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箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

大学生の食を支える

2023年04月14日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新入学のシーズンを迎え、コロナ規制も一定程度解除され、新生活を楽しみにしている生徒・学生も多いと思います。

しかし最近の物価高が大学生、とくに下宿生の生活を直撃しています。

バイトで収入を得て、生活の足しにしている学生が多くいます。

その中で何を削るかといえば、書籍代は節約しにくいので、真っ先にくるのが食費です。

昼はお金のかかりにくい学食でしっかり摂り、夜は軽く済ます学生も多いと聞きます。

日本が経済的に豊かになるにつれて使われなくなった言葉「苦学」が今、復活してきています。

大学進学率が上昇するにつれ、大学に進学する人が増え、大学生そのものがいまや必ずしも経済的に豊かな層だけでなく、生活の苦しい層も通うようになりました。

そこに物価高が拍車をかけ、経済的に困窮する学生も出てきているのです。

大学もそんな学生の支援に乗り出しています。

関西の情報しかありませんが、たとえは近畿大学では、食品会社に就いている卒業生に依頼して、食品を学生に現物支給しています。

また、京都の大学の中には、希望する学生に学習や学内のカフェで使える食事券を配っています。

さらに、学食のメニューを全品3割引で提供している大学もあります。

それらは、大学側が学食に対して食事券代やメニューの値引き分を補填しているという事情があります。

わたしも大学生の学習にかかわる仕事をしていますが、最近の大学生は真面目に学習します。

わたしの大学生時代は、授業をサボる学生がけっこういましたが、今はそうではありません。

懸命に学習に励む苦学生には、支援の手立てが行き届くことを、わたしも願います。

大きく考えれば、大学生の学習や学びは社会全体の利益につながります。

その視点をもち、大学当局だけではなく、社会全体で学生を支える必要があると考えます。


さまざまな角度から、根拠をもって考える

2023年04月13日 20時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ
この頃はインターネットをはじめとして、私たちはたくさんの情報に囲まれています。

わたしの子どもの頃は、ものを調べるには図鑑や百科事典を開けるのがふつうでした。

家には2種類の百科事典がありました。

一つは「ジャポニカ」という百科事典であり、他の一つは「万有百科事典」というものでした。

「ア〜エ」などの用語の頭文字で始まる言葉が1冊にまとまっていました。

1冊の厚みは8cmほどでした。

当然、索引で分けていくとア〜ンの全部が揃うと何冊にもなりました。

だから、置いておくにも大きなスペースが必要でした。

ところが、半世紀の間にインターネットの普及で、情報の集積は場所をとらないようになりました。

隔世の感を覚えます。

調べたいことは、スマホ一つでことたります。

洪水のような情報が私たちに押し寄せてきます。

前のように重い本を手に取り、調べなくてもすぐに情報が手に入るようになりました。

ただ、その情報が全部正しいかといえは、けっしてそんなことはありません。

意図的にまわすフエィクニュースがあります。

SNSの書き込みには、悪意のある書き込みや無責任な発言もあふれています。

とくに学術的な記事や文章は、詳しくないと真偽を確かめにくいという困ったことが起きてきます。

いわゆるメディアリテラシーが求められます。

つまり、情報をいろいろな角度から他の人の意見やちがった観点の意見から、根拠をもって考える習慣を身につけたいのです。

その点で、新聞の記事の活字は正しい情報になっていることが多いと思います。

新聞は裏付けをとり、記事の信憑性は高いからです。

ただし、新聞とて記者が「こういう内容にしたい」という思いで、それに都合のいい題材だけを集めていないかというクリティカルな見方で読まなければならないと、わたしは思います。

大切なのは、わりとまっすぐに情報をうけとりやすい子どもたちが、メディアリテラシーの力をつけていくことです。

その教育をしっかりやっておかないと、大学生になったとき、インターネットから情報をとり、それを貼り付けてレポートにしてしまうようなことになります。

また、ニセ情報に振り回されることにもなります。

わたしが驚いたのは、在日外国人をテーマにした学習をするとき、若い教師がインターネットからとってきた情報で教材をつくり、それを知識として教えようとしていたときです。

在日外国人の問題を事実に基づき、客観的に見た立場で作った教材にはほど遠いものでした。

修正を加え添削すると、教材のほとんどを書き直すようなものでした。

児童生徒もですが、教師こそメディアリテラシーを身につけておかないとたいへんなことになると思いました。






学校教育の意義をどう捉えるか

2023年04月12日 07時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わが国では、ふつう学校教育の意義や目的を個人の利益に考える傾向が強いように、わたしは思います。

たとえば、教育基本法では、教育の目的を「人格の完成」と定めています。

この崇高な定めは不動の価値です。

ただし、人格の完成は何のためなのかについてどのような捉え方をするかは、国の教育政策に関わる問題になります。

個人にかえるものとしていれば、教育という営みは個人の利益とみなされ、いまの日本はそのようなスタンスです。

ここから、義務教育はかろうじて無償ではありますが、高等教育や大学教育では、個人が恩恵を受けるゆえに、教育費を個人が、つまり家庭が負担するのが原則となります。

しかし、諸外国をみると、教育の成果は国家全体の利益にかえるものとして捉えている場合が多いようです。

そのようないきさつで、GDPに占める公教育費は、OECD加盟国のなかで日本が最低となっているのだと思われます。

広く考えれば、「教育はその国の将来への先行投資である」という考えで、高校での授業料を引き下げ、大学の学費への公費補助を増額するなどの政策を進めるべきでしょう。

健康的に自分らしく生きることができる風土づくり

2023年04月11日 06時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ
福井県は教育関係者の中では、子育てしやすいまちとして専門家が指摘します。

まず、ものづくりをはじめとする産業が盛んで、雇用も安定しているという特徴があります。

次に全国的にみても、福井県では三世代同居の世帯が多く、父親、母親の共働き率が高いですが、祖父母に子どもの世話をしてもらえます。 

それ以外にも、ふつう小さな子が熱を出したら、保育園の場合、親は子どもを休ませなければなりませんが、福井県はちがいます。

大きな病院が託児施設を併設しており、親は朝に用紙を記入して提出するだけで、1日病気の子を預かってくれます。

そのような条件がけっこう整っているので、親は安心して働くことができます、

生活が安定しやすいので、その分、子どもも学力が高い傾向があります。

事実、全国学力学習状況調査では、小中とも全国でつねに高学力傾向を示しています。

もちろん、県や自治体が教育政策・施策に力をいれているという要因も関係しているでしょうが、生活の安定は学力に影響を与えているのは事実だと思われます。

「全国幸福度都道府県ランキング」では、5年連続で1位になっています。

きっと住みやすいまちとして、住民の満足度は低くはないのでしょう。

ただし、男性の育児にかかわる時間は、女性のそれよりも2時間以上短く、全国20位程度
と低迷しています。

ある意味では、福井県は日本の伝統的な慣習を引き継いでおり、会社、社会、地域の活動など、全般的に組織の意思決定にどれだけ女性が関与するかが問われているといえます。

かりに仕事に魅力があり、やりがいがあったとしても、女性と男性が互いに尊重しあい、健康的に過ごし、自分らしく生きられる風土でないと、今の時代では立ち行かなくなります。

キャリアを形成した女性が、メンタル疾患や生理的な問題で、健康を理由に仕事をやめざるをえなくなるような組織では、持続可能な活動は望めないのです。

海外へ出る若い人

2023年04月10日 07時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ
いま、海外で働き、永住する若い人が増えつつあります。

日本は円安が進み賃金が低いし、雇用も不安定になりました。

なんとなく、明るい将来を展望しにくい。

そのような閉塞感や不安な気持ちから、若い人が海外に出る人がいるのが、いまの時代の特徴です。

その人たちの内訳は女性の方が多いのです。

日本社会では、女性を活躍させてくれない。

自立した生活を願う意識のある女性は、海外でキャリアを積みたいと思うのでしょう。


また、高いスキルと能力を持った人が海外で活躍していることを思えば、日本の労働人材が減っていくことにもなります。

日本は働く人の賃金を上げ、労働環境をよくするようにしなければなりません。



地域で子どもを育てるあらたなしくみ

2023年04月09日 06時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ
子育てについては親の責任をあまりにも重視しているのが今の日本の子育て施策の特徴です。

たしかに子育てでの親の役割は大切であることは言うまでもないことです。

でも、昔の地域社会では、親を中心にしながらも、近所の人や周りが子育てにかかわる仕組みがありました。

近所のおばちゃんが「おすそわけ」といって、食べ物をもってきてくれました。

地域の子が良くない遊びや行いをしていたら、周りのおっちやんが、親にかわって叱ってくれました。

わたしは小学生のとき、近所のため池の樋(ひ)を友だちも面白がって引っ張っていたら、樋が抜け池から水が勢いよく放たれました。

用水路を溢れた水が道路一杯に広がり、「えらいことになった」と、友だちと顔を見合わせ真っ青になりました。

町内のおっちやんにこっぴどく叱られました。おっちゃんは池の中を潜り、開いた樋を占めてくれたことを、翌日学校の先生から知らされ、ここでも厳しい指導を受けました。

当時は、学校も地域と一体で地域の子どもを育むコミュニティがあったのです。

それは、濃い人間関係で個人の自由が制限されたり、プライバシーに踏み込む弊害があり、別の見方では、少し苦手と思う人がいたことが一方では事実です。

そして、今の日本社会は個人化が進行し、コミュニティの人間関係は希薄になり、地域の教育力は弱体化しました。

その流れとともに、子育ての責任は親のみに大きく委ねる社会になってしまったのです。

当然、子育ての行政施策は「親をしっかりさせる」ことにベクトルが向きます。

そのように、親が働きながら子育てをするのが当たり前になったいま、それを経済的に支援することで、少子化をくいとめようと意図することになります。

しかし、今の日本では親はわが子を成人するまで、延々と20年間も長い道のりを歩み、多額のお金がかかることになります。

親の経済力で子どもの学びが左右されるのが現実です。

「教育にお金がかかるから、子どもはたくさんはもたない」という親側の思いが強いのです。

このままでは、お金だけ親に手厚くすればいいという施策や政策では、税金のばらまきになる心配もあります。

今は、ほどほどの人と人のつながりと人間関係をもとに、地域をあげてよその子どもの成長にかかわるあらたなしくみが必要す。

親のみに子育ての責任を求めすぎないようにするべきです。

永遠に続くもの

2023年04月08日 06時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大災害時代を迎え、耐震構造を施した高層ビルがそびえ立つようになりました。

 

高くそびえていて、人はその勇壮を見上げることもあります。

 

「ところが」です。

 

ふと気がつくのですが、高層ビルは下界のアリのような人間を見下ろしているだけで、人は見上げても「魂」を感じることが少ないのです。

 

それとは違い、自然は少しずつでもつねに生まれ変わっています。

 

あのときはなかったのに、今ではかすかな小川が流れるようになった。高く張っていた木の枝がなくなくなっている。・・・・・

 

だから、都会のビルとは違い、自然はいのちが通い毎年生まれ変わります。

 

そう感じながら、わたしは自分の生まれたふるさとで何十年も過ごしてきたのです。

 

ところが、高い山に登ったとき、そうでもなかったのかと思うようになりました。

 

自然さえもが、空から見れば結局は地上のことです。

 

動物もいつかは死にます。

木もいつかは朽ちるのです。

湖は干上がったり、埋まったります。

畑は放っておくとうっそうと茂る森になります。

 

もちろん、そびえるビルも永遠ではないのです。

 

じつは天体の月や太陽はその地球上の営みをすべて俯瞰しています。

 

持続可能な開発をして、環境と自然が共生する営みそのものは尊いことであり、否定されるべきことではけっしてありません。

 

しかしながら、私たちが下界で見ているものはいずれは滅びるのです。


対して、天体や宇宙は何億年も続く永遠というものでしょう。

 


コップの水の空きをつくる

2023年04月06日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ

 

現代社会はストレスフルな社会です。

 

人間関係が複雑化・高度化し、みんながけっこう傷つきやすくなっています。

 

また、人が日々の生活の中で出会う問題もすぐには解決しないようなことも多いのではないでしょうか。

 

解決しない不安や心配、悩みを抱えたままにしておくのは、ずっと重い荷物を背中にのせて歩いているようなものです。

 

一つの解決しにくい/解決できないことを考え続けたり、自分にとってイヤだったことを何度も思い出したりするのは、強いストレスを繰り返し受けているのと同じになります。

 

不安・心配や悩みを抱えすぎて限界に達しているのは、たとえばコップに水を注ぎ上の縁までいっぱいになっている状態にたとえることができます。うつ病などを患うことになります。

 

15人に一人は一生のうちでうつ病を経験すると考えられています。

 

少しでも揺らすと水がこぼれ出ます。これがいわゆる「バーン・アウト」になります。

 

ですから、水位を少しでも減らさなければなりません。つまり、不安や悩みから離れて、考えない時間をもつことが必要になります。

 

ところが、たいていの人は逆で、一つのことを考え続けたり、何度もイヤなことを思い出してしまうのです。

 

これではコップに水を注ぎ続けていることになります。

 

それではしんどいです。

 

人の心は、このようなコップのようなものですので、入ってくる水を減らし、入ってくる容量を空けておかなければなりません。

 

つまり、悩みや不安から距離をあけ、考えない時間をもつのはコップの水位を下げる効果があります。

 

水位が下がると、自分のことを客観視できることにもなります。

 

コップの水位を下げる方法とは、「もう限界だ」と感じたときに、好きなことにどっぷりとつかることでしょう。

 

テレビで好きな映画をどんどん見るとか、外界からの音を遮断するためヘッドフォンを付けて音楽をひたすら聴く、または単純作業でもいいので手を動かすようなことを黙々と続けると効果があるようです。

 

好きなことや単純作業を続けると、そちらに意識が向き、悩みや不安を忘れ、離れている状態になれるのです。

 

このようにして、好きなことに没頭して心の空きを増やしておき、明日のわたしに不安・悩みを託していきます。

 

そうすると、何かの拍子にふと解決の方法が見つかったり、支援者が現れたり、悩みや不安が気にならなくなったりすることもあるのです。

 

我を忘れて夢中になれる活動や好きなことを大事にしていきたのです。

 


リセットできる4月

2023年04月05日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
4月に入り、新しく進学する人、新しく入社する人たちの初々しさが輝いています。

電車の駅では、通学定期や通勤定期を買う人で長蛇の列ができています。

少しでも待つ時間が短くなるよう、駅員さんたちもあの手この手で、便宜をはかってくれます。

この4月、久しぶりに入学式に入学生全員を一堂に集めた入学式をする大学が増えました。

マスクなしでの入学式をする学校も増えました。

新入社員が対面式で揃って入社式を再開した企業もあります。

みんなが、春の陽気のなか、新しい環境に入っていこうとしています。

希望をもち、でも不安も少し感じながら、新しい学校、新しい職場に身を置こうとします。


4月は多かれ少なかれ自分をリセットできるときでもあります。

進学・就職に限りません。

学校での進級も、自分をリセットすることができるチャンスです。

学習面や人間関係でうまくいかなかった人も、気持ちを切り替えて、新しい環境でやり直すこともできるのが、この4月というシーズンです。


さらに、4月は「節目」の月です。

なぜ、竹には節があるのでしょうか。

それは、節がないと自分が1年間でどこまで伸びたか、どれほど伸びたかがわからないからです。

だから、昨年度では学校生活でうまくいった人も、友だち関係でつまずいた人も、気持ちを切り替え、新たな気持ちでやり直していこうとする「節目」を大事にしてほしいと思います。

このリセットの4月の話は、校長をしていたとき始業式で何度か中学生にしました。

新たな環境で自分にとってのしあわせを見つけてほしいと願います。

振り上げたナタを少し下げました

2023年04月04日 07時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校の部活動の地域移行について、文科省は当初、勢いよく「ナタを振り上げました」が、途中で挙げたナタを下げることになったのが現状です。

そもそも、私の教員経験から言うと、中学校での部活動は、生徒の成長を期する学校の思いと負担荷重となる教員の実態という矛盾を抱えながら継続されてきたというのが実感です。

誰もが矛盾を感じながらも、改革するにはさまざまな課題があることを知っています。

中学校関係者なら地域移行への問題点を肌で感じていて、部活の教育的効果と教員のたいへんさの狭間で、バランスをとり保たれてきたのです。

これを改革するのは、例えればパンドラの箱を開けるようなものです。

いったん開ければ、潜在化していた問題が吹き出して、収拾して目的を達成さていくには、よほどの覚悟をもって取り組まないと改革がうまくいかないのが部活動の地域移行なのです。

教員以外の指導者を民間から確保できないという自治体からの苦言があちらこちらから出されたのを受けて、「休日の地域移行完結の達成目標を2025年度末にする」という文言がガイドラインから消えました。

スポーツ庁と文化庁で改革を検討する有識者会議が改革に対してトーンダウンしたのです。

また、2023年度からの3年間を「改革集中期間」としていたのを「改革推進期間」とネーミングを変え、できる地域からやっていくことになりました。

改革のための予算も、文科省は2023年度に100億円以上を計上していたのが、30億円程度にまで減額することになったのです。

ほんとうに難しい部活改革であると、あらためて思います。





他者のために「天分」を発揮する

2023年04月03日 12時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ

わたしは縁あって教職について40年ほどになりますが、学校教育にかかわる仕事全般をするのが役割です。

 

ただし、わたしにはそれ以外にやる仕事があります。

 

ご縁のある教職をめざす学生または現職教員に、一人でも多くの子ども、保護者・地域の人から信頼される教師になってほしいという願いがあります。

 

出会った人に「あなたのおかげで教員になれた、教師としての今のわたしがある」と言っていただけるなら、何にも代えがたいやりがいです。

 

実際にいい先生になっている人に共通しているのは、「何のために教師をしているのか」という動機や目的がはっきりしています。

 

つまり、使命感をちゃんと認識できているのです。

 

「なんとなく教師をやっています」のではなく、使命感を確立して実践を重ねている人にお会いすると、あらためて、自らの心が洗われます。

 

教師になったのはその人の「天分」です。人はそれぞれ、何かの活動をする力・才能・特徴(天分)をもっています。天分を持っているのに、それが発揮されないこともあります。自分でフタをしてしまっています。

 

それが解き放たれるのは、自分だけがよければいいとするのではなく、与えられた天分を生かしきり、子どものことを思う時ではないでしょうか。

 

教師という人と児童生徒という人が関わり合う中で、相手がしあわせになることが自分の喜びになります。

 

自分もそうでありたいし、そのような教師が増えていけばいいなと思います。そのお手伝いをしたいというのがわたしの思いであり、使命です。


不登校生が通える夜間中学校

2023年04月02日 07時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス感染防止が、ようやく下火になってきました。

 

もちろんまだ楽観視できる状況ではありません。「アフターコロナ」といっていいのか、「ウイズコロナ」というべきか迷うところです。

 

ただ、その問題とは別に、学校教育関係でいえば新型コロナウイルス渦の影響で不登校の児童生徒が増えたことは明らかな事実です。

 

2021年度実施の文科省調査では、全国の小中学生のおよそ24万人が不登校で、これは過去最多でした。

 

コロナ渦による休校、分散登校などで自宅学習をすることになった一方で、学校へ通うことが重荷になった児童生徒が増えたことが理由でしょう。

 

それ以外にも、低学年の子は「得体の知れない」ウイルスに恐怖を感じたのかもしれません。

 




不登校になった子は、その後どうするかというと、学校に再登校できることもあります。

 

学校の別室への登校を経て学級に入るようになった子もいます。

 

学年がかわりクラス替えをして登校できるようになる場合もあります。

 

もちろんすべて教職員の支援があってのことですが。

 

学校が無理なら、自治体のひらく「適応指導教室」に通う子がいます。

フリースクールに通う子もいます。

 

進学は、不登校生にとって一つの契機になることもあります。

 

通信制高校・単位制高校へ進学して、自分のペースで学習を進める子もいます。

 

ただ、費用面の問題があります。通信制高校・単位制高校、フリースクールも入学金や授業料がかかり、保護者にとって経済的な負担は少なくありません。

 

また、中学校の途中でボランティアが運営する学校へ行ったとしても、中学の卒業資格がもらえないという課題があります。

 

いま、細々とですが公立の夜間中学校通う子も出てきています。

 

公立の夜間中学校は、現在、事情があり義務教育が受けられなかった人が通うという役割から、渡日してきた外国籍の生徒に教育をする役割にシフトしてきています。年齢層もさまざまな人が集います。

 

そのような夜間中学校がほとんどですが、全国的に見ると不登校特例校の制度を受けた夜間中学校もあります。

 

ここは公立であり、義務教育学校なので費用も大きくはかかりません。しかし、今はまだ全国に20校ほどしかないのです。

 

ニーズはあるので、市町村が設置できるように財政補助が求められます。


春爛漫

2023年04月01日 07時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ
桜の花の芽は秋から休眠します。

その桜が鮮やかに開花するのは条件がととのわなけらばなりません。

つまり、休眠にある花芽が、凍るような寒風に吹かれ、寒さに着実にさらされなければならない。

その点で、寒気こそが花芽を蕾に変え、満開のショーを演出するといえます。

花びら一枚でもそのプロセスをへてできあがるのです。

自然の摂理に、私たちは驚かされます。




思えば、人の生き方も同様ではないでしょうか。

耐える日があるからこそ、飛躍する時が来るのです。

とくに、入学式や入社式に際して、若い人びとが精進した力をもって、ジャンプアップした学校・社会に入っていく姿。

これこそが春爛漫なのでしょう。