りなりあ

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約束を抱いて-39

2006-11-14 20:09:20 | 約束を抱いて 第一章

「はる兄が、本当にそんな事を言ったの?」
優輝はむつみが自分を疑っているように感じた。そんな事を晴己が言うはずがない、彼女はそう思っているに違いない。
「はる兄は優輝君にテニスを続けて欲しいだけよ?だから久保さんにお願いしたんじゃないの?」
むつみが問いかける内容が、更に優輝を刺激していく。
「晴己さん晴己さんって、うるさいな。晴己さんは自分が出来なかったことを俺に押し付けているだけなんだよ。その為ならどんなに卑怯な手段だって使うんだよ。」
「卑怯?」
「ああ、そうだよ。何でも自分の思い通りになると思っている。それが晴己さんの“力”かもしれないけれど、権力や地位を俺の前に振りかざして」
「はる兄の悪口は言わないで。」
立ち上がったむつみが、小さく低い声を出す。
「事実だよ。少なくとも俺の晴己さんに対する印象は。斉藤さんは晴己さんの汚い部分を知らないだけだよ。俺は晴己さんの言いなりになるなんて、絶対に嫌だ。」
向けられるむつみの眼差しに怒りを感じて、優輝は遠慮のない言葉を続ける。
「斉藤さん、他人だろ?関係ないじゃん。」
むつみの瞳が揺れる。
「それなのに、何もかもが晴己さんの言いなり?全てが晴己さん中心?斉藤さんに何の権利があるんだよ?」
むつみの目から涙が流れた。血縁関係というものは、どんなに本人が望んでも変えられないものだ。生まれる前から決まっている事実。むつみは、その現実に何度も悲しい思いをしてきた。涙を流すむつみに優輝は一瞬戸惑ったが、ここでもう一押しすれば、彼女とは関わらなくて済むようになると思った。
「晴己さんには家族がいるじゃん。杏依さんがいるだろ?斉藤さんが、どう思っていても、晴己さんは同じ気持じゃないだろ?あんたは他人だよ。」
その言葉を聞いて、むつみの涙がピタリと止まった。避けようとしても避けられない事実。誰もが当然だと言う事実。それを優輝に突きつけられて、改めて自分の不確かな立場を思い知らされる。優輝も、言ってはいけない言葉だと分かっていた。でもあえて、彼女が傷つく言葉を探していたのだ。そして、さらに追いうちをかけるように言った。
「結婚してテニスをやめて。俺には女におぼれて自分を捨てた間抜けな人間にしか見えないけどね。」
むつみの中に、怒りと悔しさと悲しさが沸き起こる。優輝が言った言葉はむつみが耳を塞いでいた内容だ。晴己が結婚してから、周りで囁かれる噂。聞きたくないと耳を塞いでいても、同じ事がむつみの心に沸き起こっていた。付き合っていた香坂杏依と結婚を決めた時、晴己はテニスをやめた。むつみは残念だと思う一方で、ようやく自分の背負っていたものから逃れられたと思った。
「私の中のはる兄を壊さないで。」 
晴己の弱い部分なんて知りたくない。むつみの中で晴己は完璧な人間でいて欲しい。
「それはこっちが言いたいよっ。」
むつみは優輝の叫び声に驚いた。
「俺の中で晴己さんは完璧な存在だったんだよ。杏依さんの為にやめてしまったとしても、それまでに俺が見てきた晴己さんは事実なんだからって、自分にそう言い聞かせて、だったら俺が晴己さんを超えるんだって思えるようになったのに。ずっと追いかけて追い抜きたいって。なのに、俺が見てきた晴己さんは嘘だったって今更知らされてどうしろって言うんだよ!」
「嘘って…」
「あの人がやってきたテニスはなんだったんだよ。俺がずっと見てきたテニスはなんだったんだよ。全部、あんたの為だったのかよ!!だからあんなにあっさりやめたのかよ!」
「私の為じゃないわ!」
「晴己さんは斉藤さんの為なら何だってするんだよ。俺に頭をさげる事も、嘘をつき続けることも。それをされた俺がどんな気持ちだったと思う?俺の中で完璧で誰よりも尊敬していた人なんだ。俺の中の晴己さんを壊したのは斉藤さんじゃないかっ!」
それが、優輝の本心だった。   
「どうして俺の前に現れたりしたんだよっ!」
理不尽な事を言っていると分かりながらも、優輝は止められなかった。
むつみと出会わなければ、晴己に対してこんなに敵意を感じる事もなかったのに。晴己が自分を見捨てる事などなかったのに。
やめればいい、晴己の言葉は優輝にとって、強いショックだった。
晴己に見捨てられたのだと、優輝は感じていた。


約束を抱いて-38

2006-11-14 09:43:12 | 約束を抱いて 第一章

祖母に呼ばれて1階に降りた優輝は、ダイニングの隣にある和室で座っているむつみを見て、驚いた。
「学校のノートを持ってきてくれたらしいよ。」
祖母が和室から出て行くと、優輝は入り口付近に立ったまま小さな声で言った。
「どうして斉藤さんがいるんだよ。」
「ノートを持って来たの。」
それは、祖母が言っていたから分かっている。何故、むつみが来たのかを優輝は知りたかった。クラスメイトは他にも大勢いるのに。
「帰れよ。」
小さな声だが、荒れた声がむつみに投げかけられたが、むつみはピクリとも動かず、そのまま座り続けている。
優輝は、祖母が出て行った方の襖を開ける。既に祖母はダイニングにおらず、優輝は冷蔵庫を開けた。
ミネラルウォーターを取り出して、口に含む。
既に夕方なのに、朝から一歩も外に出ていない。具合が悪いわけではないけれど、体を動かしていない優輝は、妙な体の重さと頭痛を感じていた。
「優輝君、顔色悪いけれど具合が悪いの?」
尋ねるむつみの声が耳に障る。
「ノートはコピーしてあるから、置いていくね。」
優輝が和室を見ると、立ち上がろうとしている彼女と目が合った。
「あの…みんな、心配してるわ。」
「よく平気でそんなことが言えるな。」
優輝は空になったペットボトルをシンクへと放り投げた。その音に驚いたむつみが、再び座ってしまう。
「誰のせいで、こんな事になったんだよ。俺は転校して、全部やり直すつもりだったんだ。それなのに、どうして斉藤さんがいるんだよ。余計な事ばかりして俺を縛りつける。テニスをやめようが続けようが俺の勝手だろう?よく平気で来れるな?」
むつみは何も悪くない、そんな事は優輝だって充分に分かっていた。
「ご、ごめんなさい。」
むつみの瞳が揺れる。溜まった涙が溢れそうになるのを見て、優輝は、泣けばいい、そう思っていた。
「…ごめんなさい。」
優輝は分かった気がした。
幼い頃から妬まれるのが嫌だった。自分はただテニスが好きなだけ。晴己に教えてもらうのが好きなだけ。それだけなのに、同級生や先輩から妬まれてきた。妬む人達の気持ちが分からなかったが、今なら分かる。
晴己の気持ちを受けている“存在”というものは、限りなく鬱陶しい。
「晴己さんは、やめればいい、そう言ったよ。」
きっと晴己なら、今のむつみを抱きしめる。何度も見てきた光景に、優輝の心は乱れていく。
「…はる兄が?」
むつみの声に優輝は苛々する。彼女の発音する“はる兄”という言葉には愛情が含まれていて、その響きを聞くのが嫌だった。
「晴己さんは、捻挫が治った事を証明する為に、俺を試合に出させようとした。どうして、俺がそんな事をしなきゃならないんだ?」
自分が試合に出る事で、むつみが安心してくれるのなら、優輝自身がそう思っていたのは事実だ。晴己が何も言わずに放っておいてくれれば、素直に試合に出て勝つ事を選んだのに。だけど、最初に決断した時よりも、状況は複雑になってきている。
「俺は晴己さんの代わりじゃない。」
初めて会った時、むつみが自分の向こうに晴己を見ていたのかと思うと、怒りに似た感情が沸き起こってしまう。
『テニスが、はる兄と似ていたから。』
以前、この家の廊下でむつみが言った言葉が頭から離れない。確かに自分は晴己を目標にしていたし、彼のようになりたいと思っていた。だけど、むつみから、そんな言葉は聞きたくなかった。

「帰れ。」
ゆっくりと言った優輝の声に、むつみがビクリとして、怯えた瞳を向ける。

優輝は苛々としていた。
絵里の気持ちが分かる気がした。
『あの子の全ては新堂晴己に支配されているのよ。見ていると苛々する。』
絵里がむつみを叩いたように、同じ事をしたいと思うわけではないが、目の前にいる存在が自分の気持ちを乱していくのは事実だ。感じた事のない知らない感情が自分を支配していくようで、優輝はむつみに言葉を投げ続ける。
絵里が言った言葉を。
「鬱陶しいんだ。目障りなんだよ。帰れよ。」
その言葉は優輝自身の心にも突き刺さった。