
日本では、まことしやかに考えられているのが、人の学習には文系向き・理系向きがあるという思い込みです。
わたしの場合、小学校・中学校、そして高校2年生(普通科)まで文系とか理系に関係なく、クラスでは文系・理系の授業を受けてきました。
ところが、高校3年からは文系クラスに入る生徒と理系クラスに入る生徒に分かれました。
わたしは文系のクラスでしたが、当時学年は10クラスで、そのうち文系クラスは8クラス、理系クラスは2クラスでした。
そして、理系クラスはほとんどが男子生徒で占められるという状況でした。
この文系・理系という高校段階での分かれ方は、選択するのが高校1年に下がったぐらいで、数10年たった今でも、日本ではそう大きくは変わっていません。
「わたしは文系向きの頭」「オレは理系が得意だから、大学も理系へ行くよ」。
そんなふうに、世間では「文系人間」・「理系人間」がいるかのように語られ、学校卒業後もの考えを引きずって、日常会話でも文系・理系いう言葉が、人びとの口から出てきます。
この傾向は、日本特有の傾向です。
中学生の時には、数学や理科が得意な生徒は男女に関係なく同程度にいます。
しかし、高校段階で理系コースを選択する女子の割合は約15%までに低下します。
そもそも、理系は女子には向かないという考え方はジェンダーバイアスのすりこみです。
「女の子は女の子らしく」
「女子は理系に向いていない」
「女の子なのに理数ができてすごいね」
そのような教師や保護者からの子どもへの声かけが、女子の理数系の学習への苦手意識や敬遠する意識を知らず知らずのうちに生み出しているという状況が実際にあるのです。
今、少しずつですが大学で理系学部を選び、入学する女子学生が増えてきているのは、好ましい傾向です。
また、文系・理系という分け方は、今の時代の流れにミスマッチしています。
現代の社会課題は複合的な要因が絡み合っています。
その解決には科学技術の力は欠かせないですが、今まで以上に人間の社会との調和的な科学技術が必須になっています。
それは科学的な視野で問題をとらえ、分野を横断する、つまり学校での教科を超えた多様な知識が必要になります。
つまり「総合知」が必要となるのです。
だから、文系・理系と分断されている教育のしくみは時代遅れになってきています。
今は、サイエンスのみの力での課題解決は難しく,万能ではないことが多いのが今という時代です。
新たな価値を創造するには、さまざまな分野の知識や知恵を結集する必要があるのです。
このような必要性を意識した学習が、「STEAM教育」として始まり、探究力を涵養する目的で始まっています。
当方のように数学の才覚があっても、文系クラスに進む者もいれば、文系クラスにいたはずの女子が、一浪して理一(東大さん)に進んでいたり……文理の壁は、
障子紙のように薄いなぁ、
と。
(ていうか、実務でお客さん相手に「自分、文系なので、この化学式や『亀の甲』については、分かりません」などと言える訳ないですし。。。必要とあれば何でも吸収・発揮できる必要があります……切迫した必要性と締め切り日時は、学びの土台)