広島への原爆投下から、今日でまる79年となりました。
被爆体験者が高齢になり、原爆被害の実相を語ることができる人が少なくなっています。
生きた人間が語る原爆被害の凄まじさは、たしかに聴く人の心に大きな力で迫ってきます。
ただし私は、ちょうど30年前に被爆地長崎を訪問して、原爆の遺構を見ることから原爆の被害を学びました。
吹っ飛んだ浦上天主堂の鐘、片足で立って残っている鳥居などを見て立ちどまってしまったことは、今でもはっきりと覚えています。
遺構は言葉を語りませんが、原爆の威力や凄まじさを、その存在そのもので人間に無言のメッセージを送ります。
もの言わぬ被爆者である被爆遺構は可能な限り保存していってほしいと願います。
ときには、被爆遺構は生きた人間が言葉を語るかわりに、存在そのもので核兵器使用を廃絶しなければならないという、無言のメッセージを送り続け、私たちはその声に耳を澄ますことができるのです。
戦後、一貫して唯一の被爆国として、日本は核廃絶を訴えてきました。
その点で、日本は世界の中で非核のシンボル的存在でした。
しかし、今はアメリカの軍拡の「応援団」ともいう役割を強めていて、世界の平和希求のための非核の障害にもなっているといえそうな政治的な動きをとっています。
日本は、世界から核の脅威を減らし、その廃絶に向けて総力を挙げることこそが、被爆国としての責務であることを再認識しなければなりません。
被爆遺構のメッセージは、そのことを訴えかけているように、わたしは思うのです。