戦国本願寺門徒、信仰のかたち
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/00/cdd03255644f7939e82b3bf78317e0ee.jpg)
12月1日、安城市歴史博物館にて三河一向一揆に関する講演会が開かれました。今年は、三河一向一揆から450年に当たるそうです。そこで、安城市がイベントを企画していただけたと言うことです。安城市といえば、今年は新美南吉でけっこう盛り上がっていたので、三河一向一揆は余り盛り上がらないのだろうと思っていましたが、会場は100人程度の小さな部屋でしたが、いっぱいでした。用意した講演会の資料が足りなくて係りの方が増刷をしてくれていました。
後援者は、青木馨氏です。氏は、同朋大学の先生で、お寺の住職でもあるようです。講演のテーマは、「戦国本願寺門徒、信仰のかたち」ということで、戦国期の浄土真宗、特に本願寺派がどのようなかたちで信仰をしていたかを中心に話されました。
お話の中身(一部)
お話で、私の印象に残ったことを箇条書きします。
・上宮寺(岡崎、佐々木)は、当時すばらしい勢力を誇っていたこと、特に如光という僧の功績が大きいこと。
・本願寺から本尊(阿弥陀如来の絵)と御文がセットで各地方に配布されたこと。
・御文は、證如の時代になると印刷されて配布されたこと。
・御文は丈夫な紙でできていて、今でも一般の家にあるかもしれないということ。
・本願寺派にとって寺は、「菩提寺」を意味せず、道場の拡大したものであること。
・同時に、道場の縮小したものがお仏壇であること。
・永禄4年の親鸞聖人300回忌あたりが、本願寺派の絶頂期であること。
今回は三河一向一揆そのものがテーマではなくその前提となる一向宗(浄土真宗本願寺派)とはどのような宗教だったのかという話でした。
一向一揆で自分の昔を振り返りました
私の実家も浄土真宗だったので、「御道場」は聞いたことがありましたし、「西御御堂(にしおみどう、西本願寺派の道場)」「東御御堂(ひがしおみどう、大谷派の道場)」は、実家の村にきちんと二つありました。「報恩講」も、「ホンコさん」といって親しんでいました。「ホンコさん」は、秋頃に行われていましたが、私の記憶では村で一番のお祭りだったような気がします。春は「蓮如さん」です。蓮如上人が京都から吉崎に下向されたのを記念してできた行事だったように思います。また、オコサマ(御講様?)といって、村の人たちが定期的に御道場に集まって念仏を唱えることも行われていました。
そうしてかんがえると、三河一向一揆を考えることは、自分の昔を振り替えることにもなると思いました。
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12月1日、安城市歴史博物館にて三河一向一揆に関する講演会が開かれました。今年は、三河一向一揆から450年に当たるそうです。そこで、安城市がイベントを企画していただけたと言うことです。安城市といえば、今年は新美南吉でけっこう盛り上がっていたので、三河一向一揆は余り盛り上がらないのだろうと思っていましたが、会場は100人程度の小さな部屋でしたが、いっぱいでした。用意した講演会の資料が足りなくて係りの方が増刷をしてくれていました。
後援者は、青木馨氏です。氏は、同朋大学の先生で、お寺の住職でもあるようです。講演のテーマは、「戦国本願寺門徒、信仰のかたち」ということで、戦国期の浄土真宗、特に本願寺派がどのようなかたちで信仰をしていたかを中心に話されました。
お話の中身(一部)
お話で、私の印象に残ったことを箇条書きします。
・上宮寺(岡崎、佐々木)は、当時すばらしい勢力を誇っていたこと、特に如光という僧の功績が大きいこと。
・本願寺から本尊(阿弥陀如来の絵)と御文がセットで各地方に配布されたこと。
・御文は、證如の時代になると印刷されて配布されたこと。
・御文は丈夫な紙でできていて、今でも一般の家にあるかもしれないということ。
・本願寺派にとって寺は、「菩提寺」を意味せず、道場の拡大したものであること。
・同時に、道場の縮小したものがお仏壇であること。
・永禄4年の親鸞聖人300回忌あたりが、本願寺派の絶頂期であること。
今回は三河一向一揆そのものがテーマではなくその前提となる一向宗(浄土真宗本願寺派)とはどのような宗教だったのかという話でした。
一向一揆で自分の昔を振り返りました
私の実家も浄土真宗だったので、「御道場」は聞いたことがありましたし、「西御御堂(にしおみどう、西本願寺派の道場)」「東御御堂(ひがしおみどう、大谷派の道場)」は、実家の村にきちんと二つありました。「報恩講」も、「ホンコさん」といって親しんでいました。「ホンコさん」は、秋頃に行われていましたが、私の記憶では村で一番のお祭りだったような気がします。春は「蓮如さん」です。蓮如上人が京都から吉崎に下向されたのを記念してできた行事だったように思います。また、オコサマ(御講様?)といって、村の人たちが定期的に御道場に集まって念仏を唱えることも行われていました。
そうしてかんがえると、三河一向一揆を考えることは、自分の昔を振り替えることにもなると思いました。