「私の…為、に?」
「違うのよ、好美ちゃん。ちょっと状況が悪かっただけ。きちんと従業員の教育を出来なかった私が」
「だから、引き止めるな。」
カレンさんの言葉を遮った須賀君の声は厳しかった。
「そろそろ…カレンさんが自分の仕事に集中しても」
「康太。好美ちゃんと2人だけで話をしたいの。」
今度は、カレンさんが須賀君の言葉を遮った。
「私が好美ちゃんに、きちんと話をしたいの。説明したいの。」
「何を?説明って?そんな必要ない。」
須賀君はカレンさんから視線を逸らさない。
そして、カレンさんも須賀君から視線を逸らさない。
「康太。」
再びカレンさんが名前を呼び、須賀君の肩から力が抜ける。
須賀君はカレンさんが贈ってくれた腕時計を手首につけた。
「5分。」
そして、私の腕時計を箱から取り出すと、私の手首につけてくれる。
「5分だけだから。カレンさん。」
「5分?少ないわ。」
カレンさんが抗議した。
どうして、私とカレンさんが会話をするのに、須賀君の許可が必要なの?
「康太。10分ぐらい、いいでしょ?」
どうして、カレンさんは須賀君に尋ねるの?
「10分も何の話をする訳?」
「だーかーらー…。私は好美ちゃんに、ちゃんと説明したいの。」
「だから、何を?」
「私の仕事の事とか、これからの事とか。」
「カレンさんは仕事で引越す。それだけ。姫野にカレンさんの仕事は関係ない。」
「須賀君も関係ないでしょ!」
突然の私の叫び声に、須賀君が驚いた視線を私に向けた。
「私がカレンさんと話をしたいの。その事に須賀君は関係ないでしょ?5分とか10分とか、どうして時間を決められなきゃいけないの?話したいだけ話しちゃ、ダメなの?須賀君は帰れば?」
「ちょ、ちょっと。好美ちゃん。」
カレンさんが私を落ち着かせようと、声を出す。
「姫野と話してもカレンさんは引越すし、その事について話し合う必要なんてないだろ?どうせ、行って欲しくないとか自分の感情だけで引き止めるんだよ。そんなのカレンさんには迷惑だ。」
私は何も言い返せない。
話を聞いても、どんな理由があっても、その事に関して納得したとしても、私はカレンさんに遠くに行って欲しくない。
その気持ちに変わりはないし、引き止めてしまう言葉を言ってしまうだろう。
「迷惑?大歓迎よ。」
動揺している私と違って、カレンさんの声は落ち着いていた。
「好美ちゃんに、どんな言葉を言われても、どんなに引き止められても、私の意志は変わらないから。引き止めて我が侭を言ってくれてもいいわよ。その望みには答えられないけれど、ね。結果的に今まで行かない事を決めたのは、私自身。私が好美ちゃんの傍にいたかったから。その好美ちゃんが私を引き止めてくれるのなら、大歓迎。」
「カレンさん…」
カレンさんが両腕を大きく広げてくれて、その胸に飛び込もうと思ったのに。
「ちょっと?康太!」
須賀君がカレンさんの両方の手首を掴んでいた。
「痛いでしょ?」
カレンさんが抗議しても、須賀君は動かない。
「康太。私は康太とは違う。成人した大人なの。自分で判断して自分で決めて、自分の責任で生きている大人なの。大人の都合で振り回されて犠牲になる子どもじゃないのよ。」
カレンさんの声は少し低くなっていた。
「康太だって、自分で決められるようになる。今は無理でも」
「どうして、“今”じゃないんだよ?俺の周りにいる大人達が正しいとは、思えない。」
須賀君の力が弱まり、カレンさんの両腕が自由になった。
ゆっくりと立ち上がった須賀君を、私は見上げた。
彼の指が動く。
指先が私の頬に触れそうになって、私は思わず顔を背けた。
「好美、ちゃん?」
カレンさんの声が戸惑っている。
「俺…帰るから。カレンさん、ありがとう腕時計。大切に使うよ。」
須賀君が和室から出て行くのが分かっても、私は顔を上げられなかった。
玄関のドアが開く音がして、そして閉まる。
「好美ちゃん。」
カレンさんに呼ばれて、私はゆっくりと顔を上げた。
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