さくらの日々是好日

余命半年から生還♪今年21年目の【金つなぎ勝ち抜きRoad】を走り続ける、多重がん患者の病老の日々や患者会活動をご紹介!

♪ 「名張のご出身なら、 稲森宗太郎をご存じですか?」、「あぁ、徳蓮院に碑がありますよ」

2021年10月30日 23時24分32秒 | さくらジャーナル
10月30日(土)    晴

「ありがとうございます。携帯を替えました」と友人からメールが入った。
タ方の散歩かたがた、団地内の掲示板に張り出しをさせていただいた「ひまわりコーラス」チラシの様子見回りを兼ねて、友人宅の前を通った。

「どんな携帯を買われたの?」、「まぁ、そう言わず上がって、上がって…」
誘われたら、いつでもどちらのお宅でもお断りはせず、時に夕ご飯をいただいて帰ることもある、もしかしたら厚かましい(?)さくら。 今日も、応接間にお邪魔して、新しいスマホを見せてもらって、「コーヒー淹れましょうか?」、「あら、嬉しい。 今日初めてのコーヒーですぅ」

ご主人さまと「名張のご出身なら、 稲森宗太郎をご存じですか?」、「あぁ、知ってます。 徳蓮院に碑がありますよ」
                         
平成4年に乳がん1期、同5年に卵巣がんⅢ期(5か所転移の進行がん)を病んだ。 家族は主治医から「余命は月単位…」と聞き、手帳に【光子、余命半年】と書き付けた。
枕元の目覚まし時計の時を刻む音が、己が人生のカウントダウンに聞こえ、眠れない夜を過ごしていた、今から27年前。
「悔しくて、口惜しくて、このままでは死ねない。 この辛い苦しい体験を書き残すことで、後に続く病友がたのお役に立って死にたい」と願い、産経新聞にコラム連載を3年半に亘って書き綴ったのであった。

その内容を取捨選択し、加筆訂正して上梓したのは、1998(平成10)年5月29日。 それより3年前に、食道静脈瘤破裂で壮絶に吐血をして逝った夫の誕生日である。 この本は光栄にも、その後PHP研究所の『21世紀に残す1000冊(100冊であったか?)の本』(目録)に選んでいただき、そんなことも私に生きる意欲を与えてくださった。
                          
この闘病記の124ページ~126ページにかけ「水枕ーー強く明るい孤独」と題して、名張の歌人・稲森宗太郎の遺歌集『水枕』に言及した項が残っている。
死の4日前に詠んだとされる「水枕九首」のうちの、とりわけ第一首と第五首が深く心に刺さったことを書き残したものである。

☆水まくら うれしくもあるか耳の下に 氷のかけら 音立てて游(およ)ぐ
☆水枕に 目を閉ぢをれば谷川の 底ゆく石の 音の聞こゆる

三重の片田舎から、志を立て早稲田大学の国文学科に学び、在学中から窪田空穂教授に師事して、将来を大いに嘱望されるも、肺尖カタル(結核)から咽頭結核(咽頭がんでもあったろうか?)に侵され、29歳(享年30)で夭折された。

志半ばで、父や妻や師や同人に先立つ悲しさ辛さ、口惜しさは思うにあまりあるけれど、その境涯に在ってなお、この【明るく強い孤独】を歌い上げられた心の保(も)ちようの凄さ、素晴らしさに、抗がん闘病中の私はどれほど励まされたことだったろうか。

名張市立図書館の遊歩道わきに立派な歌碑があることを、友人のご主人さまにお伝えしたら、「うちの菩提寺の徳蓮院に、宗太郎さんの碑がありますよ」と、地図を書いてくださった。

「時間を見つけて、お会いしに行きましょう♪」
老婆にまた、新たな目標ができた!

                     


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1 コメント

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稲森宗太郎 (清風)
2021-10-31 16:46:09
稲門同学部の後輩として、稲森先輩のことは語り継がれており存じ上げていました。
あなたの居られる名張に墓所があるのですね。
名張は、確か北原白秋の最初の妻、福島俊子の出身地でもあり、行動するジャーナリスト、広野光子の居住地でもあり、実に大したエリアパワーを感じます。
益々のご健筆を。
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