箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

初任者を指導して

2021年06月11日 06時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしは、各中学校を回り、初任の教諭の授業を見て、そのあとにはかならず協議をもち、助言やアドバイスをしたりします。

初任者の授業を見て思うのは、自分が「教えなければ」という意識が強く、授業を授業者としてリードしすぎであるということです。

わたしは、今の時代の授業のキーワードは「つなぐ」だと考えています。


教師(授業者)が発問や問いを生徒に投げかけます。手をあげて生徒が答えます。

「○○さんどうぞ」で、○○(生徒)は発表します。

このとき、習慣づいていないと、○○は教師(授業者)に対して答えます。そうなると、教室での人間関係は教師(授業者)と発表生徒○○の1対1の関係となるのです。

経験を積んだ授業者なら、それをクラス全体に広げ、○○を他の生徒とつなぎます。

「今の考えに関連した考えをしている人はいますか?」

または、「今のとは、ちがう考えをした人は?」

このように、◯◯と他の生徒をつなぐのです。

これを繰り返していくと、発表する○○は誰に対して話すのか。それは授業者ではなく、クラスのみんなに対して話すようになります。


1時間が終わって、授業者が話している時間の長さと生徒が発表したり活動したりする時間の長さを比較して、客観的にふりかえると、初任者の場合、ほとんど授業者が話しているのが多いものです。

授業は「講義」ではありません。生徒が話す時間や活動する時間が多いのがいいのであり、
教師はコーディネート役になることが大切です。

生徒の声と声をつなぎ、生徒の学びを深めるコーディネーター役として、授業をできるようになることが、初任者の当面の目標にすべきです。

授業技術を上げるのは、教員の「専門職性」にもとづく必要からです。

ほかの職種の人に授業ができるものではない。学校の先生だからできることです。

そもそも、「専門性」と「専門職性」はちがいます。

お寿司屋のおじさんは、飲酒運転をしても新聞には載りません。

お寿司屋さんは、おいしい寿司を握るという専門性をもっています。

でも、学校の先生が、飲酒運転をしたら新聞に載ります。

また、医師会や弁護士会の見解は、一般の人びとの中で認知されています。

だから、新型コロナウイルス感染症対策でも、医師会の意見・見解は尊重されるのです。

しかし、学校の教師の専門職性は、いまだ社会の中で確立されているとは言えません。

学校の先生の仕事は専門職性をもつべきです。それだけ社会的責任が大きくて、重いということです。

教育のプロとしていい授業ができるのは、専門性ではなく、専門職性にもとづき要求されているのです。
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​


コメントを投稿