りなりあ

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指先の記憶‐40

2008-09-04 11:28:23 | 指先の記憶 第一章

私は自分が文字を覚え始めた頃を思い出してみた。
父や祖母が褒めてくれて、間違えると丁寧に教えてくれて、そして祖父が凄く綺麗な字を書く人だった事を思い出す。
「康太は、とても転校が多かったの。康太から父親の事、聞いている?」
「うん…亡くなったって…。離婚したって…。」
カレンさんは手に取った湯飲みを、飲まずにテーブルに戻した。
「母親が住む場所を何度も変えたから、康太は日本全国を、北海道も沖縄も住んでいるわ。」
「へぇ…凄いね。」
カレンさんが笑う。
「そこで感心されるとは思わなかったわね。」
「ごめんなさい…須賀君は大変、だったよね?」
「そうね…。1年以上、同じ土地に住む事はなかったから。だから、康太は、家で勉強している方が多くて。新しい学校の勉強に合わせるのは大変で、自分でするのがベストだと思ったみたい。例えば康太の“太”を習う時に、前の学校では習っていないのに、でも次の学校では既に授業が終わっている、とか、そんな事ばかりでね。」
祖母の看病の為に学校を欠席した経験がある私は、授業内容が分からない、ということは何度も経験している。
だから、須賀君の気持ちが分かる気がした。
「だから、小学校に通った日数って少ないのよね。中学になってからよ。きちんと通学できるようになったのは。」
「…え?」
私とは状況が、違う?
「学校、行ってなかったの?」
「うーん…大袈裟に言うと、そうなるけれど。学校の勉強にはあまり期待していなかった、というか。転校の前後は、空白が出来ちゃうし。でも不思議な事に友達は多かったのよ。」
「へぇ…。ちょっと、意外。」
「そう?」
「うん。だって須賀君って、同級生の間でも、ちょっと一歩引いている感じ、だし。」
「まぁ、そりゃぁ…ねぇ…。」
「妙に落ち着いていたりして、オジサンで。」
「落ち着くわよ。あの子、小さい時から。そうだから。」
「小さい時、から?」
「そうよ。母親よりも、しっかりしてたわ。」 
ようやく、カレンさんが緑茶を飲んだ。
「母親の事は、聞いている?」
私は頷く事を戸惑った。
「いいわよ好美ちゃん、答えなくても。康太が母親に対して複雑な感情を持っているのは分かっているから。彼女が別れた夫を想っているのは、息子である康太は喜んで良い事よね?でも、母親の幸せを雅司君の幸せを考えると、康太の母親が新しい人生を歩む事が必要になる。それは、康太だって分かっているの。」
「あのね。カレンさん。やっぱり私が聞くのは…ダメだよ。だって、私、須賀君の小学生の時とか、そんな話、知らなかったから。」
「でも、私が話さないと。康太は話さない。自分の話をしない。父親と母親の事を話しても、自分の事は話さない。」
私は気持ちが混乱していた。
須賀君の事を知りたい気持ちはある。
でも、彼の家族の事を知る必要があるとは思えない。
「康太が母親から雅司君を引き離したかもしれないけれど、そうでもしないと、家族みんなの心が壊れそうだったのよ。それは、康太の両親も同じ。」
私はカレンさんの話す内容が分からなくなってくる。
「どうして、日本全国を移り住んだと思う?」
私は首を横に振った。
その理由を考える事など、拒否したかった。
「逃げたの。」
「え?」
「康太の母親は、息子を連れて逃げたの。康太を護る為に、愛する夫と離婚した。」
「どうして?」

「父親の親族が康太を引き取りたいと言い始めたからよ。」
カレンさんは少し不機嫌な口調だった。
緑茶を飲もうとして、湯飲みが空になっている事に気付いたカレンさんは、長い髪を面倒そうに束ねる。
「あ、あの。カレンさん。やっぱり…。須賀君は私がカレンさんと話すの、怒っていたし。私は、カレンさんが遠くに行っちゃうことが嫌、というか、悲しいというか。その話、だよね?」
「そうよ。私がいなくなるから、好美ちゃんに話しているの。康太は…自分で決められる年齢になってきている。状況が変わったの。康太が自分の意思で自分の為に決めるのなら、私は何も言わない。」
カレンさんが私の手を取った。
「好美ちゃんに康太の傍にいて欲しいの。正しい道を選べるように。」
カレンさんの瞳を見て、私は須賀君に対するカレンさんの深い愛情を感じた。