わが国では、ふつう学校教育の意義や目的を個人の利益に考える傾向が強いように、わたしは思います。
たとえば、教育基本法では、教育の目的を「人格の完成」と定めています。
この崇高な定めは不動の価値です。
ただし、人格の完成は何のためなのかについてどのような捉え方をするかは、国の教育政策に関わる問題になります。
個人にかえるものとしていれば、教育という営みは個人の利益とみなされ、いまの日本はそのようなスタンスです。
ここから、義務教育はかろうじて無償ではありますが、高等教育や大学教育では、個人が恩恵を受けるゆえに、教育費を個人が、つまり家庭が負担するのが原則となります。
しかし、諸外国をみると、教育の成果は国家全体の利益にかえるものとして捉えている場合が多いようです。
そのようないきさつで、GDPに占める公教育費は、OECD加盟国のなかで日本が最低となっているのだと思われます。
広く考えれば、「教育はその国の将来への先行投資である」という考えで、高校での授業料を引き下げ、大学の学費への公費補助を増額するなどの政策を進めるべきでしょう。