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日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

母は強し

2006-04-14 | ヤワラカメの話
人間、共通の体験があると結びつきが強くなるものだ。
それが苦しい体験であればなおのこと…
「母親」と名のつく人たちがあっという間に意気投合できる秘密の一つに、「苦しい体験」を共有しているということがあるような気がする。

たとえば、究極の「苦しい体験」といえば、出産。
何かのはずみでそのへんの話が出始めたら、もう盛り上がるのなんのって…
私自身もいろいろと修羅場をくぐりぬけてきたほうだと思うが、何しろ出産をめぐるドラマは百人百様。どの話にも身を乗り出して聞き入ってしまう。
あるときには手に汗握り、あるときは涙しながら…
これで旧年来の友人のように打ち解けなかったらウソというものだ。ある意味“戦友同士”だものね。
(…しかも話題が話題なだけに、気がつけば赤面モノの打ち明け話合戦になっていたりする…詳しい話はここではモチロンできません^^;;)

生まれたら生まれたで、子育てに悩みは尽きず…
子どもが入園・入学すれば、学校や幼稚園についてあーでもないこーでもない…道理で飲み会がなかなかお開きにならないはずだわ^^;

そりゃあもちろん、誰だって苦しいことはイヤなもの。
でも、そんな母親同士のたわいない話の輪の中にいるとき、ふと「生きている実感」のようなものを感じることがある。おおげさなようだけれど、「人生ってなんて素晴らしい!」みたいな感覚だ。
“人生の本質”というと何か壮大なもののような気がするけれど、案外一見たわいない“枝葉”の部分にこそ宿っているのかもしれないな…
苦しいことに出会わない人生を選択し続け、人と共有したいと思うものを持たないまま送る人生っていうのも、味気ないだろうなぁ…という気がする。

いろいろなことが分かり始めた今、私にはもう迷いはない。
かくしてますます、「母は強し」を地でいこうとしている私であった…いいのか、こんなんで?!(でも“恥じらい”の気持ちは大切にネ♪)

男の人生は毎日が戦い

2006-04-06 | ヤワラカメの話
最近親子で歯医者に通っている。
子どもにとってはうれしい場所ではない歯医者だが、
娘の場合、「大丈夫だよ」「すぐ済むからね」といった言葉に安心して治療を受けている様子なのに対して、
息子の場合、「ちょっと痛いけど平気かな?」といった言葉をかけられると、闘争心を燃やすかのようにガマン強くなる。
「そんなに痛くないからね~」などのヘタな慰めの言葉ではダメなのだ…それでは逆に弱気になってしまったり、「ウソつけ、痛いじゃんか!」と怒ったりしてしまう。つまり「真っ向勝負」でなきゃいやだ、ってことなんだろうな。

それ以外でも、何につけても
娘のほうは「大丈夫、アナタならできる」的な言葉、
息子は「難しいけどキミに出来るかな?」的な言葉にやる気をかきたてられるようだ。
ボーイスカウトでもいろいろなタイプの子どもを見てきたが、男女の違いはやはり歴然としてあった。

いろんな意味で男って疲れる生き物だと思う(本人も周りもね)…でもそこが愛すべきところでもあるんだけどね。

「ハレ」と「ケ」の変遷

2006-03-31 | ヤワラカメの話
「ハレ」と「ケ」という言葉があります。ご存じだと思いますが一応説明すると
「ハレ」とは文字通り「晴れ」の意味ですね。
つまり天気がいいということ…ではなくて、「晴れの舞台」の「晴れ」、つまり
正式な場、改まった場、日常から離れた場を指します。
もう一つの言葉「ケ」(漢字では「褻」だそうです…書けん(- -;))は、その反対の「日常」のことですね。

で、本題ですが
面白いのは、「ハレ」と「ケ」が世につれ変わっていくということです。

たとえば、銭湯。
今のように、「一家に一つ」お風呂がなかった頃には、毎日通う銭湯は「ケ」そのものでした。
それが今やどうなったか…
「ケ」のままで細々とながら営業する銭湯も確かにありますが、「ハレ」の場に姿を変えることで生き残っているものもあります。
いわゆる「スーパー銭湯」ですね。
現代では、人々は「日常」から離れて疲れを癒すために、「銭湯」に足を運ぶようです。

反対に「ハレ」が「ケ」になったものといえば、ファミレスがその代表でしょう。
自分の幼い頃を振り返っても、家族そろって「レストラン」に行くという体験は、ちょっと特別な出来事だった気がします。
(ま、ウチの親はレストランが妙に好きなもので、我が家はわりとしょっちゅう行ってましたが^^;)
でも、きっと昔は
「今日の晩御飯はロイヤルホストよ!」「わ~い!!」
というような会話があったことと思います。

それが今やどうでしょうか…
「今日の晩御飯、ファミレスでいい?」「え~また~…?」
こんな会話なら聞こえてきそうです…
業績も未だ低迷から脱していないファミレスですが、今や「ケ」として自らの存在を認識しなおさなければならないようです。

…しかしそれ以前に、
現代では何でもカジュアル化されてしまって、「ハレ」も「ケ」も大して違わなくなっているような気がします。
本当は「ハレ」と「ケ」の落差が生活にメリハリを与えてくれると思うんですけどね…
もっと「ハレ」と「ケ」をそれぞれ存分にエンジョイしてみてはいかがでしょう?
きっと生活が彩り豊かなものになると思います

日本の街が雑然として見えるわけ

2006-02-28 | ヤワラカメの話
諸外国に比べると日本の街には調和のとれた美しさがない、とはよく言われる言説だ。そして確かにその通りに見える。それはなぜだろうか?
今日所沢の町を見るともなく眺めていて、あることに気づいた。
それは、「看板」が街の景観に与える影響力の大きさである。

つまりこういうことだ。
欧米ではたいてい、看板に使われている文字は「アルファベット」ただ一種類である。
それに対して、日本の街の看板には漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットと、実に4種類の文字が、書体も様々に踊っているのだ。これが街の調和を壊す要因の一つになっていないだろうか。
それでなくても、建物自体も洋風あり和風あり、何でもありの雑多な状態なのに、そこに文字のうるささが加われば、そりゃあ雑然ともするだろう…
もしも看板の文字が一種類だけだったら、街までなんとなく整って見える…ということはないだろうか?
(そんなのムリって?だから例えばの話ですってば

…しかし、この「調和のなさ」が外国人にとっては新鮮で魅力的に映ったりするんだから、美の基準と言うのもわからないものだ。…

クルマに対する不満

2006-02-20 | ヤワラカメの話
今乗っている車にはそこそこ満足しているのだが、不満がないわけではない。
とにかく今最大の不満は「音」だ。

高速を走るとエンジン音やら何やらでとにかくウルサイ!前席と後席の間の会話は成り立たないに等しいので、いきおい大人は大人同士、子どもは子供同士でしゃべることになる。これじゃ一緒の空間にいる意味ないじゃん!

もちろんカーラジオなんかの音も全く聞こえない。
誇張ではなく本当に「全く聞こえない」のだ。何しろ高速を降りて初めて、カーラジオがずっと鳴り続けていたことに気づくくらいだから…


そして逆に、低速で走るとウソのように静かなんだよね。
静かならいいんじゃないかと思うでしょ?それがそれがそうでもないんだよね、これが…

ウチの周りは、クルマの往来もそれほどない路地が張り巡らされた、落ち着いた住宅街だ。騒音がほとんどないので、たとえば十字路を自転車で横切るときなども、クルマのエンジン音に耳を澄ませていれば、危険な目にあうことはまずない。
(もちろん子どもには「左右目視確認」を徹底してるけどね)
しかしわが愛車はあまりに静かすぎるのか(低速の場合だけね!)、歩行者はクルマの気配に気づきにくいようで、突然脇から自転車が飛び出してきてヒヤッとすることがたまにあるのだ。

(こんな普通のクルマでさえそうなんだから、もっと静かな「プリウス」みたいのはもっと気づきにくいんじゃないだろうか。住宅街を走るくらいの速度では、適度に音を出すクルマのほうが安全かもしれない。
静かなほどいいってもんでもないんだなぁ…)


なんだかんだ言って要するに…
「クルマ、買い換えたいなぁ…」がホンネらしい

「図書部」の思い出。

2006-02-07 | ヤワラカメの話
高校時代、「図書部」に籍を置いていた。
といっても部員も少なかったし(一学年に1~3人)、ロクな活動はしていなかったのだが。図書館の隅にある部室が自由に使える、という理由で入部したようなものだった。
もちろん「読書好きだったから」なんていう理由ではサラサラない。^^;

私の下の学年くらいからマンガ好きな子が次々に入ってきたこともあって、図書部はいつしか漫研の様相を呈するようになっていった。
(注・こんなイイカゲンな部ってそうそうないよね…と思っていたのだが、他でも似たような話をちょくちょく聞くところをみると、結構ありがちな現象なんだろうか…?^^;)
気がつけば部員でもない子が入り浸っていて、同人誌に出す原稿を熱心に描いていたり、その感想を求めてきたり…
いつしか部長となっていた私はといえば、時々思い出したように「ちょっと~、ちゃんと活動しようよ~」などとクギをさしたりしつつも、つい一緒になってマンガを読みふけっちゃったりする毎日だった…(だめじゃん!)
でも実際、大した活動なかったんだよね~…

そんな図書部も、年に2度だけは活動らしい活動をする。
「文化祭」と「『(図書)館報』の発行」だ。
文化祭のほうはまだノリで乗り切れたが(さすがは私!ってとこですか♪)、館報のほうはそうはいかない。何しろB4ウラオモテを、普段ロクにかかわってもいない「図書」に関する記事で埋め尽くさなければならないんだから…

覚悟を決めて幾度か図書館に足を踏み入れてはみるものの、並んでいる古臭い本の数々は、「エセ知識人」の私を拒否しているかのようで、手に取る気さえ起きない…
しかし、ここで記事の一本でも書かねば図書部部長の名がすたる!と、数少ない読書遍歴から寄せ集めた、分かったような分からんような分かったふりした記事を、知的に聞こえる言い回しにくるんで書き上げた。何を書いたかは思い出せない。(思い出したくもない…)
う~ん、あの頃は若かった…その「恥ずかしい原稿」を載せた館報はシッカリ発行された。
思えば、私の図書館アレルギーはこのあたりから始まっているような気がする…

ハイ、告白します。図書館・図書室の類は「大嫌い」でした!
毎日のように図書館に足を運んでいると見えて、その実図書部という名の漫研に通っていた私にとっては、せっかくの名著の数々も、私の知識の浅さを暴露せんと待ち構えている恐ろしげなものでしかなかったから…

ところで、この前母校のHPを見ていたら、どうやら思い出の図書部はいつの間にかもうなくなっているようだ…
こんなことならもうちょっとマジメに活動して、読書の楽しさを一人でも多くの人に伝えたかったな~なんて…「オマエが言うな!」って感じですか^^;


何が言いたいのかよくわからない話になってきましたが…
要するに、「インテリっぽく見えるばっかりに(?!)ソレっぽく振舞わなくてはならないというのも、結構ツラいのよ~」というお話でした。(ちょっと違うな…

「?」な新商品

2006-01-31 | ヤワラカメの話
日々市場を賑わす新商品の数々。活気があるのは結構なことだが、中には「これ欲しい人っているのか…?」という「?」な商品も…
たいていの場合、それらは話題になる以前に人知れず消えてゆくようだが。(だが稀に生き残るものも…?!)
以下は私が最近キャッチした「?」な商品たち。これって「便利」なのか??


●通行用警報発音声器「通りゃんせ」(日経MJより)

『自転車などに装着して使用する』
『小鳥のマスコットの尾の部分を押し下げると、ピンポーンとチャイムが鳴り、続いて「すみません、ちょっと通してください」と女性の声で音声が流れ』
『通りすぎるころに再び「どうもありがとうございました」と音声が流れる仕掛け。』

・・・開発者の話では
「商店街などで、追い越すときに“すみません”の一言がないばかりに、ぶつかって口論になるケースが少なくない」
「気が弱く見知らぬ人に声をかけるのが苦手な人もいる」
ということだが…

まず声を大にして言いたいことは
「混雑した場所では、人を追い抜くことより自転車を降りることを考えろ!!」
それから
「“すみません”の一言も言えない人は、自転車に乗る資格はない!!」

…ハッすみません、つい怒ってしまいました。
確かに自転車のベルも感じのいいものではないけれど、ムスッとしたオッサンがコレを使って、変に愛想のいい音声と共に黙って追い抜いて行ったら、そっちのほうがハラが立つと思うなぁ
まあ、ベルのついてない車椅子用とかだったらいいかもね。しかしその場合でも、口がきけるなら「ありがとう」くらいは自分で言ったほうがいいと思うゾ。


●買った総菜 家庭の味に 「和味(なごみ)」(TV東京・ワールドビジネスサテライト)

『特徴 スーパーで売っているプラスチック容器がぴったり入る陶器の器。家で手づくりした感じで食べられる。』

・・・あの~…これ、何か意味があるんでしょうか?「家庭の味」どころか空しいだけなんじゃ…?
しかも価格が550~800円(容器)って…(高っ!!)
そんなの買うくらいなら手持ちのお皿に移して食べますよ。多少洗い物は増えるけど、「家庭の味感覚」を追求したい人には大した手間でもないだろうし。
番組の中でもコメンテーターが「味が変わるわけじゃないですよね。」ともっともなツッコミを入れていた…


最後は小ネタですが…
●調理用はさみ「きざみ海苔ができます!」

『使ってみると面白いように、きざみ○○がアッという間に完成。なにせ5連刃ですから普通のハサミの5倍のスピードでカット。』

・・・刻み海苔なら、板海苔を5枚重ねてキッチンバサミで切ってもあっという間に出来ますが…
そのくらいアタマ使おうよ。
それに5枚も刃があると洗うのも大変ですよね…


まったく、優秀な日本人の頭脳が泣いてます…アタマはもっと有用な方向に使いたいものです

私の叔母さん

2006-01-26 | ヤワラカメの話
その叔母さんは、4人兄妹の末っ子だ。(一番上が私の母。)
もう60を超えてずいぶん経つのだが、と・て・も・そうは見えない!!
私の母もかなり若く見えるほうだが、叔母さんはそれにも増して若くてキレイで元気なのだ。会うたびに若返っているような気さえする。
年に一度帰省したときにしか会えないのだが、行くといつもステキなお料理と笑顔で迎えてくれる。
いつごろからだろう、私は叔母さんと話すのが楽しいと思うようになってきたことに気づいた。

私の母とすぐ下の叔父は、自他共に認める「知識人」である。飲みの席でも口角泡を飛ばしての政治談議になることが少なくない。それはまるで新聞の社説を読み比べているかのような光景だ…
そういうとき、その叔母さんも意見を差し挟むことがあるのだが、母も叔父も「○ちゃん(その叔母さん)はまだまだわかってないからネ~」的な扱いで終わってしまうことがよくあった。そんなときも叔母さんはただ笑っているだけだった。

そんな光景を見てきた私は「ふ~ん、なるほどね」と“知識人”たちの意見に納得したつもりになっていた。ちょうどそのころの私といえば、論理にもなってない論理と、ほとんど幻想に近い理想主義を振りかざして「向かうところ敵なし」状態だったから。

しかし、今になって「ちょっと違っていたな…」と思うことが増えてきた。
叔母さんの意見は現実的で、かなり鋭く、それでいて血の通ったものを感じるものだった。
(確かに彼女は末っ子で「甘え上手」で、実際場合によっては「甘い」ところもなくはないのだが。(…年上の人にエラソーにスミマセン^^;)

昔、私といとこ連中でワケのわからない社交辞令の数々を槍玉に上げていたことがあった。
「なんで“カゼの具合はいかがですか”と聞かれて“おかげさまで”良くなりました、なんて言うんだろうねぇ?別に“アンタのおかげで”カゼが治ったわけじゃないのに。」
たまたまそれを聞いていた叔母さんは、
「いやいや、そういうものじゃないのよ。世の中の人はみんな順繰りに誰かのお世話になってるっていうことなんだから。」
と笑いながら言っていた。
論理で何でもわかったつもりになっていた若い頃の私にはピンと来なかったが、今はその言葉の意味と、そう言える叔母さんの魅力が分かるようになりつつある。

「マイオフィス」が欲しい

2006-01-13 | ヤワラカメの話
ず~っと前に「インターネットカフェってどうよ?」みたいなエントリを書いたことがある私だけど、実は数ヶ月前に「インターネットカフェデビュー」を果たしているのでした。今では2店の会員になっています♪

で、その感想なんですが…一言で言うと「イマイチ」。

いや、店に不満があるわけじゃないんです。至れり尽くせりで満足のいく環境を整えてくれてるのは分かるし、現に居心地もいい。コストパフォーマンスもなかなか。
それなりに楽しい時間を過ごしてるはずなんだけど、店を出た後な~んか無駄に時間を過ごしてしまったような空しいような気分になるのよね…それって私だけかしら?
で、気づいたわけです。
今私が一番求めているのは「ヒマつぶし」のための場所じゃなくて、
今やってる仕事に集中できる環境、つまり「オフィス」なんだ、と。
(仕事なんてウチでやればいーじゃん!ですって?それができれば苦労はないのよ~!だって、ちょっと席をはずしたら下のエントリのような状態にされるくらいなんだから集中しろってほうが無理ってもの…

というわけで、インターネットカフェをベースに「理想のオフィス」を思い描いてみました。

個室やブースじゃなくて、カフェの一席のような場所で十分。
キッチリ壁やパーテーションで仕切られてしまうより、むしろそのほうがありがたい。(適度なざわめきがあったほうが仕事がはかどる、そんな経験ありませんか?)
でもむやみに人と目が合うんじゃやっぱりやりにくいので、観葉植物かなんかで微妙~な仕切りがほしいところ。
もちろんコーヒーは欠かせない!
ヨケイなものは極力排除する。例えばマンガ・(ネット接続した)パソコンなど。意志の弱い私にはこれらは天敵のようなものだから!
でも調べ物が必要になったときのために、ネット接続パソコンも数台は置いてあるとうれしいかな。必要なときはそこへ移動して、調べ終わったらまた戻ってくる、というわけ。
ときには人と軽く打ち合わせなんかできちゃったりするスペースがあると、もっとうれしい♪
料金は時間制。でも10分単位とかのせわしないシステムじゃなくて、1時間・2時間・3時間の三種類のみ。こうやって時間単位で切ってもらったほうが集中できそうだから。

そうそう、できれば立地は普通のカフェのような場所がいいな。ビルの一室とかじゃなくて…
あ~、誰かこんなオフィス作ってくれないかな~?
…やっぱりムリ、でしょうかね??
でもSOHOもだいぶ市民権を得てきてるし、需要は結構あると思うんだけどなぁ…

子どもは読んじゃダメよ♪

2005-12-27 | ヤワラカメの話
…といっても別にアブナイ話じゃないんだけどね♪
要は「サンタさん奔走記」です。

今年のクリスマスプレゼントは、子どもの希望が二転三転したので結局直前まで調達できなかった。これが全ての苦労の始まり…

当初は二人とも、サンタさんから「ゲームキューブのソフト」をもらうと言っていたので、私はゲームキューブ本体を買ってあげるということで落ち着いていた。
(どっちにしても全部私が買うんだけどね^^;)
しかし直前になって下の子が「やっぱりムシキング(ニンテンドーDSソフト)にする!」と言い出した。
一応説得に努めたのだが彼の決意は固い。(それにやっぱり親としては、落胆してる顔より一番欲しかったものをもらって喜んでる子どもの姿が見たいよね…)

急遽予定を変更したのはいいが、今度は娘の欲しがっているソフトが探せど探せどどこにもない!!
…もしかしてゲームキューブって今はもう下火なの…?ソフトの本数が他のゲーム機に比べてゼンゼン少ないんだけど…
駐車場待ちの気が遠くなるほどの長蛇の列に並んで、おもちゃ屋を数件車で回って探したがやはりない。私は「すぐに手に入る」と思っていた自分の見通しの甘さを嘆いた。

しょうがないので娘にさりげな~く相談を持ちかけた。
「…ねぇねぇ、どう森(どうぶつの森)のeプラス、どこにもないみたいなんだよね…アマゾンに今注文すれば26日には届くみたいだけど、それじゃクリスマスイブに間に合わないし…
「だからさー、サンタさんにはゲームキューブ本体をもらうってことにしたらどうかな…?ソフトはアマゾンから後日届くのを待つことにして…」
娘は事情を察して承諾してくれた。最近娘は「どうもサンタさんはいないらしい」という結論に達していたので助かったよ~(T-T)

ところが話はこれで終わらない。
アマゾンで注文した後、よくよく調べてみるとDSのゲーム「おいでよどうぶつの森」は人気もあるし面白そうだということがわかってきた。
良く考えてみると、たったソフト一本のためにゲーム機(ゲームキューブ)を買うというのはもったいない…

というわけで、娘と再度相談した結果、結局は二人ともDSのソフトをもらうということで落ち着いた。
(娘…おいでよどうぶつの森、息子…ムシキング)
従ってアマゾンから届いた「ゲームキューブ版どう森eプラス」は、即返品手続き~

…はぁ~、なんとも疲れたクリスマスだった。
世の子どもたちよ、キミたちのクリスマスフィーバーの影にはこんな親たちの苦労があるんだゾ~!