ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

ごちゃごちゃの会話

2011年04月28日 23時22分00秒 | フランス語
わたしはフランス語をやり始めてからというもの
フランス語と英語がごちゃごちゃになって
どちらもが崩れ始めて困っていたのだけれど
同じ職場のフランス人のJ君にも
なぜか、同じ症状が出始めていて。

先日も、「~~知ってる?」って聞いたら
"at all"と"pas du tout"が混じっちゃって
"I don't know du tout. "なんて言うものだから
思わず吹き出してしまった。



今日も私が「地震経験したことある?」と聞きたくて
"Tu as déjà experiencé des séismes ?"
なんて英語とごちゃごちゃになりながら質問したら
彼の頭の中まで、訳分からなくなったみたいで
"experiencer... non, c'est pas ça...
experim... non...ex... ah... quoi ?”などと
ごちゃごちゃ言いながら頭を抱える始末。

「確かフランス人じゃなかったっけ?」なんて
自分のことは棚にあげてからかうと
うーっ、とひとしきり頭をかきむしった後、
"Faire l'experience ! Ah, oui!"とやっと笑顔に。

彼も仕事では英語ばかり使っている上に
わたしの壊れたフランス語ばかり聞かされるから
フランス語が壊れ始めたみたいで・・・。
これ以上彼のフランス語を壊さないためにも
もっとわたしが頑張って勉強しなくちゃ。
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DASH村まで被災とは

2011年04月25日 23時23分00秒 | 社会
これまで場所は秘密だったDASH村が
実は、福島原発に近い福島県浪江町にあり
今回の事故で避難指定地域になったことを
昨夜の番組で知りました。
DASH村は、2000年の場所選びの時から
ずっとその成長を見守ってきた、
心のオアシスのような場所だったのに。

井戸を掘り、荒地を耕し、作物を育て、
古材で家を建て、瓦や器を焼き、
水車を作り、ヤギを育て、
味噌を作り、しょうゆを作り、蕎麦を打ち。

農業のエキスパートのおじいちゃんや
漬物名人のおばあちゃんに囲まれて、
人間の営みの根っこのようなものがそこにはあって
見るたびに、心が安らいだものなのに。
その村をも、放射能が飲み込んでいたとは。



マイケル・サンデル教授の特別授業という番組で
原発存続か、生活水準を下げるか、という
今回の事故に絡んだ選択を議論していたけれど
これだけの人々の苦悩や悲痛を目にして
原発存続が、どうして選択肢になるのかしら。

原発がなければ、産業が立ちゆかないと言うなら
科学の力で、必ず抑え込めると言うなら
原発を最大の消費都市、東京の真ん中に作ればいい。

原発は、檻の中の恐竜のようなもの。
いったん檻が壊れれば、恐竜は暴れだす。
科学の力は人間に素晴らしい恵みをもたらしたけれど
その限界を認める謙虚さも常に持ち合わせなければ
傲慢が大きな災いをもたらすことを
今回の事故は、嫌というほど示したのでは。

わたしのとってのDASH村のような場所が
福島や数ある原発の周辺に、幾つもあるはず。
そんなDASH村のような町にまたいつの日か、
稲が実り、子ヤギが駆け回る日が来ることを祈りつつ
原発のゆくえを、わたしなりに見届けていこう。
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この海のどこかに

2011年04月22日 23時13分00秒 | 仕事・職場
このところの春めいた陽射しに誘われて
職場の仲間と時折外でランチしています。
昨日はレストランのテラスで
トルコ料理のエスニックランチ。

一体どのあたりが「トルコ風」なのか、
ううむ、な部分はあったけれど
外の空気は、とにかく気持ちが良くて。
少し肌寒かったのをいいことに、
わたしたちだけで、テラスを独占。
鳥のさえずり、船の汽笛、笑い声。

(皆が飲物を取りに行っている間に、パチリ)

先週は、お弁当を持って海辺でランチ。
きらきら光る水面がまぶしくて
行き来する小さな船の汽笛を聞きながら
階段に座り込んで過ごす時間が、心地良くて。

そして心の中ではぼんやりと
数万人の命を飲み込んだあの海と、
この海とがつながっていることに
思いを巡らせていました。

海は気持ちいいし、ランチはおいしい。
同僚とのおしゃべりは楽しいし、
咲き始めた花々に、心は浮き立つ。
そんな幸せな日常が戻ってきたのに
あの日より前の私に、完全には戻れなくて。

わたしの中で何が変わったのかは
自分でもまだ分からないのだけれど。
3.11と共に生きていくって、
多分、そういうことなのかな。
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異動の季節

2011年04月19日 18時52分00秒 | 友人・仲間
染井吉野は殆ど散り透いたけれど
ご近所の枝垂れ桜は、今が見ごろ。
塀越しに、お花見させて頂きました。



そして春は、異動の季節。
かつての同僚だった人たちから
次々とニュースが飛び込んできて。

大阪にいた人は、この春東京に転勤となり、
東京にいる人は、先日コスタリカに出張。
そうしたらコスタリカで働いていた別の人が
神戸の、しかもうちの職場の近所に帰ってきて
わたしの知り合いがやっているNGOで働くことに。
そこは以前契約職員だった人が勤めたことがあり、
その彼女は、今はシンガポール在住。

ああ、もうややこしいったら。
コマを一つずつ動かすパズルみたいで。

でもわたしは相変わらず、ここにいる。
移りゆく時の流れに、取り残されたように。
でもそれが、わたしの役目なのだろうから
この港を守れるかどうかは分からないけれど
みんなの灯台でいられる間は
ここにいて、灯りをともし続けていよう。
帰ってくる場所を、皆が見失わないように。
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安らかに

2011年04月17日 23時23分00秒 | 家族
今日は父方の祖母の50回忌と
「お弔(と)いあげ」の法事で実家へ。
春の訪れが少し遅い山間部の田舎は
桜の薄紅があちこちで新緑に滲み
飽きることのない、車窓からの眺め。

読経の最中、心に浮かんだのは
震災で亡くなった方々とそのご遺族のこと。
50回忌どころか、お経をあげて見送る、
それすら出来ない心情はいかばかりか、と。



このお経が、その方々にも届くようにと
祈りながら、手を合わせていました。
わたしは顔も知らない祖母だけれど
孫の勝手を、許してくれたことでしょう。

おばあちゃん、どうぞ安らかに。
震災で亡くなった方々も、
どうぞどうぞ、安らかでありますよう。
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