愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(58) 松平記

2024年01月09日 11時16分42秒 | 松平記

松平記p58

翻刻
かつかせ給ふ。其忠節故、家康の妹婿にし奉り諸人奉仰し
處に、義昭にす々められて是又敵に成給ふ。桜井の松平監物も
御敵に成、上野の城主酒井将監ハ岡崎御家老の一の大名
なりしが、是も一揆にくミし御敵と成。東三河には長澤と
こ井より東ハ駿河方也。岡崎方ハ竹谷の城松平玄蕃頭、か
たの原にハ松平紀伊守又松平主殿助、土呂、針崎、東三河両
三人衆の敵にはさまれ昼夜相戦ふ。西尾に酒井雅楽助在
城して、野寺、荒川と取合、本多豊後守、土居に在城し土呂、針
崎に向て合戦す。松平勘四郎、同右京亮、野寺、桜井と取合昼
夜相戦ふ。岡崎の南ハ土呂、針崎其内一里にハ近し。南西に
(当て野寺、佐々木、桜井とも間一里有)

現代語
(荒川甲斐守は、はじめ味方になり、西尾城を)攻められた、その忠節のため家康の妹婿にして、皆荒川甲斐守をお迎えしたところ、東條義昭にすすめられて敵になってしまった。櫻井の松平監物(信定)も敵になり、上野の酒井将監は岡崎の家老であったが、これも一揆に与し、敵となられた。東三河では長澤と五井より東は駿河方であり、岡崎方は竹谷城の松平玄蕃守、形野原の松平紀伊守や松平主殿助、土呂、針崎、東三河の三人衆にはさまれ昼夜奮戦している。西尾城には酒井雅楽助が在城して、野寺、荒川と取りあいをしている、本多豊後守は土居に在城し、土呂、針崎に向かって合戦をしている、松平勘四郎、松平右京亮は野寺、桜井と取り合いし昼夜愛戦っている。岡崎の南は土呂、針崎まで一里(約4㎞)以内であり、南西には野寺、佐々木、桜井まで間が一里(約4㎞)である

コメント

この図は2013年にこのブログにアップした図です。三河一向一揆の一揆側(赤色)対家康側(青色)の配置図です。結構入り組んでいます。松平の家臣だった武将で一揆側に味方している武将もいて、複雑です。櫻井の松平は信定の後継で、信定は家康の父広忠を岡崎から追い、放浪させた人です。松平宗家に対して対抗心を持っている人でした。その孫が家次で、宗家に対する気持ちは変わらず、家康に対抗して一揆方に付きました。上野の酒井将監は自立性の強い武将で、これまでに何度も織田に付いたり、松平に付いたりしています。一揆とはあまり関係がなかった、家康との戦いが一揆と重なっただけという説もあります。いずれにしても家康にとっては家臣であった酒井が向かってきたということになります。

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