金剛頂寺
一巡目ブログ
一巡目では工事中だった橋を今回は渡ることが出来ました。
一巡目でも見かけた青とベンガラ色の鳥を再び見かけました。
イソヒヨドリというらしいです。
大岐の浜の宿で知り合ったK咲さんが教えてくださいました。
ヒヨドリとは驚きでした!
26番札所への遍路道はほとんど覚えていませんでした。
歩いたはずなのですが。。多分ここも海岸側の国道を歩いていたのだと思います。
海岸線ではなく遍路道は一本内側です。
進んで行くと気になる石碑が見えました。横目に通り過ぎる事も出来ましたが、寄ってみました。
「女人結界の道しるべ」とあります。
1685年に建立されこれより西寺領八町内に入っては行けないとのこと。
女性が参拝する事を拒んだのだそう。
本当にこんな風にはお遍路は出来なかった訳ですね。
有難く進まなければ。。しかし、何をきっかけに女性もお参りできるようになったのか、いつから許可されただろう?
調べてみると色々な女人禁制が明治時代ぐらいから許されるようになったようで、
相撲のように今でも多少の規制が残る場合もあるらしい。
本当は歩けない道だったのか~などと金剛頂寺のある山を目指して歩いていると右に曲がるポイントが!
あれ?このまま真っすぐ行って登るのではないのか!
地図を確認して右に曲がると車が止まって「ごくろうさま!良かったらこれ!」って車の中からお菓子を
ポンと渡されあっけにとられていると、さーっと行ってしましました。
仕方ないけど、お礼のお札を渡せなかった。。
ありがたい!
これから登って行かないといけないところで元気も頂きました!!
金剛頂寺のある山を左手にして進みます。
なんだか離れていく気がするなぁ。。でも道標はこちらとあったしなぁ。。
本当に前回を全く覚えていないようで呆れます。
旧遍路道の入り口が見えてきました。なんとなく覚えているような。。
遍路道に入ると「川村与惣太の墓」が現れます!これは見覚えがある!!
金剛頂寺の別当職を辞した後、土佐一国を巡り地名、故事を詠んだ「土佐一覧記」を著した人だそうです。
一礼して遍路道を進みます。
大変な登り坂かと思っていたのですが、金剛頂寺のある山を左手にしてしばらく進んだ分、緩やかに登る道のりでした。
広い道に出ると見覚えのある仁王門への階段が現れます。
厄除け坂になっていて踏面にある蓮の柄が印象的で記憶に新しい場所でした。
一巡目では沢山の団体のお遍路さんで賑わっていたな。
今回は静かなお寺でした。
本堂へ行くとタイミング悪く納められた写経や納札を回収している時でした。
入れた瞬間に回収されていくイメージです。
このように集められるのか。。この後、お札や写経はどこへ行くのだろう。。。
知りたいような知らない方が良いような。。。
このお寺にはがん封じの椿や一粒万倍の釜(トップ写真)など見どころポイントがあります。
一つづつ丁寧にお参りします。
そしてこのお寺には宿坊があります。
今回出逢ったお遍路さんにお薦めの宿坊と聞きました。
次の機会には利用してさらにゆっくりとお寺をお参りしたいです。
さて、前回は知識が無くて行けなかった奥の院でもある「不動岩」という修行した洞窟に向かいます。
一巡目で渡れなかった両栄橋(なんて素敵な名前♪)が見えてきました
イソヒヨドリに逢えました
石碑分かりますか?
女人結界の碑です。。
海が近い地域だけに飾り瓦に波のモチーフ(波を避けるの意味?波に乗るの意でしょうか?)
お寺があるだろう場所から離れていくな~と思って撮った写真
最初はなだらかな坂道です。
徳島で出逢った生臭遍路さんの道しるべに元気をもらいます
途中にあった六地蔵さま
最後の方は少しきついです
お寺の階段が見え、懐かしく感じました。
室戸岬が見えます
本堂
大師堂
がん封じの椿
弁天堂と池
宿坊
沢山の童子の像
一巡目ブログ
一巡目では工事中だった橋を今回は渡ることが出来ました。
一巡目でも見かけた青とベンガラ色の鳥を再び見かけました。
イソヒヨドリというらしいです。
大岐の浜の宿で知り合ったK咲さんが教えてくださいました。
ヒヨドリとは驚きでした!
26番札所への遍路道はほとんど覚えていませんでした。
歩いたはずなのですが。。多分ここも海岸側の国道を歩いていたのだと思います。
海岸線ではなく遍路道は一本内側です。
進んで行くと気になる石碑が見えました。横目に通り過ぎる事も出来ましたが、寄ってみました。
「女人結界の道しるべ」とあります。
1685年に建立されこれより西寺領八町内に入っては行けないとのこと。
女性が参拝する事を拒んだのだそう。
本当にこんな風にはお遍路は出来なかった訳ですね。
有難く進まなければ。。しかし、何をきっかけに女性もお参りできるようになったのか、いつから許可されただろう?
調べてみると色々な女人禁制が明治時代ぐらいから許されるようになったようで、
相撲のように今でも多少の規制が残る場合もあるらしい。
本当は歩けない道だったのか~などと金剛頂寺のある山を目指して歩いていると右に曲がるポイントが!
あれ?このまま真っすぐ行って登るのではないのか!
地図を確認して右に曲がると車が止まって「ごくろうさま!良かったらこれ!」って車の中からお菓子を
ポンと渡されあっけにとられていると、さーっと行ってしましました。
仕方ないけど、お礼のお札を渡せなかった。。
ありがたい!
これから登って行かないといけないところで元気も頂きました!!
金剛頂寺のある山を左手にして進みます。
なんだか離れていく気がするなぁ。。でも道標はこちらとあったしなぁ。。
本当に前回を全く覚えていないようで呆れます。
旧遍路道の入り口が見えてきました。なんとなく覚えているような。。
遍路道に入ると「川村与惣太の墓」が現れます!これは見覚えがある!!
金剛頂寺の別当職を辞した後、土佐一国を巡り地名、故事を詠んだ「土佐一覧記」を著した人だそうです。
一礼して遍路道を進みます。
大変な登り坂かと思っていたのですが、金剛頂寺のある山を左手にしてしばらく進んだ分、緩やかに登る道のりでした。
広い道に出ると見覚えのある仁王門への階段が現れます。
厄除け坂になっていて踏面にある蓮の柄が印象的で記憶に新しい場所でした。
一巡目では沢山の団体のお遍路さんで賑わっていたな。
今回は静かなお寺でした。
本堂へ行くとタイミング悪く納められた写経や納札を回収している時でした。
入れた瞬間に回収されていくイメージです。
このように集められるのか。。この後、お札や写経はどこへ行くのだろう。。。
知りたいような知らない方が良いような。。。
このお寺にはがん封じの椿や一粒万倍の釜(トップ写真)など見どころポイントがあります。
一つづつ丁寧にお参りします。
そしてこのお寺には宿坊があります。
今回出逢ったお遍路さんにお薦めの宿坊と聞きました。
次の機会には利用してさらにゆっくりとお寺をお参りしたいです。
さて、前回は知識が無くて行けなかった奥の院でもある「不動岩」という修行した洞窟に向かいます。
一巡目で渡れなかった両栄橋(なんて素敵な名前♪)が見えてきました
イソヒヨドリに逢えました
石碑分かりますか?
女人結界の碑です。。
海が近い地域だけに飾り瓦に波のモチーフ(波を避けるの意味?波に乗るの意でしょうか?)
お寺があるだろう場所から離れていくな~と思って撮った写真
最初はなだらかな坂道です。
徳島で出逢った生臭遍路さんの道しるべに元気をもらいます
途中にあった六地蔵さま
最後の方は少しきついです
お寺の階段が見え、懐かしく感じました。
室戸岬が見えます
本堂
大師堂
がん封じの椿
弁天堂と池
宿坊
沢山の童子の像
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