名残を惜しみつつ、フランソワ夫妻に車で駅まで送ってもらう。
その時、彼らの二女のフロランスからの電話がかかって、どうやら、勤務時間帯のすれ違いから、生活がうまくいかず、離婚に向かっているとの内容だった。そんな話も私にしてくれるようなフランソワ夫妻との関係は、前年(2017年のバスク旅行)から特に密になったといえる。
その後、フロランスにお姉さんであるマリーアンジュが住むリヨンで一緒にクリスマスを過ごすときに、初対面する。
彼女もまたマリーアンジュと同じ、大学の先生であるが、リヨンで会った時は、離婚後だったので、寂しそうではあったが、子供のために離婚した夫と同じアパートの別の部屋に住み、子供は行き来できるようになっているとの話だった。
駅に着いたが、C線はやはり遅れていた。彼らも付き合って待ってくれた。
彼らは、「いつ、家にいるの?」というくらいバカンスで家を空けているが、最近も移動制限が解けた5月3日からすぐに出かけたらしく、数日前、ノルマンディーから写真が届いた。来週はリモージュに行くそうだ。
昨日は、マリーアンジュのご主人のマニュエルから、「2022年の春には、また子供たちと日本に行きたい」と行ってきた。
日本よりまだまだ感染者も死者も多い国の人とは思えない。今の日本の状況に複雑な思いになる。いかにもバカンスの国。ただ、エスカレーターのような人もいることも忘れたくない。
彼は、「いつになったら会えるかしらね?」という私のメールに、「A Saint Glinglin」(存在しない)という返事だった。彼流のユーモアか、はたまた本心なのか、それはわからない。
さて、到着したオステルリッツ駅から、歩いてリヨン駅まで行き、エルワンの家に行く。
これは地上を走るメトロ6号線↓
前日に驚かせた娘さんも一緒に夕食だ。
エルワンの家の前の通り↓
エルワンの家の前で↓
どこのお店にしようかと、最初に行った店は、いかにもパリらしい小さなビストロだったが、残念ながらお休みで、駅前のたぶん有名なお店であろう大きなブラッスリーという範疇に入るレストランだった。
上が休みだったビストロ↑
下がブラッスリーでそこで夕食↓
そこに行く途中、娘さんがボーイフレンドとすれ違ったのだが、別の女の子といっしょだったことで、とても複雑な表情を見せた。お父さんのエルワンは「これが青春さ」とクスッと笑った。
お肉をお昼に食べたので、魚を選んだが、またしてもフランス人の選んだ料理のほうが美味しく見えて、それが伝わったのか?(笑)、「ひとくちどうぞ」と味見をさせてもらったら、やはりお肉を選ぶべきだった!!と後悔。
これは私のお礼の招待の夕食なので、ここでデザートを抜くわけにはいかなかった。
なので、デザートまでしっかりいただき、楽しい夕べは過ぎていった。
もう一度謝ったが、前日の私の失敗を気に掛けることもなく、「またいつでも来たらいいよ。」と言ってくれた。
実は、この素敵な一軒家?から、去年コロナ禍のなか、11区(バスチーユの近く)に引っ越したという。大きなマンションだという話だ。
泡と消えた2021年の春の私の3ヵ月滞在でも、もちろん「部屋がたくさんあるので、使ってくれたらいいよ」という、変わりない言葉だったので、楽しみにしていたのに本当に残念だ。
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