
私が小学生の時、父が「図鑑」をセットで買ってきてくれました。それはすぐに私の宝物になりました。
家から一歩外へ出ると、豊能町のそこはもう「自然の宝庫」でした。
珍しい虫を見つけると、家に帰って図鑑で、その虫の名前を確かめました。
カブトムシ、クワガタ、カナブン、タマムシ、メダカ、アメンボウ、ゲンゴロウ、カミキリ虫、バッタ、イナゴ、イモリ、ヘビ、マムシ、レンゲ、スミレ、たんぽぽ、イチョウ、フナ、コイ、ウナギ・・・。
ずいぶんとたくさんの動物や植物の名前を、自然と覚えました。
ときどき、逆のこともありました。図鑑で見ていた植物を、学校の帰り道に見つけました。三色スミレを図鑑で見ていたので、実物をとって、もってかえり母に見せました。
「三色スミレをとってかえったで」
しかし、それは、エンドウ豆の花でした。
当時はパンジーとかの花があまり出回ってなく、図鑑にのっている絵を見て、「この花が、図鑑のあの花や」と感じたのでした。
昆虫や植物の図鑑は、何度も何度も開くものだから、擦り切れるほどになってしまいました。
また、百科事典は学校の宿題をするときによく使いました。「ジャポニカ」、「万有百科事典」、「ブリタニカ百科事典」のシリーズ三種が本箱に常備してありましたので、よく調べ学習に使いました。
しかし今はどうでしょうか。インターネットの発達により、情報がいくらでも手に入るようになりました。
そうなると、いまや情報をもっているだけでは、価値は生まれません。しかも価値のある情報と価値のいない情報が渾然一体となり、インターネット上にものすごい量で溢れています。
とんでもないでたらめな情報も多くアップされています。
それに対する書き込みも、偏見に満ちて書かれているものも散見できます。
だからこそ、多くの情報の中で、その本質が何かを突き詰めることが価値になるのです。情報や知識を持っていることは、価値ではない。
情報や知識を見極め、それらを活用して、考え、判断し、表現する力をわたしたちおとなをはじめとして、三中の子にも身につけてほしいと思います。