職場の上司が突然、
来月からニューヨークへ転勤することに。
二人しか正職員のいない職場で、一人が転勤、
しかも後任が来るのは1-2ヵ月後というのは
残されるわたしにとっては、大打撃間違いなし。
しかもその上司は、わたしの「小さな楽園」の
大きな柱を成していた方でした。
少なくとも、「今の」楽園は失われる、
それは間違いのないこと。
先日「小さな楽園」と題したブログで
「そしてこのはかない楽園も、いつ壊れるか分からないけど、
何度壊れても、どれだけの別れを繰り返しても、
小さくても温かな灯を自分が灯し続ければ
きっとまた、そこに楽園は生まれる、
そう、信じよう。」と書いたのは、
この今のわたしに言い聞かせるためだったに違いない、
そんな気がしてならなくて。
変な話だけど、今あの言葉がなかったら
わたしは立ち直れなかったかもしれない。
でもあの言葉があるから、今は思える。
きっとまた、楽園は生まれる、と。
きっとわたしの中の何かが、
このことが起こるのを知っていて、
わたしに前もってそう書かせたような、
そんな気がして。
そんな感覚は、実は父が倒れた時にもありました。
もともとこのブログは、家族に自分の近況を知らせ、
普段言えないことを伝えるために始めたようなもの。
だから立ち上げたその日に
「あさっては結婚記念日」と題して
両親に感謝の思いを書き、
4月には「父の誕生日」と題して父への言葉を書きました。
父がそれを読んで涙ぐんでいたと母から後日聞き、
ブログを始めて本当に良かったと、思っていたのでした。
そして5月に父が倒れた時、
不思議だけど、なぜ自分がこのブログを
急に立ち上げる気になったのか、
分かった気がしたのです。
あの時伝えておかなければ
間に合わないことを、
わたしの中の何かが知っていて
わたしを突き動かしてくれたのかもしれない、と。
あの時伝えておかなければ
今の父には、もう伝えらなかっただろうから。
こういうのって、何ていうのかしら。
予知とか、そんな大げさなものではなく。
でもそういうことが、人生には
どういうわけか、結構たくさんあって
偶然という形を取りながら、
様々に助けられてるような気がして
何に対してというわけでもなく
とにかく感謝したい気持ちになるのでした。
来月からニューヨークへ転勤することに。
二人しか正職員のいない職場で、一人が転勤、
しかも後任が来るのは1-2ヵ月後というのは
残されるわたしにとっては、大打撃間違いなし。
しかもその上司は、わたしの「小さな楽園」の
大きな柱を成していた方でした。
少なくとも、「今の」楽園は失われる、
それは間違いのないこと。
先日「小さな楽園」と題したブログで
「そしてこのはかない楽園も、いつ壊れるか分からないけど、
何度壊れても、どれだけの別れを繰り返しても、
小さくても温かな灯を自分が灯し続ければ
きっとまた、そこに楽園は生まれる、
そう、信じよう。」と書いたのは、
この今のわたしに言い聞かせるためだったに違いない、
そんな気がしてならなくて。
変な話だけど、今あの言葉がなかったら
わたしは立ち直れなかったかもしれない。
でもあの言葉があるから、今は思える。
きっとまた、楽園は生まれる、と。
きっとわたしの中の何かが、
このことが起こるのを知っていて、
わたしに前もってそう書かせたような、
そんな気がして。
そんな感覚は、実は父が倒れた時にもありました。
もともとこのブログは、家族に自分の近況を知らせ、
普段言えないことを伝えるために始めたようなもの。
だから立ち上げたその日に
「あさっては結婚記念日」と題して
両親に感謝の思いを書き、
4月には「父の誕生日」と題して父への言葉を書きました。
父がそれを読んで涙ぐんでいたと母から後日聞き、
ブログを始めて本当に良かったと、思っていたのでした。
そして5月に父が倒れた時、
不思議だけど、なぜ自分がこのブログを
急に立ち上げる気になったのか、
分かった気がしたのです。
あの時伝えておかなければ
間に合わないことを、
わたしの中の何かが知っていて
わたしを突き動かしてくれたのかもしれない、と。
あの時伝えておかなければ
今の父には、もう伝えらなかっただろうから。
こういうのって、何ていうのかしら。
予知とか、そんな大げさなものではなく。
でもそういうことが、人生には
どういうわけか、結構たくさんあって
偶然という形を取りながら、
様々に助けられてるような気がして
何に対してというわけでもなく
とにかく感謝したい気持ちになるのでした。