須賀君がハサミで糸を切った。


指先の記憶‐47

2008-09-15 17:33:34 | 指先の記憶 第一章

杏依ちゃんの声は心地良かった。
絵本の内容を、文字の一つ一つを、記憶している。
この本を読んでくれた人達の声を、覚えている。
ただ…その声が、私の記憶に残る声が、本当に本人達の声なのかどうか、記憶が曖昧になってきていて、悲しくて寂しくて。
でも、過去を思い出すことへの抵抗を感じるよりも、幸福だった時が心に残っている事実が幸せだと感じた。
悲しい思い出とは別に存在する私の過去。
そこには私を愛してくれた人達が存在していて、確実に私は愛を感じていた。
あの日、祖母を亡くした日。
私は本を手に取る事が出来なかった。
弘先輩は私に譲ってくれたけれど、私には出来なかった。
大切な思い出を失くしたくない。
忘れたくない。
それを護っていけるのは、私だけなのに。
杏依ちゃんの声は、私に懐かしい思い出を運んでくれる。
そして過去だけではなく、彼女は私に未来を見せてくれるような、そんな気がした。

◇◇◇

「…ひめの…おい、姫野。」
心地良い眠りを邪魔する声に、私は目を開けた。
ボンヤリとした視界に須賀君を見つけて、そして周囲が暗い事に気付く。
「…あれ?」
「姫野。香坂先輩、帰ったぞ?あのさぁ…雅司でも、絵本を読んでもらっている最中には、最近は眠らないようになったぞ?」
「え…?」
少し重い体を起こして、キョロキョロとすると、窓の外は暗くなっていた。
「えー?私、眠っちゃったの?」
そして、途端にお腹が鳴る。
「あのさぁ、姫野。健康なのは良いけれど、大丈夫なのか?」
「な、にが?」
「なにが、って明日、入学式。」
「あ…そうだよね。でも、須賀君の部屋も酷い状態だよ?」
「俺、完璧に片付けるつもりはないけど?まだ荷物も届くし。明日の準備は既に終了しているし。今日の夕食も明日の朝食も冷蔵庫の中。」
須賀君が私を見て、そして、その視線が私の頭から足まで見たのを感じて、文句を言おうと思った時。
「姫野は?教科書は?鞄は、どうするんだ?それに。この春休みで太っただろ?制服、入るのか?」
ワンピースを着ていた私は、両手を腹部に当てて焦る気持ちが大きくなる。
「えぇっ!!そんな事ない、有り得ない!だって須賀君だってイッパイ食べてたじゃん!須賀君こそ、どうなの?須賀君も太ってるよ!制服入らないよ!」
「俺は上に伸びたから。」
暗闇の中でも須賀君が笑っているのが分かった。
「姫野は横に伸びたみたいだな。」
「須賀君!!」
立ち上がった私を須賀君の腕が止める。
「電気つけるから。足元気をつけろよ。」
その腕を払って、忠告を聞かなかった私は床に置いてある物に足を当ててしまう。
「姫野。食べていけば?腹、鳴っていたし。」
「いらない。太ったもん。食べない。明日の朝も食べない。」
「そんな事すると入学式で気分が悪くなるだろ?制服のサイズ、直せば?」
「大丈夫だもん。食べなきゃ平気だもん。スカート入るから!」
「ちょっとだけボタンの位置を変えればいいだろ?1週間くらいで元に戻るだろうし。」
「大丈夫だもん!」
「…とにかく、着てみれば?」
「…」
「ほら。姫野。」
軽く背中を押されて、私は廊下に出る。
廊下には電気がついていて、なんとなく振り向くのが嫌で、私は急ぎ足で隣の自宅へと戻った。

◇◇◇

「姫野?どう?」
私はドアの向こうから聞こえる須賀君の声に答えられず、鏡を見て溜息を出した。
返事をしない私の状況を、須賀君は分かっているはずだ。
須賀君の予想通り、新しい制服のスカートは、私のウエストを苦しめていた。
無理ではないけれど、決して快適ではない。
「姫野。」
「ちょ、ちょっと!須賀君、開けないでよ!」
突然開けられたドアに驚いていると、須賀君が残念そうな顔を私に向けた。
「姫野さぁ…女子高生として、ちょっとそれは悲しい状況だな。」
「放っておいて!」
「だから、直せよ。針と糸は?」
「…」
「まさか…ばあちゃんが亡くなってから、針と糸…使ってないのか?」
頷いた私に、須賀君の大きな溜息が聞こえた。