「学校をもっと楽しいものにしてほしい。」
「勉強は楽しいものだということを教えてほしい。」
「そのためには、先生も授業を楽しんでほしい。」
「教育に望むもの」についての話をしていると、(主に親たちの間から)よく「楽しい」というキーワードにこだわった意見が出てくる。
確かに一面もっともだと思うのだが、
私は「楽しさ」というのは学習の一要素(それも原始的な)にすぎないと思っている。
学習を“食”にたとえるなら、楽しさというのは「美味しさ」に当たるものだと思う。
食の目的は当然ながら「栄養の摂取」だ。
しかしながら、「美味しさ」の要素が重要であることは間違いない。特に幼少期においては…
小さな子どもにとっては「なぜ食べるのか?」の理由は「美味しいから」で十分だろう。
しかし、「美味しさの追求」が本来の目的である栄養摂取を忘れさせてしまっては本末転倒だ。
ただ美味しいからという理由でお菓子だけを食べ続けたり、
嫌いだからという理由で野菜を食べないなどといった摂食行動では、体力はつかないし、ゆくゆくは体を壊してしまうことになる。
「学び」においても同じことだ。
「楽しいからやりたい(やる)」
「楽しくないからやりたくない(やらない)」
幼少期を過ぎてもこういう基準から離れることができないでいるならば、本当の意味で“知の体力”を育てることはできないだろう。
もちろん、嫌いなものを無理やり口に押し込むだけのような教育は有害だが、
「嫌いなものはやらなくていい」式の教育も同じくらい有害だということには、残念ながら気づくのが難しい。
「楽しさ」や「美味しさ」は、下手をすれば目先の快楽の追求に終わってしまいがちだということは、子どもを育てる上では常に気をつけておきたいことだと思う。
「勉強は楽しいものだということを教えてほしい。」
「そのためには、先生も授業を楽しんでほしい。」
「教育に望むもの」についての話をしていると、(主に親たちの間から)よく「楽しい」というキーワードにこだわった意見が出てくる。
確かに一面もっともだと思うのだが、
私は「楽しさ」というのは学習の一要素(それも原始的な)にすぎないと思っている。
学習を“食”にたとえるなら、楽しさというのは「美味しさ」に当たるものだと思う。
食の目的は当然ながら「栄養の摂取」だ。
しかしながら、「美味しさ」の要素が重要であることは間違いない。特に幼少期においては…
小さな子どもにとっては「なぜ食べるのか?」の理由は「美味しいから」で十分だろう。
しかし、「美味しさの追求」が本来の目的である栄養摂取を忘れさせてしまっては本末転倒だ。
ただ美味しいからという理由でお菓子だけを食べ続けたり、
嫌いだからという理由で野菜を食べないなどといった摂食行動では、体力はつかないし、ゆくゆくは体を壊してしまうことになる。
「学び」においても同じことだ。
「楽しいからやりたい(やる)」
「楽しくないからやりたくない(やらない)」
幼少期を過ぎてもこういう基準から離れることができないでいるならば、本当の意味で“知の体力”を育てることはできないだろう。
もちろん、嫌いなものを無理やり口に押し込むだけのような教育は有害だが、
「嫌いなものはやらなくていい」式の教育も同じくらい有害だということには、残念ながら気づくのが難しい。
「楽しさ」や「美味しさ」は、下手をすれば目先の快楽の追求に終わってしまいがちだということは、子どもを育てる上では常に気をつけておきたいことだと思う。
最終的には話術のテクニックよりも人間性ですね、結果として勉強を教わった以上の物が残ります。
こういう時こそ子供の純粋性が発揮されて、先生への好き嫌いが顕著に出てしまいますよね。
単純に好きな先生から教わった授業は身に付くという事、先生方は自己を磨く作業を欠かさないで欲しいと思います。
反省して真面目に考察。
「子供」すなわち小学・中学についての「先生の人間性」についてはヤマ親爺さんに同意。
高校生になると少し変化すると思う。およそ3種類の先生に分類される。
1.人間性が悪くて、教え方も下手。
2.人間性が良いが、教え方が下手。
3.人間性が良くて、教え方が上手。
問題は2と3が存在することである。
かの「めすねこ」女史は物理が苦手で理系になれなかったと言っていたが、おそらく、2のタイプにあたったと思う。私は物理は3、英語や数学は2のタイプであった。実は3は存在が少なく、「予備校のカリスマ教師」がもてはやされるゆえんである。
でも、最近はそんな人達が執筆した参考書が書店にはたくさんある。「カリスマ」でも、その子には合わないこともたくさんある。ぜひ、その子自身がたくさんの参考書から、「現在の自分にあった」参考書を選んで欲しい。
閑話休題
こんなサイトを見つけた。
http://www.asahi.com/edu/ijime/index.html
朝日新聞は「朝日の記者」が書かない場合、かなり面白い特集を組む。さすが、大新聞である。
「朝日のベクトル」が解っての上なら、朝日のサイトは充分に見る価値がある。
すばらしかったですか?
私はそうじゃなかったです。
でも耐える方法はわかってました。
試験の成績がよければ嬉しいし、
好きな子と仲良くなれたら最高でした。
しかしそれは学校が楽しい、
すばらしい場所である事とは関係有りません。
でも大多数はそこに通います。
何故か?
戦場に送り込まれる兵士と同じです。
兵士は勇敢になりたくて勇敢に振舞うわけではありません。
馬鹿にされたくないから卑怯なまねをしないだけです。
学校に通うのも同じでしょう。
学校こそが社会から強制された唯一の物です。
みんなが行くから馬鹿にされたくないから。
でもそれでよいと思います。
学校が楽しくなんかあってはいけない。
楽しかったら「自分の意思で何かを達成できなくなる」からです。
つまり、楽しい学校とは教育の目的に反しているのです。
学校が不要と言っているんじゃありません。
学校は不快なものでなければならないと言っているんです。
親御さんたちが楽しい学校を、
子供達が進んで通う学校を望むのはわかりますが、
それは決して子供達の教育にプラスとなるとは私には思えないのです。
え?そういうことじゃない??失礼しました~(^^;)
「無能が無知に無用を詰め込むところ」なんていう人もいます。
ま、授業は確かにつまらない時間でしたが、自分は好きな科目だけは熱中してましたねぇ~(笑)
学校自体はつまらないところですが、自分の楽しみ方を見つければいいと思っています(爆)>子供たち
ありがとうございます!!
実は、このエントリに限っての私の主張は、
ハンニバルさんのご意見に近いところにあります。
極論すれば
「学校は楽しい場所である必要はない!」です。
もちろん、これが真実の全てだと言うつもりもないし、この視点にとらわれすぎると他のものが見えなくなる危険もあるのは承知の上です。
でもあえてエントリにしてみたのは、
他でもない自分自身が
「子どもに楽しい学校を!!」
の罠にとらわれすぎていたからなんですよね…
とはいえ、ヤマ親爺さん・よねさんのおっしゃる
「先生との関係性」から見てみると、また別の切り口が見えてきますね。
実は、ここらへんの話は次にエントリで書こうとしていたことにつながってくるのです。(duca-meさんのご意見にも多少つながりアリ)
というわけで、お返事がてら記事にしてみますので
次回をお楽しみに!?
やってみて、言って聞かせて
させてみて、ほめてやらねば人は動かん。
(山本提督)
【教育との関連】
大人でさえ、「させてみて、ほめなければ」動かないのです。強制性と動機づけは車の両輪のような気がしてきました。「学校は楽しいものである必要はない」という強制性に、「好きな先生」あるいは「好きな授業」「達成したらほめられる」何でもよろしいが、動機付けが加わった方がよいのではないでしょうか?
【前から考えてた案】
1.1日1コマ(45分??)ドリルの時間。
2.内容は「読み書き、算数」
3.この時間には4人の【補助員】をつける。
4.補助員は父兄に簡単な「指導資格」をとってもらう。
5.1学年4学級として、午前中の勤務。
6.時給1500円??(月9万)
うちは子供がいないので、現場を知らぬ者の、破天荒な空論かも知れません。でも、家で子供に「勉強しなさい」怒鳴らなくてよいし、父兄も学級の空気を把握できる。「勉強しない」「学級崩壊」「いじめ」の抑止になりはすますまいか?
妄言多謝。
実は、ウチの小学校は恵まれているのかもしれませんが、既にこれにかなり近いシステムがあります。
(さすがに4(指導資格)と6(時給)だけは実現されていませんが…)
時期は長期休暇中の4~6日、指導者はボランティアの保護者なのですが、
数年前に始まったこのシステムは、成果も上がっているようで、毎年応募者も増えています。
ただ、このやり方はどこでもできるものではないな、ということも感じているのです。
つまり“諸刃の剣”ですね。
ウチの学区は、保護者のみならず地域の方までが小学校を温かく見守ろうとする雰囲気があります。また、先生方に対する尊敬の念も失われていません。
こういう場合には、保護者を学校にどんどん取り込むことは、学校の教育力を強化こそすれ弱めることはないと思います。
しかし、教育掲示板で最近の小学校事情を見ていると、こういう地域力?のない学校がヘタに保護者を中に入れると、かえって収拾のつかないことになる場合があるようです。
たとえば、子どもの給食費も難癖つけて払わない親が、教育の場面でだけ口をはさむようなことになったら…それは教師の権威を失墜させるだけのような気がするのです。
というわけで、ウチの学校のようなシステムを、小学校に一律に取り入れ(させ)ることは、結果として、言われるところの「学校間格差」を広げてしまうことになるのではないだろうか…
と、そんなことを心配しています。
長文レスすみません。ぜひまたご意見をお聞かせ下さい!
ところで、朝日に「釣られて」しまいました。
経緯は、ねこまんま「塾禁止?」のコメント欄を
ご覧ください。
自分の性格と仕事パターンよくでているなあ。
1.とりあえず、緊急と思われることやる。
2.検証、修正1回目。間違ってないが正しくない。
3.修正2回目。ようやく正しい方向へ。
ところで、よねさんの1~3、私にもピッタリ当てはまるので驚いてしまいました!
ただ違うのは、私の場合1で大きく間違いすぎて、
(たいていの場合、感情的になりすぎるのが原因)
修正不可能になってしまうことが多々…
もうちょっと冷静になりたいです…(泣