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1985.4.13 BRUCE SPRINGSTEEN AND THE E STREET BAND

2014年06月16日 05時08分00秒 | 80年代の回顧録
東京・国立代々木場第一体育館(代々木オリンピックプール) by Mr.UNIVERSE

北 3階 E―C列 4番 S席\5000 ウドー音楽事務所

Bruce Springsteen(Vo.G)
Roy Bittan(Piano.Synthesizers.Organ.Acordion)
Clarence Clemons(Sax,Trumpet)
Danny Federici(Organ,Piano,Accordion)
Niles Lofgren(G,Accordion)
Patti Scialfa(Vo)
Garry Tallent(B)
Max Weinberg(Ds)

《SET LIST》
1.Born in the U.S.A
2.Prove It All Night
3.Reason to Believe Play
4.Johnny99
5.Atlantic City
6.The River
7.Out in the Street
8.Glory Days
9.The Promisd Land
10.My Hometown
11.Badlands
12.Thunder Road
13.Cover Me
14.Dancing in the Dark
15.Hungry Heart
16.Cadillac Ranch
17.I`m on Fire
18.No Surrender
19.Bobby Jean
20.Rosalita
21.Born to Run
22.Ramrod
23.Twist and Shout
24.Do You Love Me?

 ボスの初来日であり、その後アコースティックライブやチャリティライブで来日しているが、現在のところEストリート・バンドを携えての唯一のフルライブである“Born in The U.S.Aツアー”。東京ドームが完成していたら、当然、ドームをフルハウスにしていただろう絶頂期。欧米では、すでにフットボール場をフルハウスにしていた時期。まだ見ぬ、スーパースターの一人だった。ロナルド・レーガンに政治利用されたり物議を醸し出したBorn in The U.S.Aは、世界で約2000万枚のヒットとなり、日本でもDancing in The Darkのビデオ・クリップが話題になっていた時期。当然ながらチケットは入手困難を極めた。“ぴあ”の電話回線は全く繋がらない。結局、チケット・コーナーがある中野サンプラザ前で徹夜覚悟で並ぶしかない。購入のための整理券が配られて徹夜は無くなったが、再度早朝から並ぶ。しかし、それでもかなり後方だ。果たして入手できるのか。心細くなってきた頃、ようやく発券の手続きを済ませられた。一番最後だった。つまり、すぐ後ろに並んでいた人は購入できず。ここまで、ギリギリは初めてだった。

全ての日本公演は当然ながらソールドアウト。因みに、東京・代々木オリンピックプール(収容人員13291人)は4月10日~16日までの5回、4月19日・京都府立体育館会場(収容人員8635人)、4月22日、23日・大阪城ホール(収容人員16000人)。会場入り口までのダフ屋の何と多かった事だろう。今回は1人で参戦したのだが、コンサート開演直前には、少し後ろの座席のOLだか学生だかの女子軍団の一人から声をかけられ「すいませんが席を交換してくれませんか?」だと、前方の席なら分るが何で後ろに行かないのか?。「ふざけるな!」と怒鳴りつけることは無かったが、「丁重にお断りした」舐められたもんだ。この座席はアリーナを見降ろす感じにはなるのだが、アリーナ後方よりは見やすい。武道館もアリーナ後方なら1階最前列の方がよっぽど良いと思う。

アリーナはもちろん最初から興奮状態。ボス達が現れる前からどよめき、照明が落ちて彼らが登場すると興奮状態の極限に達した。そしてBorn in the U.S.Aを歌い始めると合唱している。中盤、生で聴きたかった曲のひとつThunder Roadでまたも観衆の大合唱が加わってⅠ部が終了。休憩に入る。

Ⅱ部が始まりCover Meに続き、いよいよDancing in the Dark。ビオデオクリップと同じ場面が再現。ボスが客席に降りて女の子を指名し、ステージにあげて踊りだす。各会場で繰り広げられたのだろうが、このとき例え20歳でも今や立派なオバさん達だ。しかし一生の記念だろうね。Rosalita~Born to Runで最高潮に達しロックンロール・メドレーで終了。余計なギミックなしの3時間もあっという間に終わった。ダニー・フェデリシもクラレンス・クレモンズも居なくなって(亡くなって)しまったが、またEストリートバンドを伴って、来日公演をして欲しい。記憶に無いがコンサートの最後に、ボスは、こういう言葉を残したらしい。「I’m just a prisoner of rock’n roll」皆、同じさ。
http://www.youtube.com/watch?v=sfk0uMLhXqY

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2 コメント

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Unknown (Hassan1018)
2014-06-16 08:55:49
数少ない私の参戦歴でも印象深い一戦。
二部構成なんて後にも先にもこれっきり!
当時の『ロッキン・オン誌』に単純なrock'n'rollで会場全体を別次元にもって行くには3~4時間のパフォーマンスが必要なのかも知れないなんて趣獅フ記事が載っていたのですが机上の空論、単なる屁理屈だと思ったもんでした
やっぱりライブは参加してこそ!…ですよね?
返信する
Unknown (Mr.UNIVERSE)
2014-06-16 10:11:59
本当は、もう少し前方で“体感”したかったのだが。
それでも80年代の来日コンサートでは、5本の指に
入るだろうね。
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