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おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

自己チェック

2011年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム
トイレへと続く廊下に鏡が下がっている
 
もちろん、我が家の話
外出時、最終の判断を仰ぐために吊り上げられた
 
「鏡よ鏡よ鏡さん・・・・」
 
ってことだ
 
少し前までは姿見もあったのだが、
夜中にトイレに行くときに、自分以外の“何か”が
写り込んでいると嫌なので、撤去した
 
このブログを書くまえに尿意を催し、
トイレへ急ぐ
そして帰り道
鏡に自分の顔を写すと、そこには見慣れぬ顔が・・・・?
 
(ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!) 
 
って思った貴方
嘘ですよ、嘘
 
そこに写っていたのは、油ギッシュな顔をした僕
 
(キモっ!)
 
とは思わないが、見事なテカリ具合に、少し凝視した
 
で今日のブログ
 
一ヶ月に一度ほどは、自分の書いた記事を読み返す
我ながら、オモシロいと思う日もあれば、
この日はかなり苦労していると、
知っているからこそ、その筆の進み具合に同情してしまう
日がある
 
読み返すのは、自分の才能を確認するためではなく、
過去にどんなことを書いているのか?を確認するためで
極力同じことは書きたくないが、
日常が平凡だから、波乱万丈な半生を書き記すような
著名人のブログと比べれば、見劣りするのは
仕方が無いこと
 
週末ならいざ知らず、
作業場と自宅を行き来し、
スーパーに買い物に行くぐらいで、
記事になる事が、毎日ある訳もなく・・・・
 
会話の中ですら、一度話した事を
ドヤ顔で喋り終えてから反省することもあるのだから、
これだけの行間を埋めるために、
過去の記憶を引きずり出して、同じような事を書くことが
無いとは言えない
事実、似たような記事を目にする
 
しかし、それで凹んだりはしない
 
記事を読み返すことは、
いわば自分を振り返ること
これでいいのか?と確認する作業でもある
 
そう、外出時に鼻毛チェックをする、
あの鏡を覗くのと一緒だ
 
 



ラジオ放送

2011年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム
仕事の手が止まる
 
一日中、作業場に流れているラジオ放送
何気なく耳に入ってくる事がほとんどだが、
時折、その声に耳を傾ける
 
デジャヴ?
 
軽快なリズムでキーボードを叩いていた指が止まる
 
(これ聴いたことあるぞ?)
 
まさに既視感
デジャヴです
 
いや、正確にはデジャヴではないでしょう
一言一句違わないその内容は
リスナーからの投稿メール
オモシロエピソードを、あらゆる放送局に送ったに
違いない
それが時を隔てて、採用されたに過ぎない
 
ラジオを聴いていると、
他にも“あるある”な場面に遭遇できる
 
明日なら、今日のサッカーの話題が出るだろうが、
各番組の冒頭でその話題は出るであろうと
想像がつく
 
「いや~、凄かったですね!日本代表!」
 
嬉しい話題は何度聞いても無問題だけど、
文字通り、何度も聞いていると、
少々うんざりする
 
ラジオは基本生放送
で、パーソナリティは変わるものの、
前後の番組の、基本的な作りは
さほど変化がない
 
ざっくり言えば、リスナーのお便りを紹介し、
リクエストを流し、世間話や、告知をする
テレビのように、ワイドショーをやって、
再放送ドラマをやって、またまたワイドショーをやって
ニュース、バラエティ、スポーツ中継、またまたニュース!と
やるわけでもない
 
同じような番組の作りなら、
必然的に、同じ会話が繰り返される
 
パーソナリティにしてみれば、今日初めて喋る事でも、
リスナーにしてみれば、
朝からずっと聞かされる羽目になる
 
出来れば、午後のパーソナリティには、
少し捻った冒頭の話題を提供して欲しい
 
まぁ 
 
そんなに真剣には聴いてないんですけどね
 
すみません
 
 



登録完了しました

2011年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム
携帯の小さなランプが緑色に点滅している
 
メールを受信したようだ
胸が高鳴る
まるで恋人の電話を待つ、昭和の女子のように
人目を避けるように、携帯だけを持ち、
自分の部屋へと足早に駆け上がった
 
(誰からだろう?)
 
まるで昭和の女子が、自分宛に来た封筒を前にして、
高潮する自分を落ち着かせるように
深く深呼吸をする
そっと携帯をあける
こう言うとき、背面画面がない携帯は不便だ
いや、ドキドキ感を味わっているのだから、
今日の所は、演出に一役買っている
 
見知らぬアドレスが現れる
 
登録してあれば名前がディスプレイに表示されるはずだから、
これはなんだ?と訝しい気持ちになる
はて?最近とんと姿を見せることのなかった迷惑メール
だろうか?
 
一応、開けてみる
 
(あぁ)
 
アドレスを変更したから、登録しなおしておいて下さいって言う、
連絡とお願いを兼ねたメールだった
しかし、名前が無い
アドレスから推測してみるが、名前の片鱗もなさそうな
ランダムなアルファベットが羅列してある
同じアドレスのメールがもう一通届いていることに気付く
いや、最初から同じアドレスが二通あった事を
思い出しただけ
 
(もしや・・・)
 
予想はあたっていた
名前を忘れていた!と言う、後追いメールだ
 
最近、こういったメールが多い
スマホにでも鞍替えしたのか?と
思ってみるが、殆どの人は違うようだ
いや、スマホのアドレスがどうなっているのか分からないので、
深くは考えないが、どうなんだろう?
 
それにしても
こんな事で浮き足立つぐらい、
最近、メールがない
飲みのお誘いもとんとない
こっちからした方がいいのか?なんて思うが、
それはもう少し先だ
 
アドレスを変えるってどういう時だろう
今時、スパムも考えにくいし・・・
 
僕も変えてみようかな?
でも、連絡するのが面倒だし
 
スマホに変えた時でもいいよね
 
 
 



シークレットゾーン

2011年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム
110805_085507
 
読書の時間は大切だ
 
仕事から帰宅
夕餉の支度を終えてからの時間は
貴重な読書タイムだ
 
それまでも西村京太郎の推理小説を好んで読んでいたけど、
昨年の9月あたりから、再び興味を持ち始め、
今年に入ってからは、
 
“年間50冊読破”
 
を元旦の計に盛り込んで、没頭してきた
 
最初は周りの音が気になった時期もあったが、
床屋のテレビの音も、喫茶店で隣のオッサンが
大声で話そうとも、
店内を流れるBGMと一緒に、気にならない
 
しかし、家の居間では少し違う
 
テレビが流れていると、ニュース画面に
目が入ってしまう
 
1人になって読書に専念できる場所は・・・・
 
自分の部屋以外にない
 
快適な空間を独り占めして、昨日から読み始めた
“サウスバウンド”上巻の栞を挟んだページを開く
なんと貴重な時間か!至福のひとときだ
 
読み進めていくうちに、
子ども部屋のことが気になった
小説の中に、そんな件が出てきたんだろう
そういえば、僕が最初に自分の
 
“空間”
 
を手に入れたのは、いつ頃だったか?
 
記憶があるのは、タンスで仕切られた小さな空間
親子4人で一緒に寝ていた部屋を
“子ども部屋”と称して区切ってくれた
部屋がそこに出現したわけでもなく、
扉もなければ、プライバシーもない
寝るときだけの部屋なのだから、
プライバシーもあるはずもなく、
記憶が正しければ、まだ小学生でもなかったかも
知れない
 
しかし嬉しかったのは、いまだに覚えている
 
自分だけの空間を与えられた
まったくの見当違いだとしても
どこかで“オトナ”として扱ってもらったように感じたのかも
知れない
 
オヤジたちも、僕が喜んで、さぞ安心しただろう
 
妹が生まれたのは、そんな頃だったと思う
 
 
 



“地産”地消ではない

2011年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム
アナログ人間である 
 
とは思わない
必死に時流に乗ろうとしている点で、
すでにデジタリアンではないのかも知れないが、
ツイッターやフェイスブック、そしてこのブログを
取り仕切っている点をとっても、
アナログな人間であるはずがない
 
と、自分に言い聞かせている事が
そうとは自分で思っていないのかも知れない証拠だ
 
音楽は未だに持ってCDを購入する
CD自体はデジタルなはずだから
それを買い求める事は、アナログなのか?と
自問しては見るものの、
このご時世にダウンロードとは何ものぞ!と
形あるものを買い求めるのは、
アナログラーと称されても差支えがない 
 
110807_183713
 
そんなCDを買いに出掛けた
 
最近はラジオをradikoで聴いている
ネット経由でラジオ放送をパソコンで聴いている
これは凄く便利だ
 
なんといってもノイズがない
電波に左右されることがないので、
いつもクリアーだ
 
そしてもっとも気に入っている機能が
いま、まさに今流れている曲が
なんと言う、誰の楽曲か?ということが直ぐにわかる
これはありがたい
 
ラジオは、聞き耳立てて、一言一句聴いている時は少ない
せいぜい、中高生が深夜ラジオの
なんとも愉しげなコーナーに息を潜めて聞き入っている
時間帯以外にはないものだと思う 
 
だからこそ、今流れている曲が
たとえ気にいったとしても、それを確かめる術が
今まではなかった
 
昨日、仕事中に気に入った曲のアーティストの名を
メモって、今日買いに出掛けた次第
radikoでラジオを聴き、その情報で
CDを買いに出掛ける
 
ダウンロードしないで買いに出掛ける点においてはアナログだが、
生活感はデジタルそのものではないか?
 
ただ、そのCDを購入する店はいつも決まって地元の店
 
「地産地消だぁ!」
 
と、少し的外れな理由で足を運ぶ僕の考え方は、
やっぱりアナログよりなのかも知れない