日々思うこと

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「場」の芸術

2006-08-13 | ヤワラカメの話
「音楽」も「美術」も同じ芸術活動なのだから、そこには通じるものがある…
と長年思っていた。
しかし最近では、「そんなものでもないようだ…」と思い始めている。

美術は「オリジナリティ」が勝負の世界だ。
「自分」をいかに表現するか、が全てだと言ってもいい。
制作活動の中では、他人とことさらに交わる必要もないだろう。もちろん「外」からインスピレーションを受けることはあるだろうが、その表現基準はどこまでいっても「自分=個」ではないだろうか。
「美術屋さん」にマイペース人間が多いような気がするのは、このためだろうか…

これに対して音楽は、他と「関わる」こと抜きでは成立しない。
(「音楽屋さん」に、否応なく人と関わろうとするタイプ=ワガママ?!が多いのもむべなるかな…^^;)
音楽は「個」では完結できないのだ。
音楽の醍醐味は、作曲家・演奏家・聴衆全てを巻き込む、二度とは出現しない空間に身を浸す…ここにこそあるという気がする。
それはもはや、「人」ではなく「場」に帰属する性格の芸術活動と言ってもいいかもしれない。

同じ芸術と言いながら、「美術屋さん」と「音楽屋さん」の間には、本質的に相容れない感覚の違いがあるような気がするのは、このためかもしれない…


「場の芸術」という意味では、音楽は美術よりはまだ「スポーツ」のほうに近いものがある
…と、「音楽屋」である私は思う。

たとえばサッカー。
「神がかり的な一刹那」とでも言うのだろうか、まるで後ろに目があるかのようなパス回しなどに見る、「自」と「他」との感覚が溶け合ったかのような瞬間は、息の合った演奏中に訪れるものと同じだと思う。
本当に誇張でなく「鳥肌が立つ」瞬間だ。

ところで「音楽」と「スポーツ」と言えば、ゼンゼン違う話になるが…
音楽をやる人なら、無味乾燥?な基礎練習(「ハノン」とか「テクニック」とか「バイエル」とか…)を続けることの大変さ、そしてその重要性をよく知っていることと思う。
これなどまさにスポーツにおける「基礎練」そのものではないか。
何度練習してもテクニックが向上せず、泣きながらピアノに向かったという人も、少なからずいるのではないかと思う。
これも、どちらかというとスポーツをやっている人と話が合いそうな経験談だ。
(…美術作品の製作中にそんな経験をしたという人は、あまりいないんじゃないかな…?と思う^^;)


※追記
「練習に練習を重ねたのに、本番で力を出し切れなかった…」
この理不尽なくやしさも、音楽とスポーツでは通じるものだよね…