箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

人びとが監視されるこわさ

2020年04月25日 09時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス感染症対策は、人類にとって初めての経験です。


各国が試行錯誤しながら取り組んでいます。

 

報道されているところでは、世界中で感染拡大を何とかうまく防止できているのは韓国や中国であるといわれています。

 

この2国では、最初から個人のスマホの位置情報を活用し、感染者の行動を監視したと聞きます。

 

いまや、このようにビッグデータの利用は多くの国で行われていると聞きます


アメリカでは位置情報によって、集会の開催を察知し、警察が出動したと伝えられました。

 

本来、そもそも個人がどこにいるかはプライバシー権のひとつですし、集会をするのは、法が定めるように自由なはずです。

 

しかし、新型コロナウイルスという脅威は、人びとに対して、個人の権利に政府が踏み込むことを禁じるブレーキを緩めさせています。

 

たしかに、事態は緊急なので仕方がないという声もあります。



でも、コロナウイルスの恐怖が去った後のことを考えたときのことを、いま考えておく必要があると思います

 

いま命を守るか、経済を守るかの選択を迫る議論が主流です。


ところが、必要なのは「いまの恐怖」と「収束後の社会」という点もふまえておかなければならないと考えます。

 

つまり、個人の情報を守るという価値観につらぬかれた社会と個人を監視する監視社会のどちらを選択するかという観点で、コロナ対策をみるべきだということです。


 

日本のコロナ対策が手ぬるいという批判もありますが、日本政府は個人がどこにいるかというデータを集めて対策をとってはいない(と思われる)のが、せめてもの救いです。


○○県○○市○○町◯丁目に住む○○さんが今どこにいるかという位置情報をもとに、「都道府県を超えた移動をしないように」と言っているのではないのです。


あくまで、個人を特定することなく、不特定多数の人たちに「移動しないでください」と要請をしているのです。


 

しかし、今後、日本でも監視社会が進行すると、個人の自由はどんどん狭められていくでしょう。


気がついた時には人びとが求めていた理想の社会とは似ても似つかぬものになってしまうことに、後で気がつくという危惧を感じます。



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