ご無沙汰してますm(_ _)m、headstormです!
2014.7.5に、ヤマダグリーンドーム前橋で開催された慈善ライブフェス《GBGB2014》にて熱いパフォーマンスで会場を沸かせた「ROGUE」。そのボーカル・奥野敦士。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E9%87%8E%E6%95%A6%E5%A3%AB
以前の投稿時にも申しましたが、オイラの父親と奥野敦士の母親が兄妹のため、奥野敦士とは従兄弟関係になるのです……。
で!今から40年前・1974年8月、オイラが中2、奥野敦士(アッちゃん)が小5の夏休み中の出来事を思い出したので、投稿させていただきます。
オイラの住む千葉県・市川市から親と、群馬県・前橋(両親の出身地)の奥野宅に遊びに行った。
約4年ぶりの再会に、アッちゃんは緊張気味。オイラはなんとなく恥ずかしくて、ギクシャク。
すぐに慣れたものの、親達と混じって過ごしてる事に飽きはじめ、アッちゃんをガイドに前橋市内の繁華街に、二人だけで買い物に行く事を提案。そして即決定(二人だけの行動は初めての事)。
1974年当時は、今と違って前橋市内の繁華街は、買い物客でごった返してた。“本日は祭礼の日ですかぁ?”と思うほどの混雑で、アーケード街は人で埋もれていた。
オイラにしてみたら前橋は不慣れな土地の為、頼りはアッちゃんだけで、手を繋いでの行動だったと記憶している。
今は亡き“マエサン”と言うデパートのオモチャ売り場!書店!片原饅頭店!…残念ながら、県庁寄りの老舗“前橋模型店”には行かなかった。
そして、最後に向かったのがアーケード街の中央に在るレコード屋さん!…店名は忘れたが、購入したモノはハッキリと覚えてる(笑)。ザ・ビートルズの「ヘルプ」のシングル盤!←今も、家のどこかに在るハズ(笑)。店内を1時間くらい徘徊し、やっと購入したと思う。
その間アッちゃんは、ずっと我慢しながら文句も言わず、一緒に居てくれた。←従兄弟の中学生には逆らえないよなぁ(^^;)
その帰り道でオイラは、生まれて初めて《ケンタッキー・フライド・チキン》に入店(笑)。…ケンタの存在は知ってたが、生で見るのも入店も初体験だった(当時、オイラの住む市川には無かった)。それだけ当時の前橋は都会で、最先端だった(因みにロッテリアの初体験も、同じく前橋でだったと記憶する。)
そんなこんなで、ケンタを後に無事奥野宅に帰り、晩餐会。親戚一同の宴も進み、アッちゃんのお父さん(叔父/奥野一夫)は、アルコールも入り絶好調!
“何のレコード買ッて来たん?”と聞かれて、「ヘルプ」を見せるオイラ!
“オオッ、ビートルズかぁ?レコード鰍ッよう!鰍ッよう!”結果、レコード鰍ッる事に。それもかなりの大音量で「ヘルプ」は始まった!こんなにデカい音で、レコード鰍ッて良いのかぁ?が第一印象だった・・・。
更に叔父は、歌詞カードを見ながら日本語英語で、ジョン・レノンのWトラックのボーカルに絡んで、トリプルトラックで、それはそれは大声で歌い捲る(笑)
そうだぁ!叔父・奥野一夫氏は、会社の合唱団のリーダー?先生?をしてたのであった(笑)→後に、カラオケ教室を開校した事も記して置きます。
その夜はどの様に終焉したかは、この投稿を書いてる今でもまるで記憶に無いが、叔母も、アッちゃんの祖母も、姉のユカリちゃんも、オイラの親も、全員が笑顔で居たのは確かであった。
合唱団の先生・奥野一夫の血は、確実に息子・奥野敦士に……
こんなエピソードからもわかる様に?やはり、血・DNA・生活環境から必然的に、ロックボーカリスト“奥野敦士”は生まれたんだョ(笑)
奥野敦士は、1974年小5の8月の或る日、全身に大音響でビートルズの「ヘルプ」を浴びてた!・・・オイラが証明するよ。
ん?だが残念な事に、奥野敦士のどの回顧録・インタビューにも、『小学生の時、従兄弟のお兄さんに聴かせてもらったビートルズの「ヘルプ」で衝撃を受けて、歌手・ロックボーカリストになる事を誓った!んですよ…』と言う記事は、未だに目にして無い……。
本人が忘れるのか?イヤ違う!「ヘルプ」を聴かせたのは、従兄弟のお兄さんでは無く、奥野一夫・アッちゃんのお父さんだったよネ~(爆)。
しかしながら、奥野一夫の「ヘルプ」は凄かったなぁ…(^_^)v
【予告】
先日のGBGB2014に参戦(同行)して来ました。近々レメ[トを投稿予定してます。待っててねm(_ _)m
2014.7.5に、ヤマダグリーンドーム前橋で開催された慈善ライブフェス《GBGB2014》にて熱いパフォーマンスで会場を沸かせた「ROGUE」。そのボーカル・奥野敦士。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E9%87%8E%E6%95%A6%E5%A3%AB
以前の投稿時にも申しましたが、オイラの父親と奥野敦士の母親が兄妹のため、奥野敦士とは従兄弟関係になるのです……。
で!今から40年前・1974年8月、オイラが中2、奥野敦士(アッちゃん)が小5の夏休み中の出来事を思い出したので、投稿させていただきます。
オイラの住む千葉県・市川市から親と、群馬県・前橋(両親の出身地)の奥野宅に遊びに行った。
約4年ぶりの再会に、アッちゃんは緊張気味。オイラはなんとなく恥ずかしくて、ギクシャク。
すぐに慣れたものの、親達と混じって過ごしてる事に飽きはじめ、アッちゃんをガイドに前橋市内の繁華街に、二人だけで買い物に行く事を提案。そして即決定(二人だけの行動は初めての事)。
1974年当時は、今と違って前橋市内の繁華街は、買い物客でごった返してた。“本日は祭礼の日ですかぁ?”と思うほどの混雑で、アーケード街は人で埋もれていた。
オイラにしてみたら前橋は不慣れな土地の為、頼りはアッちゃんだけで、手を繋いでの行動だったと記憶している。
今は亡き“マエサン”と言うデパートのオモチャ売り場!書店!片原饅頭店!…残念ながら、県庁寄りの老舗“前橋模型店”には行かなかった。
そして、最後に向かったのがアーケード街の中央に在るレコード屋さん!…店名は忘れたが、購入したモノはハッキリと覚えてる(笑)。ザ・ビートルズの「ヘルプ」のシングル盤!←今も、家のどこかに在るハズ(笑)。店内を1時間くらい徘徊し、やっと購入したと思う。
その間アッちゃんは、ずっと我慢しながら文句も言わず、一緒に居てくれた。←従兄弟の中学生には逆らえないよなぁ(^^;)
その帰り道でオイラは、生まれて初めて《ケンタッキー・フライド・チキン》に入店(笑)。…ケンタの存在は知ってたが、生で見るのも入店も初体験だった(当時、オイラの住む市川には無かった)。それだけ当時の前橋は都会で、最先端だった(因みにロッテリアの初体験も、同じく前橋でだったと記憶する。)
そんなこんなで、ケンタを後に無事奥野宅に帰り、晩餐会。親戚一同の宴も進み、アッちゃんのお父さん(叔父/奥野一夫)は、アルコールも入り絶好調!
“何のレコード買ッて来たん?”と聞かれて、「ヘルプ」を見せるオイラ!
“オオッ、ビートルズかぁ?レコード鰍ッよう!鰍ッよう!”結果、レコード鰍ッる事に。それもかなりの大音量で「ヘルプ」は始まった!こんなにデカい音で、レコード鰍ッて良いのかぁ?が第一印象だった・・・。
更に叔父は、歌詞カードを見ながら日本語英語で、ジョン・レノンのWトラックのボーカルに絡んで、トリプルトラックで、それはそれは大声で歌い捲る(笑)
そうだぁ!叔父・奥野一夫氏は、会社の合唱団のリーダー?先生?をしてたのであった(笑)→後に、カラオケ教室を開校した事も記して置きます。
その夜はどの様に終焉したかは、この投稿を書いてる今でもまるで記憶に無いが、叔母も、アッちゃんの祖母も、姉のユカリちゃんも、オイラの親も、全員が笑顔で居たのは確かであった。
合唱団の先生・奥野一夫の血は、確実に息子・奥野敦士に……
こんなエピソードからもわかる様に?やはり、血・DNA・生活環境から必然的に、ロックボーカリスト“奥野敦士”は生まれたんだョ(笑)
奥野敦士は、1974年小5の8月の或る日、全身に大音響でビートルズの「ヘルプ」を浴びてた!・・・オイラが証明するよ。
ん?だが残念な事に、奥野敦士のどの回顧録・インタビューにも、『小学生の時、従兄弟のお兄さんに聴かせてもらったビートルズの「ヘルプ」で衝撃を受けて、歌手・ロックボーカリストになる事を誓った!んですよ…』と言う記事は、未だに目にして無い……。
本人が忘れるのか?イヤ違う!「ヘルプ」を聴かせたのは、従兄弟のお兄さんでは無く、奥野一夫・アッちゃんのお父さんだったよネ~(爆)。
しかしながら、奥野一夫の「ヘルプ」は凄かったなぁ…(^_^)v
【予告】
先日のGBGB2014に参戦(同行)して来ました。近々レメ[トを投稿予定してます。待っててねm(_ _)m