宣言!
私は、「公立校応援団」です。
(「公立校」…ここでは主に、「選抜のない公立の小中学校」を指すと思ってください)
もちろん、私立校やその他の教育を選択することを否定するわけではありませんし、いろいろな教育を試し、選択する機会が確保されているのもよいことだと思っています。
しかし、ここでは公立校の魅力を存分に語ってみたいと思います。(他ではあまり語られませんからね。)
公立の魅力は、例えるなら「普通の街歩き」のそれではないかと思うのです。
街歩きのよさは、そこから何を学ぶか・何を受け取るかが、その人自身に委ねられているというところだと思うのです。
「何気なく角を曲がったら、菜の花が満開だった。」
街歩きには、こういう感動があります。
もちろんこれはただの比喩ですが、たとえば
満開の菜の花から、ある人は自然の不思議を感じ取り、自然科学の道に進むかもしれない。
またある人は命のはかなさを思い、文学の道を志すかもしれない。
その可能性は、まさに無限大です。
一方、選抜を潜り抜けた人の集う学校は、「テーマパーク」のようなものではないでしょうか。
…そう言うと、「エ~、じゃあそっちのほうがいいじゃない!!」と思う人もいるかもしれません。
でも、私はそうではないと思うのです。
なぜなら、テーマパークは
いい意味でも悪い意味でも「作られた空間」だからです。
確かに「一定レベル以上」になった分、ある程度以上の出会いと感動が得られるのは「保証つき」でしょう。しかしその分、思わぬ感動に遭遇することは望み薄です。
キレイに造形された花壇は、たとえば理想のガーデニングを学ぶのにはいいでしょうが、上記の「菜の花」のような個性豊かな感動を得ることができるかといえば、それは疑問です。
…というようなことを、今日打ち合わせで行った職員室で、窓の外の菜の花を見ながら思っていました。
菜の花が満開で、まぶしいほどに明るくて、本当に温かく感じるのです。
こういう温かい環境で子どもたちを育ててくれている小学校に、今更ながら感謝している私です。
私は、「公立校応援団」です。
(「公立校」…ここでは主に、「選抜のない公立の小中学校」を指すと思ってください)
もちろん、私立校やその他の教育を選択することを否定するわけではありませんし、いろいろな教育を試し、選択する機会が確保されているのもよいことだと思っています。
しかし、ここでは公立校の魅力を存分に語ってみたいと思います。(他ではあまり語られませんからね。)
公立の魅力は、例えるなら「普通の街歩き」のそれではないかと思うのです。
街歩きのよさは、そこから何を学ぶか・何を受け取るかが、その人自身に委ねられているというところだと思うのです。
「何気なく角を曲がったら、菜の花が満開だった。」
街歩きには、こういう感動があります。
もちろんこれはただの比喩ですが、たとえば
満開の菜の花から、ある人は自然の不思議を感じ取り、自然科学の道に進むかもしれない。
またある人は命のはかなさを思い、文学の道を志すかもしれない。
その可能性は、まさに無限大です。
一方、選抜を潜り抜けた人の集う学校は、「テーマパーク」のようなものではないでしょうか。
…そう言うと、「エ~、じゃあそっちのほうがいいじゃない!!」と思う人もいるかもしれません。
でも、私はそうではないと思うのです。
なぜなら、テーマパークは
いい意味でも悪い意味でも「作られた空間」だからです。
確かに「一定レベル以上」になった分、ある程度以上の出会いと感動が得られるのは「保証つき」でしょう。しかしその分、思わぬ感動に遭遇することは望み薄です。
キレイに造形された花壇は、たとえば理想のガーデニングを学ぶのにはいいでしょうが、上記の「菜の花」のような個性豊かな感動を得ることができるかといえば、それは疑問です。
…というようなことを、今日打ち合わせで行った職員室で、窓の外の菜の花を見ながら思っていました。
菜の花が満開で、まぶしいほどに明るくて、本当に温かく感じるのです。
こういう温かい環境で子どもたちを育ててくれている小学校に、今更ながら感謝している私です。
公立校は親も一緒になって子供を教育することが出来ると考えてます(爆)
良くも悪くも、親にも教育の責任の一端を担わせる必要があると考えているものですから(^^;)←えらそうなこと言ってるアフォ
学力の向上は、個人の好奇心や向上心の上に学習環境が正しく成立すればおのずと結果が出てくると考えたい。
(ここはよねさん達に突っ込まれる部分ではあると思いますが)
冒頭の、ニュートラルが現状極めてあやしい!、と言うことで、共通の問題意識が生じているわけですよね。
突っ込むなんてとんでもございません。
全く同感です。
ホントに「自ずから結果」はでると私は「確信」しています。
好奇心、向上心がでれば、「学習」は「楽習」となり、
そうでなければ「強いて努める」ことになります。
ですから、親としては、「学習習慣」をつくってやり、
「好奇心」「向上心」がでるまで待つ。
これが基本と思います。
待つまでの間に「あまり遅れないように」
やる気がでた後の「挽回のしかた」を語っているつもりです。
よねの言っている「戯言」にはたいした意味はなく、
それこそ「自ずから結果」はでると思います。
いい環境ですね~♪>山桜・竹やぶ・雑木林
duca-meさん、いいところをついていると思います。
教育は「お客さん意識」でいてはダメなんですよね。
>ヤマ親爺さん
『個人の好奇心や向上心の上に学習環境が正しく成立すればおのずと結果が出てくる』
そうなんですよ!
「本人次第」と言ってしまっては身もフタもないですが、最近はあまりにも教育環境のほうに重きを置きすぎだと思います。
(もちろん偏った教育環境は論外ですけどね。)
>よねさん
『ですから、親としては、「学習習慣」をつくってやり、
「好奇心」「向上心」がでるまで待つ。』
つい先日、それを痛感する出来事がありました。(いずれアップします!)
イヤハヤ、親って忍耐力が要ります…