日々思うこと

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私の叔母さん

2006-01-26 | ヤワラカメの話
その叔母さんは、4人兄妹の末っ子だ。(一番上が私の母。)
もう60を超えてずいぶん経つのだが、と・て・も・そうは見えない!!
私の母もかなり若く見えるほうだが、叔母さんはそれにも増して若くてキレイで元気なのだ。会うたびに若返っているような気さえする。
年に一度帰省したときにしか会えないのだが、行くといつもステキなお料理と笑顔で迎えてくれる。
いつごろからだろう、私は叔母さんと話すのが楽しいと思うようになってきたことに気づいた。

私の母とすぐ下の叔父は、自他共に認める「知識人」である。飲みの席でも口角泡を飛ばしての政治談議になることが少なくない。それはまるで新聞の社説を読み比べているかのような光景だ…
そういうとき、その叔母さんも意見を差し挟むことがあるのだが、母も叔父も「○ちゃん(その叔母さん)はまだまだわかってないからネ~」的な扱いで終わってしまうことがよくあった。そんなときも叔母さんはただ笑っているだけだった。

そんな光景を見てきた私は「ふ~ん、なるほどね」と“知識人”たちの意見に納得したつもりになっていた。ちょうどそのころの私といえば、論理にもなってない論理と、ほとんど幻想に近い理想主義を振りかざして「向かうところ敵なし」状態だったから。

しかし、今になって「ちょっと違っていたな…」と思うことが増えてきた。
叔母さんの意見は現実的で、かなり鋭く、それでいて血の通ったものを感じるものだった。
(確かに彼女は末っ子で「甘え上手」で、実際場合によっては「甘い」ところもなくはないのだが。(…年上の人にエラソーにスミマセン^^;)

昔、私といとこ連中でワケのわからない社交辞令の数々を槍玉に上げていたことがあった。
「なんで“カゼの具合はいかがですか”と聞かれて“おかげさまで”良くなりました、なんて言うんだろうねぇ?別に“アンタのおかげで”カゼが治ったわけじゃないのに。」
たまたまそれを聞いていた叔母さんは、
「いやいや、そういうものじゃないのよ。世の中の人はみんな順繰りに誰かのお世話になってるっていうことなんだから。」
と笑いながら言っていた。
論理で何でもわかったつもりになっていた若い頃の私にはピンと来なかったが、今はその言葉の意味と、そう言える叔母さんの魅力が分かるようになりつつある。

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