ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

苦労という恵み

2008年08月29日 18時59分17秒 | フランス語
季節の移り変わりのせいなのか
このところすっきりしないお天気が続きます。
こうして名残の暑さを残しながらも
夏は一歩一歩去っていくのでしょう。

わずかな晴れ間を縫うように
うちのお隣にある神社にお参りに行ってきました。
静かな境内には、ハトが一羽。
動き始めたさまざまなことに
わたしが乗り切れますようにと。



職場の人事異動、第九に続き、仏検受験も。
こちらの試験は11月なのだけど
今回は今までで、一番自信がなくて。

英語の時は、中学2年で3級を受けて、
次は2級をすっとばして、
いきなり1級を受け、
国連英検にしても、TOEICにしても
最高レベルを難なくクリアしたものだから
今から思うと恥ずかしいのですが、
語学というものをなめていたところがありました。

それはまさに、若気の至り。
怖いもの知らずの、自信過剰。
自分がどれだけ恵まれていたかも気付かず
自分の能力を過信していた日々。

今では年齢的にも環境的にも、
あの時とは違うのだから
習得の速度は格段に落ちたけれど、
その分、得たものは遥かに大きなものでした。

今の私なら、あの頃よりもっと謙虚になれる。
苦労しながらも、続けられる環境を与えられていることに
それがどれほど恵まれていることか、感謝も出来る。

自分の大きさを、過大にも過小にも評価することなく
あるがままに受け入れることも、少しはうまくなれた。
大変な中で続けていくことの、忍耐や我慢、
地道な努力、というものの価値も学んだ。
また、共に励ましあえる人たちがいてくれることの
ありがたさにも気付きもした。

失敗は成功より多くのものを教える、
と言ったのは誰だったでしょうか。
苦労もまた、同じ。
とすれば、簡単には習得できない苦労や苛立ちも
これまた、大切な恵みなのかもしれません。

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新たな楽園へ

2008年08月26日 21時37分44秒 | 仕事・職場
処暑が過ぎたと思ったら
朝晩が本当に涼しくなってきました。
季節はいつの間にか動き始めているみたい。
ひと雨ごとに秋の空気が漂い始めているような。



そしてわたしの身の回りでも、
プライベートで第九が動き出したのに続き、
職場でも、上司のニューヨーク転勤が本決まりとなり
いよいよ本格的に新しいフェーズへと動き始めます。

上司はおそらく9月中には転勤し、
後任が決まるのは早くて11月末。
ただでさえイベントが多く、
決算も控えた慌しい時期に
果たして、どこまで事務所を守っていけるか
不安の種も重圧も、尽きることはないけれど。

でも決して忘れちゃいけないのは
わたしは、一人じゃないっていうこと。

契約形態は様々ながら
職場にはわたしを支えてくれている
かけがえのない同僚たちがいて
上司もニューヨークから
出来る限りの支援をして下さるのだとか。

ピンチであるのは間違いないけれど、
ピンチは同時にチャンスでもあるはず。
ここで頑張らなくて、いつ頑張る、と覚悟を決めて、
みんなの協力を最大限仰ぎながら
とにかく出来ることを出来る限りやってみよう。

そして、ここからまた
わたしの、わたしたちみんなの
新しい楽園作りの一歩が、
きっと、始まるに違いないから。

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秋冬プロジェクト始動

2008年08月24日 22時02分20秒 | 音楽・アート
今日初めて12月7日の「一万人の第九」に向けた
最初のレッスンがありました。
大阪、神戸以外でも、東京や和歌山、京都、岐阜など
24以上ものグループに分かれてのレッスンだけど
何せ、総勢1万人という大部隊。
わたしの参加するグループ
びっくりするほどの大人数でした。

そしてレッスンのスピードの早いこと。
最初に各パートの第一音だけピアノで出された後は、
いきなり全パートが楽譜を見ながら
ドイツ語でコーラスを開始する等というご無体も。



子供の頃エレクトーンをやっていて
楽譜はある程度読める上に、
第二外国語がドイツ語だったし
姉が以前第九の合唱をやっていたことがあって
サビ部分はわたしもドイツ語で大体歌えるから
結構なんとかなるつもりでいたのに、
これがどうやら、大間違い。

姉がやっていたのはソプラノで
メロディーラインがアルトとは全然違う上、
楽譜は読めても、すぐには音が取れない。
今回アルトを選んだわたしは、
ソプラノに引きずられないようにするのが精一杯。

なのに半数以上の人が初参加とか言いながら、
大多数の人は、いきなり普通に歌っていて、
あれれ、どうしましょ、と焦っている間に早2時間。
みなさん、一万人の第九は初心者でも
第九自体は歌ったことがある方が多いのかしら。

わたしはコーラスをするのは、中学校の合唱部以来。
以前とは違ってブレスが持たないし、
声も思うように伸びないのを、実感。
これは腹式呼吸と腹筋、背筋を鍛えないと。

でも思う存分大きな声で歌うのは
なんて気持ちいいことかしら。
ああ、やっぱりわたしは歌うのがすき。
美しいハーモニーは聞くのも好きだけど
そこに参加できるなんて、もっともっとすき。

これから4ヶ月間、どこまで成長できるか、
ワクワクしながら、重ねる一歩一歩。
年末に佐渡さんの指揮で
第九の陶酔にひたれる日を楽しみに。

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笑顔とシンクロニシティ

2008年08月22日 22時06分35秒 | 健康・癒し
昨夜は友人に誘われて
仕事帰りに心斎橋まで出向き、
メンタルヘルスを中心とした
心理学の講習会を受けてきました。

2時間半も続く長丁場ながら
あっという間に過ぎてしまった感じ。
心理学ってこんなに面白いものだったとは。

前回私が書いていたようなことは、
ユングの心理学では
synchronicity(シンクロニシティ)というらしく、
先生はそれを「意味ある偶然」と訳されてました。

そしてそれは、たまに起こる特別なものではなく
すべてが「意味ある偶然」なのだとか。
必ずしも意味はすぐには見えてこないけれど
でも必ず、すべてのことに意味はあるのだと。

それから、人は与えたもので生かされる、とも。
もし今の自分が十分に生かされてない気がするなら、
それは自分が十分に与えてこなかったからなのだと。
どちらも、ああやっぱり、と自然に腑に落ちました。



笑顔の大切さは良く言われることだけど
心理学の世界でも、行動療法として意味あることなのだとか。
人は楽しいから笑うだけではなく、
笑うから楽しくなるのだと。
元気だから声を出すだけではなく、
声を出すから元気になるのだと。

だからまず、今からでもすぐ出来ることは、
笑顔を、ふりまくことですね。
与えたもので生かされるのなら、
笑顔を誰にでも与えることで、
きっと生かされることがあるはず。
無理やりの笑顔ででも、楽しくなることもあるはず。
もっと幸せになれることも、きっとあるはず。

今は父とフランス語と第九で手一杯で
本格的なコースは受けられないけれど
一段落したらぜひ勉強してみたいなと思いました。
ああ、またやりたいことが増えてしまったみたい。

そしていつの間にか、明日は処暑。
街角のいたるところに落ちているセミの死骸は
夏の抜け殻のようにも思えて。

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感謝したいきもち

2008年08月20日 16時09分37秒 | 自分自身
職場の上司が突然、
来月からニューヨークへ転勤することに。
二人しか正職員のいない職場で、一人が転勤、
しかも後任が来るのは1-2ヵ月後というのは
残されるわたしにとっては、大打撃間違いなし。

しかもその上司は、わたしの「小さな楽園」の
大きな柱を成していた方でした。
少なくとも、「今の」楽園は失われる、
それは間違いのないこと。

先日「小さな楽園」と題したブログで
「そしてこのはかない楽園も、いつ壊れるか分からないけど、
何度壊れても、どれだけの別れを繰り返しても、
小さくても温かな灯を自分が灯し続ければ
きっとまた、そこに楽園は生まれる、
そう、信じよう。」と書いたのは、
この今のわたしに言い聞かせるためだったに違いない、
そんな気がしてならなくて。

変な話だけど、今あの言葉がなかったら
わたしは立ち直れなかったかもしれない。
でもあの言葉があるから、今は思える。
きっとまた、楽園は生まれる、と。

きっとわたしの中の何かが、
このことが起こるのを知っていて、
わたしに前もってそう書かせたような、
そんな気がして。



そんな感覚は、実は父が倒れた時にもありました。

もともとこのブログは、家族に自分の近況を知らせ、
普段言えないことを伝えるために始めたようなもの。
だから立ち上げたその日に
あさっては結婚記念日」と題して
両親に感謝の思いを書き、
4月には「父の誕生日」と題して父への言葉を書きました。
父がそれを読んで涙ぐんでいたと母から後日聞き、
ブログを始めて本当に良かったと、思っていたのでした。

そして5月に父が倒れた時、
不思議だけど、なぜ自分がこのブログを
急に立ち上げる気になったのか、
分かった気がしたのです。

あの時伝えておかなければ
間に合わないことを、
わたしの中の何かが知っていて
わたしを突き動かしてくれたのかもしれない、と。
あの時伝えておかなければ
今の父には、もう伝えらなかっただろうから。

こういうのって、何ていうのかしら。
予知とか、そんな大げさなものではなく。
でもそういうことが、人生には
どういうわけか、結構たくさんあって
偶然という形を取りながら、
様々に助けられてるような気がして
何に対してというわけでもなく
とにかく感謝したい気持ちになるのでした。

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