ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

ルーブルの光

2013年01月30日 21時04分00秒 | フランス語
最近のCMの中で一番のお気に入りは
東芝のLEDのルーブル美術館バージョン。
お人形のような巻き毛の少女の愛らしさと
ハリポタのダンブルドア校長を思わせる
ミステリアスなご老人との
物語のひとコマのようなすてきな作品。



この映像の中のルーブル美術館は何てきれい。
まさに Comme c'est joli !
わたしがフランスに旅行したのは15年も前。
その時も夜のライトアップは見なかったから
またいつか見に行きたいなあ。
Si on allait voir à l'intérieur !
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いい感じの日々のために

2013年01月26日 22時47分00秒 | 仕事・職場
先週から今週にかけて連日あちこちで
会議だのシンポジウムが続いて
笑っちゃうほど余裕のない日々。
それなのに、何だか「いい感じ」。
おかげでとても勉強になって
刺激もいっぱい頂けたからかな。

今の仕事に変わって、やっと一年。
こんな年齢だけど新人には変わりなくて
勉強しなきゃいけないことがいっぱい。

(寒い中、ろう梅が咲き始めました)

今わたしがしている仕事が
自分の本当にやりたいことなのか、
自分の天職と言えるものなのか、
それはまったく分からないけれど。
今はもう少し勉強してみたいな。

したいことがいっぱいある上に
怠け者だから心もとないけれど
何かをやりたいと思えることが
「いい感じ」に繋がっているみたい。
続くといいな、「いい感じ」。
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今日が人生最後の日だとしたら

2013年01月19日 22時19分00秒 | 自分自身
スティーブ・ジョブズの伝説的な
スタンフォード大学での卒業式辞を
YouTubeで初めてじっくり見て、
やっぱりすごい人だったと、しみじみ。

中でも心に残ったのは、この言葉。
「毎日、これが人生最後の日と思って生きるといい。
いつか必ずその通りになる日が来るから。
そして毎日、今日自分がやろうとしていることが
人生最後の日にやりたいことだろうかと問うことだ。
もし"No"という答えが連日続くようなら
何かを変えなくちゃいけないと分かるだろう。」

(日本語字幕版)

わたしが毎日していることは多分、
人生最後の日なら、やりたくないことばかり。
だから言葉通りを実践するのは難しいけれど
人生最後の日にありたい自分でいるかどうかを
毎日自問してみるのはいいかもしれないな。
今日が人生最後の日ならどんな自分でいたいか。
今の自分のまま、人生最後の日を迎えていいか。

たとえその日やろうとしてることが
人生最後の日にやりたくないことだとしても
そのやりたくないことから逃げる自分でいたいか、
お茶を濁して適当にやり過ごす自分でいたいか、
或いはそれなりに精一杯向き合う自分でいたいか。
誰かに腹を立てていたり、苛々していたり、
そんな自分のまま人生最後の日を終えたいか。

(ちなみにこれは傑作の大阪弁吹替版)

答えが"No"なら、自分を変えればいいから。
人生最後の日にそうありたいと思う自分で
一日を迎えることなら、出来そうな気がして。
そしてそれを毎日、積み重ねていれば
いつかなりたい自分に近づけそうな気がして。
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国家的拷問?

2013年01月16日 21時01分00秒 | フランス語
この年末年始に読み終えたばかりの、
Ted Strangerの"Sacrés Français!"。
フランス在住のアメリカ人による
「ここが変だよ、フランス人」風の
流暢(と思われる)フランス語のエッセイ。
思わず笑ってしまうようなことが多くて。

私も常日頃、綴りには悩まされているだけに
そのややこしい書き取り(dictées)を
torture nationale(国家的拷問)や
dictées sadiques(サディスティックな書き取り)
なんて茶化してるくだりには大笑い。



日本語や英語でもそうだけれど
コンピュータを使うようになってからは
スペルチェックにおんぶにだっこ。
たまに手書きで作文すると悲惨な状態。
créerの女性形過去分詞、crééeなんて
eが何個だったか分からなくなっちゃって。

このままではやばい、というわけで
今年は書くことにも力を入れなくては。
サディスティックな国家的拷問に耐え
今年も更なる上達をめざしつつも
衰える一方の日本語もどうにかしないと。
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何者にもなれぬまま

2013年01月13日 14時31分00秒 | 自分自身
年明け、日頃ご無沙汰してしまっている
様々な友人、知人から近況が年賀状や
FaceBookなどを通じて届くのを見ながら
わたしは何者にもなれないまま
ここまで来てしまったなあ、との思いが。
1年ぶりに連絡を取る方への賀状に
私は○○になりましたと報告出来ることもなく。

同い年で大学の教授になった人、、
有名企業でもう管理職になっている人、
自分で起業して、本まで出版した人、
母として子供をしっかりと育て上げた人、
どれもわたしには出来なかったことばかり。

(みみにゃんも物思い中)

わたしはこれまで何をしてきたのかなあ、
わたしは一体何になれたのかなあ、など
誰をうらやむでもなく、ただぼんやりと
自分の来し方を思い返したりして。

人に誇れるようなものは何もないまま、
結局わたしはわたしにしかなれなかった。
でもどこかで、それで十分な気もしている。
悩んだり、苦しんだり、失敗したりしながら
辿りついた「今」にそれなりに満足してるから。

今後ひとかどの人物になる見込みはないから
きっとわたしは年賀状にはこれからも
「相変わらず元気にしています」くらいしか
書けることはない気がするけれど
「相変わらず」でいられることの幸せを
ちゃんと感じられる自分でいたいと思うばかり。
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