愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

鞍船遺跡 設楽町

2016年06月27日 16時43分37秒 | 設楽町
梅雨の合間の晴天。今日は絶好の史跡巡り日になりました。せっかくのいい天気なので、遠出をしました。設楽町です。以前には田峯城の見学をした町です。今日は、鞍船遺跡と津具城を見学する予定で出かけました。

縄文時代早期の遺跡
まずは鞍船遺跡です。「あいちの史跡」によれば、
「発掘調査により、隅丸方形、円形、楕円の多様な形態の竪穴住居跡が確認され、関東系と関西系の土器の他石器、石材が出土し、広範な人々の交流圏を示しています。」
ということでした。縄文時代早期の住居址です。

県道80号線から歩いていけるはずなのですが、いろんな道があって、看板もなく、どこにあるのかさっぱりわかりませんでした。そこで、近くのJAのガソリンスタンドで聞いてみました。すると地元の方らしい人が出て見えて、

「寺(金龍時というお寺)の前の道を川に沿って行けばいいよ。あそこの杉の木の山がそうだよ。」

と、親切に教えてくれました。
うれしかったので、帰りにガソリンをそこで入れて帰りました。

教えられた道を10分ほど進んでいきますと、やっと案内の看板が見えました。

鞍船遺跡の看板

「こんな遺跡のすぐ近くまで来ないとわからない看板だけでは困るよ。もっと、大きな道のわきに看板を作っておいてよ」と思いながら、通り過ぎました。

看板のすぐ裏手に遺跡がありました。

発見は大正11年、発掘は昭和29年

遺跡の案内によると、なんと発見は大正11年だそうです。しかし、発掘は昭和29年からです。30年以上もたってからのことです。戦争で発掘どころではなかったのでしょうか。こんなところにも戦争の影を見た思いでした。


鞍船遺跡全体

遺跡は柵で囲ってありましたが、萱で葺いて再現している住居址の左右に円形の住居址が一つずつありました。内部を見てみると、中央にくぼんだ穴がありました。炉の跡でしょうか。

炉の跡

住居址の内部の様子

がんばれ教育委員会
それにしても、萱で葺いた屋根が朽ちているのが目立ちました。あとで、ガソリンスタンドの方にお尋ねしたら、

「そうでしたか、何年か置きに葺き替えているんですが。」

と言っておられました。
地元の方も関わっているのかなと思いました。それはそれで、いいことですが、肝心の遺跡の保存、展示ということでは、教育委員会は後れをとっているのではないかと感じました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする