愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

黍生(きびゅう)城(1) 豊田市

2019年04月22日 06時55分12秒 | 豊田市
4月20日(土)黍生城に登りました。
標高374m、比高240mで、けっこう登りがいのある山でした。
はじめこの黍という字が読めませんでした。なんとサトウキビ、キビダンゴのきびでした。
黍と生まれるという字で、キビュウと読むそうです。

黍生城は、案内板によれば、平安時代の終わりに尾張国の山田重直の六男重長が、足助へ移住して、賀茂六郎足助重長と称し、築いたのが始まりと伝えられているそうです。その後、平家に攻められて落城しますが、ここはこの付近の最高峰であるため、戦国時代までいろいろな時に使用された城と考えられるそうです。現在の遺構は、たびたび改修されたものと考えられるそうです。

足助という地域が古いということがここでも分かりました。


頂上の黍生城案内板

案内にもあったように黍生城の近くに足助の町があります。足助には、山城がたくさん残っていて、黍生城は足助七屋敷の一つに数えられているそうです。足助七屋敷とは、黍生城、成瀬城、臼木ヶ峯城、飯盛山城、大観音城、真弓山城のことです。足助氏がここを本拠として活躍していたときのことです。中心は飯森山城のようです。この七つの城で足助を守るネットワークを作っていたのでしょう。

黍生城と足助(地理院地図から作成)

足助もみじこども園のとなりに大きな駐車場があり、そこに車を停めて道の向かい側から登りました。
信号を渡ると舗装された広い登り道があり、そこを歩いていきました。しばらく歩いていると左側に「登山道」の看板がありました。

登山道の入口

あとはずんずん登るだけです。しかし、けっこう勾配が急で、しかも道が長かったので、私にはきつかったです。

途中の標識

愛教労 城の会 6月22日 市場城めぐり

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