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おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

理由

2006年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム
緊張感から解放された瞬間は、ゆったりしたいものだ。

仕事帰り。
ポケットから取り出した煙草に百円ライターで火を着ける。

(ふぅ~ =3 )

ぷっかと煙草の煙りが漂う。
至福のひととき。ラジオをつけると、軽快な音楽が流れる。

(あぁ、今日も頑張ったなぁ、偉いぞオレ!)

そんなゆったりとした時間が愛おしいが、周りの車もそうとは限らない。
ぴったり後ろに付いて来るトラック。
彼はまだ仕事の真最中なのだ。

「追い越してください」

そう思ってもぴったり付いたまま。

せっかくの“至福の時間”が邪魔される。

考えてみれば、色々な事情を抱えたドライバーが走っているのだ。

トラックの運ちゃんのように、仕事に精だす人。
急病で倒れた親族の元へ急いでいる人もいるだろう。
中には、ただただ飛ばしたいだけのヤツもいるはずだ。

「あっ、もうこんな時間? ちぇっ、テレビもゆっくり見てられへんわ。
 けど、迎えに行かな怒るからなぁ~。
 まーくん、おばあちゃんとお留守しててなぁ。
 パパ、今からママを迎えに言ってくるからなぁ~。
 えっ? お土産? あぁ、ママが買ってきてくれてるよぉ~。
 えっ? 仮面ライダーカブトのベルトが欲しいの?
 う~ん、そやなぁ~、ママが買ってるかなぁ?
 (これ、オレが買わなアカンやんけ!)
 うん、ほな行ってくるわぁ! オカン頼むで!
 ほんま、勝手に旅行行っといて、迎えに来いって、
 疲れるわぁ~ほんま。
 あっ! 財布わすれたぁ! もぉ~取りに帰るか。
 おっと、まーくん、ママはまだ帰ってないよ。
 パパ財布忘れたからねぇ~
 えっ、まーくんも一緒に行きたいの?
 う~ん、おばちゃんとお留守でけへんの?
 まーくんは偉いから、出来るでしょ? ねぇ?
 うん、偉いぞ。ママはすぐ帰ってくるからねぇ~
 ほな行ってくるわぁ! オカン頼むで!
 えっ何? オカン用事があるの?
 そんなん言うてへんだやないかぁ!
 ほなええわ。まーくん、一緒に行こか!
 早よ、車に乗って。
 えっ? ウルトラマンが居らへん?
 そんなんええやん、早よ行かな、ママ怒ってるよぉ~
 泣いたらあかんで、まーくんは偉い子やろ?
 早よ、ママ迎えに行こなぁ
 (ほんま疲れるわぁ~)
 さぁ、行こう。
 えっ? ボウケンジャーのMDかけるの?
 (さぁ、どこへやったか?)
 あっ! あったわ。ほなこれ聴きながら行こかぁ!
 おっと、携帯が鳴ってるやんけ。なんやこんな時に誰や?

 はい! おぉ、今、迎えに行くとこや。
 えっ、遅いって? あっ、ゴメンなぁ。
 急いでるから、そんなに怒るなやぁ~。
 もぉー、もうちょっとぐらい待たれへんかぁー!

 わかった、わかった、急いで行くがなぁー」

こんな親子連れもいるはずだ。

二本目の煙草に火を着けるため、路肩に車を止めた。

「大変ですね、お父さん」

車内に広がる煙りを見つめながら、ゆったりとしたひとときを噛みしめた。
 
 



2006年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム
血を吐くほど、何かに打ち込む事はあるだろうか?

久し振りに連絡を取ろうとした友人に繋がらない。
最近、新しい仕事を始めた噂を耳にしたが、忙しくしてるのだろうか。

数日後、履歴を見た友人からの電話が鳴った。

「ごめん、オレ、入院してたんや」

唐突な会話にびっくりしながら気遣うと、

「今日退院したんやぁ!」

明るく答えた。

病状を詳しく説明してくれたが、覚えていない。
血を吐いて緊急入院だったと言う事だけが、耳に残っている。

「仕事はどうなん?」

声にした後に、少し後悔した。
もっと気遣うべきだったかなと思った。

「順調かな」

あいつなら、それなりに成功するだろうと思った。

電話を切った後、自分の事を改めて振り返る。

最近、仕事も結構忙しく、用事も多い。
今週も残業があったり会議に出席したり。
火曜日には研修にも参加した。

一日の始まりが何処で、いつ終わったのかワカラナイような生活。

しかし、僕はまだ

“血を吐く”

程の決意で何かに打ち込んだ事がない。

不満を言ったり、誰かに八つ当たりしたりしながら、
ストレスを溜め込まないようにしているが、
自分の決意とはそんなものだったのかと後悔する事の方が多い。

胃が痛むような経験ならある。眠れない夜もある。

しかし血を吐く事はない。

僕の意見は、否定される事がしばしばある。

「それは、違いますよぉ!」

全否定。

其の度に迷う。絶対的自信と経験に裏打ちされた考えが
僕にはないのだろうかと悩む。

部屋の灯を消して、目を閉じると様々な思いが駆け巡る。

将来の事を考えれば不安である。
誰でもそうなんだろうけど、
自分に自信のない僕としては、これでいいのか?これであっているのか?
と、自問自答を繰返す。

最近は文章に残す事にしている。
少しでも思いたった事があれば、パソコンに書き残す。

誰かに語りかけているようにも思うし、
打ち込んだモノを読み返してみると、励ましてくれているよう感じる。

裏を返せば、僕の悩みなんてそんな程度なのかも知れない。

僕はまだ、血を吐くような決意で物事に打ち込んだ事がない。
 



どっち?

2006年10月06日 | スポーツ
昨年に引き続き、今年も代表選手に選出された。

初選出された昨年は、思うような成績を残す事が出来なかった。
甘かった。考えが甘かったようだ。

徐々に奪われる体力。脚も思うように動かない。
まるで地面に突き刺さったように、一歩も動けないのだ。

いや、実際、突き刺さっていた。
ぬかるみに脚を取られ、逃げようにも逃げ切れない。

そう、それが、それこそが

“泥んこドッヂボール”

である。

この季節になると、田圃を使った“泥んこ”競技が開催される。

バレーボールにビーチフラッグてのもある。

ガタリンピックの規模を小さくしてパクったような企画だ。

田園広がる田舎ならでは、秋の風景だ。


以前のブログで“ビーチドッジボール”の事を書いた。
これもこれで、疲れるスポーツだ。

年齢的にも足腰は確実に衰えている所に、
不安定な場所での運動は、気力まで消耗してしまうハードなスポーツになる。

でも、ビーチドッヂボールにはまだ

“爽やかさ”

が残されているが、泥んこドッジボールには、

“過酷さ”

だけが浮き彫りになるような、疲労感と少しの達成感しか残らない。


それでも場の雰囲気も手伝って、楽しい一時だったりもするわけだ。

対戦相手も、パフォーマンスに興じるお兄さん達から、
可愛い女子中学生、職場のOL仲間的なお姉さん達も集まる。

ルールも独特だ。

水を張った田圃で行われるこの競技。
ルールはもちろんドッヂボールと変わりはないが、

“水面から出ている部分”

に当てないといけない。


「水面から出てる部分って、殆どじゃん!」

いやいや、これを拡大解釈すれば、このルールの盲点が浮かびあがる。

つまり、

“水の中にある部分に当たっても、セーフ!”

早い話が、

“泥水の中に全身浸かってしまえば、当てられない!”

って事。

このルールを活用した猛者がいた。
いや、逃げようとして偶然、全身が泥の中に埋没しただけであった。

昨年経験したモノとして、
あくまでも“勝利”にこだわるのか? それとも“楽しむ”事に主眼を置くのか?

今年は、どっちで取り組むべきかな?

どっちだろう?

どっちだ・・・・


そういえば、“ドッジボール”と“ドッヂボール”

どっちが正解かな?
 
 
 
う~ん、どっちだろう?
 



型枠

2006年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム
以前から気になっている事がある。

「男って嘘が下手なのよねぇ~、女にそんな嘘は通用しないわよぉ!」

嘘がどうのこうのって話じゃない。
どうもこの“一括り感”に違和感を感じる。

まぁ、「こうだ!」と断定しているわけじゃなく、
傾向の話なんだろうけど、

“男とは”“女とは”

と一定の法則で言われても、

“「なんだかなぁ~」by 阿藤快”

ってな感じだ。

タニムラシンジが言っていた。

「僕は、女性、男性だけじゃなく、男男、男女、女男、女女の性別があると思う」

面白い発想だと思う。

テレビなんかで、それぞれの立場で言い争いをしている場面に遭遇するが、

(ほんとうに、そうかぁ?)

と思う。
どちらも自分に不都合な立場になると、巧妙な言い訳をしている。

血液型にしてもそうだ。

人間、四種類に分別なんて出来ないだろうと思う。
まぁ、これは話の“ネタ”としては、使えるし、
同じ血液型なら、盛り上げる事も出来るだろう。

ネットでの血液型診断が出来るらしい。

まずはインスピレーションで三枚の絵の一つを選ぶ。
そして、自分の血液型を入力。
すると、2枚の絵が表れるので、もう一度、印象に残る絵を選ぶ。

画面に自分の性格判断が表示される。
それを読んだ人の内、85パーセントが

「当たっている」

と解答したそうだ。

これには裏があって、表示される性格は、どの血液型を選んでも
同じモノが表示される。

同じモノなのに、

「当たっている」

と感じるらしい。

占いでもよくあるじゃないですか。

「あなたの家のには、古く大きな木が植えてありませんか?」

YESと答えれば

「やっぱり・・・・・」

NOと答えれば

「無くて良かった!」

と。

血液型にしても、性別にしても、
曖昧な部分を残しておくと、自分にとって耳障りの良い情報だけを
選んでいるだけではないかと思う。

結婚後も仕事をする女性も増えたし、主夫もまだまだ市民権を得たとは
言い難いが、抵抗感はなくなりつつある。

そんな状況でいつまでも

「女はこうなの!」「男はこうなんだぁ!」

と言われても、説得力は徐々になくなりつつあると思うんだけどな。


ただ、女性が嘘を見抜く力は改めて凄いとは思う。


(えぇー!? なんでわかったん?)


女性の才能と言うよりは、

ただ単に男が単純だと言う意見はこの際・・・
 



林檎

2006年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム
毎日食い続けた林檎が、あとわずかとなった。

毎年、青森から林檎が送られてくる。青森と言えば林檎。
送り主は、オヤジとオカンの友人のようだ。

詳しくは知らないし、聞く事もないが、
オヤジ達が旅行した時に知り合った人らしい。

もう5~6年経つだろうか?
フルムーンでもないが、オヤジ達は夏に毎年旅行をしていた。
訪れた先の青森で良い出会いがあったのだろう。

毎年送ってもらえる林檎だが、少々困った事もある。

「お返しは何にしたらええと思う?」

毎回、こちらから贈るモノに迷ってしまう。

名物がない。

全国的には無名でも、とびっきり美味しいモノがあればいいんだが、
それさえ無い。

「饅頭じゃねぇ~」

結構地元では有名だと思うが、林檎のお返しが饅頭ってのも・・・


山陰の方に親戚が居て、昔はよく梨やカニなどを送ってもらった。

当時はカニの味も分からず、また大人達だけで食べていたのだろう。
カニを食った記憶は残念ながらない。

梨は段ボールで1箱、ドーンと送ってもらっていたので、
大人数の家族であったが、4~5個ぐらいは1人ずつ分けられた。

当時の食卓にはテーブルではなく、卓袱台の大きいバージョンといった
机が置かれたいた。
そして、引き出しがついている。

各自、座る場所が決まっていて、
その引き出しの中に、茶碗や箸、大人達は湯呑みまで入っていた。

毎年送られてくる梨。
段ボールの中からオカンが取り分けて渡してくれる。

緑色の紙で覆われた梨。

それを大事に引き出しにしまう。

いつ食べるかは、個人の判断に委ねられる。

が、弟はいつも貰った時に、食べ終っていた。

「年上なんやからぁ~」

僕が食べようとした時には、何故か弟にも分けていた。

半泣きの僕。


でも、次の朝ごはんを食べる時、引き出しを開けると、
食べて減ったはずの梨が、何故か増えている。

誰が入れてくれたのか調べる事もなかったが、
そんな気づかいをしてくれた事を、嬉しく思ったものだ。

今年の林檎も、もうすぐ食べ終る。

僕自身、一度も逢った事のない人からの贈り物。

毎日食べながら、昔の事が鮮明に甦った。