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1976.12.16 RAINBOW

2013年09月30日 04時40分00秒 | 70年代の回顧録
◆ユニ&ラヱホ談◆「その2」
日本武道館 By Mr.UNIVERSE & Mr.Rapport

※「その1」は↓
http://moon.ap.teacup.com/applet/live51music/20130903/archive

座席 北東スタンド・1F・前方(ステージのやや後方で「虹」は見えない位置だったが、リッチーは良く見える場所)

メンバー
Ritchie Blackmore(G)
Ronnie James Dio(Vo)
Jimmy Bain(B)
Cozy Powell(Ds)
Tony Carey(Key)

《セット・リスト》
1.Intro(Over the Rainbow)
2.Kill the King
3.Mistreated
4.Sixteenth Century Greensleeves
5.Catch the Rainbow
6.Man on the Silver Mountain(inc Lazy/Blues/Star struck)
7.Stargazer(inc Key solo)
8.Still I'm Sad(inc Drum solo)
~Encore
9.Do You Close Your Eyes

ラ?/span> 初来日のセットリストを改めて振り返ってみると、1stアルバムからの曲が4曲と多かったね。ボク個人としては2ndの『Rising』からのナンバーのほうが多いかと思っていたのだけれど、これは意外だった。実はBlackmore's Nightの初来日のときもそうだったんだ。1stアルバムからの曲が同じく4曲。リッチーは1stアルバムがお気に入りなのかな。本当は『Rising』からのナンバーを多く演ってほしかったよね。タロット・ウーマンとか。ライト・イン・ザ・ブラックは同日の昼間のコンサートでプレイされたみたいだけど……。

ユニ 「銀嶺の覇者」は、実質リッチーのソロアルバム、「虹を翔る覇者」こそレインボーのファースト。確かにもっと演っても良かったし全曲やっても時間的には問題なかった。そこで、“ディープパープル”なんだよ。何故、1曲しか演らなかったのか。キミはどう思う?

ラ?/span> 二つの理由が考えられると思う。一つは、「オレはもうディープ・パープルとは何の関係もないし、元パープルのメンバーという肩書きで見られたくない。自分の新しいバンドで再スタートをきりたい」という意気込みがあったんじゃないかな。もう一つは、「銀嶺の覇者」と「虹を翔る覇者」からのナンバーで勝負に出たかったこと。これは偉いと思う。今のパープルも見習わないとね。今のパープルは新しいアルバムをリリースして、ツアーを行っても、新曲で勝負しようとしない。大半を70年代の曲に依存している。いわば、遺産の食いつぶし。これじゃあ、ファンも離れていくよ。話が戻るけど、意気込みといえば、レインボー・コンセプトを明確に打ち出すために、ステージバックのスクリーンにもアルバムジャケットを拡大して映し出していたよね。

ユニ 確かに、意地やプライドもあったのだろうね。ただ、当時もカリスマ人気のリッチーだったから何をやっても許されたはずだ。「俺は当面はブラックモアズ・レインボーで勝負するよ。」という覚悟が、選曲や演出にも表れていた。この時リッチーは、まだ31歳なんだよ。過去の遺産など必要なかった。

ラ?/span> とにかく、前半は1stアルバムからのナンバーがつづいたね。「Man on the Silver Mountain」のイントロで「Lazy」のフレーズが出たのにはビックリした。

ユニ 正直、そのイントロは、覚えていないなあ。今となっては、彼の、お得意のフレーズだけれど。

ラ?/span> このコンサートの後、半年くらい経ってかな。FM東京だったと思うけど、若山弦蔵の司会で、レインボーの東京公演の模様の一部が放送されて、そのとき、「Man on the Silver Mountain」のイントロで、「Lazy」のほかにジミヘンの「紫の煙」のフレーズも演奏されていたことを思い出したんだ。あの得体のしれないオープニング・ナンバーが「Kill the King」という新曲であることを知ったのもこの番組。当初は、このときFMで流されていたモノが「オン・ステージ」に収録される予定だったみたいだね。TDKのカセットに録音して何十回、否、何百回も聴いた記憶がある。後年、西新宿のブート屋でそのときのCDを購入した記憶もある。キミも一緒にいたはずだ。ほら、コモン・ストックに行く前に、景気づけによく立ち寄った「加賀屋」という居酒屋に入る前さ。あそこの煮込みは抜群にうまかったなあ。確か、キミが管理人さんと初めて会ったときも「加賀屋」に行ったんじゃなかったっけ。

ユニ 若山弦蔵のFM東京の番組は当然聴いたし、エアチェックもしたよ。彼のリッチー評が忘れられない。「・・・このひとの緩急自在のチェンジ・オブ・ペース・・・」正確ではないかも知れないがこのような事を言っていた。他の若い評論家とは違う冷静な大人の評価だったな。
「加賀屋」は、最近は通り過ぎるだけだなあ。実は最近もロックバーに行く前に管理人さんと近くを“通り過ぎた”よ(笑)。実は最近、東京に一泊する時には加賀屋の近くのビジネスホテルを定宿にしているから、機会があればまた飲もう。

ラ?/span> 亡くなった友達があそこの「ちくわの天ぷら」が好きでね。店に行くと、奴はいつも「ちくわの天ぷら」と「ウーロンハイ」を頼むんだ。オレは「黒ホッピー」と「煮込み」が定番。いかん、いかん。話を戻そう。「Man on the Silver Mountain」の後はいよいよ「Stargazer」。でも、イントロの長々としたキーボード・ソロは退屈だった。

ユニ 改めて「ライブ・イン・ジャーマニー1976~ツアー30周年記念BOX」のStargazer を聴くと5分程度なんだよな。キミが、もしかしてジョン・ロードの影を追っていたのなら無理があるね、と言うしかない。トニー・カーレイとは横綱と幕下、いや失礼、平幕くらいの差があるし、ジョンなら10分くらいのソロなら飽きさせない。冷めた見方をすればキーボードは使い捨てでも“様式美ロック”を表現するなら仕方ねえや、とリッチーは思っていたのだろうか。結局「虹を翔る覇者」のアメリカでのセールスの不振も相まってクビになっちゃうのは仕方ないかな?

ラ?/span> 「虹を翔る覇者」のライナーに渋谷陽一と今泉何某の対談が記載されていて、「今度のキーボードはすごい。リッチーともうまくいくだろう。ジョン・ロードは死刑じゃ」みたいなことが書かれていた。それを鵜呑みにしちまったんだね。いずれにしても、「キーボードはギターの引き立て役」という図式はこの頃確立されたわけで、それを踏襲したのがイングヴェイ・マルムスティーンというわけだ。

ユニ 「Stargazer」は、彼らの代表曲であり、リッチー、ロニー、コージーの三頭政治時代を代表する様式美ロックの最たるものだが、やはりキーボードが物足りない。バック・コーラスのような役割でしかないのが気に入らない。他の誰かだったら、といつも思う。それでもライブでは、延々と続く、終わりが来ないような魔力に引き込まれてしまっていた。

ラ?/span> 三頭政治といっても、それはベースとキーボードがあまりにも非力過ぎたことも関係していると思う。もし、初めからベースがロジャー・グローヴァーだったら、三頭政治とは呼ばれなかったかもしれない。実はね、トニー・カーレイがソロをとっているとき、ステージのバックで、リッチーが椅子に座っていたジミー・ベインを足で蹴るところを目撃したんだ。ふざけていたのかもしれないけれど、あんなことはパープルのメンバーにはできなかった。否、許されなかったことだと思う。

ユニ まあ、第二期ディープ・パープルは完成したバンドで、メンバー間の確執はあったとしても実力が均衡した緊張関係が存在したが、レインボーは最後までリッチーのワンマン・バンドだったから。コンサートの、その場面は見なかったな。ジミー・ベインはバンド内で最後まで“いじめられ役”だったらしい。バンドで同年代の仲良しがふざけてやっているのとはどう考えても違う。単に“足蹴”にしたんだろう。「おい、もう少しで俺の見せ場が来るんだから、だらだらしてんじゃねえぞ(ニヤ、ニヤ)」とか言っていたのだろうか?(つづく)

コメント
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