おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

返したつもりでいたんだけど

2017年01月26日 | 日記
中学三年生の冬、
好きな女の子に告白をした

家では家族が周りにいるので策を練る
そして、家から最寄りの電話ボックスに向かう

冬だと言うのに、寒さは感じない
逆に、暑さを感じるほど

当時はもちろん家電しかなく

「誰だ、君は!」

そう言われたときの、
対お父さんシミュレーションを何度も
脳内で繰り返していた

いざ!

電話口に登場したのは弟だった

当時は友達の家に電話をかけるにしても
一度、相手先の家族が出てから
取り次いでもらう形式が取られていたので、
それが「お父さん」なのか「お母さん」なのか
はたまた耳の遠い「おばあさん」かによって
その障壁は違った

時代は流れ、携帯時代へ

家に電話をかけることは少なくなり、
対個人へとその形態は変わっていった

「もしもし、◯◯さんのお宅ですか?」

の確認も必要ではなく

「◯◯くんは御在宅でしょうか?」

なんてまどろっこしい取次もない

ダイレクトに連絡したい相手につながる

さらにそれは進化して、
いまや簡単なやりとりなら、
LINEを使う

双方向の連絡方法は、書面に約束事や
予定を残すことによって、連絡を簡易にした

既読の表示が出ることで、相手に伝わっていることを
確認できることも大きい

しかし

便利な物は同時に、新たな軋轢も生む

既読スルーってやつだ

送ったのに、反応がない!と言うことは
昨今、中高生の間ではストレスの要因にも
なっているようで、
それは大人としても、対岸の火事ではない

昔、

「あいつ、俺が風呂に入ってるのに電話してきた!」

なんて、何に怒っているのか
不思議な怒りを聞いたことがあったが、
すぐに返信をしないと

「怒ってるのかな?」

なんて、無粋な推理をされかねない

裏を返せば、
思い当たることがあるから、そんな心配が浮かぶんであって
自分にやましいことがない限りは
返信がすぐになくても

「いまは、手が離せないんだろうね!」

って思うのが通常だろうと思う

便利になることは
同時に、いろんな事が不便になるってことなんだと
思ってしまう
 
 
 
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日常を教えるということ

2017年01月19日 | 日記
とある団体の会議があり、
隔月で勉強会を開催しているが、
昨夜はその日に当たっていたわけ

団体構成員が自ら講師となり、
自分の仕事を紹介するって授業内容

昨日はプロパンガス販売業の構成員が
その経験と、ガスの種類やらエネルギー問題に及び
最終的には、日本経済を含めた今後の
世界情勢への鋭い切り口と共に
プロパンガス普及と、オール電化に対抗する
強い意識を宣伝して万来の喝采を浴びて終了した

今回で3回目となるが、
1回目はテレビ番組の「しくじり先生」を
リスペクトした内容で授業が行われたが、
これは初回という手探り状態だったということを
加味しても、なかなか演出がよかったと思った

2回目は、地元の織物業の熱い思いを
ご享受いただいた
その熱い思いは止まるところを知らず、
時間が過ぎてもしゃべり続けたが、
力技で、そのトークはまとめられた

そして今回だ

どの話も知らない世界の話なので
新鮮味を持って伝わってくる

業界の裏側の話も、そこはかとなく教えてくれるので、
今度街角でプロパンガスを運ぶ車を見かけると、
いままでは違う感情を抱きそうだ

そして思う

自分が自分の仕事を他人に教えてることは
出来るだろうか?

ただなんとなく、とは言わないが、
そんなに深く、いまの仕事を理解しているとは
自分でも思えない

ある意味、人にうまく説明できない自負があったりする

例えるなら、
外国に行って、日本語を教えるようなものだろうか

日常使っている日本語なれど、
それを使ったことのない人に教えるのは、
どうすれいいのか、少々悩むだろう

「こんにちは」「さようなら」「おやすみなさい」

挨拶等の単語は簡単だろうが、
日常会話となると、やっぱり難しいと思う
 
 
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己の信じた道に他人の評価は関係ない

2017年01月18日 | 日記
義理と人情にあつく!とは少し違うが
物事、筋を通すべきだと考える人は多い

かくいう私も、そうありたいと思ってるひとりだ

筋を通すとは、行動であり、態度である
それは文字通りの動きであると同時に
言葉や文字に落とした場合でも、同じことだ

無理を通せば道理が引っ込むの言葉があるように
それは人間関係の上で、守るべきことだと思う

が、しかし

それは自分のポリシーであり、
自分の生きる指標だと思う

それを他人に期待したところで、
他人の行動までコントロールすることは不可能だ

「それでは筋が通らない!」

と、憤慨してみたところで、
それはこちらの思惑の中で動いてくれない不満であって、
そのことでイライラしても
自分の健康を害するだけで、なんの効果もない

自分を持つことは大事だ

流されない強さも必要だろう

時には柳の枝のように、
風に吹かれる柔軟さも大切だと思うが、
そこには一つの「芯」があって然るべきだ

それを見失わない限り、
自分が自分であり続けられる

他人のことは、見守るべきであるし、
助言はするべきだとは思うが、
自分と同じ思いで動いてくれないことを
悲しんだり、怒ったりする必要はないと思う

自分がたとえ少数派になろうとも、
筋を通した自分を信じるならば、
何も怖がることはない

間違ったことをした人を批判する必要もない

その時間を自分のために使う方が
人間らしい生き方というものだ



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美談を美談として語る

2017年01月07日 | 日記
女子高生が散乱した古紙を拾ったと
記事になっていた

たまたま現場を通りかかった彼女は、
道に広がっている古紙を
見過ごすことができなかった、
見過ごす自分が嫌だったとして、
コンビニでゴミ袋を買い求め、
信号が変わるたびに、その古紙を拾い集めたそうだ

通報によって駆けつけた警察官をみて、
三つになったゴミ袋の処理に困っていた時だったので、
安堵の涙を流したそうだ

美談だ

これこそ、美談ではないか

彼女はなんの見返りみ期待せず、
その場をやり過ごす自分が許せないと、
その行動をとった

世知辛い世の中である

こんな行動さえ

「偽善者だ!」

と、時にはその矛先に晒せれる世の中である

自分に置き換える

見過ごせないことは山ほどある

でもそのほとんどを僕は見過ごして済ます

「僕の責任ではないから」

それが僕の言い分だ

でも

確かにそれは、気持ちのいいものではない

スーパーの駐車場に空き缶が落ちていたら
どうするか?

拾ってゴミ箱まで持っていく?

店内の買い物カゴが置き忘れられていたら、
カゴ置き場に戻すか?

そのほとんどの場合、自分なら
自分に関係のないことだ!とやり過ごし
偽善者と思われないようにと、
その場を逃げることを選ぶような気がする

たまには、空き缶を拾う時もあるが、
それは偽善の心がないとも言い切れない

彼女のことを表彰した警察に
なんの思惑もなかったと思いたい

素直に彼女の行動に感謝したと思いたい

これは、みんなに知ってほし美談だ



コメント (1)
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