箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

困難な子はすべての子の象徴

2020年05月19日 07時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いま、ほとんどの人がマスクをしています。

私自身も付けています。

品薄で手に入りにくいマスクでしたが、徐々に出回るようになりました。

マスクをしていないと入れないお店や施設もあります。

電車の中で、マスクをしていなければ、「あの人、マスクしてないよね」と思われます。

新型コロナウイルス感染防止のためには、マスク着用は当然のことです。

でも、マスク着用で、わたしには一つだけ気になることがあります。

それは難聴という聴覚障害をもつ人のことです。

難聴の人のなかには、「口話法」を使い相手の話を理解する人がいます。

その人たちは、多くの場合、補聴器を併用して、相手の口の開け方で何を言っているかを読みとっています。

視覚支援学校では、以前は口話法を使うように難聴の生徒を指導していました。

現状では、難聴の人のコミュニケーションの手段は手話、口話法、両方などに分かれるのが実情です。

口話法は相手の口の開け方で話を読みますが、万能ではありません。

たとえば「タバコ」と「たまご」は口の開け方がまったく同じで、ときには誤解を生む場合もあります。

そういう点はたしかにあるのですが、口話法を使う難聴の人にとって、相手がマスクをしていると、口を覆っているので、何を言っているかがまったくわからなくなるのです。


わたしが教員として、教室で授業をしているとき、難聴の女子生徒がいました。

その子の教室での座席は、授業者の口型が見やすいようにできるだけ前のほうになるよう配慮しました。

そして、授業者は生徒に話すときに必ず生徒の方を向いて、ボソボソ言わず、できるだけ口の開け方をはっきりとさせました。

黒板に向かいながら話す、つまり、生徒に背中を向けて話すことは絶対にしないように心がけて実行しました。

すると、ある時のことです。

別のクラスで授業をしていました。そのクラスに難聴の生徒はいませんでした。

ある男子生徒が、授業のあとで近づいてきました。

「先生の授業はわかりやすいわ」

わたしは「ほう、なぜ」と尋ねました。

「だって、先生はかならずボクらの方を見て話してくれるもん」・・・。

この生徒の発言は、わたしに深いことを教えてくれました。

そうか、難聴の子にわかりやすい授業をすることは、すべての子にわかりやすい授業をすることになるのだとわたしは実感しました。

難聴の子に限らず、学力の不振な生徒は授業でなんらかの困難を感じています。

なにかの困難を感じながら学習にがんばっている子はほかにもたくさんいるのです。

だから、難聴の子の課題は、すべての生徒の課題を象徴しているのです。

難聴の子を大切にすることは、すべての生徒を大切にすることになるのです。

このことを、難聴の子は、わたしに気づかせ、学ばせてくれたのでした。

このような経験をしたので、いま、みんなが当然のようにマスクをして話すことに、わたしはあるとまどいを覚えるのです。

「緊急時だから仕方がないです」という考えもあるでしょう。

でも、マスクをして話すときに、それでは読みとれない人もいるということを意識しておいてほしいのです。

この意識があるのとないのとでは、実際の場面で対応が違ってくるのです。

もし、相手が難聴の人だと気がつけば、マスクをとって話すとか、筆談するとかの方法はあります。

「緊急時」には、多数派は勢いと流れにまかせ、少数派の困難をかえりみることなく、「マスクはつけて当然」という同調圧力を生み出して、困難を抱えている人を排除してしまいがちなのです。

こんなときでも、私たちは少数派の困難に対する痛覚をなくさないようにしたいと、自分も含めて思います。





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