
わたしは教職についてからは、ずっと生徒といっしょにいました。
若い頃は生徒と冗談を言いあい、楽しいときを過ごしました。
英語科教員として、英語を使えることの大切さを真剣に生徒に話しました。
生徒の高校受験の夢を叶えるため、いろいろなサポートをしました。
完全学校週5日制の前、土曜日の午前に授業があったころは、お昼ごはんに同僚の先輩先生と出かけ、生徒の話をしたり、雑談したりしました。
学校に来れない生徒の家には、何度も何度も家庭訪問して、本人だけでなく、親御さんとも話しました。
生徒が人として誤った行為をしたときには、精一杯正そうとして指導しました。
生徒が家出をして帰らなくなって、夜も探し回ったこともあります。
その一つひとつを思い出すと、それは紛れもなく私の青春でした。
いまの若い世代のダイパ・コスパを重視する生き方からすれば、効率のよくない過ごし方をしたと思うこともあります。
でも、今思います。本当に意味の薄い無駄な時間を過ごしたのかと。
自分の過去を否定したくないという思いも少しは入っているでしょうが、今の教師の働き方改革の観点から無駄なことと断じてしまうのは、誤りでないかと思うのです。
人生の無駄に思えたことが、あとになって生きていることを実感することもあります。
青春とは住々にして、無駄なことをしているのではないでしょうか。
無駄なことに情熱を燃やすのもまた青春というものです。
そもそも青春とは若い頃に限られるのでしょうか。
若くても鬱々としている人いれば、老境に入っても新しあことに挑む人もいます。
今が青春だと感じているとき、たとえ何歳であったとしても、それは青春と呼んでよいのではないでしょうか。
私も60歳をこえてもいまだに青春の中を生きているように思います。
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